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一部請求と残部請求

公開:2025/10/20

XはYとの間で、Yの所有する別荘を代金1億円で購入する旨の売買契約を締結したが、履行期に別荘の引渡しがされるまでの間に、同別荘は焼失してしまった。Xは、同別荘の焼失はYの責めに帰すべき事由によるものであり、Yの債務不履行(履行不能)による損害賠償として3000万円であるとして、そのうちの500万円の支払を求める損害賠償請求訴訟を提起した(前訴)。裁判所において、Y自身には帰責事由はなかったとしてXの請求を棄却したが、審理の結果、Xの請求を認容する判決が言い渡され確定した。その後、Xは再度上記損害額の残額である2500万円の支払を求める損害賠償請求訴訟を提起した(後訴)。この後訴請求は、前訴の確定判決の既判力によって遮断されるものであろうか。前訴における請求が、全損害額の一部である旨の明示がなされていた場合と、明示がなされていなかった場合につき、検討せよ。●参考判例●最判昭37・8・10民集16巻8号1720頁最判昭32・6・7民集11巻6号948頁●解説●1 一部請求訴訟の必要性数量的に可分な損害賠請求につき、当事者(原告)が、その一部についてのみ訴求すること(いわゆる一部請求訴訟)は、処分権主義(246条)の観点からも当然に認められるものといえる。このような一部請求訴訟が認められることの実践的な意味としては、訴額に応じてスライドしていくわが国の提訴手数料制度との関係で、訴額が高額にもかかわらず勝訴の見込みが立たないような事件において、訴額の一部のみに限定することで裁判所に判断を求めることにある(もっとも本問における損害額3000万円の場合の提訴手数料は11万円弱であることから、一部請求をする実益は乏しいかもしれない)や、不法行為における損害賠償請求訴訟において、被害者である原告が自らの過失の存在も自認しているような場合に、過失相殺を経て(過失相殺については→問題38)残る損害額であるとしてなされることが多かったことなどが挙げられる(一部請求をめぐる訴訟の利益の評価につき、三木浩一「一部請求訴訟について」民事訴訟雑誌47号(2001)30頁参照)。このように一部請求が認められるとすると、一部請求訴訟を提起した後に残部請求をすることは、それなりに必要性・合理性があるものといえる。他方では、複数の訴訟に付き合わされることになる被告サイドの不利益や、実質的には同一内容の紛