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表現の自由

公開:2025/10/21

ガイダンス表現の自由とは、内心における精神作用を、方法のいかんを問わず、外部に公表する精神活動の自由をいいます。表現の自由には、個人が表現活動を通じて自己の人格を発展させるという価値(自己実現の価値)と、表現活動を通じて国民が政治的意思決定に関与するという価値(自己統治の価値)があります。表現の自由は、自己実現・自己統治という2つの価値を有することから、他の人権に対して優越的地位を有しています。サンケイ新聞事件 (最判昭49.11.6)■事件の概要Y(産業経済新聞社)は、その発行するA新聞(サンケイ新聞)紙上に、X(日本共産党)が採択した民主連合政府綱領草案がYの党綱領と矛盾しているとするZ(自由民主党)の意見広告を掲載した。これに対し、Xは、意見広告の内容の主要部分を歪曲して中傷するものであるとして、Yに対し、憲法21条、民法723条等を根拠に、A新聞にXの反論文の無料掲載を求める訴えを提起した。判例ナビ第1審、控訴審ともにXの請求を棄却したため、Xが上告しました。■裁判所の判断1 憲法21条のいわゆる自由権的基本権の保障は、国又は地方公共団体の統治行動に対して、基本的な個人の自由と平等を保障することを目的としたものであって、私人相互の関係については、たとえ相互の力関係の不均衡から一方が他方に対し優位な立場にあるときであっても、原則上適用されるものではない。もっとも、私人間においても、当事者の一方が情報の収集、管理、処理のつき影響力をもつ日刊新聞紙を全面的に発行・発売する者である場合でも、憲法の規定から直接に、新聞紙の発行・発売の当事者に反論するためのものでないことは明らかというべきである。2 所論のような反論文掲載請求権は、これを認める旨の明文の規定が存在しない。民法723条は、名誉を毀損した者に対しては、裁判所は、被害者の請求により、損害賠償に代えて、又は損害賠償とともに、名誉を回復するのに適当な処分を命ずることができるものとしており、また、人格権としての名誉権に基づいて、加害者に対し、現に行われている侵害行為を除去し、又は将来生ずべき侵害を予防するため侵害行為の差止めを請求することができる場合のあることは、当裁判所の判例とするところであるが、右の名誉回復処分又は侵害の差止めは、単に表明行為が名誉を侵害しているというだけでは足りず、人格権としての名誉の毀損による不法行為の成立を前提としてはじめて認められるものであって、この前提なくして本請求は人格権に基づき所論のような反論文掲載請求権を認めることは到底できないものというべきである。ところで、…新聞の記事に取り上げられた者が、その記事の掲載によって名誉毀損の不法行為が成立するかどうかとは無関係に、自己が記事に取り上げられたというだけの理由によって、新聞を発行・販売する者に対し、当該記事に対する自己の反論文を無修正で、しかも無料で掲載することを求めることができるものとするいわゆる反論権の制度は、一名あるいはプライバシーの保護に資するものがることも否定し難いことである。しかしながら、この制度が認められるときは、新聞を発行・販売する者にとっては、原記事が正しく、反論文に誤りであると確信している場合でも、あるいは反論文の内容がその編集方針によれば到底掲載すべきでないものであっても、その掲載を強制されることになり、また、そのために本来ならば他に利用できたはずの紙面を割かなければならなくなる等の負担を強いられるのであって、これらの負担が、裁判的救済に価する程度のものであるかどうかは、多岐にわたる複雑な考慮を要するものであり、この種の制度の創設は、民主主義社会において極めて重要な意義をもつ問題である。このように、対し甚大な影響を及ぼすものであって、たとえYの有する新聞紙などの巨大企業体による情報の提供が一般国民に対し強い影響力をもち、その記事の特定の名誉の保護ないしプライバシーに重大な影響を及ぼすことがあるとしても、不法行為が成立する場合にその者の保障を図ることは主として、反論文の掲載について具体的な交渉ができないものといわなければならない。Xは主張のような反論文掲載請求権を具体的に認めることはできないものといわなければならない。判決に出てくる反論文掲載請求権は、一般に、反論権(新聞・マスメディアにおいて批判された者が、当該メディアに対して無料かつ同一のスペースで反論文の掲載を請求する権利)と呼ばれています。反論権には、不法行為の成立を前提とする狭義の反論権と不法行為の成立を前提としない広義の反論権があります。Xは、憲法21条、条理、人格権を根拠に広義の反論権を、民法723条による名誉回復処分として狭義の反論権を主張しました。これに対し、本判決は、広義の反論権を否定したが、狭義の反論権については、その前提となるYのXに対する不法行為の成立を否定したため、言及していません。過去問1 政治欄の批判・論評は、表現の自由において特に保障されるべき性質のものであることから、政党は、自己に対する批判的な記事の他の政見広告として新聞に掲載されたという理由のみをもって、具体的な成文法なくとも、その記事への反論文を掲載することを当該新聞を発行・販売する者に対して求める権利が憲法上認められるとするのが判例である。(公務員2019年)1 Xの本問のような反論文掲載請求権について、判例は、憲法21条から直接生ずるものではなく、また、具体的な成文法がないのにと認めることはできないとしています(最判昭49.11.24)。博多駅事件 (最大決昭44.11.26)■事件の概要1968(昭和43)年1月、アメリカの原子力空母が佐世保に寄港することに反対する学生デモ隊と機動隊が衝突した博多駅事件が発生した。学生帽を支持していた政治団体は、衝突の機動隊の行為が刑法の特別公務員暴行陵虐罪にあたるとして、福岡地方検察庁に告発したが、検察が不起訴処分にしたため、福岡地方裁判所に付審判請求(刑事訴訟法262条)をした。そこで、福岡地方裁判所は、審理のため、Xテレビ局に対して事件を撮影した取材フィルムの提出命令を出した。* 特別公務員暴行陵虐事件、公務員職権濫用罪等について告発または告訴をした者が、検察官の不起訴処分に不服がある場合に、地方裁判所に対して事件を裁判所の審判に付すよう請求できること。判例ナビXは、本件提出命令は表現の自由を保障する憲法21条1項に違反するなどと主張して福岡高等裁判所に提出命令の取消を求める特別抗告*をしました。しかし、同裁判所が抗告を棄却したため、Xが特別抗告**をしました。*刑事訴訟法上、裁判所の決定について上訴裁判所に不服を申し立てる方法(刑事訴訟法419条以下)。民事訴訟法に抗告の規定がある。**刑事訴訟法上、抗告を許さないとする決定でなければならず、かつ憲法違反を理由として最高裁判所に対して提起する特別の抗告(刑事訴訟法433条)。民事訴訟法に同様の制度がある。■裁判所の判断報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の「知る権利」に奉仕するものである。したがって、思想の表明の自由と並んで、事実の報道の自由は、表現の自由を規定した憲法21条の保障のもとにあることはいうまでもない。また、このような報道機関の報道が正しい内容をもつためには、報道の自由とともに、報道のための取材の自由も、憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値するものといわなければならない。…しかし、取材の自由といっても、もとより何らの制約を受けないものではなく、たとえば公正な裁判の実現というような憲法上の要請があるときは、ある程度の制約を受けることのあることも否定することができない。…公正な刑事裁判の実現を確保するためには、報道機関の取材活動によって得られたものが、証拠として必要と認められるような場合には、取材の自由がある程度の制約を被ることとなってもやむを得ないところというべきである。しかしながら、このような場合においても、一面において、審判の対象とされている犯罪の性質、態様、軽重および取材したものの証拠としての価値、ひいては、公正な刑事裁判を実現するためにその必要性の有無を考慮するとともに、他面において、取材したものを証拠として提出させられることによって報道機関の取材の自由が妨げられる程度およびこれが報道の自由に及ぼす影響の度合その他諸般の事情を比較衡量して決せられるべきであり、これを刑事裁判の証拠として使用することがやむを得ないと認められる場合においても、それによって受ける報道機関の不利益が必要な限度に止められるような配慮がなされなければならない。以上の見地に立って本件をみるに、本件の付審判請求の対象とされているのは、多数の機動隊員と学生との間の衝突に際して行われたとされる機動隊員等の公務員職権濫用罪、特別公務員暴行陵虐罪の成否にある。その審理は、現在において被疑者および告発者の陳述が対立し、かつ、事件発生後まちまち経過した現在からの第三者の証言も期待しがたく、しかも、当事者の供述を中立的立場から徴した本件フィルムがその審判の帰趨を決するうえにほとんど決定的とも認められる価値を有するものである。他方、本件フィルムは、すでに放映されたものを含む数映のために準備されたものであり、それが証拠として使用されることによって報道機関が蒙る不利益は、報道の自由そのものが、将来の取材の自由が妨げられるおそれがあるというにとどまるものと解されるのである。付審判請求事件を審理する裁判所が厳正公平な裁判を行わなければならないことは至上命令である。この利益は、報道機関の自由を尊重すべき要請とを比較衡量した場合に、なおこれを優位させなければならない程度のものであるというべきである。福岡地方裁判所は、本件フィルムにつき、一たん押収した後ににおいても、時機に応じた反対尋問などによって、報道機関の取材の自由に対する侵害を伴わないような措置を講じたこと、および、以上の諸点をその他各種の事情をあわせ考慮するときは、本件フィルムを付審判請求事件の証拠として採用するために各新聞社に提出命令を発したことは、まことにやむを得ないものと認められるのである。解説本判決は、報道の自由が憲法21条によって保障されることを明言しましたが、取材の自由については、「憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値する」と述べるにとどまり、保障されると明言しませんでした。最高裁の真意は不明ですが、学説は、「憲法上保障されるが、保障の程度は、報道の自由よりも劣ると考えているのではないか」との理解が有力です。なお、Xの特別抗告は棄却されました。この分野の重要判例◆外務省秘密漏洩事件 (最大決昭53.5.31)報道機関の国民に対する取材活動は、国家機密の探知という点で公務員の守秘義務と対立するものであり、時としては、国家・国民生活に質的変化をもたらすものであるから、報道機関が取材の目的で公務員に対し国家秘密の漏洩をそそのかしたからといって、そのことだけで、直ちに当該行為の違法性が推定されるものと解するのは相当ではなく、報道機関が公務員に対し根気強く執拗に説得ないし要請を続けることは、それが真に報道の目的からでたものであり、その手段・方法が社会的見地に照らし相当なものであるとして社会通念上是認されるものである限りは、実質的に違法性を欠き正当な業務行為というべきである。しかしながら、報道機関といえども、取材の自由を藉口して、取材の手段・方法が個人の基本的人権を著しく蹂躙することのないように配慮すべきことは言うまでもなく、手段・方法の如何によっては、取材対象者の人格を個人としての尊厳を著しく蹂躙し、刑法等各種の法規が保護する個人の法益を違法に侵害するような態様のものとなればならない。解説本件は、毎日新聞の政治部記者Xが沖縄返還交渉に関する秘密文書を入手するため、外務省の女性事務官Yと肉体関係を持ち、Yが自分に好意を抱いていることを利用して、秘密文書の持ち出しを執拗にそそのかし、国家公務員法違反で起訴され、有罪判決を受けたという事案です。本決定は、上告審判決のように述べ、Xの行為は正当な取材活動の範囲を逸脱しているとしました。◆取材の自由と民事裁判の証言の拒絶 (最大決平18.10.3)民事訴訟法は、公正な民事裁判の実現を目的として、何人も、証人として証言すべき義務を負い(同法190条)、一定の事由がある場合に限って例外的に証言を拒絶することができる旨定めている(同法196条、197条)。そして、同法197条1項3号は、「職業の秘密に関する事項について尋問を受ける場合」には、証人は、証言を拒むことができると規定している。ここにいう「職業の秘密」とは、その事項が公開されると、当該職業に深刻な影響を与え以後その遂行が困難になるものをいうと解される…。もっとも、ある秘密が上記の意味での職業の秘密に当たる場合においても、そのことがらに固有の価値、当該秘密が公開された場合に、その秘密を保護するについて格別の必要性が認められると解すべきである。そして、報道の自由を保障するかどうかは、秘密の公開によって生ずる不利益と証言の拒絶によって犠牲になる真実発見及び裁判の公正との比較衡量により決せられるというべきである。報道関係者の取材源は、一般に、それがみだりに開示されると、報道関係者と取材源との間の将来にわたる信頼関係が損なわれ、将来にわたる自由で円滑な取材活動が妨げられることとなり、報道機関の業務に深刻な影響を与え今後の遂行が困難になるといえるので、取材源の秘密は職業の秘密に当たるというべきである。そして、その取材源の秘密が保護に値する秘密であるかどうかは、当該報道が、公共の利益、その持つ社会的な意義・価値、当該取材の態様、将来における同種の取材活動が妨げられることによって生ずる不利益、当該民事事件の内容、その持つ社会的な意義・価値、当該民事事件において当該証言を必要とする程度、代替証拠の有無等の諸事情を比較衡量して決すべきことになる。取材の自由の持つ・・・意義に照らして考えれば、取材源の秘密は、取材の自由を確保するために必要なものとして、重要な社会的価値を有するというべきである。そうすると、当該取材の自由が公共の利益に関するものであって、その手段・方法が一般の刑罰法規に触れることなく、社会通念上も相当と認められるなど、諸事情が本件民事裁判の公正な裁判を実現すべきである、ため、当該取材の秘密の社会的価値を考慮してもなお裁判を重視すべき必要性が高く、そのために取材の秘密の社会的価値を考慮してもなお公正な裁判を実現すべき必要性が高く、そのために取材の当該証言を得ることが必要不可欠であると認められない場合は、当該取材源に係る証言を拒絶することができると解するのが相当である。解説本件は、アメリカの食品会社Xがアメリカ産の牛肉に提起した損害賠償請求訴訟に関連して、国際情勢評論家Y、日本の農林水産省の当事者が基づいて、Yに対する証人尋問を実施したところ、Yが取材源の存否に関する証言を拒絶したため、XがYの証言拒絶に理由がないことの裁判を求めて拒否したという事案であり、民事事件において取材源の秘密が、民法197条1項3号の「職業の秘密」の意味を明らかにした上で、「職業の秘密」のうち保護に値する秘密についてだけ証言を拒絶できるとしました。そして、取材源の秘密は「職業の秘密」にあたるとした上で、それが保護に値する秘密に当たるかどうかは、どのような場合かを明らかにしました。なお、刑事事件においても、新聞記者の証言拒絶権を否定した最高裁判決が出されています(最大判昭27.8.6)。過去問1 事実の報道の自由は、国民の知る権利に奉仕するものであるとしても、憲法第21条によって保障されるわけではなく、報道のための取材の自由も、憲法第21条とは関係しない。(公務員2019年)2 報道関係者の取材源の秘密は、民事訴訟法に規定する職業の秘密に当たり、民事事件において証人となった報道関係者は、保護に値する秘密についてのみ取材源に係る証言拒絶が認められると解すべきであり、保護に値する秘密であるかどうかは、秘密の公表によって生ずる不利益と証言の拒絶によって犠牲になる真実発見及び裁判の公正との比較衡量により決せられるべきである。(公務員2018年)1 x 判例は、報道機関の報道が国民の「知る権利」に奉仕するものであることを認めた上で、事実の報道の自由は、表現の自由を保障した憲法21条の保障のもとにあることはいうまでもなく、報道のための取材の自由も、憲法21条の精神に照らし、十分に尊重に値するとしています(最大判昭44.11.26)。2 判例は、民事訴訟法が証言拒絶事由とされている「職業の秘密」のうち、証言拒絶が認められるのは、「保護に値する秘密」であるかどうかが問題となった場合、「保護に値する秘密」であるかどうかは、「秘密の公表によって生ずる不利益と証言の拒絶によって犠牲になる真実発見及び裁判の公正との比較衡量により決せられる」としています。ノンフィクション「逆転」事件 (最判平6.2.8)■事件の概要Xは、架空の人物を登場させたYのノンフィクション作品「逆転」(本件著作)でXの実名が使用されたため、その刊行により、Xが刑事事件の犯人となり有罪判決を受けて服役したという前科にかかわる事実が公表され、精神的苦痛を被ったと主張して、Yに対し、損害賠償50万円の支払を求める訴えを提起した。判例ナビ第1審、控訴審ともに、前科を公表されないという利益は法的に保護される人格的利益であり、本書において実名を使う必要は不可欠ではないとして、Yに50万円の慰謝料の支払いを命じたため、Yが上告しました。■裁判所の判断1 ある者が刑事事件につき被疑者とされ、さらには被告人として公訴を提起されて判決を受け、とりわけ有罪判決を受け、服役したという事実は、その者の名誉あるいは信用に直接にかかわる事項であるから、その者としては、みだりに右の事実を公表されないことにつき、法的保護に値する利益を有するものというべきである。この理は、右の事実にかかわる事実の公表が公共の利害に関する事実であって、私人としては団体によるものであっても変わるものではない。そして、その者が有罪判決を受けた後あるいは服役を終えた後においても、一市民として社会に復帰することが期待されるのであるから、その者は、前科等にかかわる事実の公表によって、新しく形成している社会生活の平穏を害されその更生を妨げられない利益を有するというべきである。もっとも、…事件それ自体を公表することに歴史的又は社会的な意義が認められるような場合には、事件の当事者についても、その実名を明らかにすることが許されないとはいえないし、…事件の社会的側面を描写、叙述するのにその実名を使用することが不可欠であるとはいえない。また、その者の社会活動のいかんによっては、その活動の評価の一資料として、その前科等にかかわる事実が公表されることを受忍しなければならない場合もある。さらに、その者が選挙に立候補している場合あるいは公職に就任している場合あるいは社会一般の正当な関心の対象となる人物である場合には、その者が公職にあることの適否などの判断の一資料としての前科等にかかわる事実が公表されたときは、これを違法というべきものではない。そして、ある者の前科等にかかわる事実が実名を使用して著作物で公表された場合に、以上の諸点を判断するためには、その著作物の目的、性格等に照らし、実名を使用することの意義及び必要性を併せ考えることを要するというべきである。要するに、前科等にかかわる事実については、これを公表されない利益が優越する場合があると同時に、これを公表する必要がある場合もあるのであって、ある者の前科等にかかわる事実を実名を使用して公表したことが不法行為を構成するか否かは、その者のその後の生活状況のみならず、事件それ自体の歴史的又は社会的な意義、その当事者の重要性、その者の社会的活動及びその影響力について、その著作物の目的、性格等に照らした実名使用の意義及び必要性を併せ判断すべきもので、その結果、前科等にかかわる事実を公表されない法的利益が優越すると認められる場合には、その公表によって被った精神的苦痛の賠償を求めることができるものでなければならず、なお、この点に関しても、著作者の表現の自由を不当に制限するものではない。2 そこで、以上の見地から本件をみると、まず、本件著作及び本件判例から本件著作が刊行されるまでに10年余の歳月を経過しているが、その間、Xの社会復帰に努め、新たな生活環境を形成していた事実に関心を持たず、Xは、その前科にかかわる事実を公表されないことにつき法的保護に値する利益を有していることは明らかであるというなければならない。しかも、Xは、地方に隠れて太陽電池の無動力の中古市場として生活していたのであって、公的立場にある人物のようにその社会的活動に対する批判ないし評価の一資料として前科にかかわる事実の公表を受忍しなければならない場合ではない。所論は、本件著作は、捜査制度の長所ないし民主的な意義を訴え、当時のアメリカ合衆国の沖縄統治の実態を明らかにしようとすることを目的としたものであり、そのために本件事件ないしは本件判例の内容を正確に記述する必要があったというが、その目的を考慮しても、本件事件の当事者であるXについて、その実名を明らかにする必要があったとは解されない。…以上を総合して考察すれば、本件著作が刊行された当時、Xは、その前科にかかわる事実を公表されないことにつき法的保護に値する利益を有していた。ところが、本件著作において、YがXの実名を使用してその事実を公表したことを正当とするまでの理由はないといわなければならない。そして、Yが本件著作でXの実名を用いなければ、その前科にかかわる事実を公表する必要になることは必至であって、実名使用の是非をYが判断し得なかったものとは解されないから、Yは、Xに対する不法行為責任を免れないものというべきである。解説本判決は、私人が公人によって前科を公表されないことが法的保護に値する利益であるとした上で、ノンフィクション作品による前科の公表が不法行為を成立させる場合があることを最高裁として初めて明らかにしました。なお、本件は私人による前科の公表の事案ですが、公的な団体による前科の公表が問題となった事案としては、前科照会事件(最判昭56.4.14)があります。この分野の重要判例◆検索結果の削除とプライバシー (最決平29.1.31)1 個人のプライバシーに属する事実をみだりに公表されない利益は、法的保護の対象となるというべきである…。他方、検索事業者は、インターネット上に存在するウェブサイトに掲載されている情報を網羅的に収集してその複製を保存し、同複製を基にした索引を作成するなどして情報を整理し、利用者から示された一定の条件に対応する情報を網羅的に基づいて検索結果として提供するものであるが、この情報の収集、整理及び提供はプログラムにより自動的に行われるものの、同プログラムは検索結果の提供に係る検索事業者の指針に沿った結果を得ることができるように作成されたものであるから、検索結果の提供は検索事業者自身による表現行為という側面を有する。また、検索事業者による検索結果の提供は、…現代社会においてインターネット上の情報流通の基盤として大きな役割を果たしている。そして、検索事業者による特定の検索結果の提供行為が違法とされ、その削除を余儀なくされるということは、上記方針に沿った一貫性を有する表現行為が制約されるであるもとより、検索結果の提供を通じて果たされている上記役割に対する制約でもあるということができる。以上のような検索事業者による検索結果の提供行為が有する性質等を踏まえると、検索事業者が、ある者に関する条件による検索の求めに応じ、その者のプライバシーに属する事実を含む記事等が掲載されたウェブサイトのURL等情報等を検索結果の一部として提供する行為が違法となるか否かは、当該事実の性質及び内容、当該URL等情報が提供されることによってその者のプライバシーに属する事実が伝達される範囲とその者が被る具体的な被害の程度、その者の社会的地位や影響力、上記記事等の目的や意義、上記記事等が掲載された時の社会的状況とその後の変化、上記記事等において当該事実を記載する必要性など、当該事実を公表されない法的利益と当該URL等情報を検索結果として提供する必要性に関する諸事情を比較衡量して判断すべきもので、その結果、当該事実を公表されない法的利益が優越することが明らかな場合には、検索事業者に対し、当該URL等情報を検索結果から削除することを求めることができるものと解するのが相当である。2 これを本件についてみると、…児童買春をしたとの被疑事実に基づき逮捕されたという本件事実は、他人にみだりに知られたくない個人のプライバシーに属する事項である。本件事実は、逮捕された日から相当の期間が経過した後のものではあるが、児童買春が社会的に強い非難の対象とされ、罰則をもって禁止されていることに照らし、今なお社会的に強い非難の対象とされるといえる。また、本件検索結果はXの居住する市の名称及び公共の利害に関する事項であるといえる。本件検索結果に係る記事の名目を条件とした場合の検索結果の一部であることなどからすると、本件事実が伝達される範囲はある程度限られたものであるといえる。以上の諸事情に照らすと、Xが妻子と共に生活し、…罰金刑に処せられた後は一定期間犯罪を起すことなく市民社会で稼働していることがうかがわれることなどの事情を考慮しても、本件事実を公表されない法的利益が優越することが明らかであるとはいえない。解説本件は、見習容疑で逮捕され罰金刑に処せられたXが、検索事業者のY検索エンジンで検索すると、自己の事件が検索結果に表示されることから、Yに対し、人格権ないし人格的利益に基づいて、検索結果の削除を求める仮処分命令の申立てをしたという事案です。本決定は、個人のプライバシーに属する事実をみただけに公表されない利益が法的保護の対象となるとともに、検索結果の提供も検索事業者の表現行為であるとしました。そして、削除請求の許否の判断基準を明らかにして、児童買春が社会的に強い非難の対象とされ、罰則をもって禁止されていることから、Xの事件は今なお公共の利害に関する事項であるとし、削除請求を認めませんでした。過去問1 前科は、個人の名誉や信用に直接関わる事項であるから、事件それ自体を公表することに歴史的または社会的な意義が認められるような場合であっても、行政事件の訴訟を明らかにすることは許されない。(行政書士2011年)2 検索事業者による検索結果の提供行為は、検索事業者自身による表現行為という側面を有し、また、現代社会においてインターネット上の情報流通の基盤として大きな役割を果たしていること等を踏まえると、検索事業者が、ある者に関する条件による検索の求めに応じ、その者のプライバシーに属する事実を含む記事等が掲載されたウェブサイトのURL等情報を検索結果の一部として提供する行為が違法となるか否かは、当該事実を公表されない法的利益と当該URL等情報を検索結果として提供する必要性に関する諸事情を比較衡量して判断すべきである。(公務員2020年)1 x 判例は、「事件それ自体を公表することに歴史的又は社会的な意義が認められるような場合には、事件の当事者についても、その実名を明らかにすることが許されないとはいえない」としています(最判平6.2.8)。2 O 判例は、本問のような比較衡量をした上で、当該事実を公表されない法的利益が優越することが明らかな場合には、検索事業者に対し、当該URL等情報を検索結果から削除することを求めることができるとしています(最決平29.1.31)。集合住宅へのビラ配布と表現の自由 (最判平20.4.11)■事件の概要反戦活動を行っている団体の構成員Xは、防衛庁(現防衛省)の職員用宿舎に管理者および居住権者の承諾を得ずに立ち入り、自衛隊のイラク派兵に反対する内容のビラを集合郵便受け又は各戸玄関ドアの新聞受けに投函したところ、住居侵入罪(刑法130条前段)で逮捕・起訴された。判例ナビ第1審は、Xの行為は住居侵入罪の構成要件に該当するとしたものの、刑事罰に値するほどの違法性はなかったとしてXを無罪としました。これに対し、控訴審は、原判決を破棄してXを有罪としたため、Xが上告しました。■裁判所の判断所論は、Xの行為をもって刑法130条前段の罪に問うことは憲法21条1項に違反するという。確かに、表現の自由は、民主主義社会において特に重要な権利として尊重されなければならず、被告人らにとるその政治的意見を記載したビラの配布は、表現の自由の行使ということができる。しかしながら、憲法21条1項も、表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく、公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものであって、たとえ思想を発表するためであっても、その手段方法が他人の権利を不当に害するようなものは許されないというべきである…。本件では、表現そのものの価値が問題とされているのではなく、表現の手段方法が他人の権利を害するかどうかが問題となっているところ、本件ビラ配布のために「人の看守する」邸宅に管理権者の承諾なく立ち入ったことを処罰することに違憲性が疑われるわけである。本件では、防衛庁の職員、自衛隊員及びその家族が私的共同生活を営む場所である集合住宅の共用部分及びその敷地であり、管理権が及ぶ場所に入ったので、一般人が自由に立ち入りできる場所ではない。たとえ表現の自由の行使のためとはいっても、このような場所に管理権者の意思に反して立ち入ることは、管理権者の管理権を侵害するのみならず、そこでの私的生活を営む居住者の私生活の平穏を侵害するものといわざるを得ない。したがって、Xの行為をもって刑法130条前段の罪に問うことは、憲法21条1項に違反するものではない。解説本判決は、表現そのものではなく、ビラ配布のために承諾なく集合住宅に立ち入ったという表現の手段を処罰することの合憲性が問題となっているとし、表現の手段よりも集合住宅の管理権者や居住者の私生活の平穏を優先して、Xの行為を住居侵入罪に問うことは憲法21条1項に違反しないとしました。この分野の重要判例◆大阪市屋外広告物条例事件 (最大判昭43.12.18)大阪市屋外広告物条例は、屋外広告物法に基づいて制定されたもので、右法律と条例の両者を相まって、大阪市における美観風致を維持し、および公衆に対する危害を防止するために、屋外広告物の表示の場所および方法ならびに屋外広告物の掲出する物件の設置および維持について必要な規制を定めているものであり、本件印刷物の貼付が管理権の侵害に関係のないものであるとしても、右法律および条例の規制の対象とされているものと解すべきところ(屋外広告物法1条、2条、大阪市屋外広告物条例1条)、Xのした貼付、電柱、電柱ばりはそのつけ本件各行為のときは、都市の美観風致を害するものとして処罰の対象とされているものと認めるのを相当とする。そして、国民の文化的生活の向上と目標とする憲法の下においては、都市の美観風致を維持することは、公共の福祉を保持する所以であるから、この程度の規制は、公共の福祉のため、表現の自由に対し許された必要且つ合理的な制限と解することができる。解説1 本件は、「45年の危機遺産!!国連より起てよ!!A会本部」などと印刷したビラを大阪市屋外広告物条例により無断での表示を禁止された大阪市内の電柱、公衆電話ボックス等に糊付けで貼り付けたXが、大阪市屋外広告物条例違反等で罰金刑に処せられたという事案です。Xは、なんら営利に関係のない純粋な思想・政治活動である本件印刷物の貼付に大阪市屋外広告物条例を適用することは憲法21条に違反すると主張して上告しました。2 本判決は、ビラ貼りという一見国民にとって些細な問題と信じうる無害な表現行為であっても、それが憲法22条に違反しないかどうか問題となりました。本判決は、ビラ貼りの禁止は、都市の美観風致を維持するためであり、公共の福祉のため、必要かつ合理的な制限であるとして、憲法21条に違反しないとしました。過去問1 公務員及びその家族が私的生活を営む場所である集合住宅の共用部分及び敷地に管理権者の意思に反して立ち入ることは、それが政治的意見を記載したビラの配布という表現の自由の行使のためであっても許されず、当該立入り行為を刑法上の罪に問うことは、憲法第21条第1項に違反するものではない。(司法書士2020年)2 美観風致の維持及び公衆に対する危害防止の目的のために、屋外広告物の表現の場所・方法及び屋外広告物を掲出する物件の設置・維持について必要な規制をすることは、それが営利と関係のないものも含めて規制の対象としていたとしても、公共の福祉のため、表現の自由に対して許された必要かつ合理的な制限であるといえる。(公務員2019年)1 O 判例は、ビラ配布のために防衛庁の職員およびその家族が私的生活を営む場所である集合住宅の共用部分およびその敷地に管理権者の意思に反して立ち入ることなく、表現の自由の行使のためとはいっても管理権者の管理権を侵害するだけでなく、そこでの私的生活を営む者の私生活の平穏を侵害することから、このような行為を住居侵入罪(刑法130条前段)に問うことは、憲法21条1項に違反しないとしています(最判平20.4.11)。2 O 判例は、美観風致を維持し公衆に対する危害を防止するために、屋外広告物を規制することは、それが営利と関係のないものも規制対象とするものであっても、公共の福祉のため、表現の自由に対し許された必要かつ合理的な制限であるとしています(最大判昭43.12.18)。

「『国家試験受験のためのよくわかる判例〔第2版〕』 西村和彦著・2024年9月6日」 ISBN 978-4-426-13029-9

信教の自由・政教分離

公開:2025/10/21

ガイダンス信教の自由(憲法20条1項前段)には、内心における信仰の自由、宗教的行為の自由、宗教的結社の自由が含まれます。さらに憲法は、信教の自由を間接的に保障するため、国教を定めず国家の宗教的中立性を規定する政教分離を規定しています(20条1項後段、同条3項、89条後段)。剣道実技拒否事件 (最判平8.3.8)事件の概要A高等専門学校 (神戸市立工業高等専門学校) の生徒Xは、キリスト教系宗教「エホバの証人」の信者であり、信仰上の理由から体育の授業の科目とされている剣道の実技を拒否した。同校校長Yは、Xを原級留置処分(いわゆる留年)にした。Xは、翌年度も同様に剣道実技の履修を拒否し、体育の成績が認定されなかった。そこで、Yは、再度Xを原級留置処分とし、2回連続の原級留置処分が学則上の退学事由に該当することから退学処分にした。判例ナビXは、剣道の授業が開始される前から、体育担当教員に対し宗教上の理由で剣道実技に参加することができないことを説明し、レポート提出等の代替措置を求めて話し合いや申し入れをしていたが、Yは、代替措置を採りませんでした。そこで、Xは、Yに対し、原級留置処分および退学処分(本件各処分)が信教の自由を侵害するとして、その取消しを求める訴えを提起しました。第1審はXの請求を棄却しましたが、控訴審が1審判決を取り消し、退学処分も取り消したため、Yが上告しました。総裁判所の判断1 高等専門学校の校長が学生に対し原級留置処分又は退学処分を行うかどうかの判断は、校長の合理的な教育的裁量にゆだねられるべきものであるが、裁判所がその処分の適否を審査するに当たっては、校長と同一の立場に立って当該処分をすべきであったかどうか等について判断し、その結果と当該処分とを比較してその適否、軽重等を論ずべきものではなく、校長の裁量権の行使としての処分が、全く事実の基礎を欠くか又は社会通念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超え又は裁量権を濫用してされたと認められる場合に限り、違法であると判断すべきものである。…しかし、退学処分は学生の身分を剝奪する重大な措置であり、…当該学生を学校外に排除することが教育上やむを得ないと認められる場合に限って退学処分を選択すべきであり、また、原級留置処分も、学生にその年度に1年間にわたり履修した科目、課程を再履修させることを余儀なくさせ、学業上における利益を侵害する重要な措置である。A高専においては、原級留置処分が2回連続されることにより退学事由を規定するものであるから、その学生に与える不利益の大きさに関して、原級留置処分の決定に当たっては、同様に慎重な配慮が要求されるものというべきである。そして、前記事実関係の下においては、以下に述べるとおり、本件各処分は、社会通念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超えた違法なものといわざるを得ない。2 神戸高専体育科においては、剣道実技の履修が必須のものとはなっておらず、体育科目による教育目的の達成は、他の体育種目の履修など代替措置によることによってもこれを貫徹することも可能であった。3 Xが剣道実技への参加を拒否する理由は、Xの信仰の核心部分と密接に関連する真摯なものであった。…Xは、信仰上の理由による剣道実技の拒否という真摯なものであり、その不利益の極めて大きいことも明らかである。また、本件各処分は、その内容それ自体においてXに信仰上の行為を禁止し又は信仰と両立しない外部的行為を強制するものではないが、Xが信仰上の理由から剣道実技を行わないという真摯な要求を拒み、代替措置を全く考慮することなく、これを行ったという点で、Xの信仰の自由を軽視したものであるといわざるを得ない。4 所論は、A高専においては代替措置を採るにつき実際的な障害があったという。しかし、…他の学生に不公平感を生じさせないという方法による代替措置を講ずることは可能であったと考えられる。また、履修拒否が信仰上の理由に基づくものであるかどうかが外部の調査によっては容易に明らかになる場合がある。履修拒否した結果代替措置もしようという者が多数に上ることも考え難いところである。さらに、代替措置を講ずることによって、学校における教育秩序が維持されるとみることはできず、学校運営に看過することのできない重大な支障が生ずるおそれがあったとは認められない。…以上の諸事情からすると、原審の判断は、結論において是認することができる。5 もっとも、代替措置を採ることが実際上不可能であったということも否定はできない。そうすると、代替措置を採ることを期待し得ないとするYの主張も首肯し得ないものではなく、信仰上の理由から剣道実技を拒否することを選択したXに対し、他の教育的配慮から、選択の結果である履修の断念に対して厳格な態度で臨むことも、教育上の指導としてあり得ないことではない。しかし、代替措置を採ることが全く不可能であるとの証拠もない。また、校長の専門的判断に基づく裁量を尊重すべきではあるが、…本件各処分は、退学という重大な結果をもたらすものであることなどを考慮すると、Yの裁量判断は、社会観念上妥当な範囲を逸脱したものであり、その点で違法なものである。6 以上によれば、信教の自由の保障は、いかなる場合にも絶対的なものであるものではなく、…代替措置が可能であるか否か、…原級留置処分を…「学業成績の評価基準の厳格な適用という学校運営上の要請の実現という教育目的によるやむを得ない制約」と解したとしても、本件各処分は、結果として、Xの信仰に基づく真摯な行為を否定し、…Xに対し著しく不利益な効果を及ぼすものであり、社会観念上著しく妥当性を欠き、裁量権の範囲を超える違法なものであると評価されることは免れない。解説本判決は、原級留置処分・退学処分に関する校長の裁量権を認めた上で、Xに対する各処分は裁量権の範囲を超える違法なものであるとして、各処分の取消しを認めました。なお、Yは、代替措置を採らなかった理由の一つとして、代替措置を採ることが教育的に妥当ではないとする点もあると主張しましたが、本判決は、レポート提出等の代替措置は教育的な目的効果も奏しないもので、Yの主張を退けています。◆この分野の重要判例宗教法人オウム真理教解散命令事件 (最大決平8.1.30)宗教法人法(以下「法」という)に定める宗教法人の規制は、専ら宗教団体の世俗的側面だけを対象とし、その精神的・宗教的側面を対象外としているのであって、信者が宗教上の行為を行うことなどの信教の自由に対し介入しようとするものではない(法2条2項参照)。法81条に規定する宗教法人の解散命令の制度も、法令に違反して著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為(同条1項1号)や宗教団体の目的を著しく逸脱した行為(同条2号前段)があった場合、あるいは、宗教法人は宗教団体法上の要件を欠くに至ったような場合(同項2号後段、3号から5号まで)には、宗教団体を法主体から排除する根拠が失われたと解することが適当である。宗教法人は法制度によって法人格を認められたものであるから、法が定める要件を欠くに至ったときや解散事由があるときは、宗教法人としての法人格を失わせることは当然であり、会社の解散命令(商法58条、406条の3)と同様のものであると解される。したがって、解散命令によって宗教法人が解散しても、信者は、法人格を有しない宗教団体を存続させ、あるいは、これを新たに結成することが妨げられるわけではなく、また、宗教上の行為を行い、あるいは、宗教的施設や物品を新たに備えることが妨げられるわけでもない。すなわち、解散命令は、信者の宗教上の行為を禁止したり制限したりする法的効果を一切伴わないのである。もっとも、宗教法人が解散命令が確定したときはその清算手続が行われ(法49条2項、51条)、その結果、宗教法人に帰属する財産で礼拝施設その他の宗教上の行為の用に供していたものも処分されることになるから(法50条参照)、これらの財産を用いて信者が行っていた宗教上の行為を継続するのに何らかの支障を生ずることがあり得る。このように、宗教法人に帰属する宗教的施設、物品等の財産を用いて信者が行っていた宗教上の行為を継続するのに支障が生じることはあり得るが、その支障は、解散命令に伴う間接的で事実上のものにすぎない。このような観点から本件解散命令について見ると、法81条に規定する解散法人の解散命令の制度は、前記のように、専ら宗教法人の世俗的側面を対象とし、かつ、専ら世俗的目的によるものであって、宗教団体や信者の精神的・宗教的側面に制限を加える意図によるものではなく、その効果も合理的で間接的なものにとどまる。そして、本件審理で認定したところによれば、Xの代表役員…らが計画的、組織的にサリンを生成したというのであるから、Xが、法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められ、宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたことが明らかである。右のような行為は、宗教法人の名を借りて、その法人格を悪用した世俗的活動である。…したがって、解散命令には、宗教団体であるXが行う宗教上の行為そのものに対する制約としての性格はなく、解散命令によりXが宗教法人であることによる法的利益を享受できなくなることは、専らその行為の世俗的な側面に関するものというべきである。もっとも、Xにおいて、宗教上の行為を行うのに重要な役割を果たしてきた財産が清算手続によって失われるという効果は、信者の信教の自由に無視し得ないほどの影響を及ぼすものといえるから、解散命令を発するか否かの判断に当たっては、その影響を慎重に考慮する必要がある。81条の規定に基づき、裁判所の司法審査によって発せられたものであるから、その手続の適正は担保されている。以上の点によれば、本件解散命令はXに宗教法人格を失わせることを肯認すべきものである。解説本件は、地下鉄サリン事件を引き起こし、宗教法人の解散命令が下されたX (宗教法人オウム真理教) が、解散命令は信者の信教の自由を侵害するから憲法20条に違反するとして最高裁に特別抗告をしたという事案です。本決定は、Xの特別抗告を棄却し、宗教法人の解散命令が憲法に違反しないことを認めました。過去問公立高等専門町の校長が、信仰上の理由により必修科目の剣道実技の履修を拒否した生徒に対し、原級留置処分を行うか否かの判断は、校長の合理的な教育的裁量に委ねられるところ、剣道は宗教的に中立なスポーツとして一般的な国民の広い支持を受けており、履修を前提とした場合における自由の制約の程度は極めて軽く、また、信教の自由を理由とする代替措置を学校側が行った前例があることから、代替措置をとることなく原級留置処分および退学処分を行った校長の判断に裁量権の逸脱・濫用はないとするのが判例である。(公務員2021年)法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をした宗教法人に対し、裁判所が解散を命ずることは、同法人は宗教法人法によって宗教上の行為を保障されており、その法人格を失うも、信者の信教の自由を法的に制約するものとして、信教の自由を保障する憲法20条第1項に違反する。(司法書士2021年)1x. 判例は、信仰上の理由により剣道実技の履修を拒否した生徒に対し、代替措置が不可能というわけでもないのに、代替措置を行わずに、原級留置処分および退学処分を行った校長の措置は、社会観念上著しく妥当を欠き裁量権の範囲を超えるものであるとしています(最判平8.3.8)。2x. 判例は、宗教法人に対する解散命令は、信者が行う宗教上の行為に何らかの支障を生ずることがあるけれども、その支障は、解散命令に伴う間接的で事実上のものにとどまること等を理由に憲法20条1項に違反しないとしています(最大決平8.1.30)。津地鎮祭事件 (最大判昭52.7.13)事件の概要津市(三重県)は、市体育館を建設するに当たり、工事の安全等を祈願するために起工式(地鎮祭)を行った。起工式は、神社の神職によって神道の儀式にのっとって行われ、神職への謝礼も催物の会場の費用は、市の公金から支払われた。これに対し、同市市会議員Xは、このような起工式が憲法20条3項に定める政教分離規定に違反するとして、市長Yを被告として、費用の支出によって市に与えた損害の賠償を求める住民訴訟を提起した。判例ナビ第1審は、本件起工式は宗教的行事というより習俗的行事であるとしてXの請求を棄却しました。これに対し、控訴審は、本件施設は憲法20条3項の宗教活動に当たるとしXの請求を認めたため、Yが上告しました。総裁判所の判断1 憲法における政教分離原則憲法は、政教分離規定を設けるにあたり、国家と宗教との完全な分離を理想とし、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を確保しようとしたもの、と解すべきである。しかしながら、元来、政教分離規定は、いわゆる制度的保障の規定であって、信教の自由そのものを直接保障するものではなく、国家と宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものである。ところが、宗教は、個人の信仰という内心の事柄として精神面の領域にとどまらず、同時に信仰を理由に、教育、福祉、文化、民族慣習など社会生活の各方面と接触することになり、そのことからくる当然の結果として、国家が、社会生活に規制を加え、あるいは教育、福祉、文化などに助成、援助、奨励等の施策を実施するにあたって、宗教とのかかわり合いを生ずることを免れない。したがって、現実の国家制度として、国家と宗教との完全な分離を実現することは実際上不可能に近いものといわなければならない。…政教分離原則の対象となる国家と宗教との関係はどの範囲に及ぶのであろうか。…政教分離原則として国家の宗教的中立性を要求するとしても、国家が宗教とのかかわり合いをもつことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものである。2 憲法20条3項により禁止される宗教的活動憲法20条3項は、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」と規定するが、ここにいう宗教的活動は、前段の政教分離原則の趣旨に照らしてこれをみれば、およそ国及びその機関が宗教とのかかわり合いをもつすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが相当とされる限度を超えるものを指すものと解すべきであって、当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。その典型的なものは、同項に例示される宗教教育のように宗教の教義、宗派、宣伝等の活動であるが、そのほか宗教上の祝典、儀式、行事等であっても、その目的、効果が前記のようなものである限り、当然、これに含まれる。そして、この行為にあたるかどうかは、当該行為の場所、当該行為に対する一般人の評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に照らして客観的に判断しなければならない。3 本件起工式本件起工式は、宗教とのかかわり合いをもつものであることを否定しえないが、その目的は建設工事に際し土地の平安堅固、工事の無事安全を願い、社会の一般的慣習に従った儀礼を行うという専ら世俗的なものと認められ、その効果は神道を援助、助長、促進し又は他の宗教に圧迫、干渉を加えるものではないから、憲法20条3項により禁止される宗教的活動にはあたらないと解するのが、相当である。解説本判決は、国家と宗教の完全な分離を理想としつつ、完全分離が不可能であることを認め、限定分離の立場をとりました。指針とし、国家が宗教に一定の関わり合いをもつことを認める限定分離の立場によると、どの程度の関わり合いであれば政教分離に反しないのか判断する基準が必要となってくる。この点について、本判決は、「当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為」かどうかという基準を採択しました。この基準は、行為の目的と効果という2点から政教分離違反の有無を判断するもので、目的効果基準と呼ばれています。そして、この基準に従って本件起工式は、憲法20条3項に反せず、起工式への公金支出も違憲・違法ではないとしました。◆この分野の重要判例空知太神社事件 (最大判平22.1.20)1 最高裁判所の判断国家と宗教とのかかわり合いには種々の形態があり、およそ国又は地方公共団体が宗教とのかかわり合いをもつことが許されないというものではなく、憲法89条も、…国又は地方公共団体が相当と認められる限度で宗教とのかかわり合いを持つことが許されることを前提としつつ、…当該施設の性格や、当該施設が無償で宗教的施設の敷地として利用されるに至った経緯、当該無償提供の態様、これらに対する一般人の評価等の諸般の事情を総合的に考慮し、社会通念に照らして総合的に判断すべきものと解するのが相当である。2 本件利用提供行為本件利用提供行為は、市が、何らの対価を得ることなく本件各土地に宗教施設を設置させ、本件各土地をこれに継続して使用させていることを内容とするもので、その用いさせるに至る経緯、これらを援助していると評価されてもやむを得ないものである。…しかし、もともとは学術調査に協力した用地確保に協力した住民に報いるという世俗的な、公共的な目的から始まったもので、明らかに、何らかの宗教的施設を優遇ないし裨益するものではない。…このような事情を考慮し、社会通念に照らして総合的に判断するに、本件利用提供行為は、市と本件神社ないし神道とのかかわり合いが、我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものとして、憲法の前記各条項の趣旨に反するとまでは認め難い。解説1 本件は、砂川市(北海道)がその所有する土地を空知太神社の施設敷地として無償で提供させている(本件利用提供行為)ことは政教分離原則に違反する行為であり、敷地の使用貸借契約を解除して神社施設の撤去と土地の明渡しを請求しないことは違法であるとする訴訟である。なお、一般に、特定の宗教団体に国有地を無償で提供していることは、憲法89条の違反となる(地方自治法232条の2第1項第3号)を提起した訴訟である。2 政教分離原則違反の有無は、津地鎮祭事件判決(最大判昭52.7.13)が示した目的効果基準を用いて判断するというのが、それまでの最高裁の立場ででした。しかし、本判決は、目的効果基準を用いずに、「当該宗教的施設に対する便宜の供与が、社会通念に照らして総合的に判断」するという手法を用いています。3 本判決は、本件利用提供行為を違憲と認めつつ、「神社施設の撤去と土地明渡し」以外に違憲状態を解消する手段を検討さるため、原判決を破棄し、差戻しました。原審に差し戻しました。これは、「神社施設の撤去と土地明渡し」によって違憲状態を解消すると、全国に数千あるといわれている本件と同様のケースでも「神社施設の撤去と土地明渡し」が命じられず、大きな社会的混乱を招くおそれがあるからです。差戻し審の判決は、砂川市が解決策として土地の有償貸与を提案したこと等を「違憲状態を解消する現実的、合憲的な手段」と評価し、神社施設の撤去などを求めた住民の請求を棄却し、最高裁(最判平24.2.16)もこれを支持しました。過去問1 市が主催し神式ののっとり挙行された体育館の起工式について、建施主が一般の慣習に従い起工式を行うことは、工事の円滑な進行をはかるという世俗的な目的によるもので、市民の間にこれが市の行っている宗教的儀式であるとの意識を生じさせず、もとより、特定の宗教を援助、助長するものではなく、したがって、その起工式に公金を支出することは、憲法20条3項、89条に違反しない。(公務員2018年)2 憲法20条3項にいう宗教的活動とは、国又は地方公共団体が宗教とのかかわり合いを持つことを全く許さないとするものではなく、かかわり合いが相当とされる限度を超えるものを指すもので、具体的には、当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解するのが相当である。(行政書士2021年)1x 本件の起工式について、判例は、宗教とのかかわり合いをもつものであることを認めた上で、その目的は建築着工に際し土地の平安堅固、工事の無事安全を願い、社会の一般的慣習に従った儀礼を行うというもっぱら世俗的なものであり、その効果は神道を援助、助長、促進しまたは他の宗教に圧迫、干渉を加えるものといえないこと等を理由に、憲法20条3項に違反しないとしています (最大判昭52.7.13)。2x 判例は、「国又は地方公共団体が国有地を無償で宗教的施設の敷地として使用に供することは、一般的には、当該宗教施設を設置する宗教団体に対する便宜の供与に他ならず、憲法89条との抵触が問題となる行為であるといわなければならない」としています (最大判平22.1.20)。

「『国家試験受験のためのよくわかる判例〔第2版〕』 西村和彦著・2024年9月6日」 ISBN 978-4-426-13029-9

思想・良心の自由

公開:2025/10/21

ガイダンス思想・良心の自由は、人の内面的な精神活動の基本となる自由であり、憲法19条は、これを人権として保障しています。謝罪広告強制事件 (最大判昭31.7.4)事件の概要1952 (昭和27) 年10月に行われた衆議院議員選挙の候補者Xは、選挙運動中に、ラジオの政見放送及び新聞を通じて、「対立候補のYは、県知事在職中に、発電所の電気機械入札にからんで斡旋料800万円をもらった」と公表した。そこで、Yは、Xが虚偽の事実を公表したことによって自己の名誉を毀損されたとして、名誉回復のための謝罪文の放送・掲載を求める訴えを提起した。判例ナビ第1審は、Xに対し、民法723条に基づき「放送及び記事は真相に相違しており、貴下の名誉を傷つけ御迷惑をおかけいたしました。ここに陳謝の意を表します」という文面の謝罪広告を新聞紙上に掲載することを命じ、控訴審もこれを支持しました。そこで、Xは、謝罪広告の強制は憲法19条の保障する良心の自由を侵害すると主張して上告しました。総裁判所の判断民法723条にいわゆる「他人の名誉を毀損したる者に対して被害者の名誉を回復するに適当な処分」として謝罪広告を新聞紙等に掲載すべきことを加害者に命ずることは、従来学説判例の肯認するところであり、また謝罪広告を新聞紙等に掲載することがわが国国民生活の実際においても行われているのである。もっとも、謝罪広告を命ずる判決もその内容上、これを新聞紙に掲載することが謝罪者の意思決定に委ねるとすれば、これを命ずる場合の債務者の意思のみに係る不代替作為として民訴734条に基づき間接強制によるを相当とするものもあるべく、時にはこれを強制することが債務者の人格を無視し著しくその名誉を毀損し意思決定の自由ないし良心の自由を不当に制限し、ひいては憲法19条の趣旨に反する結果となる場合もあり得るであろうことは、これを否定し得ない。しかし、単に事態の真相を告白し陳謝の意を表するに止まる程度のものであれば、これをもって債務者の人格を無視するものということはできず、かえってこれによって、加害者は、その反倫理的行為に対する社会の非難を緩和し、失われた社会的信用を回復する途を開くことにもなるものであるから、このような謝罪広告は、加害者の意思に反してこれを強制執行しても、憲法19条に違反するものではない。なお、この強制執行の判決の主文としては、XがYに陳謝の意を表する旨を記載したYの名誉を回復するのに適当な新聞紙に掲載して公表すべき旨を命じ、Xが右期間内に任意に履行しないときは、Yは右費用で広告を掲載することができる旨を命ずべきものであって、本件のようにYが作成した広告文をそのままXの名において掲載すべきことを命ずることは許されない。しかし、この点を上告趣旨が指摘するところは全くないから、この点において原判決を破棄することはできない。解説本判決は、謝罪広告の内容によっては思想・良心の自由に侵害する場合があることを認めた上で、単に事態の真相を告白し謝罪の意を表明するに止まる程度のものであれば、思想・良心の自由を侵害しないとしました。そして、本件の謝罪広告は、Xの良心の自由を侵害するものではなく、また、民法723条の適当な処分に当たるとして、Xの上告を棄却しました。過去問1 民法723条にいう名誉の回復に適当な処分として謝罪広告を新聞紙等に掲載すべきことを加害者に命ずることは、それが単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するにとどまる程度のものである場合であっても、被害者の意思に反し、良心の自由を侵害するものであるから、憲法19条に違反する。(公務員2022年)1x 判例は、単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するにとどまる程度のものである場合は、謝罪広告を強制しても憲法19条に違反しないとしています (最大判昭31.7.4)。国歌斉唱職務命令と憲法19条 (最判平23.5.30)事件の概要都立高校の教諭Xは、卒業式における国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し国歌を斉唱すること(起立斉唱行為)を命ずる旨の校長の職務命令に従わなかったため、Y (東京都教育委員会 (都教委)) から戒告処分を受けた。その後、Xは定年退職したが、これに先立ち、退職後の非常勤嘱託員の採用選考に申込みをしたところ、Yから、上記職務命令違反によることを理由に不合格とされた。判例ナビXは、校長の職務命令は憲法19条に違反し、Yが非常勤嘱託員の採用選考においてXを不合格としたことは違法である等と主張して、Z (東京都) に対し、国家賠償法1条1項に基づく損害賠償等を求める訴えを提起した。第1審、控訴審ともにXの請求を棄却したため、Xが上告した。総裁判所の判断1 Xは、卒業式における国歌斉唱の際の起立斉唱行為を拒否する理由について、日本の侵略戦争の歴史を学ぶ中で日章旗は、日の丸は、中国人への敵視に対し、「日の丸」が「君が代」を卒業式に組み入れて強制するものではない、…したがって、このような考えは、自らの歴史観ないし世界観と不可分に結び付いたものといえ、その良心の核心部分をなすものと認められる。このような考えは、「日の丸」や「君が代」が戦前の軍国主義との関係で一定の役割を果たしたとする自身の歴史観ないし世界観から生ずる社会生活上の信条ということができる。しかしながら、…学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は、一般的、客観的に見て、これらに対する儀礼上の敬意の表明として所作としての性質を有するものであり、かつ、そのような所作として外部からも認識されるものというべきである。したがって、上記の起立斉唱行為は、その由来や我が国で定着するに至る経緯に照らせば、歴史観ないし世界観を理由としてこれに応じない者もいるといえども、上記の歴史観ないし世界観を外部に表明する行為という性質を有するものと評価することはできない。また、上記の起立斉唱行為は、その外部からの認識は上記のようなものというべきで、これに反する思想の表明として外部から認識されるものと評価することは困難であり、職務上の命令に従ってこのような行為が行われる場合には、上記のように強制することは困難であるといえるのであって、本件職務命令は、特定の思想を持つことを強制したり、これに反する思想を持つことを禁止したりするものではなく、特定の思想の有無について告白することを強要するものでもないというべきである。そうすると、本件職務命令は、これらの観点において、個人の歴史観及びその見解を表明する自由を制約するものと認めることはできず、これらの自由の根幹にかかわるものではない。2 もっとも、上記の起立斉唱行為は、教員が担当する教科等の授業やこれを補充する課外活動の内容に含まれるものではなく、…国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であるといえる。そうすると、自らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となる「日の丸」や「君が代」に対して敬意を表明することには、個人の歴史観ないし世界観に由来する行動としてこれを行うことはできないという点で、その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い。しかし、そのような制約が許容されるか否かについては、本件職務命令の目的、内容及びその必要性、これが個人の思想及び良心の自由に対し現実にもたらす影響の程度等を比較衡量して判断するのが相当である。3 これを本件についてみるに、本件職務命令に係る起立斉唱行為は、前記のとおり、Xの歴史観ないし世界観とその後まで否定的な評価の対象とするものに対する敬意の表明の要素を含むものであることから、そのような敬意の表明に応じないことは、Xの思想及び良心の自由について、これを外部に表明する行為として消極的に振る舞うという側面がある。そうすると、本件職務命令は、一般的、客観的な見地から、Xの歴史観ないし世界観それ自体を否定するものではないとしても、Xがこれを外部に表明する機会を奪うという側面があり、その限りでXの思想及び良心の自由を間接的に制約するものといえる。他方、学校の卒業式や入学式等の教育上の儀式的行事においては、生徒等への配慮を含め、教育上の行事にふさわしい秩序を確保して儀式の円滑な進行を図ることが必要であるといえる。本件職務命令は、公立高等学校の教職員であるXに対して当該学校の卒業式という儀典における慣例上の儀礼的な所作として国歌斉唱の際の起立斉唱行為を求めることを内容とするものであって、高等学校教育の目標や卒業式の意義、在り方等を定めた関係法令等の諸規定の趣旨に沿い、かつ、地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性を踏まえた上で、生徒等への配慮を含め、教育上の行事にふさわしい秩序の確保とともに当該式典の円滑な進行を図るものであるということができる。以上の諸事情を踏まえると、本件職務命令については、前記のように外部的な行動を介してXの思想及び良心に何らかの関わりを持つ間接的な制約となる面はあるものの、職務命令の目的及び内容並びに上記の制約の程度を対比衡量すれば、上記制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるものというべきである。4 以上の諸点に鑑みれば、本件職務命令は、Xの思想及び良心の自由を侵害するものとして憲法19条に違反するとはいえないと解するのが相当である。解説本判決は、市立小学校の音楽専科教諭に対し入学式での国歌斉唱のピアノ伴奏を命じる旨の校長の職務命令は憲法19条に違反しないとした判例(最判平19.2.27) を踏襲した上で、起立斉唱行為を命ずることが思想・良心の自由に対する間接的な制約となること、およびその制約が許容されうるかどうかの判断基準を明らかにしました。過去問1 判例では、公立学校の校長が教諭に対し卒業式における国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し、国歌を斉唱することを命じた職務命令は、特定の思想を持つことを強制するものではなく、当該教諭の思想及び良心を直ちに制約するものではないが、当該教諭の思想及び良心についての間接的な制約となりうるため、憲法に違反するとした。(公務員2019年)1x 判例は、都立高校の校長が教諭に対し卒業式における国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し、国歌を斉唱することを命じた職務命令について、当該教諭の思想及び良心についての間接的な制約となる面はあるものの、その制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるので、憲法19条に違反しないとしています (最判平23.5.30)。

「『国家試験受験のためのよくわかる判例〔第2版〕』 西村和彦著・2024年9月6日」 ISBN 978-4-426-13029-9

法の下の平等

公開:2025/10/21

ガイダンス憲法14条1項は、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と規定し、人は生まれながらにして自由平等であるという平等の原則を明文で保障しています。さらに、憲法は、婚姻の両性の合意に基づいてのみ成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として (24条1項)、婚姻、離婚、相続等家族に関する法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等の立脚して制定されなければならないとしています (同条2項)。事件の概要Xは、10数年にわたり実父から夫婦同然の生活を強いられるという悲惨な境遇から逃れるため、実父を殺害し、尊属殺(刑法200条)により起訴された。判例ナビ第1審は、Xに対し、刑法200条は憲法14条1項に違反するとして普通殺人罪を規定する同法199条を適用した上で、過剰防衛と心神耗弱を理由に刑を免除しました。これに対し、控訴審は、刑法200条を適用した上で、心神耗弱と酌量減軽により懲役3年6月の実刑判決を言い渡しました。そこで、Xは、刑法200条は憲法14条1項に違反し無効であると主張して上告しました。総裁判所の判断憲法14条1項は、国民に対し法の下の平等を保障した規定であつて、同項後段の事由は例示的なものであること、およびこの平等の要請は、事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものでないかぎり、差別的な取扱いをすることを禁止する趣旨と解すべきことは、当裁判所の判例の示すとおりである。そして、刑法200条は、自己または配偶者の直系尊属を殺した者は死刑または無期懲役に処する旨を規定しており、被害者と加害者との間における特別な身分関係の存在に基づき、同法199条の定める普通殺人の所為と同じ類型の行為に対してその刑を加重するもので、尊属に対する殺人が、道義的に非難されるべきであることは否定できないにしても、同じ程度の加害行為に出ながら、特に甚だしく非人道的な殺人と、実父による性的虐待という同情されるべき事情の下での殺人を、ひとしく普通殺人の場合よりも著しく重い刑を科することは、その立法目的達成のために必要とされる限度を遥かに超えた、きわめて不合理な差別的取扱いであると言わなければならず、個人の尊厳を基本とする憲法の理念と相容れないものであるといわざるを得ない。解説本件は、性別変更審判を受けるために前提として生殖腺除去手術を受けることを求める性同一性障害者特例法3条1項4号(本件規定)の合憲性が争われた事案です。本決定は、身体への侵襲を受けない自由が、人の意思によって決定できない性別という属性によって制約されていることを明らかにするとともに、生殖腺除去手術の強制が身体への侵-を伴わない自由に対する重大な制約になることも認めました。そして、本決定は、審判を受ける者に対し、身体への侵襲を受けない自由を放棄して生殖腺除去手術を受けることを甘受するか、それとも自己の性別に係る法上の取扱いを受けるという重要な法的利益を放棄して性別変更審判を受けることを断念するかの過酷な二者択一を迫る深刻な制約を課すものであるとし、本案規定を憲法13条に違反しないとしていた従来の判断 (最決平31.1.23) を変更して、憲法13条に違反するとしました。なお、Xは、「その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること」と規定する特例法3条1項5号についても、憲法13条、14条1項に違反すると主張しましたが、この点については、審理を本件の係属する原審に差し戻しました。に違反し、いわゆる加害目的身分犯の規定であって、このような刑の加重は、刑法199条のほかに、刑法205条の同意殺人・自殺関与・嘱託殺人罪の場合にもみられる。そこで、刑法14条の規定が右のいずれかの場合にも適用があるかどうかという問題となるのであるが、それは右のような個別的取扱いが合理的な理由に基くものであるかどうかによって決せられるわけである。刑法200条の立法目的は、尊属を卑属またはその配偶者が殺害することもって一般に高度の社会的道義的非難に値するものとし、かかる背倫の度合の殺人罪の場合より厳重に処罰し、もって特に強くこれを鎮圧しようとるところにあるものと解される。ところで、尊属に対する尊重報恩は、社会生活上の基本的人倫というべく、このような目的の刑罰法規が、立法目的の維持は、刑法上の保護に値するものといわなければならない。しかるに、自己または配偶者の直系尊属を殺害することが右の行為に出るほかない窮状の結果であって、行為自体は、他人の反倫理的な行為をあえてした者の背徳性に対して特に非難に値するということができる。このような点を考えれば、尊属の殺害を通常人の殺害に比して一般に高度の社会的道義的非難をうけて当然であるとして、このことをその刑罰に反映させても、あながち不合理であるとはいえない。そこで、被害者が尊属であることを処罰の根拠として具体的事件の量刑上尊重することは許されるものであるのみならず、さらに進んでこのことを類型化し、法律上、刑の加重要件とする規定を設けても、かかる差別的取扱いをもってただちに合理的な根拠を欠くものと断ずることはできず、したがってまた、憲法14条1項に違反するということもできないものと解する。…しかしながら、…刑の程度が極端であって、前示のごとき立法目的の達成手段として甚だしく均衡を失し、これを正当化すべき合理的根拠を見出しえないときは、その差別は著しく不合理なものといわなければならず、かかる規定は憲法14条1項に違反して無効であるとしなければならない。この観点から刑法200条をみるに、同条の法定刑は死刑および無期懲役のみであり、普通殺人罪に関する刑法199条の法定刑が、死刑、無期懲役ほか3年以上の有期懲役となっているのと比較して、刑の種類および幅員において重い刑に限られていることは明らかである。…現行法上許される2回の減軽を加えても、尊属殺につき有罪とされた単純に対して刑を言い渡すべきときには、処断刑の下限は懲役3年6月をくだることがなく、その結果として、いかに酌量すべき情状があろうとも法律上刑の執行を猶予することはできないのであり、普通殺の場合と比しいちじるしく不合理なものといわなければならない。…刑法200条は、尊属殺の法定刑を死刑または無期懲役のみに限定している点において、その立法目的のために必要な限度を超え、普通殺に関する刑法199条の法定刑に比していちじるしく不合理な差別的取扱いをするものと認められ、憲法14条1項に違反して無効であるとしなければならず、したがって、原審判決にも刑法199条を適用するほかはない。この見解に反する従来の判例はこれを変更する。(最大判昭30.5.27)夫婦同氏制の合憲性 (最大判平27.12.16)解説本判決は、最高裁が初めて出した違憲判決です。刑法200条の尊属に対する敬愛・報恩という立法目的は違憲ではないが、法定刑が死刑または無期懲役に限られている点が重すぎて立法目的達成に必要な限度を超えており違憲であるとしました。本判決を受けて、刑法200条は法改正により削除されました。過去問尊属に対する尊重報恩が社会生活上の基本的人倫であることは言うまでもないが、卑属がただ尊属なるがゆえに特別の保護を受けてしかるべきであるなどの理由によって尊属殺人に係る特別の規定を設けることは、一種の身分制道徳の見地に基づくものというべきであり、個人の尊厳と人格価値の平等を基本的な拠点とする民主主義の理念を根抵とするものであることから、普通殺人と区別して尊属殺人に関する規定を設け、尊属殺なるがゆえに差別的取扱いを認めること自体が憲法14条1項に違反する。(公務員2021年)1x. 判例は、尊属に対する尊重報恩は、社会生活上の基本的人倫であり、このような自然的愛情ないし普遍的人倫の維持は、刑法上の保護に値するとして、普通殺人と区別して尊属殺人に関する規定を設けても憲法14条1項に違反しないとしています (最大判昭48.4.4)。事件の概要Xは、婚姻後も婚姻前の氏を称したいと思っていたが、民法750条(本件規定)が「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と規定しているため、婚姻の際に、夫の氏を称すると定め、婚姻前の氏は通称として使用することとした。しかしその後、Xは、本件規定は、憲法13条、14条1項、24条に違反すると主張し、同条を改廃する立法措置をとらないという立法不作為の違法を理由に、国に対し、国家賠償を求める訴えを提起した。判例ナビXが本件規定を違憲と主張する理由は、①憲法13条が保障する「氏の変更を強制されない自由」を侵害する、②憲法14条1項が保障する「夫婦の間の氏の選択の平等を保障すること」を侵害するという性差別を生じさせる、③夫婦にのみ不利益を負わせている点で法の下の平等に違反するという3点です。第1審、控訴審ともにXの請求を棄却したため、Xは、上告しました。総裁判所の判断1 憲法13条違反の有無について氏は、社会的にみれば、個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが、同時に、その個人からみれば、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であって、人格権の一内容を構成するものというべきである。…しかし、氏は、婚姻及び家族に関する法制度の一部として法がその具体的な内容を規律しているものであるから、…具体的な法制度を離れて、氏が変更されること自体を捉えて直ちに人格権を侵害し、違憲であるかを論ずることは相当ではない。そこで、民法における氏に関する規定を通覧すると、…氏の性質に関し、氏に、名と同様に個人の呼称としての意義があるものの、名はとどまり称された存在として、夫婦及びその間の未婚の子や養親子が同一の氏を称することなどにより、社会の構成要素である家族の呼称としての意義があるとの理解を示しているものといえる。そして、家族は社会の自然的かつ基礎的な集団単位であるから、このように個人の呼称の一つである氏をその個人の属する集団を想起させるものとして一つに定めることにも合理性が認められる。本件で問題となっているのは、婚姻という身分関係の変動を自らの意思で選択することに伴って夫婦の一方が氏を改めるという場面であり、自らの意思に基づかずに氏を改めることが強制されるというものではない。氏は、個人の呼称としての意義があり、名とあいまって社会的に他人に個人から識別し特定する機能を有するものであることからすれば、自らの意思のみによって自由に定めたり、又は改めたりすることを認めることは本来の性質には合わないものであり、…氏に、名と区切り離された存在として社会の構成要素である家族の呼称としての意義があることからすれば、氏が、親子関係など一定の身分関係を反映し、婚姻を含めた身分関係の変動に伴って改められることがあり得ることは、その性質上予定されているといえる。以上のような氏の制度上の位置付けの下における氏の性質等に鑑みると、婚姻の際に「氏の変更を強制されない自由」が憲法上の権利として保障される人格権の一内容であるとはいえないし、本件規定は、憲法13条に違反するものではない。もっとも、上記のように、氏が、名とあいまって、個人を他人から識別し特定する機能を有するほか、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格を一体として示すものであることから、氏を定めるにあたって、そのことによっていかなるアイデンティティの喪失感を抱いたり、従前の氏を使用する中で形成されてきた他者から識別し特定される機能が阻害される不利益や、個人の信用、評価、名誉感情等が影響し不利益が生じることがあることは否定できず、特に、近年、婚姻年齢の上昇、婚姻件数の増加する中で社会的な地位や業績が築かれる期間が長くなっていること等から、婚姻に伴い氏を改めることにより不利益を被る者の増加してきていることは容易にうかがえるところである。これらの婚姻に伴い生じる個人の信用、評価、名誉感情等を維持する利益等は、憲法上の権利として保障される人格権の一内容であるとまではいえないものの、後記のとおり、氏を定めた方が婚姻及び家族に関する法制度の在り方を検討するに当たって考慮すべき人格的利益であるとはいえるのであり、憲法24条の定める立法裁量の範囲を超えるものであるか否かの検討に当たって考慮すべき事項であると考えられる。2 憲法14条1項違反の有無について本件規定は、夫婦が夫又は妻の氏を称するものとしており、夫婦がいずれの氏を称するかを夫と妻となろうとする者の間の協議に委ねているのであって、その文言上性別に基づく法的な差別的取扱いを定めているわけではなく、本件規定の定める夫婦同氏制それ自体に男女間の形式的な不平等が存在するわけではない。…したがって、本件規定は、憲法14条1項に違反するものではない。もっとも、氏の選択に関し、これまでは夫の氏を選択する夫婦が圧倒的多数を占めている状況にあることに鑑みると、この現状が、夫婦となろうとする者が双方の真に自由な選択の結果によるものかについて現実の吟味もされるところであり、仮に、社会に存する意識的な意識や慣習による影響があるのであれば、その影響を勘案して夫婦間に実質的な平等が保たれるように図ることは、憲法14条1項の趣旨に沿うものであるといえる。そして、この点は、…憲法24条の定める立法裁量の範囲を超えるものであるか否かの検討に当たっても留意すべきものと考えられる。3 憲法24条違反の有無について憲法24条は、1項において「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」と規定しているところ、これは、婚姻をするかどうか、いつ誰と婚姻をするかについては、当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきであるという趣旨を明らかにしたものと解される。本件規定は、婚姻の効力の一つとして夫婦が夫又は妻の氏を称することを定めたものであり、婚姻をすることについての直接の制約を定めたものではない。…婚姻及び家族に関する事項は、関連する制度についてその全体的枠内が定められていくものであることから、当該法制度の制度設計が重要な意味を持つものであるところ、憲法24条2項は、具体的な制度の構築を第一次的には国会の合理的な立法裁量に委ねるとともに、その立法に当たっては、同条1項を前提としつつ、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚すべきであるとする要請、指針を示すことによって、その裁量の限界を画したものといえる。そして、憲法24条が、本質的に様々な要素を検討して行われるべき立法作用に対してあえて立法上の要請、指針を明示していることからすると、その要請、指針は、単に、憲法上の権利として保障される人格権を内容とするものではなく、所定の形式的平等が確保されればそれで足りるというものでもない。憲法上直接保障された権利とはいえない人格的利益や性質をも考慮すべきこと、両性の実質的な平等が保たれるように図ること、婚姻制度の内容にどう影響することや事案上特に制約されることのないように図ること等についても十分に配慮した法律の制定を求めるものであり、この点で立法裁量に限定的な指針を与えるものといえる。他方で、婚姻及び家族に関する事項は、国の伝統や国民感情を含めた社会状況における国民の意識を踏まえつつ、それぞれの時代における夫婦や家族といった共同体についての総合的な判断によって定められるべきものである。特に、憲法上直接保障された権利とまでいえない人格的利益や実質的平等は、その内容として多様なものが考えられ、それらの実現の在り方は、その時々における国民生活、国民生活の状況、家族の在り方等との関係において決められるべきものである。そうすると、…婚姻及び家族に関する法律を定めた法律の規定が24条、1項、13条に違反しない場合に、更に憲法24条にも違反するものとして是認されるのは、個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠き、国会の立法裁量の範囲を超えるものとみざるを得ないような場合に限られると解するのが相当である。以上の観点から、本件規定の憲法適合性について検討する。夫婦同氏制は、旧民法の施行された明治31年に我が国の制度として採用され、我が国の社会に定着してきたものである。前記のとおり、氏は、家族の呼称としての意義があるところ、現行の民法の下においても、家族は社会の自然的かつ基礎的な集団単位と見られ、その呼称を一つに定めることには合理性が認められる。そして、夫婦が同一の氏を称することは、上記の家族という一つの集団を構成する一員であることを、対外的に公示し、識別する機能を果たしている。特に、婚姻の重要な効果として夫婦間の子が夫婦の共同親権に服する嫡出子となるということがあるところ、嫡出子であることを示すために夫婦とその子が同じ氏である仕組みを確保することにも一定の意義が考えられる。また、家族を単位とした社会保障、税制等の制度において、夫婦が同一の氏を称することにより家族という一つの集団を構成することを基礎に個人を位置付けることにも意義を見いだすことができる。さらに、氏が、婚姻前の氏と異なることとなる不利益は、通称の使用が広まることによって一定程度緩和され得るところ、上記のような夫婦同氏制それ自体に合理性が認められる。もっとも、夫婦となろうとする者の婚姻前の氏に対する愛着、婚姻前の氏によって形成された個人の社会的な信用、評価、名誉感情等を維持することが困難になったりするなどの不利益を受ける場合があることは否定できない。しかし、氏の変更に適応したり、夫の氏を選択する夫婦が圧倒的多数を占めている現状からすれば、妻となる女性が上記の不利益を受ける場合が多い状況が生じていることも是認できる。さらには、夫婦となろうとする者のいずれかがこれらの不利益を受けるかを選択するため、あえて婚姻をしないという選択をする者が存在することも十分うかがわれる。しかし、夫婦同氏制は、婚姻前の氏の通称として使用することまで許さないというものではなく、婚姻前の氏を使用することが社会的に許容されることによって一定程度は緩和され得るものである。以上の諸点を総合的に考慮すると、本件規定が夫婦に夫婦同氏制を強制し、夫婦の別氏を称することを認めないものであるとしても、上記のような状況の下で直ちに個人の尊姓と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠く制度であるとは認めることはできない。したがって、本件規定は、憲法24条に違反するものではない。解説本判決は、Xの主張 (①~③ (判例ナビ参照)) をすべて検討し、①「氏の変更を強制されない自由」は、憲法上の権利として保障される人格権の一内容とはいえないから、憲法13条に違反しない、②民法750条が定める夫婦同氏制それ自体は男女間の形式的な不平等が存在するわけではないから、憲法14条1項に違反しない、③夫婦同氏制が直ちに個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠く制度であるとは認められないから、民法750条を合憲としたXの上告を棄却しました。過去問夫婦となろうとする者の間の個々の協議の結果として夫の氏を選択する夫婦が圧倒的多数を占める状況は実質的に法の下の平等に違反する状態というが、婚姻前の氏の通称使用が広く定着していることからすると、直ちに違憲とはいえない。(行政書士2019年)1x. 判例は、わが国において、夫婦となろうとする者の間の個々の協議の結果として夫の氏を選択する夫婦が圧倒的多数を占める状況があることは認められるとしても、それが民法750条の在り方自体から生じた結果であるということはできないとしています。したがって、「夫の氏を選択する夫婦が圧倒的多数を占める状況」が実質的に法の下の平等に違反するとはいえません(最大判平27.12.16)。非嫡出子相続分差別違憲決定(最大決平25.9.4)事件の概要2001(平成13)年7月に死亡したAの遺産について、Aの嫡出子Xが、Aの嫡出でない子(非嫡出子)Yに対し、遺産分割の審判を申し立てた。判例ナビ原審は、民法900条4号ただし書の規定のうち、嫡出でない子の相続分を嫡出子の相続分の2分の1とする部分(本件規定)は憲法14条1項に違反しないと判断し、本件規定を適用して算出された法定相続分を前提にAの遺産の分割をすべきものとしました。そこで、Yは、本件規定は憲法14条1項に違反し無効であると主張して、特別抗告しました。総裁判所の判断1 憲法14条1項適合性の判断基準について憲法14条1項は、相続人の間の平等を、どのように実現させるかを定めるものであるが、相続制度を定めるに当たっては、それぞれの国の伝統、社会事情、国民感情なども考慮されなければならない。さらに、現在の相続制度は、家族というものをどのように考えるかということと密接に関係しているのであって、その国における婚姻ないし親子関係に対する規律、国民の意識を離れてこれを定めることはできない。これらを総合的に考慮した上で、相続制度をどのように定めるかは、立法府の合理的な裁量判断に委ねられているものというべきである。この事件で問われているのは、このように立法府に委ねられた相続制度のうち、本件規定により嫡出子と嫡出でない子との間で生ずる法定相続分に関する区別が、合理的理由のない差別的取扱いに当たるか否かということであり、立法府に与えられた上記のようは裁量権を考慮しても、そのような区別をすることが許容される限度を超えるものである場合には、憲法14条1項に違反するものと解するのが相当である。2 本件規定の憲法14条1項適合性について昭和22年改正法が制定されるに至るまでの間の我が国の社会、我が国における家族形態の多様化やこれに伴う国民の意識の変化、諸外国の立法及び我が国が批准した条約の内容とこれに基づき設置された委員会からの指摘、嫡出子と嫡出でない子の間にある法律上の差別等に関し、これまでの当裁判所における度重なる問題の指摘等を総合的に考察すれば、我が国の法律体系の中における家族のあり方がより明確に認識されてきたことは明らかであるといえる。そして、法律婚という制度自体は我が国に定着しているとしても、上記のような認識の変化に伴い、上記制度の下で父母が婚姻関係になかったという、子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許されず、子を個人として尊重し、その権利を保障すべきであるという考えが社会で確立されてきているものということができる。以上を総合すれば、遅くともAの相続が開始した平成13年7月当時においては、立法府の裁量権を考慮しても、嫡出子と嫡出でない子の法定相続分を区別する合理的な根拠は失われていたというべきである。したがって、本件規定は、遅くとも平成13年7月当時において、憲法14条1項に違反していたものというべきである。3 先行規定としての事実上の効果について本件決定は、本決定が「遅くとも平成13年7月当時において」憲法14条1項に違反していたと判断される以上、本決定の先例としての事実上の拘束性により、上記時点以降に開始した相続に適用される。…また、本決定に基づいて形成された裁判所の効力も否定されることになる。しかしながら、…本件規定が、当然の前提として父母の婚姻という形で形成された安定な身分秩序を侵害することを懸念し、いわば解決済みの事案に効果が及ぶことは、著しく法的安定性を害することとなる。…一次決定の判断は、Xの相続が開始から本決定までの期間になされた他の相続につき…Xの遺産分割の審判、遺産の分割の協議その他の合意等により確定的なものとなった法律関係に影響を及ぼすものではないと解するのが相当である。解説1 解説 民法900条4号ただし書のうち、非嫡出子の相続分を嫡出子の相続分の2分の1とする部分は、「平成13年7月当時において」違憲であると判断しました。本決定を受けて、削除する法改正が行われました。2 本決定は、平成13年7月以降本決定までにされた遺産分割等に先例的拘束性(最高裁の判例が将来の裁判を事実上拘束すること)が及ぶかどうかが問題となりました。先例的拘束性が時間的に及ぶとすると、既に確定している法律関係までくつがえり、法的安定性が害されてしまいます。そこで、本決定は、先例的拘束性は本件規定を前提としてなされた確定的な法律関係には及ばないしました。過去問1 嫡出でない子の法定相続分を嫡出子の相続分の2分の1とする規定は、国民が現用する法律婚の尊重と非嫡出子の保護の調整を図ったものであり、立法府に与えられた合理的な裁量の限度を超えるものではなく、憲法14条1項に違反しない。(司法書士2022年)1x. 判例は、遅くともAの相続が開始した平成13年7月当時においては、立法府の裁量権を考慮しても、嫡出子と嫡出でない子の法定相続分を区別する合理的な根拠は失われており、本件規定は、遅くとも平成13年7月当時において、憲法14条1項に違反していたとしています(最大決平25.9.4)。

「『国家試験受験のためのよくわかる判例〔第2版〕』 西村和彦著・2024年9月6日」 ISBN 978-4-426-13029-9

幸福追求権

公開:2025/10/21

ガイダンス憲法13条は、以下の詳細な人権規定を置いているが、これらの規定だけでは、個人の尊重(13条前段)を十分保障することが困難です。そのため、13条後段が規定する「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」(幸福追求権)は、プライバシー権や自己決定権等憲法に明記されていない人権の根拠となる権利であると考えられています。京都府学連事件 (最大判昭44.12.24)■事件の概要大学生Xは、京都市公安条例に基づいて許可された京都府学生自治会連合(京都府学連)主催のデモ行進に参加したところ、隊列をくずした行進がデモ許可条件に違反すると考えた警察官Yらから写真撮影された。これに対し、憤慨したXは、旗竿でYの下あごを突いて負傷させたため、公務執行妨害罪および傷害罪で起訴された。判例ナビ訴訟において、Xは、「警察官による写真撮影は、肖像権すなわち承諾なしに自己の容ぼうを撮影されない権利を保障した憲法13条に違反し、また、裁判官の令状なしに撮影した点において令状主義を規定した憲法35条にも違反する」と主張しました。しかし、第1審、控訴審ともに、Xを言罪としたため、Xが上告しました。■裁判所の判断憲法13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定しているのであって、これは、国民の私生活上の自由が、警察権等の国家権力の行使に対しても保護されるべきことを規定しているものということができる。そして、個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態(以下「容ぼう等」という。)を撮影されない自由を有するものというべきである。これを肖像権と称するかどうかは別として、少なくとも、警察官が、正当な理由もないのに、個人の容ぼう等を撮影することは、憲法13条の趣旨に反し、許されないものといわなければならない。しかしながら、個人の有する右自由も、国家権力の行使から無制限に保護されるわけではなく、公共の福祉のため必要のある場合には相当の制限を受けることは同条の規定に照らして明らかである。そして、犯罪を捜査することは、公共の福祉のため警察に与えられた国家作用の一つであって、警察官にはこれを遂行すべき責務があるのであるから(警察法2条1項参照)、警察官が犯罪捜査の必要上写真を撮影する際、その対象の中に犯人のみならず第三者である個人の容ぼう等が含まれても、これが許容される場合がありうるものといわなければならない。そこで、その許容される限度について考察するに、身体の拘束を受けている被疑者の写真撮影を規定した刑訴法218条2項のような場合のほか、次のような場合には、撮影される本人の同意がなく、また裁判官の令状がなくても、警察官による個人の容ぼう等の撮影が許容されるものと解すべきである。すなわち、現に犯罪が行なわれもしくは行なわれたのち間がないと認められる場合であって、しかも証拠保全の必要性および緊急性があり、かつその撮影が一般に許容される限度をこえない相当な方法をもって行なわれるときである。このような場合に行なわれる警察官による写真撮影は、その対象の中に、犯人の容ぼう等のほか、犯人の周辺または被写体とされた物件の近くにいたためにこれが除外できない状況にある第三者である個人の容ぼう等を含むことになっても、憲法13条、35条に違反しないものと解すべきである。解説本判決は、本人の同意も裁判官の令状もない写真撮影であっても、①現に犯罪が行われもしくは行われたのち間がないと認められる場合であること、②証拠保全の必要性と緊急性があること、③撮影が一般に許容される相当な方法によって行われることという3つの要件を満たす場合には、憲法13条、35条に違反しないとしました。そして、Yの写真撮影は、これらの要件を満たす適法な職務執行行為であったとして、公務執行妨害罪と傷害罪の成立を認めてXを言罪とした控訴審の判断を支持し、Xの上告を棄却しました。この分野の重要判例◆パブリシティ権の侵害と不法行為 (最判平24.2.2)人の氏名、肖像等(以下、併せて「氏名等」という。)は、個人の人格の象徴であるから、当該個人は、人格権に由来するものとして、これをみだりに利用されない権利を有すると解される…。そして、肖像等は、商品の販売等を促進する顧客吸引力を有する場合があり、このような顧客吸引力の排他的な利用を内容とする権利(以下「パブリシティ権」という。)は、肖像権それ自体の商業的価値に基づくものであるから、上記の人格権に由来する権利の一内容を構成するものということができる。他方、肖像等に顧客吸引力を有する者は、社会の注目を集めるなどして、その肖像等を時事報道、論説、創作物等に使用されることもあるのであって、その使用を正当な表現行為等として受忍すべき場合もあるというべきである。そうすると、肖像等を無断で使用する行為は、①肖像等それ自体を独立して鑑賞の対象となる商品等として使用し、②商品等の差別化を図る目的で肖像等を商品等に付し、③肖像等を商品等の広告として使用するなど、専ら肖像等の有する顧客吸引力の利用を目的とするといえる場合に、パブリシティ権を侵害するものとして、不法行為法上違法となると解するのが相当である。解説本件は、人気女性歌手が、自らを被写体とする写真を無断で週刊誌に掲載した出版社に対し、Xの肖像が有する顧客吸引力を排他的に利用する権利(パブリシティ権)が侵害されたとして不法行為に基づく損害賠償を求めたという事案です。本判決は、人格権の内容の1つとしてパブリシティ権を初めて認めた上で、パブリシティ権侵害が不法行為法上違法となる判断基準を明らかにしました。過去問個人の容ぼうや姿態は公道上などで誰もが容易に確認できるものであるから、個人の私生活上の自由の一つとして、警察官によって本人の承諾なしにみだりにその容ぼう・姿態を撮影されない自由を認めることはできない。(行政書士2021年)人の氏名、肖像が商品の販売等を促進する顧客吸引力を有する場合において、当該顧客吸引力を排他的に利用する権利は、人格権に由来する権利の内容を構成する。(司法書士2022年)1× 判例は、個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態を撮影されない自由を有するとしています(最大判昭44.12.24)。2 ○ 判例は、人の氏名、肖像等が有する顧客吸引力を排他的に利用する権利(パブリシティ権)が人格権に由来する権利の内容を構成することを認めています(最判平24.2.2)。前科照会事件 (最判昭56.4.14)■事件の概要A自由党東京都連で技術指導員をしていたXは、同社から解雇されたことを不服として、裁判所に解雇無効による地位保全仮処分等の申請、中央労働委員会に対する救済の申立て等を行っていた。その後、Aの代理人B(弁護士)が所属する京都弁護士会を通じて、Y(京都市長)に対し、Xの前科及び犯罪経歴(前科等)の有無を照会したところ、C(京都市中京区区長)は、同弁護士会に対し、Xには道路交通法等の前科がある旨を回答する書面(本件回答書)を交付した。この回答書によってXの前科等を知ったAは、事件関係者等にXの前科等を公表するとともに、Xが前科等を隠していたことは解雇事由にあたるとしてXを非難した。そこで、Xは、本件回答書によりプライバシーの権利(前科を知られたくない権利)が違法に侵害されたとして、Yに対し損害賠償を求める訴えを提起した。判例ナビ第1審は、本件回答に違法性はないとしました。が、控訴審は、本件回答は違法であるとして、Xの請求を一部容認しました。そこで、Yが上告しました。■裁判所の判断前科及び犯罪経歴(以下「前科等」という。)は人の名誉、信用に直接にかかわる事項であり、前科等のある者もこれをみだりに開示されないという法律上の保護に値する利益を有するのであって、市区町村長が、本来犯罪歴の照会のために作成保管する犯罪人名簿に記載されている前科等をみだりに漏らしてはならないということになるところである。前科等の有無が訴訟等の重要な争点となっていて、市区町村長に照会して回答を得るのでなければ他に立証方法がないような場合には、裁判所から前科等の照会を受けた市区町村長は、これに応じて前科等につき回答することができるものであり、同様な場合に弁護士法23条の2に基づく照会に応じて報告することも許されないわけのものではないが、その取扱には格別の慎重さが要求されるものといわなければならない。本件において、Bの照会にCが回答したところ、Xは、京都市中京区役所内の申出により京都弁護士会を照会庁とする照会申出書をBに交付させたので、同弁護士会が本件照会を必要とする理由として、「右照会文書に添付されているAとの訴訟の提出用に中央労働委員会、京都地方裁判所に提出するため」とあったにすぎないのであり、このような場合に、市区町村長が漫然と弁護士会の照会に応じ、犯罪の種類、軽重を問わず、前科等のすべてを報告することは、公権力の違法な行使にあたるものと解するのが相当である。原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、Cの本件報告を違法による公権力の違法な行使にあたるとした原審の判断は、結論において正当として是認することができる。解説本判決は、プライバシーという言葉を使っていませんが、前科等をみだりに公開されない自由をプライバシー権の1つとして認めたものと評価されています。なお、現在の個人情報保護法の下において、犯罪の経歴(前科)は、特に慎重な取扱いが求められる要配慮個人情報の1つとして規定されています(個人情報保護法2条3項、行政機関個人情報保護法2条4項)。過去問前科は人の名誉に直接にかかわる事項であり、前科のある者もこれをみだりに公開されないという法律上の保護に値する利益を有する。(司法書士2022年)1 ○ 判例は、前科は人の名誉、信用に直接にかかわる事項であり、前科等のある者もこれをみだりに公開されないという法律上の保護に値する利益を有するとしています(最判昭56.4.14)。エホバの証人輸血拒否事件 (最判平12.2.29)■事件の概要キリスト教の宗派「エホバの証人」の信者Xは、悪性腫瘍の摘出手術を受けるため国立Y病院に入院したが、その際、宗教上の信念から、いかなる場合にも輸血を拒否することを担当のZ医師に伝えた。Y病院では、手術を受ける患者が「エホバの証人」の信者である場合、できる限り無輸血で対応するが、輸血以外に救命手段がない場合には、患者やその家族の同意がなくても輸血をするという方針を採っていたが、その方針をXに伝えていなかった。その後、Zは、Xの手術を実施したが、輸血をしないとXを救うことはできないと判断し、Xの同意を得ずに輸血した。そこで、Xは、Zに対し、自己決定権を侵害したことによる不法行為を理由として、国に対しては使用者責任を理由として、損害賠償を求める訴えを提起した。判例ナビ第1審はXの請求を棄却しましたが、控訴審はXの請求を認容したため、国およびZが上告しました。■裁判所の判断本件において、Zが、Xの肝臓の腫瘍を摘出するために、医療水準に従った相当な手術をしようとすることは、人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者として当然のことであるということができる。しかし、患者が、輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして、輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合には、そのような意思決定をする権利は、人格権の一内容として尊重されなければならない。そして、Xが、宗教上の信念からいかなる場合にも輸血を受けることなく手術を受けることを固く希望しており、輸血を伴わない手術を受け、手術の際に輸血の可能性が具体的に高くなったことがZに知られていた本件の事実関係の下では、Zは、手術の際に輸血以外には救命手段がない事態が生ずる可能性を否定し難いと判断した場合には、Xに対し、Yとしてはそのような事態に陥ったときには輸血をするとの方針を採っていることを説明した上で、Yへの入院を継続した上でその下で本件手術を受けるか否かをX自身の意思決定にゆだねるべきであったと解するのが相当である。ところが、Zは、本件手術に至るまでの約1か月の間に、手術の際に輸血を必要とする事態が生ずる可能性があることを認識したにもかかわらず、Xに対してYが採用していた右方針を説明せず、同人に対して輸血する可能性のあることを告げないまま本件手術を施行し、右方針に従って輸血をしたのである。そうすると、本件においては、Zは、右説明を怠ったことにより、Xが輸血を伴う可能性のあった本件手術を受けるか否かについて意思決定をする権利を奪ったものといわざるを得ず、この点において同人の人格権を侵害したものとして、同人に対して負うべき精神的苦痛を慰謝すべき義務を負うものというべきである。また、国は、Zの使用者として、Xに対し民法715条に基づく不法行為責任を負うものといわなければならない。解説本判決は、「輸血を伴う医療行為を拒否する」という意思決定をする権利」が人格権の内容として尊重されなければならないとした上で、輸血に関する医師の説明義務違反によってその人格権が成立するとしました。ただし、医療の最終段階について、患者が「自己の人生のあり方(ライフスタイル)は自らが決定することができるという自己決定権」に由来する明治したものに対し、本判決は、自己決定権に言及しませんでした。過去問患者が、輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして、輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合であっても、このような意思決定をする権利は、患者自身の生命に危険をもたらすおそれがある以上、人格権の一内容として尊重されるということはできない。(公務員2020年)1× 判例は、患者が、輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして、輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合、このような意思決定をする権利は、人格権の一内容として尊重されなければならないとしています(最判平12.2.29)。性同一性障害者特例法3条1項4号の合憲性 (最大決令5.10.25)■事件の概要性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(特例法)3条1項は、家庭裁判所は、性同一性障害者であって同項各号のいずれにも該当するものについて、性別の取扱いの変更の審判(性別変更審判)をすることができる旨を規定している。そして、特例法3条1項4号(本件規定)は、「生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること」と規定しているが、本件規定に該当するには、抗がん剤の投与等によって生殖腺の機能全体が永続的に失われている等の事情のない限り生殖腺除去手術(具体的には性別適合手術を受けて戸籍上の性別とは別の性器がある場合は摘出手術)を受ける必要があるとされている。生物学的な性別は男性であるが性別の自己認識は女性であるXは、特例法3条1項に基づき、性別の取扱いの変更の審判(性別変更審判)を申し立てた。判例ナビ原審は、本件規定に該当しないとしてXの申立てを却下しました。そこで、Xは、本件規定は、憲法13条、14条1項に違反し無効であると主張して最高裁判所に特別抗告しました。*通常の不服申立てができない決定・命令に対して、憲法違反を理由として最高裁判所にする不服申立て。■裁判所の判断憲法13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定しているところ、自己の意思に反して身体への侵襲を受けない自由は、同条の保障する権利に含まれるものと解される。自己の意思に反して身体への侵襲を受けない自由は、人格権の一内容として尊重されなければならない。単に「身体への侵襲を受けない自由」というが、人格的生存に不可欠なものとして極めて重要である。このような自由を制約するものである生殖腺除去手術は、精巣又は卵巣を摘出する手術であり、身体に対する侵襲を伴い不可逆的な結果をもたらす身体への侵襲であるから、このことをなくして生殖腺除去手術を受けることが強制されない自由に対する重大な制約に当たる。本件規定は、性同一性障害者のうち自らの性別の取扱いの変更により性別変更審判を求める者について、原則として生殖腺除去手術を受けることを前提とする要件を課すものであるのであり、性同一性障害者が自己の意思に反して生殖腺除去手術を受けることを強制されない自由を制約するものにほかならない。しかしながら、本件規定は、性同一性障害者の立場としては生殖腺除去手術を受けない性同一性障害者に対しても、性別変更審判を受けるためには、原則として同手術を受けることを求めるものであるということができる。他方で、性同一性障害者の性別の取扱いに係る法上の取扱いの変更を受けることは、法的、社会的な諸側面において個人の基本的な人格的生存と結び付いた重要な法的利益というべきである。…。そうすると、本件規定は、治療として生殖腺除去手術を要しない性同一性障害者に対して、性別の取扱いの変更という法的利益を享受するために、同手術を受けることを余儀なくさせるという点において、身体への侵襲を受けない自由を制約するものということができる。このような制約は、性同一性障害者が一般に治療として生殖腺除去手術を受ける必要が医学的に検討するものではないことを考慮しても、身体への侵襲を受けない自由の重要性に照らし、必要かつ合理的なものということができない限り、許されないものと解される。そして、本件規定の目的の合理性を肯定し、目的と手段との間に実質的な関連性があるか否かについては、本件規定が目的の達成のために必要とされる程度と、制約される自由の内容及び性質、具体的な制約の態様及び程度を衡量して判断されるべきものと解するのが相当である。そこで、本件規定の目的についてみると、本件規定は、性別変更審判を受けた者について変更前の性別の生殖機能により子をもうけることがあれば、親子関係等に関する問題が生じ、社会に混乱を生じさせかねないこと、並びにこれと生物学的な性別に基づく男女の性別区別されてきた中で急激な変化ではなく漸進的な変化に繋がる措置をとるべきとの配慮から、性別変更審判を受けた者の身体的な性別違和感を緩和するための措置であるとされる。しかしながら、急激な変化を避けるという社会的な配慮から、性別変更審判を受ける者に生物学的に生殖機能がないことを当然の前提とすると解される。性別変更審判を求める者の中には、自己の身体的性別に違和感を抱きつつも生殖腺除去手術を受ける意思までは有しない者も少なくないと思われるところ、本件規定により子をもうけることを当然の前提とするものであり、生殖腺除去手術を受けた結果として生殖機能が失われたとしても、生殖腺除去手術を受けずに性別変更審判を受けた者との間に問題が生ずることは、極めてまれなことであると考えられる…。性別変更審判を受けた者が変更前の性別の生殖機能により子をもうけるとは、「女である父」や「男である母」が生ずるという事態が生じ得ることを指し、そもそも平成20年改正により、成年の子がいても性同一性障害者が性別変更審判を受けることになった。「男である母」が存在するという事態が生じ得るところ、そもそも平成20年改正により、成年の子がいる性同一性障害者が性別変更審判を受けることも可能になったのである。「女である父」の存在が肯定されることになったため、現在の法制において、このことにより親子関係等に関わる混乱が社会に生じるかどうかは明らかでない。これに加えて、特例法の施行から約19年が経過し、これまでに1万人を超える者が性別変更審判を受けている中で、性同一性障害者をめぐる社会の理解と関心も広まりつつあり、その社会生活上の問題点を解決するための環境整備に向けた取組等社会の様々な領域における対応も行われていることを考えると、上記の事態が生じ得ることが社会全体にとって速やかで急激な変化に当たるとまではいい難い。以上検討したところによれば、特例法の制定当時に想定されていた本件規定による制約の必要性は、その前提となる諸事情の変化により低減しているというべきである。次に、特例法の制定以降の医学的知見の進展も踏まえつつ、本件規定による具体的な制約の態様及びその程度等をみると、医学的に、性同一性障害者の治療として生殖腺除去手術が必須とは考えられておらず、性同一性障害者に対する治療は、個別の性同一性障害者が生物学的な性別のままであることにより社会生活上の問題を抱えている者について、性別変更審判をすることをにより治療の効果を高め、社会的な不利益を解消することにあると解されるところ…。特例法の制定後、性同一性障害者に対する医学的知見が進展し、性同一性障害者を示す者の示す状況に応じて行われる治療の在り方の多様性に関する議論が一般化して段階的治療という考え方が採られるようになり、性同一性障害者に該当するとしても治療をどのような段階で受ける必要かは当事者によって異なるものとされたことにより、必要と治療を受けるか否かは医学的知見に関連性をもって決定されるものではなくなっているといわざるを得ない。そして、本件規定による身体への侵襲を受けない自由に対する制約は、上記のような医学的知見の進展に伴い、現時点においては性同一性障害者に対し身体への侵襲を受けない自由を保障して簡易な身体的治療であるホルモン療法と心理療法等により性同一性を自覚した性別に近づいた法上の取扱いの変更を受けるという選択肢を奪うものと解せざるを得ず、また、本件規定の目的を達成するためには、そのような医学的治療によって性別変更審判を受けた者の身体の性別違和感を緩和するための措置であると解するのが相当であるとして、違憲無効とした上で国が損していることを考慮すると、違法という結論にたどり着いているというべきである。そうすると、本件規定は、上記のような考察に鑑みるとどういう経緯により過剰な制約を課すものに当たる。本件規定による制約の程度は重大なものというべきである。以上をふまえると、本件規定による身体への侵襲を受けない自由の制約については、現時点において、その必要性が低減しており、その程度が重大なものとなっていることなど総合的に勘案して、その制約が必要かつ合理的なものというべきではない。に配慮すれば、必要かつ合理的なものということはできない。よって、本件規定は憲法13条に違反するものであり、もはや憲法13条に適合するものではないというべきである。解説本件は、性別変更審判を受けるために原則として生殖腺除去手術を受けることを求める性同一性障害者特例法3条1項4号(本件規定)の合憲性が争われた事案です。本決定は、身体への侵襲を受けない自由が、人格的生存に関わる重要な権利として憲法13条によって保障されていることを明らかにするとともに、生殖腺除去手術の強制が身体への侵襲を受けない自由に対する重大な制約に当たることを認めました。そして、本決定は、性別の取扱いの変更を受けるという重要な法的利益を享受する権利を行使することを断念するかという過酷な二者択一を迫る深刻な制約を課すものであるとし、本家規定を憲法13条、14条1項に違反しないとしていた従来の判例(最決平31.1.23)を変更して、憲法13条に違反するとしました。なお、Xは、「その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること」と規定する特例法3条1項5号についても、憲法13条、14条1項に違反すると主張しましたが、この点については、審理を尽くすため本件を原審に差し戻しました。

「『国家試験受験のためのよくわかる判例〔第2版〕』 西村和彦著・2024年9月6日」 ISBN 978-4-426-13029-9

私人間における人権保障

公開:2025/10/21

ガイダンス人権は、歴史的にみると、国家権力から国民の権利・自由を保護するために保障されてきたものです。しかし、現代では、企業や労働組合等の私的団体、新聞やテレビ等マスメディアの社会的権力によって人権が侵害されることも多くなってきました。そこで、社会的権力から人権を擁護するため、私人間に憲法の人権規定を適用すべきではないかが問題となってきたのです。これを人権の私人間効力の問題といいます。三菱樹脂事件(最大判昭48.12.12)■事件の概要Xは、大学を卒業し、Y(三菱樹脂株式会社)に管理職員として採用された(3か月の試用期間付き)。しかし、入社試験の際に「学生運動をしたことはない」と虚偽の回答をしたこと等が試用期間中に判明したため、本採用を拒否された。そこで、Xは、Yに対し労働契約関係存在確認の訴えを提起した。判例ナビ第1審は、Yの本採用拒否は解雇権の濫用に当たるとの理由で、控訴審は、採用試験において企業が応募者の政治的思想・信条に関する申告を求めることは、公序良俗(民法90条)に反し許されないとの理由でX Y間に労働契約関係が存在することを認めました。そこで、Yが上告しました。上告審では、企業と労働者という私人間の法律関係に憲法の人権規定が適用されるか問題となりました。■裁判所の判断1 原判決は、Yが、その社員採用試験にあたり、入社希望者からその政治的思想、信条に関わる事項について申告を求めたのは、憲法が国民の基本的人権を保障し、また、信条による差別的取扱いを禁止する憲法14条、労働基準法3条の規定にも違反し、公序良俗(民法90条)に反するとして、私人間相互の関係を直接規律するものではない。2 しかしながら、憲法の各規定は、同法第3章のその他の自由権的基本権の保障規定と同じく、国または公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障する目的に出たもので、もっぱら国または公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互の関係を直接規律することを予定するものではない。…私人間の関係においては、各人が有する自由と平等の権利自体が具体的に相互に矛盾、対立する可能性があるばかりか、このような場合におけるそれらの間の調整は、近世自由社会においては、原則として私的自治に委ねられ、ただ、一方の他方に対する侵害の態様、程度が社会的に許容しうる一定の限界を超える場合にのみ、国がこれに介入しその間の調整をはかるという建前がとられているのであって、この点において国または公共団体と個人との関係の場合とはおのずから別個の観点からの考慮をも必要とし、後者についての憲法上の基本権保障規定をそのまま私人相互の関係にたいしても適用ないしは類推適用すべきものとすることは、決して妥当な結論を導くこととなるとはできないのである。3 もっとも、私人間の関係においても、相互の社会的力関係の相違から、一方の他方に事実上、事実上後者の前者の意思に服従せざるをえない場合があり、このような場合に私的自治の名の下に優位者の支配力を無制限に認めるときは、下位者の自由及び平等を著しく侵害された結果となることがあることはおろしもないが、そのためにこのような場合に限り憲法の基本権保障規定の適用ないしは類推適用を認めるべきであるとする見解もまた、採用することはできない。何となれば、右のような事実上の支配関係なるものは、その支配力の態様、程度、規模等においてさまざまであり、どのような場合にこれを国または公共団体の支配力と同視すべきかの判定が困難であるばかりでなく、一方の他方の法規性のない圧力ではなしに行われるものであるのに対し、他方にはこういう裏付けないしは基盤を欠く単なる社会的事実としての力の優劣の関係にすぎず、その間に置かれる性質上の区別が存在するからである。すなわち、私的支配関係においては、個人の基本的人権や自由や平等に対する具体的な侵害またはそのおそれがあり、その態様、程度が社会的に許容しうる限度を超えるときは、これに対する立法措置によってその是正を図ることが可能であるし、また、場合によっては、私的自治に対する一般的制限規定である民法1条、90条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によって、一面で私的自治の原則を尊重しながら、他面で社会的許容性の限界を超える侵害に対し基本的な自由や平等の利益を保護し、その間の適切な調整を図る方途も存するのである。そしてこの場合、個人の基本的人権や自由や平等を最も重要な法益として尊重すべきことは当然であるが、これと絶対視することも許されず、結局両者の間の均衡と調和を基準としてこれを判断するべきことではないことは、論をまたないのである。4 ところで、憲法は、思想、信条の自由や法の下の平等を保障すると同時に、他方、22条、29条等において、財産権の行使、営業その他広く経済活動の自由をも基本的人権として保障している。それゆえ、企業者は、かかる経済活動の一環としてする契約締結の自由を有し、自己の営業のために労働者を雇傭するにあたり、いかなる者を雇い入れるか、いかなる条件でこれを雇うかについて、法律その他による特別の制限がないかぎり、原則として自由にこれを決定することができるのであって、企業者が特定の思想、信条を有する者をそのゆえをもって雇い入れることを拒んでも、それを当然に違法とすることはできないのである。…労働基準法3条が労働者の信条によって賃金その他の労働条件につき差別することを禁じているのは、雇入れ後の労働条件についての制限であって、雇入れそのものを制約する規定ではない。また、企業者が労働者の思想、信条を調査し、そのためその者からこれに関連する事項について申告を求めることも、これを法律上禁止された違法な行為とすべき理由はない。右のような企業の雇用の自由を肯認する以上、企業者が、労働者の採否決定にあたり、労働者の思想、信条を調査し、そのためその者からこれに関連する事項について申告を求めることも、これを法律上禁止された違法な行為とすべき理由はない。解説私人間効力の間接適用説について、憲法の人権規定は私人間の法律関係に適用されないとする無適用説、適用されるとする直接適用説もありますが、本判決は、民法の一般的規定(1条、90条、709条等)に人権規定の趣旨を取り込むことによって人権規定の効力を間接的に及ぼそうとする間接適用説を採用したものと理解されています。過去問1 企業が、労働者の採否を決定するに当たり、労働者の思想、信条を調査し、労働者からこれに関連する事項について申告を求めることは、労働者の思想、信条の自由を侵害する行為として直ちに違法となる。 (司法書士2021年)1 × 判例は、企業者が雇用の自由を有し、思想、信条を理由として雇入れを拒んでもこれを違法とすることができない以上、企業者が、労働者の採否決定にあたり、労働者の思想、信条を調査し、その者からこれに関連する事項について申告を求めることも、法律上禁止された違法行為とすべき理由はないとしています(最大判昭 48.12.12)。昭和女子大事件(最判昭49.7.19)■事件の概要Y(昭和女子大学)に在籍するXは、学内で、Yに届出をしないで政治的暴力行為防止……の反対の署名を集めたりしたこと等を理由に、YはXの退学処分とした。これに反発したXが退学処分等の無効の確認を求めて訴えを提起した。*学校側に政治的活動を事前に届け出て、許可を得ることが学則に規定されていた。**学則を大学当局に届け出ないで学外で行われた場合、普通は退学処分にはならない。判例ナビYは、Xに対し、学生たる地位の確認を求める訴えを提起していた。第1審は、Xの請求を認めましたが、控訴審は第1審を取り消したため、Xが上告しました。■裁判所の判断1 憲法19条、23条等のいわゆる自由権的基本権の保障規定は、国又は公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障することを目的とした規定であって、私人相互の関係を直接規律することを予定したものではないことは、裁判所大法廷判決の示すところである。その趣旨に徴すれば、私立学校である上告大学の学則の罰則としての性質をもつ前記各規定の要件の解釈について直接憲法の右各規定に違反するかどうかを論ずる余地はないものというべきである。ところで、大学は、国公立であると私立であるとを問わず、学術の自由と教育の自由を享有するとともに、公教育法に依拠し、学生の教育権を保障する目的で設置された教育施設であり、その自主的判断において、教育方針や学則を策定し、これを実施する権能を有し、教育の自由は、教育内容の自由が保障されるものであり、教育方針を策定してこれを実施することが承認されている。したがって、当該大学において教育を受けることを希望して入学するものと考えられるので、その教育方針ないし校風が気に入らないとしてこれを変更するよう要求する権利を当然に有するものではない。しかし、学校教育においては、学生の基本的な人権の尊重が要請されるものであり、教育内容の自由を保障する目的で設置された教育施設において、社会通念に照らして合理性を欠く校則が、学生の基本的な人権を不当に侵害するものであるときは、法の規制が及ぶことを免れない。大学が校則を制定し、これを学生に適用するにあたっては、その自主的、裁量的な判断が広く認められるべきものであり、裁判所としては、それが社会通念に照らして著しく妥当を欠き、裁量権の濫用と認められる場合に限り、違法であると判断すべきである。私人間における人権保障を特に重視しあるいは比較的保守的な校風を有する大学が、その教育方針に照らし学生の政治的活動を避けるよう指導し、あるいはその教育方針に照らし学生の政治的活動を避けるよう指導し、あるいはその教育方針に照らし学生の政治的活動を避けるよう指導し、学生の退学処分を行うことはもちろん許されないが、それが社会通念上合理的な範囲にとどまるかぎり、これを不当に規制するものであるとはいえない。2 退学処分を行うにあたっては、その要件の認定につき処分の処分の選択に比較して特に慎重な配慮を要することはもちろんであるが、退学処分を選択するにあたって前記のような諸般の事情を総合して決定される教育的判断にほかならないことを考えれば、具体的事情について当該学生に改善の見込があるか、これを学内に止めて教育を行うことが教育上許されないかどうかを判断するにあたっては、あらかじめ本人に反省を促すための指導を行うことが教育上必要であるか否か、また、その補導のどのような方法と程度において行うべきか等については、それぞれの学校の方針に基づく学校の側の具体的判断・専門的・法律的判断に委ねるほかはない。したがって、当該学校の右のような右判断の過程に過誤がある場合を除いては、常に退学処分を無効にすべきものとする見解はとれない。したがって、本件退学処分に係る事実認定の過程に誤りはないとして、指導の面において欠けるところがあったとしても、それが退学処分を無効とするほどの事情ではない。解説本件では、私立大学による学生の政治活動の自由の制限の可否が問題となりました。本判決は、三菱樹脂事件(最大判昭48.12.12)が判示した私人間効力の間接適用説を適用することを否定した上で、大学の学生に対する包括的権能を根拠に学生の政治活動の自由を制限できるとしました。また、退学処分については、社会通念上合理性を認めるとともに、これができないのであれば、大学の裁量権の範囲内にあるとした上で、Xに対する退学処分は、裁量権の範囲内にあり有効であるとしました。◆この分野の重要判例日産自動車事件(最判昭56.3.24)X会社(日産自動車株式会社)の就業規則は男子の定年年齢を60歳、女子の定年年齢を55歳と規定していた。X会社の就業規則は男子の定年年齢が60歳に引き上げられた。従来、X会社の就業規則には、女子の定年年齢を55歳と規定していた。X会社においては、女子労働者の担当する職務に相応に軽易であるか、従来より女子労働者の能力の限界といったことが前提にあったが、男女間の個人的能力等の価値を離れて、その全体をX会社に対する貢献度の上昇がない従業員と断定する資料はない。しかも、女子従業員について労働の量的負担が向上しないものとして賃金を引き上げないという不均衡が生じた。このような状況の下で、少なくとも60歳定年制を維持することなく、少なくとも60歳定年制は、男子従業員にとっても企業経営上要求される職務遂行能力に欠けるものではなく、男女ともに通常の職務であれば企業経営上の観点からは区別はない。X会社の就業規則中女子の定年年齢を男子より低く定めた部分は、専ら女子であることのみを理由として差別したことに帰着するものであり、性別のみによる不合理な差別を定めたものとして民法90条の規定により無効であると解するのが相当である(憲法14条1項、民法1条の2〔現2条〕参照)。過去問1 私立学校は、建学の精神に基づく独自の教育方針を立て、学則を制定することができるが、学生の政治活動を理由に退学処分を行うことは憲法19条に反し許されない。(行政書士2013年)2 会社の就業規則中、女子の定年年齢を男子より低く定めた部分は、もっぱら女子であることのみを理由として差別したことに帰着するものであり、性別のみによる不合理な差別を定めたものとして、憲法14条1項の規定に違反し無効であるとするのが判例である。(公務員2022年)1 × 判例は、学生の勉学専念を特に重視しあるいは比較的保守的な校風を有する私立大学が、その教育方針に照らし学内外における学生の政治的活動につきさしたる広範な裁量権を及ぼすこととしても、これをもって直ちに社会通念上学生の自由に対する不合理な制限であるということはできないとした上で、政治活動を理由に退学処分を行っても、それが社会通念上合理性を認めることができるようなものでないかぎり、懲戒権者の裁量権の範囲内にあるものとしています(最判昭49.7.19)。2 × 判例は、女子の定年年齢を男子より低く定めた部分は、もっぱら女子であることのみを理由として差別したことに帰着するものであり、性別のみによる不合理な差別を定めたものとして「民法90条」により無効であるとしており、憲法14条1項に違反し無効であるとしていません(最判昭56.3.24)。

「『国家試験受験のためのよくわかる判例〔第2版〕』 西村和彦著・2024年9月6日」 ISBN 978-4-426-13029-9

特別な法律関係

公開:2025/10/21

ガイダンス公務員や被収容者(逮捕されて拘置所に拘留されている者、懲役刑の執行として拘置されている者等)等特別の公法上の原因によって成立する法律関係(特別な法律関係)に入った者は、一般国民と異なる人権制限を課せられることがあります。そのため、特別な法律関係においては、どのような理由で、どのような人権を、どの程度制限することができるのかを明らかにする必要があります。猿払事件(最大判昭49.11.6)■事件の概要北海道猿払村の郵便局に勤務する公務員Xは、衆議院議員選挙に際し、勤務時間外にある政党の候補者の選挙用ポスターを公営掲示場に掲示したところ、国家公務員法102条1項および人事院規則14-7の禁止する「政治的行為」に当たるとして起訴された。判例ナビ国家公務員法102条1項は、「職員は、政党又は政治的目的のために、寄附金その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らの方法を以てするを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除く外、人事院規則で定める政治的行為をしてはならない」と規定して、国家公務員の政治的行為を禁止しております。この規定をうけて、人事院規則14-7が禁止される政治的行為の具体的内容を定めています。Xは、これらの規定が憲法21条、31条に違反すると主張しました。第1審、控訴審ともに、Xを無罪としたため、検察官が上告しました。■裁判所の判断1 本件政治的行為の禁止の合憲性(1)憲法21条の保障する表現の自由は、民主主義国家の政治的基盤をなし、国民の基本的人権のうちでもとりわけ重要なものであり、法律によってもみだりに制限することができないものである。そして、およそ政治的行為は、行動としての面をもつほかに、政治的意見の表明としての面をも有するものであるから、その限りにおいて、憲法21条による保障をうけるものであることも、明らかである。…「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」と定めている憲法15条2項の趣旨からも、また、公務員が国民全体に奉仕すべき地位にあることにかんがみると、公務員に対しては、その職務の遂行における政治的中立性を確保することが強く要請されるのであり、それとともに、その職務外の行動についても、その地位の特殊性から、国民全体の共同利益を擁護すべき立場にある者として、特定の政治勢力に加担し、あるいはその影響力を行使しているとみられるような行動を差し控えるべきことが要請されるのである。(2) 国家公務員法102条1項及び人事院規則14-7による政治的行為の禁止が合理的で必要やむをえない限度にとどまるものか否かを判断するにあたつては、禁止の目的、この目的と禁止される政治的行為との関連性、政治的行為を禁止することにより得られる利益と失われる利益との均衡の3点から検討することが必要である。そこで、まず、禁止の目的がどこにあるかを考えると、それは、公務員の職務の遂行の政治的中立性を保持し、これに対する国民の信頼を確保することにあるものと解される。…行政の中立的運営が確保され、これに対する国民の信頼が維持されることは、国民全体の共同の利益である。…本件の禁止の目的は正当なものというべきである。次に、禁止の目的と禁止される行為との関連性について考えると、禁止の目的のためには、公務員の職務執行の過程における政治的中立性を害するおそれのある行為を禁止するだけでは十分ではなく、広く国民の側から見て公務員の全体の奉仕者としての地位を損なうと認められるような行為、すなわち、公務員がその地位を利用して特定の政党その他の政治的団体のために奉仕していると疑われるような行為をも禁止する必要があるのであつて、本件の禁止の対象には、公務員の職務の執行とは直接関係のない行為であつても、国民の信頼を損なうおそれのあるものが含まれているとみられる。理論的な関連性が失われるものではない。次に、利益の均衡の点について考えてみると、…公務員の政治的中立性を損うおそれのある行為類型を法規上明確に定立することの困難さにかんがみれば、その制約を必要とする限度を画するのは容易なことではない。…禁止の目的との関連性における上記の判断からすれば、本件の禁止は、公務員の政治的中立性を確保し、行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を維持するうえで必要やむをえない制約というべきである。(3) 国家公務員法102条1項及びこれに基づく人事院規則14-7の規定は、憲法21条1項に違反するものではない。2 本件政治的行為の合憲性国家公務員法102条1項による公務員の政治的行為の禁止がもつぱら公務員の職務の遂行の政治的中立性を確保することにその目的があることにかんがみると…その重要性は公務員の職務の種類や権限、勤務の内外、国の施設の利用の有無等によつて異なるものであり、これに応じて、禁止される行為の範囲もおのずから限定されなければならない。…本件の禁止の合憲性は、本件被告人のごとき地位にある公務員に対しても維持されるというべきであり、国家公務員法102条1項及びこれに基づく人事院規則14-7の規定は、本件被告人の行為に適用される限度において、憲法21条1項、31条に違反するものではない。解説本判決は、まず、憲法21条によって保障されることを確認した上で、行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼の確保を目的とするためのやむをえない制約かを限定的に検討しました。そして、①禁止の目的、②禁止される政治的行為と目的との合理的関連性、③得られる利益と失われる利益との均衡の3点から判断する、この基準に照らすと国家公務員法102条及び人事院規則14-7は憲法21条に違反しないと結論づけました。過去問1 公務員の政治的中立性を損なうおそれのある公務員の政治的行為を禁止することは、公務員が国民に対して政治的意見の表明を表明することがなるが、それが合理的で、必要やむを得ない限度にとどまるものである限り、憲法の許すところである。 (司法書士2013年)1 ○ 判例は、政治的行為は、行動としての面をもつほかに、政治的意見の表明としての面も有するもので、「公務員の政治的中立性を害するおそれのある公務員の政治的行為を禁止することは、それが合理的で必要やむをえない限度にとどまるものである限り、憲法の許すところである」としています(最大判昭49.11.6)。堀越事件(最判平24.12.7)■事件の概要国家公務員法(本法)は、国家公務員の政治的行為を制限し(102条1項)、その違反に対して罰則を規定している(110条1項19号)。また、制限される政治的行為の内容は、102条1項により人事院規則14-7(本規則)に委任されている。社会保険事務所の厚生年金課に勤務していたXは、衆議院議員総選挙に際し、ある政党を支持する目的で、勤務時間外である休日に、同党の機関紙を配布したところ、本法110条1項19号、102条1項、本規則6条7項、13号、5条3号(以下「本件罰則規定」)に当たるとして起訴された。判例ナビXの担当業務は、まったく裁量の余地のないものであり、年金支給の可否を決定したり、支給される年金額等を変更したりする権限はなく、保険料の徴収手続に関する事務に関与することもなく、社会保険の相談に関する業務を専管していた係長の指導の下で、専門職員として、相談業務を担当していただけで、人事や監督に関する権限も与えられていませんでした。第1審はXを有罪としましたが、控訴審は、Xの配布行為に本件罰-則規定を適用することはできないとして無罪としました。そこで、検察官が上告しました。■裁判所の判断1 本法102条1項は、公務員の職務の遂行の政治的中立性を保持することによって行政の中立的運営を確保し、これに対する国民の信頼を維持することをその主たる目的としている。一方、国民は、表現の自由(21条1項)としての政治活動の自由を保障されており、この精神的自由は立憲民主政の政治過程にとって不可欠の基本的人権であって、民主主義社会を基礎付ける重要な権利であることにも鑑みると、上記目的の基づく法令による公務員に対する政治的行為の禁止は、国民としての政治活動の自由に対する必要やむを得ない限度にその範囲が限定されるべきものである。このような本法102条1項の宣言、目的の規定に鑑みると、同項にいう「政治的行為」は、公務員の職務の遂行の政治的中立性を害するおそれが、観念的なものにとどまらず、現実的に起こり得るものとして実質的に認められるものを指し、同項はそのような行為の類型をなして定め人事院規則に委任したものと解するのが相当である。そして、その委任に基づいて定められた本規則もこのような委任の趣旨において、公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められる行為の類型をなして定めたものと解すべきである。上記のような本法の委任の趣旨及び本規則に鑑みると、本件罰則規定にもある本規則6条7項、13号(5条3号)については、それが定める行為類型に文書上該当する行為であって、公務員の職務の遂行の政治的中-立性を損なうおそれが実質的に認められるものをその処罰の対象となる政治的行為と限定したものと解するのが相当である。そして、上記のような処罰の目的やその対象となる政治的行為の内容に鑑みると、公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるかどうかは、当該公務員の地位、その職務の内容や権限等、当該公務員がした行為の性質、態様、目的、内容等の諸般の事情を総合して判断するのが相当である。具体的には、当該公務員の職位(管理職の地位の有無等)等を通じての公務員の職務上の裁量権の有無、当該公務員の職務内容の専門性・技術性、公務員の職務と直接利害関係を有する者と直接折衝する立場にあるか、あるいは、当該公務員の属する組織の目的や活動が国民の生活と密接に関わるものであるか、公務員の行為の行われる場所が公務の施設か否か、公務員の行為の態様、公務員の行為と直接利害関係を有する者の有無、公務員の行為による影響力等の考慮が考えられる。2 そこで、本件罰則規定の処罰の対象を限定する。この点については、…人事院規則で定める政治的行為の類型をなす行為とされる程度と、処罰される程度との間に性質、具体的に処罰される程度等の違いがあることから、本件罰則規定の前記の目的、前科の有無、前科及びその程度、公務員の職務の遂行の政治的中立性を確保し、これに対する国民の信頼を維持するとの規定の趣旨を鑑み、これに対する国民の信頼の確保の趣旨に照らすと国民全体の利益の保護のため、国家全体の利益の保護のためであって、それに認められる政治的行為を禁止することは、国民全体の利益の保護のためであって、それに認められる。規制の目的は合理的で正当なものであるといえる。他方、本件罰則規定により禁止されるのは、民主主義社会において重要な意義を有する表現の自由としての政治活動の自由ではあるものの、「禁止される行為は、公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるものに限られ、このようなおそれが認められない政治的行為まで本則規定により、処罰の対象行為から除外されるものではないから、その制限は必要やむを得ない限度にとどまるものであり、違反の程度も広範なものと解される。なお、この判断は、本件の科料を科すことをもってしても、刑事罰が科されることを考慮しても、事態が急迫不正の侵害である場合にのみ認められるべきものであり、国民全体の利益を損なう影響の重大性があり、あり得べき対応である。罰則を含む制裁をもってしても必要かつ合理的な範囲内にとどまるものである。3 次に、本件罰則規定が本件行為に該当するかを検討するに、本件行為は、本規則6条7号(13号)が禁止する行為類型に該当する行為であることは明らかであるが、公務員の職務の遂行の政治的中立性を害するおそれが実質的に認められるかどうかについて、前記事情を総合して判断すると、…本件行為は、管理職的地位になく、その職務の内容や権限に裁量の余地のない会計課の職員において、公務員による行為と認識される態様で、勤務時間外に、公務員による行為と認識される態様で、公務員による行為と認識される態様で行われたものでもないから、公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれがあるとはいえない。そうすると、本件行為は本則規定の構成要件に該当しない。解説本判決は、国家公務員法102条1項、19号、人事院規則14-7第6項7号、13号(5条3号)によって制限される国家公務員の「政治的行為」の意味とその判断基準を明らかにするとともに、これらの罰則規定が憲法21条に違反しないとしました。その上で、Xの行為は罰則規定の構成要件に該当せず、Xを無罪とした原判決を支持しました。なお、最高裁は、本判決と同日に、同様の事件について、判決を出しています(世田谷【宇治橋】郵便局事件)。この事件は、厚生労働省の課長補佐である被告人が、ある政党を支持する目的で、勤務時間外である休日に、同僚の警察官である被告人の自宅に投票依頼に赴き、投票依頼をしたことが、国家公務員法102条1項、19号、人事院規則14-7第6項7号に当たるとしたものです。被告人は、控訴審で有罪とされ、最高裁もこの結論を支持しました。よど号ハイジャック記事抹消事件(最大判昭58.6.22)■事件の概要国際民間航空に関する条約(公衆衛生条約等)・違反・起訴され、東京拘置所に拘留されていたXは、私費で新聞を定期購読していたが、拘置所長Yが、法律(現「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」)の規定に基づいて、Xがハイジャック事件収容所に関係する記事一切を黒く塗りつぶして配布したため(本件抹消処分)、*1970(昭和45)年3月31日に発生した、赤軍派の学生9名がよど号をハイジャックした事件。判例ナビXは、本件抹消処分によって知る権利が侵害されたとして、国に対し、国家賠償請求訴訟を提起した。第1審は、控訴審ともにXの請求を退けたため、Xが上告しました。■裁判所の判断本件において問題とされているのは、東京拘置所長のした本件新聞記事抹消処分による新聞記事の閲覧の自由が憲法に違反するかどうか、ということであって、この検討に当たっては、およそ人が、自由にさまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取する機会をもつこと、さらには、個人として自己の思想及び人格を形成・発展させ、民主主義社会における思想及び情報の自由な伝達、交流の確保という基本的原理を真に実効あるものたらしめるため、新聞、図書等の閲読の自由が精神的自由の重要な側面として尊重されるべきことはいうまでもなく、閲読の自由の保障は、憲法21条の規定の趣旨、目的から、いわゆる派生的な権利として導かれるものであり、また、すべて国民に個人として尊重される旨を定めた憲法13条の規定の趣旨に沿うゆえんでもあると考えられる。しかしながら、このような閲読の自由の保障は、公共の福祉による制限に服する場合があり、施設内の規律及び秩序の維持のために必要とされる措置がとられなければならない。しかも、未決勾留は、刑事訴訟法上、逃亡又は罪証の隠滅の防止という目的のために必要やむをえない措置として許容されているのであり、右目的を達するためには、監房の規律及び秩序の維持のために必要とされる措置がとられなければならない。したがって、未決勾留により身体の自由を拘束されている者の新聞、図書等の閲読の自由は、右のような未決勾留の目的を達するために必要やむをえない限度で制限を受けることがある。ところで、監獄法21条2項は、在監者は、官給する文書、図画の閲覧を許可されることを定めるとともに、これらの文書、図画の閲覧については、その具体的内容を命令に委任する旨を定めている。これに基づき監獄法施行規則第1条1項は、その閲覧を許可しない場合の具体的基準、方法を定めている。これらの規定が憲法に違反するか否かが問題となるが、右の規定を上告人が主張するような…特別な法律関係閲読の制限を許す旨を定めたものと解するのが相当であり、かつ、そう解するとすると、法令等は、憲法に違反するものではないとしてその効力を是認することができるといえる。2 当該新聞紙、図書等の閲読を許すことによって監獄内における規律及び秩序の維持に放置することができない程度の障害が生ずる相当の蓋然性があるかどうか、及びこれを防止するためにどのような内容、程度の閲読制限が必要かつ合理的といえるか否かの点について、閲読の自由が制限されることになるが、そのために、監獄内の規律及び秩序の維持に必要かつ合理的な範囲で制限されることがあり、右の防止のために当該制限措置が必要であるとした判断が合理的なものとして是認できるか否かの点については、閲読制限の必要性が著しく減少していることも考慮すべきである。これを本件についてみると、前記事実関係によれば本件新聞記事は、共犯者等の罪証の隠滅行為の誘発につながるおそれのあるものであり、本件抹消処分に係る拘置所長の判断は、右判断が相当であることの裏付けとなる。したがって、未決勾-留による身体の自由を拘束されている者の新聞、図書等の閲読の自由は、右のような未決勾留の目的を達するために必要やむをえない限度で制限を受けることがある。解説現在、監獄法に代わる法律として「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」が制定されています。この法律は、被収容者が購入した書籍等の閲覧を原則として禁止・制限してはならないとしています。したがって、購入できる書籍の種類や取得方法について、刑事施設の管理運営上必要な制限を加えることができる(71条)としており、現行法の下でも、新聞記事の抹消は可能であると考えられています。過去問1 刑事施設の被収容者に対する新聞閲読の不許可の措置は、被収容者の知る権利を制限するものではなく、施設の規律、秩序の維持のため、施設の長の裁量により行われるにすぎない。そこで、この制約は、施設管理上必要な措置に係るものであり、間接的、付随的なものにすぎない。(行政書士2023年)2 被抑留者の新聞紙等の閲読の自由については、逃亡および罪証隠滅の防止という勾留の目的のほか、監獄内における規律および秩序の維持のために一定の制限を受けることはやむを得ず、その制限が許されるためには、被拘禁者の性向、監獄内の保安の状況、新聞等の内容等の具体的事情の下において、その閲読を許すことにより監獄内の規律および秩序が害される一般的、抽象的なおそれがあれば足りるとするのが判例である。(公務員2022年)1 × 判例は、刑事施設の被収容者に対する新聞閲読の自由の制限を施設管理上必要な処置に伴う間接的、付随的な制約であるとはしていません(最大判昭58.6.22)。2 × 判例は、被拘禁者の新聞紙等の閲読の自由の制限が許されるためには、当該閲読を許すことにより右の規律及び秩序が害される一般的、抽象的なおそれがあるというだけでは足りず、被拘禁者の性向、行状、監獄内の管理、保安の状況、当該新聞紙、図書等の内容その他その具体的事情のもとにおいて、その閲読を許すことにより監獄内の規律および秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性があると認められることが必要であるとしています(最大判昭58.6.22)。

「『国家試験受験のためのよくわかる判例〔第2版〕』 西村和彦著・2024年9月6日」 ISBN 978-4-426-13029-9

人権の享有主体

公開:2025/10/21

ガイダンス人権という無形の権利を、生まれながらにして有していることを享有といいます。日本国憲法が規定する人権を日本国民が享有することは明らかですが、外国人が人権を享有できるかどうかは明らかではありません。そこで、外国人や法人が人権の享有主体であるかどうか問題となります。また、日本国民であっても、一般国民と異なる人権の享有を認めるか、身分、心身、ともに発達途上にある未成年者については、保障される人権の範囲や保障の程度が一般国民と異なるかどうか問題となります。マクリーン事件(最大判昭53.10.4)■事件の概要アメリカ国籍のマクリーンは、1年の在留許可を得て来日し、語学学校の英語教師として勤務していたが、在留期間が近づいてきたので、法務大臣に対し、1年間の在留期間更新の申請をした。しかし、法務大臣は、マクリーンが在留中に日米安全保障条約に反対するデモに複数回参加していたことを理由に更新を不許可とした。そこで、マクリーンは、不許可処分の取消しを求めて訴えを提起した。判例ナビ第1審は不許可処分の取消しを認めましたが、控訴審は認めなかったため、マクリーンが上告しました。本件では、外国人が外国人に対し日本国民に在留する権利を保障しているかどうかが問題となりました。また、法務大臣が在留期間の更新を認めなかった理由が、マクリーンが政治活動の自由を保障した憲法21条1項が保障する政治活動の自由が外国人にも保障されるかどうかも問題となりました。■裁判所の判断憲法22条1項は、日本国内における居住・移転の自由を保障する旨を規定するにとどまり、外国人がわが国に入国することについてなんら規定していないものであり、このことは、国際慣習法上、国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく、特別の条約がない限り、外国人を自国内に受け入れるかどうか、また、これを受け入れる場合にいかなる条件を付するかを、当該国家が自由に決定することができるものとされていること、その考えと同じくするもので、わが国に在留する外国人は、憲法上わが国に在留する権利ないし引き続き在留することを要求しうる権利を保障されているものではないと解すべきである。思うに、憲法第3章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解すべきであり、政治活動の自由についても、わが国の政治的意思決定又はその実施に影響を及ぼす活動等外国人の地位にかんがみこれを認めることが相当でないと解されるものを除き、その保障が及ぶものと解するのが、相当である。しかしながら、…わが国に在留する外国人は、憲法上わが国に在留する権利ないし引き続き在留することを要求することができる権利を保障されているものではなく、ただ、出入国管理令上法務大臣がその裁量により更新を適当と認めるに足りる相当の理由があると判断する場合に限り在留期間の更新を受けることができる地位を与えられているにすぎないものであり、したがって、外国人に対する憲法の基本的人権の保障は、右のような外国人在留制度のわくの中で与えられているにすぎないものであり、在留の許否を決定する国の裁量を拘束するまでの保障、すなわち、在留期間中の憲法上の基本的人権の保障を受ける行為を在留期間の更新の際に消極的な事情としてしんしゃくされないことまでの保障が与えられているものと解することはできない。在留中の外国人の行為が合憲合法な場合でも、法務大臣がその行為を当該外国人の在留中の行為として当を得ないものと評価し、また、右行為から将来当該外国人が日本の利益を害する行為を行うおそれがあると推認することは、右行為から将来当該外国人が日本の利益を害する行為を行うおそれがあると推認することは、何ら憲法の規定に反するものではない。解説本判決は、憲法の人権規定が外国人にも適用されることを最高裁が初めて認めたものです。ただし、人権規定のすべてが適用されるのではなく、「権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き」という限定が付されている点に注意が必要です。例えば、入国の自由(最大判昭32.6.19)、参政権(最判平7.2.28)、社会権(障害福祉年金について最判平元.3.2)生存権保護給付について最判平21.8.7)などは、外国人に保障されません。これに対し、本件で問題となった政治活動の自由は、保障されます。ただし、本判決は「わが国の政治的意思決定又はその実施に影響を及ぼす活動等」は保障されないとしていますので、保障の程度は、日本国民と同じではありません。過去問1 外国人に対する憲法の基本的人権の保障は、外国人在留制度のわく内で与えられているにすぎないものとするのが判例であり、在留中の外国人の行為が合憲合法な場合でも、法務大臣がその行為を当該外国人のわが国にとって好ましいものとはいえないと評価し、当該行為から将来当該外国人がわが国の利益を害する行為を行うおそれがある者であると推認することは、なんら妨げられるものではない。(公務員2019年)1 ○ 判例は、外国人在留制度のわく内で与えられているにすぎないものであるから、在留中の外国人の行為が合憲合法であっても、法務大臣がその行為を当該外国人の日本国にとって好ましいものとはいえないと評価し、また、当該行為から将来当該外国人が日本の利益を害する行為を行うおそれがある者であると推認することは、なんら妨げられるものではないとしています(最大判昭 53.10.4)。外国人公務就任権(最大判平17.1.26)■事件の概要韓国籍のXは、保健婦としてY(東京都)に採用されたが、課長級の管理職選考試験を受験しようとしたところ、日本国籍ないことを理由に受験の申込みを拒否された。そこで、Xは、Yに対し、管理職選考試験の受験資格を有することの確認と受験を拒否されたことによる精神的苦痛を理由とする慰謝料を求めて訴えを提起した。判例ナビ第1審は、受験資格の確認、慰謝料請求のいずれも棄却しましたが、控訴審は慰謝料請求を認めた。そこで、Yが上告しました。■裁判所の判断1 地方公務員は、一般職の地方公務員(以下「職員」という。)に本旨に掲げるもの(以下「公の職務」という。)を任命することができるかどうかについて明文の規定を置いていないが(同法13条1項参照)、普通地方公共団体が、法による制限の下で、条例、人事委員会規則等の定めるところにより職員を任用することは、国民主権の原理として当然に予定するところである。したがって、国民主権の原理として国民主権を前提として、給与、勤務時間その他勤務条件について地方公共団体は、職員に任用した外国人について、国籍を理由として、(労働基準法3条、その他の労働条件につき合理的取扱いをしてはならないものとされており(労働基準法3条、その他の労働条件につき、地方公務員法24条6項に基づき給与に関する条例で定められる昇格(給料表の上の等級への変更)等も上記の勤務条件に含まれるものというべきである。しかし、上記の定めは、普通地方公共団体が職員を採用した在留外国人の処遇につき合理的な理由に基づいて日本国民と異なる取扱いをすることまで許されないものとするものではない。また、そのような取扱いは、合理的な理由に基づくものである限り、憲法14条1項に違反するものでもない。管理職への昇任は、昇格等を伴うのが通例であるから、在留外国人を職員に採用するに当たって管理職への昇任を前提としない条件の下でのみその任用を認めることは、そのように扱うことにつき合理的な理由が存在することが必要である。2 地方公務員のうち、住民の権利義務を直接形成し、その範囲を確定するなどの公権力の行使に当たる行為を行い、若しくは普通地方公共団体の重要な意思決定に参画する職を占めること、又はこれに参画することを職務とするもの(以下「公権力行使等地方公務員」という。)については、次のように解するのが相当である。すなわち、公権力行使等地方公務員の職務の遂行は、住民の権利義務や法的地位の内容を定め、あるいはこれらに重大な影響を及ぼすなど、住民の生活に直接間接に重大なかかわりを有するものである。それゆえ、国民主権の原理に基づき、国及び普通地方公共団体による統治の在り方については日本国民の意思に基づいて決定されるべきものであるから(憲法1条、15条1項参照)、原則として日本の国籍を有する者が公権力を行使等地方公務員に就任することが想定されているとみるべきであり、我が国の法体系の想定する主権国家としての諸原則を尊重し、その行使が国民主権の原理に基づいて我が国の法体系が想定する公権力行使等地方公務員に就任することは、我が国がその法体系の想定するところではないものというべきである。そして、普通地方公共団体が、公務員制度を構築するに当たって、公権力行使等地方公務員の職とこれに昇任するのに必要な職務経験を積むために経由すべき職とを包含する一体的な管理職の任用制度を構築して人事の適正な運用を図ることも、その判断により行うことができるものというべきである。そうすると、普通地方公共団体が上記のような管理職の任用制度を構築した上で、日本国民である職員に限って管理職に昇任することができることとしたとしても、それは、合理的な理由に基づいて日本国民である職員と在留外国人である職員とを区別するものであり、上記の措置は、労働基準法3条にも、憲法14条1項にも違反するものではないと解するのが相当である。解説本判決は、上記のように述べた上で、東京都が管理職の任用制度を適正に運営するために必要があると判断して、職員が管理職に昇任するための資格要件として当該職員が日本国籍を有する者であることを定めたとしても、合理的な理由に基づいて日本国民たる職員と在留外国人である職員とを区別するものであり、労働基準法3条にも、憲法14条1項にも違反しないとしました。なお、控訴審の判決では、Xは憲法22条1項(職業選択の自由)違反も主張しており、控訴審は、「課長級の管理職に昇任するのも管理職に昇任しても差し支えないものとするものであるから、外国籍の職員から管理職選考の受験の機会を奪うことは、外国籍の職員の課長級の管理職への昇任の自由を侵害するものであり、憲法22条1項、14条1項に違反する措置である」として、Xの慰謝料請求を認めましたが、本判決は、この点について判断を示していません。◆外国人の地方参政権(最判平7.2.28)憲法15条1項にいう公務員を選定罷免する権利の保障が我が国に在留する外国人に対しても及ぶものと解すべきか否かについて考えると、憲法の右規定は、国民主権の原理に基づき、公務員の終局的な任命権が国民に存することを明らかにしたものにほかならないこと、主権が「日本国民」に存するものとする憲法前文及び1条の規定に照らせば、憲法の右規定における国民とは、日本国民すなわち我が国の国籍を有する者を意味することは明らかである。そうするとすれば、公務員を選定罷免する権利を保障した憲法15条1項の規定は、権利の性質上日本国民のみをその対象とし、その保障は、我が国に在留する外国人には及ばないものと解するのが相当である。そして、…国民主権の原理及びこれに基づく憲法15条1項の規定の趣旨に鑑み、憲法が、我が国の統治の態様の不可欠の要素を成すものであることをも併せ考えると、憲法93条2項にいう「住民」とは、地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味するものと解するのが相当であり、右の規定は、我が国に在留する外国人に対して、地方公共団体の長、その議会の議員等の選挙の権利を保障したものということはできない。…このように、憲法93条2項は、我が国に在留する外国人に対して地方公共団体における選挙の権利を保障したものとはいえないが、憲法第8章の地方自治に関する規定は、民主主義社会における地方自治の重要性に鑑み、住民の日常生活に密接な関連を有する公共的事務は、その地方の住民の意思に基づきその区域の地方公共団体が処理するという政治形態を憲法上の制度として保障しようとする趣旨に出たものと解されるから、我が国に在留する外国人のうちでも永住者等であってその居住する区域の地方公共団体と特に緊密な関係を持つに至ったと認められるものについて、その意思を日常生活に密接な関連を有する地方公共団体の公共的事務の処理に反映させるべく、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではないと解するのが相当である。しかしながら、右のような措置を講ずるか否かは、専ら国の立法政策にかかわる事柄であって、このような措置を講じないからといって違憲の問題を生ずるものではない。解説本判決は、公務員の選定罷免権(憲法15条1項)は外国人に保障されず、また、93条2項の「住民」には日本国籍を有する者を意味するから、地方参政権も外国人には保障されないとしました。しかし、地方自治の重要性に鑑み、法律で永住者等一定の外国人に地方参政権を付与することは、憲法上禁止されていないとしています。過去問1 地方公共団体の管理職の業務は広範多岐に及び、公権力を行使することなく、また、公の意思の形成に参画する蓋然性も少なく、地方公共団体の行う統治作用に関わる程度の低い管理職も存在することから、外国人任用することが許されない管理職とされる範囲と、日本国民である職員に限って管理職に昇任する措置を講ずることは、合理的な理由を欠き、憲法14条1項に違反する。(公務員2022年)2 憲法93条2項にいう住民とは、地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味するものと解するのが相当であり、当該規定は、我が国に在留する外国人に対して、地方公共団体の長、その議会の議員等の選挙の権利を保障したものということはできない。(公務員2019年)1 × 判例は、公権力行使等地方公務員の職とこれに昇任するのに必要な職務経験を積むために経るべき職とを包含する一体的な管理職の任用制度を構築した上で、日本国民である職員に限って管理職に昇任することができることとする措置を執ることは、合理的な理由に基づいて日本国民である職員と在留外国人である職員とを区別するものであり、憲法14条1項に違反しないとしています(最大判平17.1.26)。2 ○ 憲法93条2項の「住民」の意味について、判例は、地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味するとし、同項は、わが国に在留する外国人に対して、地方公共団体の長、その議会の議員等の選挙の権利を保障したものではないとしています(最判平7.2.28)。八幡製鉄事件(最大判昭45.6.24)■事件の概要Y(八幡製鉄株式会社)の代表取締役Zは、Yを代表して政党A(自由民主党)に350万円の政治資金を寄付した。これについて、Yの株主Xは、本件寄付はYの定款に定められた事業目的の範囲外の行為であり、かつ、取締役の忠実義務(旧商法254条ノ2〔現会社法355条〕)に違反するとして、Yに対し、株主代表訴訟(旧商法267条〔現会社法847条〕)を提起した。判例ナビ第1審がXの請求を認めたため、Zが控訴しました。控訴審において、Xは、株式会社の政治資金の寄付は自然人である国民にのみ参政権を認めた趣旨に反し、民法90条に反する行為であるから無効であるとの主張を追加しました。しかし、控訴審が第1審判決を取り消してXの請求を棄却したため、Xが上告しました。■裁判所の判断1 会社は、自然人と同じく、国家、地方公共団体、地域社会その他(以下社会等という。)の構成単位たる社会的実在なのであるから、その有する社会的役割を果たすのに必要な限度で、ある行為が一定の政治的目的かかわりがあるとしても、社会にその存立を期待し要請されるかぎりにおいてなされるのである以上、会社による政治資金の寄付も、客観的、抽象的に観察して、社会の構成員たる会社による政治資金の寄付が、特定の構成員の利益を図るものではない。…要するに、会社による政治資金の寄付は、客観的、抽象的に観察して、社会的な役割を果たすために行われたものと認められるかぎりにおいては、その特定の所属員の政治的な行為とみることは妨げられないのである。2 憲法第3章の定めるいわゆる参政権が自然人に限られるか否かは明らかである。しかし、納税の義務を有する者として、納税者たる団体において、国又は地方公共団体に、意見の表明その他の活動に出ることも、これを禁圧すべき理由はない。のみならず、憲法第3章に定める国民の権利および義務の各条項は、性質上可能な限り、内国の法人にも適用されるべきものと解すべきであり、会社は、自然人たる国民と同様、国家の特定の政策を支持、推進しまたは反対するなどの政治的活動をなす自由を有する。政治資金の寄付もまさにその自由の一環であり、会社によってそれがなされた場合、政治の動向に影響を与えることがあったとしても、これを自然人たる国民による選挙権の行使と別に考えるべきである。解説本判決は、憲法の政党の存在を当然に予定しているとした上で、議会制民主主義の不可欠の要素である政党に対する政治献金は、会社の目的の範囲内の行為であるとしました(判旨1)。また、会社が人権享有主体であることを認め、憲法が規定する人権規定は、性質上可能な限り法人に適用されるとしました(判旨2)。◆南九州税理士会事件(最判平8.3.19)税理士会は、税理士の使命及び職責にかんがみ、税理士の業務の遵守及び税理士業務の改善進歩に資するため、会員の指導、連絡及び監督に関する事務を行うことを目的とし、あらかじめ、税理士会にその設立を義務付け、その結果設立されたもので、その決議や役員の行為が会員たる税理士会に及ぶことは、強制加入団体(現税理士法)に服することになる。…その会社は実質的には税理士の自由が保障されていない…。税理士会は、以上のように、その会員はその法的性格を異にする法人であり、その目的の範囲についても、これを会社のように広範なものと解するならば、法の意図する公的な目的の達成を阻害して法の趣旨を没却する結果となることが明らかである。…税理士会は、法人として、法及び法を根拠所定の方式による改正を主張したり、法及び法を根拠とする定款に基づいて活動し、その所属員がこれに協力する義務を負うのであり、その一つとして会則に基づいて所属員の納付する会費をもってする義務を負う。しかし、法が税理士会を強制加入の法人としている以上、その構成員である会員には、個々の思想・信条及び主義・主張を異にする者が存在することが当然に予定されている。したがって、税理士会がその目的を逸脱した思想に基づいて活動するにも、そのために会員に要請される協力義務にも、おのずから限界がある。特に、政党など税理士会の上位団体に対して会員としての寄付をするかどうかは、選挙における投票の自由と表裏を成すものとして、会員各人が市民としての個人の政治的信条、見解、判断等に基づいて自主的に決定すべき事柄であるというべきである。なお、政党など税理士の上位団体は、政治上の主義もしくは施策の推進、特定の候補者の推薦等のため、会員の寄付を広くこれらの政治活動をすることが当然に予定された政治団体であり(商法3条2項)、これらの団体に会員がその寄付をすることは、選挙においてどの政党又はどの候補者を支持するかに密接につながる問題であるから、…そうすると、前のような目的を有する税理士会が、このような多数事柄を多数決原理によって団体の意思として決定し、構成員にその協力をお願いすることはできないというべきであり、…税理士会が、その所属員の協力を要請することは、法の全く予定していないところである。税理士会がその政党など趣旨を異にする団体に会員の寄付をすること、たとえ税理士会がその法などの法律の改正に関する活動をするためにであっても、法49条2項(現6項)所定の税理士会の目的の範囲外の行為といわざるを得ない。解説本件は、税理士会が会員から特別会費を徴収し、それを政治資金規正法上の政治団体に寄付した(政治献金)することが、税理士会の目的の範囲内の行為かどうかが争われました。最高裁は、八幡製鉄事件(最大判昭45.6.24)では政治献金を会社の目的の範囲内としたのに対し、本件では、税理士会の目的の範囲外としました。税理士会が実質的に思想の自由が保障されていない強制加入団体であることを考えると、様々な思想信条を有する会員に政治献金への協力を義務付けることは妥当ではないからです。過去問1 会社は、自然人と同様、国や政党の特定の政策を支持、推進し、または反対するなどの政治的行為をなす自由を有する。(行政書士2017年)2 強制加入団体である税理士会が、政党など政治資金規正法上の政治団体に会費を寄付することは、それが税理士と税法の制定改正に関する政治的要求を実現するためのものである限り、税理士法に定められた税理士会の目的の範囲内の行為であって、当該政治団体に会費を寄付するために会員から特別会費を徴収する旨の税理士会の総会決議は、会員の思想、信条の自由を侵害するものではなく、有効である。(公務員2022年)1 ○ 会社は、自然人たると同様、国や政党の特定の政策を支持、推進しまたは反対するなどの政治的行為をなす自由を有します(最大判昭45.6.24)。2 × 税理士会が政党等政治資金規正法上の政治団体に会員を寄付することは、税理士会の目的の範囲外の行為であり、政治団体に会員の寄付をするために特別会費を徴収する旨の税理士会の総会決議は、無効です(最判平8.3.19)。

「『国家試験受験のためのよくわかる判例〔第2版〕』 西村和彦著・2024年9月6日」 ISBN 978-4-426-13029-9

平和主義

公開:2025/10/21

ガイダンス憲法9条は、皆さんご存知のとおり日本国憲法の基本原理の1つであることを明らかにしています。憲法9条において、そこにいう「平和のうちに生存する権利」を根拠に平和的生存権を認めることができるかどうかが問題となりますが、これを認めた最高裁判例はありません。9条については、人との法律関係への直接適用が可否、2項の「戦力」の意味等が問題とされています。砂川事件(最大判昭34.12.16)■事件の概要1957 (昭和32) 年7月、日本政府は、駐留アメリカ軍が使用する立川飛行場拡張のために使用する砂川町 (現東京都立川市) の民有地の測量を開始した。この測量に反対する集会に参加したXらは、測量を阻止するため、立入禁止区域内に侵入して、日米安全保障条約に基づく刑事特別法違反で起訴された。判例ナビ第1審はXを無罪としたため、検察は、最高裁判所に跳躍上告しました。第1審がXを無罪とした理由は、駐留アメリカ軍は憲法9条2項の「戦力」にあたり、憲法上その存在を許すべきでないから、刑事特別法も違憲無効であるというものでした。そこで、駐留アメリカ軍が憲法9条2項の「戦力」に当たるかどうか、日米安全保障条約が憲法に違反するかどうかが問題となりました。*第1審が日米安全保障条約の合憲性判断をすることについて、いわゆる付随的審査制に反することに留意。■裁判所の判断そもそも憲法9条は、いわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによつてわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。前法文に明らかのように、わが国が国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄したことを明らかにしたに止まり、自衛のための措置をも禁じたものではないからである。したがって、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。すなわち、われらは、わが国においては、憲法9条2項により、同条項にいういわゆる戦力を保持しないけれども、これによつて、わが国が自国の平和と安全を維持するための自衛権を放棄したことにはならないのである。そうして、右自衛権を保有するかぎり、わが国が、これに代わるべき自衛のための措置を講ずることは、もとより、何ら憲法に違反するものではない。国際連合のごとき、国の安全を保障しうるような国際機構がいまだその目的を完全に達成しうる状態に到達していない現段階においては、一国が自国の平和と安全を維持するについて適当な方法を選ぶことは、まさしく国家の主権に属する固有の権能の行使としてなされうるものである。そこで、右のような憲法9条の趣旨に即して同条2項の法意を考えてみるに、同条項においてわが国がその保持を禁止した戦力とは、わが国がこれを主体となつて指揮、管理しうる戦力をいうものであつて、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、同条項にいう戦力に該当しないものと解するを相当とする。アメリカ合衆国との間に安全保障条約を締結し、これによつて生じたアメリカ合衆国軍隊の駐留は、憲法9条、98条2項および前文の趣旨に反するものではない。…本件安全保障条約は、わが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであつて、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点が少なくない。それ故、右の判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従つて、一見極めて明白に違憲無効であると認められないかぎり、裁判所の司法審査権の範囲外のものであつて、それは第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に委ねるべきものであると解するを相当とする。アメリカ合衆国軍隊の駐留アメリカ合衆国軍隊の駐留は、憲法9条、98条2項および前文の趣旨に適合こそすれ、これらの条章に反して憲法違反であることが一見極めて明白であるとは、到底認められない。そして、このことに反して違憲無効であることが一見極めて明白であるとは、到底認められない。そして、このことに反して違憲無効であるか否かの法的判断は、自衛のための戦力の保持を許さない趣旨のものであると否とにかかわらず、何ら憲法に違反するものではない。解説1 本判決は、駐留アメリカ軍を憲法9条2項の「戦力」に当たるとした第1審判決を破棄し、事件を第1審に差し戻しました。2 本判決は、条約が司法審査の対象となることを前提としている点で、統治行為論であることに理由に、条約が司法審査を認めない苫米地事件(最大判昭35.6.8)と異なります。過去問1 裁判所の違憲審査の対象には条約が含まれるか否かについて、最高裁判所は、条約は国家間の合意であり、およそ裁判所の違憲審査になじまない性質のものであるから、違憲審査の対象から除外されると判示した。(公務員2022年)1 × 砂川事件において、最高裁は、条約は原則として違憲審査になじまないとしていますが、条約を違憲審査の対象からまったく除外しているわけではなく、一見極めて明白に違憲無効であると認められる場合には、違憲審査の対象となり得ます(最大判昭34.12.16)。百里基地訴訟(最判平元.6.20)■事件の概要航空自衛隊百里基地の建設予定地内に本件土地を所有するXは、基地建設に反対するYとの間で本件土地を売り渡す契約を締結した。しかし、Yが代金の一部を支払っただけで残代金を支払わなかったため、Xは、Yの債務不履行を理由として契約を解除し、国との間で本件土地を売り渡す契約(本件売買契約)を締結した。判例ナビ国がYに対し土地所有権確認の訴えを提起したところ、Yは、Xと国との間で締結された本件売買契約は憲法9条、98条1項に反し違憲無効であると主張しました。第1審、控訴審がXと国の請求を認めたため、Yが上告しました。■裁判所の判断1 憲法98条1項は、国が国の最高法規であることを、すなわち、憲法が成文法の法形式として最も強い形式的効力を有し、憲法に違反する法令その他の法形式又はその一部又はその違反する限度において法規範としての本然の効力を有しないことを定めた規定であるが、自ら条約にいう「国務に関するその他の行為」とは、同条約に列挙された法律、命令、詔書と同一の性質を有する行政行為に近いものと解した。なお、控訴審の判決は、Xは憲法98条2項を「国務大臣」の行為に違反したと判示する。すなわち、憲法が条約の法形式的な効力に対して消極的な限定を定めているのであるから、国務行為が国の行為であるか、国際規範を確立する限りにおいて国際紛争を解決するものであって、国の行為であるか、国際法に準拠するものであっても、行政行為に該当するものではなく、右のような法規範の定立を伴わないから本件売買契約は、国が行政庁に該当しないものというべきである。本件売買契約は、国が行った行為ではあるが、私人と対等の立場で行った私法上の行為であるから、右のような法規範の定立を伴わないものであるから、憲法98条1項にいう「国務に関するその他の行為」には該当しないものというべきである。2 憲法9条は、その人権規範として定着する上で、私法上の行為の効力を直接規律することを目的とした規定ではなく、人権規定と同様、私法上の行為に対しては直接適用されるものではないと解するのが相当であり、国が一方当事者として関与した場合であっても、たとえば、行政活動上必要となる物品を調達する契約、公共施設に必要な土地の取得又は国有財産の売払いのためになされる契約などのように、国が行政の主体としてではなく対等の立場に立って、私人と対等の間で個人的に締結する私法上の契約は、当初契約がその成立の経緯及び内容において実質的にみて公権力の発動たる行為に他ならないものではない限り、私的自治の原則が適用されるべきものと解するのが相当である。本件売買契約は、国が私人と対等の立場において締結したものである。3 憲法9条は、人権規定と同様、国の基本的な法秩序を宣示した規定であるから、憲法より下位の法形式によるすべての法規範がその適用を当然に認めうるものであることはいうまでもないが、…憲法9条の掲げる国際平和主義、戦争の放棄、戦力の不保持など。国家の統治活動に対する規範は、私法的な法律関係とは本来関係のない領域でのみ妥当性を有すると解する議論である。しかし、私的自治の原則が我が国の法秩序の根幹をなす民法90条にいう「公の秩序」の射程を形成し、そこに反する私法上の行為の効力を一律に否定する法理的判断が、その法規範的性質によっては直接適用されないというものであって、右の規範は、私法的な法律関係のもとにおいて、私的自治の原則、契約における信義則、取引の安全等の法益との調整によって相対的に判定され、公序良俗にいう「公の秩序」の一部を形成するものであり、したがって私法的な法律関係のもとにおいて、社会的に許容されない反社会的な行為であるとの意識が、社会の一般的な観念として確立しているか否かが、私法上の行為の有効性を判断する基準となるものというべきである。…本件売買契約が締結された昭和36年当時、私法的な法律関係のもとにおいては、自衛隊のために国がした売買契約その他私法上の契約を締結することは、社会的に許容されない反社会的な行為であるとの認識が、社会の一般的な観念として確立していたということはできない。したがって、公序の基盤施設を目的とする本件売買契約が、その私法上の契約としての効力を否定されるような行為であったとはいえない。解説本判決は、憲法98条1項の「国務に関するその他の行為」を「公権力を行使して法規範を定立する行為」と限定した上で、「本件売買契約のような国が私人と対等の立場で行為する私法的な行為は『国務に関するその他の行為』に当たらない」としました(判旨1)。なお、本判決は、本件売買契約への憲法9条の直接適用を否定した上で(判旨2)、本件売買契約が民法90条に反するかを検討しておりますが(判旨3)、個人が戦争における問題認識を誤ったかに見えます。しかし、「自衛官が死亡の機会の多発する行為となると、なわばり争いが、争いとなるような特定の情報」があれば、私法上の契約に直接適用される余地があることを認めている(判旨2)点で、契約が間接適用説とは異なります。過去問1 憲法98条1項にいう「国務に関するその他の行為」とは、国の行うすべての行為を意味し、国が行う行為であれば、私法上の行為もこれに含まれるものであって、国が私人と対等の立場で行った売買契約も「国務に関するその他の行為」に該当するとの判例がある。(公務員2019年)1 × 憲法98条1項にいう「国務に関するその他の行為」の意味について、判例は、公権力を行使して法規範を確立する国の行為を意味するとし、私人と対等の立場で行った売買契約は、「国務に関するその他の行為」には該当しないとしています(最判平元.6.20)。

「『国家試験受験のためのよくわかる判例〔第2版〕』 西村和彦著・2024年9月6日」 ISBN 978-4-426-13029-9

証拠法|証拠法・総説|証拠の意義と分類|証拠の分類

公開:2025/10/21

(1) 証拠は、実用的観点から様々に分類することができる。証明の対象となる事実(「要証事実」という)と証拠との関係に着目し、直接証拠・間接証拠,本証・反証,実質証拠・補助証拠の分類が用いられる。証拠方法の性質等に着目して、人的証拠・物的証拠。人証・物証・書証の分類がある。さらに,「供述」(法320条1項)に関する伝聞法則の適用の有無を決する重要な分類として、供述証拠・非供述証拠の区別がある。(2) 直接証拠・間接証拠要証事実を直接に証明するのに用いられる証拠を「直接証拠」という。犯罪事実が要証事実である場合、犯行目撃証人の供述。被告人の自白、犯罪被害者の供述等がその例である。その他の証拠は「間接証拠」と呼ばれる。要証事実を直接に証明するのではなく、その存否を推認させる事実(「間接事実」という)を証明するのに用いられる証拠をいう。なお、間接証拠を「情況証拠」と総称する場合が多い。もっとも、前記のとおり、間接証拠から認定される間接事実のことを情況証拠と称して限定的な意味に用いる場合もあるので、留意されたい。* 最高裁判所は有罪の認定と証明について次のような説示をしているが、ここで情況証拠」の語は「間接証拠」の意で用いられているように読める(最判平成22・4・27刑集64巻3号 233頁)。「刑事裁判における有罪の認定に当たっては、合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証が必要であるところ、情況証拠によって事実認定をすべき場合であっても、直接証拠によって事実認定をする場合と比べて立証の程度に差があるわけではないが(......[最決平成19・10・16]刑集61巻7号677頁参照)。直接証拠がないのであるから、情況証拠によって認められる間接事実中に、被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない・・・・・事美関係が含まれていることを要するものというべきである」。(3)本証・反証民事訴訟では、要証事実について挙証責任を負う当事者の提出する証拠を「本証(独:Hauptbeweis)」といい,これに対して挙証責任を負わない当事者がその事実を否定するため提出する証拠を「反証(独:Ge.genbeweis)」という。後記のとおり、刑事訴訟では公訴事実について原則として検察官が全面的に挙証責任を負うので、検察官が提出する証拠を本証,被告人側が提出する証拠を反証と称する場合が多い。もっとも、刑事訴訟規則は、拳証責任の所在とは無関係に、相手方の証拠の証明力を争うために提出される証拠(英: rebutting evidence)を「反証」と呼んでいる(規則 204条)。(4) 実質証拠・補助証拠要証事実の存否の証明に用いる証拠を「実質証拠(英:substantive evidence)」という。これに対して、実質証拠の証明力や証拠能力等に影響する事実(「補助事実」)を証明するのに用いる証拠を「補助証拠」という。補助証拠のうち,実質証拠の証明力を減殺する事実を証明する証拠を「弾効証拠」といい。証明力を強める証拠を「増強証拠」。一旦減殺された証明力を回復する証拠を「回復証拠」と呼ぶことがある。(5) 人的証拠・物的証拠証拠方法すなわち証拠の媒体が生きた人間である場合,これを「人的証拠」といい,それ以外の場合を「物的証拠」という。両者の区別は、その取得手段・方法の差異に対応する。人的証拠は、召喚、勾引(法132条・135条・152条・153条・171条等)に拠る。物的証拠の取得は、押収(法99条等)に拠る。(6)人証・物証・書証証拠調べの方式の差異に対応する分類である。口頭で証拠を提供する証拠方法を「人証」という。証人,鑑定人、被告人がこれに当たる。その証拠調べの方式は、尋間(法304条)または被告人質問(法311条)である。物の存在及び状態が証拠となる物体を「物証」という。犯行に用いられた凶器、盗の被害物品、薬物関連罪の薬物、犯行現場等がその例である。その証拠調べの方式は、展示(法306条)または検証(法128条)である。記載内容が証拠となる書面を「書証」という。証拠調べの方式により「証拠書類」と「書面の意義が証拠となる」証拠物(「証拠物たる書面」と称する)に区引される。証拠書類の証拠開べの方式は期読である(法305条)。これに対して、証拠物たる書面は、展示と朗読が必要である(法307条)。証拠書類と証拠物たる書面とは、法定された証拠調べの方式の差異から明らかであるように、書面の記載内容のみが証拠になるか、記載内容のほかに書面そのものの存在や状態等が証拠になるかにより区別される(最判昭和27・5・6刑集6巻5号736頁)。例えば、捜査機関の作成した供述録取書面や私人の作成した被害届は前者、迫状や偽造文書は後者に当たる。(7) 供述証拠・非供述証拠人の言語的表現であって特定の事実の存否について報告・叙述するものを「供述」という。この言語的表現を、叙述された内容の真実性(すなわち特定の事実の存否)を証明するための証拠として用いる場合,これを「供述証拠」という。「非供述証拠」は、供述証拠以外のすべての証拠をいう。公判期日外における「供述」証拠については、「伝聞法則」が適用され、原として証拠とすることができない(法 320条1項)。その趣旨については後述する〔第5章Ⅲ〕

「『刑事訴訟法』 酒卷 匡著・2024年9月20日」 ISBN978-4-641-13968-8

証拠法|証拠法・総説|証拠の意義と分類|証拠の意義

公開:2025/10/21

(1) 「証拠」は多義的に用いられる語なので、その意義を整理しておく。旧法以来のドイツ法起源の用語とアングロ=アメリカ法圏起源の用語が混用されているので注意を要する(民事訴訟で用いられる術語との異同にも留意せよ)。すべての証拠に共通の性質は、特定の事実に関する情報の媒体であることである。媒体は人か物体である。さらに無形の間接事実(独:indirekte Tatsache)もまた証拠(「情況証拠[英:circumstantial evidence]」)であるとみれば、これも含まれる。なお、公訴事実の存否に関する証拠は、広い意味で「犯罪事実の痕跡」とみることができる場合がほとんどであるが、そうでない場合もある(例,被告人のアリバイを証明する証拠)。2) 事実の認定(法317条)のために用いる資料・情報、すなわち証明の手段を「証拠資料(独:Beweisstot)」という。証人の供述,書証の記載。証拠物の形状等がこれに当たる。このような証拠資料の給源・媒体となるものを「証拠方法(独:Beweismittel)」という。証人、書証、証拠物等がこれに当たる。いずれも「証拠」と称される。もっとも、刑事手続の領域でこの区別をする実益はあまりないであろう。

「『刑事訴訟法』 酒卷 匡著・2024年9月20日」 ISBN978-4-641-13968-8

証拠法|証拠法・総説|証拠法の意義と基本原則|直接主義

公開:2025/10/21

(1)「直接主義」は、ヨーロッパ大陸法圏の近代的刑事裁判形成過程で創出された証拠に関する原則であり、歴史的・機能的には、前近代の非公開・書面審理による裁判を打破し、公開法廷において直接取り調べられた口頭の供述を裁判の基礎とするという意味で、「口頭主義」と一体として扱われた。もっとも。直接主義の核心は、事実認定者と証拠との関係を規律する点にあり、公判延における証拠調べや陳述の方式に関する口頭主義とは別個のものである〔第3編公判手続第1章112〕。ドイツ刑事訴訟法は、事実の立証が人の知覚に基づくときは、この者を公判において直接尋問しなければならず、すでに行われた尋問の調書または書面による供述の朗読でこれに代えることはできない旨の原則規定を設けている。直接の尋問に代わる書面の朗読は、例外的にのみ許される。機能的には、公判前段階・捜査段階で作成された供述録取書面の証拠としての利用を原則として認めず、公判延における尋間から直接心証を形成することを要請する。これが直接主義の核心部分である。*ドイツ法の規律は、公判期日における供述に代えて書面を証拠とすることを原則として認めない点で、わが国の現行法 320条1項やその母法たるアングロ=アメリカ法圏の伝開法則と同様の機能を有する。他方、捜査段階で被疑者等の供述内容を聴いた捜査官が、公判で尋問を受け、自らが知覚した捜査段階におけるその者の供述内容を証言することは許されると解されている点で、伝開証人をも排除する伝開法則の規律と異なる。(2)わが国の旧刑事訴訟法は、ドイツ法の影響を強く受けたものであったが、ドイツ法の特色である直接主義の原則規定を設けることはなかった(陪審法には直接主義的規定があった)。むしろ、その適用例外として、予審判事による尋問調書のほか、原供述者の尋問不能及び訴訟関係人に異議なきときのすべての供述録取書の利用を認めていた。このため、捜査段階で作成された供述録取書面も公判で事実認定の資料とされる場合があったのである。(3) 現行法は、法320条でアングロ=アメリカ法由来の伝聞法則を導入したものと理解されているが、法321条以下の例外規定が供述録取書面を中心とし、裁判官・検察官面前調書に特別の例外規定を設けるなど、固有の特色がある。また、現行法施行以来、近年の裁判員制度導入までの法運用は、法326条・321条1項2号・322条等の伝聞例外規定を介して、捜査段階で作成された供述録取書面が証拠となる運用が原則化し、公判期日における証人尋問は例外的となる状況が固まっていた。これには、旧法以来の捜査段階で作成された供述録取書面に依拠しようとするわが国の法律家の指向が影響していた可能性があろう。もし仮にこのような運用とは異なり、法 320条1項の規律が運用上も原則化していれば、ドイツ法の直接主義と機能的に類似した、そしてまた、アングロ=アメリカ法圏の裁判とも類似した公判期日における証人尋問・口頭供述中心の刑事裁判が実現していた可能性があったように思われる。しかし、裁判員制度の導入を伴う司法制度改革まで,従前の慣行が変化する兆しはなかった。(4) このような状況の下で、法320条以下の証拠法規定には何ら変更を加えないまま、裁判員制度が導入された。捜査段階で作成された多量の供述録取書面を職業裁判官が閲読・分析していた従前のような事実認定が到底不可能と予測される中。「直接主義・口頭主義」という術語が、裁判員裁判を的確に作動機能させる鍵としてにわかに専認識され、書面の期読よりも公判廷における直接尋問・口頭供述こそが裁判員に分かりやすい審理方式であるとして積極的に評価されつつあるのが現状である。現行法の下での「直接主義・口頭主義」の理解については、前記のとおりである〔第3編公判手税第1章12)。また、控訴審の事実認定審査の在り方に関する前記最判平成 24・2・13 (3(3)*〕の説示も、第1審公判の様相が、現行法の当初の想定であったと思われる公判中心主義と直接主義に接近しつつある近時の状況を反映している。* 第1審が従前の運用のごとく書証に依拠するところが大きければ、書面審査を行う控訴審も第1審とほとんど同じ立場で事件そのものを審理することが可能であったかもしれない(書証に依存した従前の第1審の運用こそが、控訴審が第1審の記録から直接心証を形成し、これと第1審の認定を比較するという審査を可能としてきたのである)。しかし、第1審の直接主義的運用が徹底されれば、事実認定に対する上訴審の審査は、前記のような「合理性」の事後審査にならざるを得ないであろう。このような事後審査審としての控訴審の在り方もまた,現行法が初から想定していたとみられるものである〔第6編上訴13〕。

「『刑事訴訟法』 酒卷 匡著・2024年9月20日」 ISBN978-4-641-13968-8
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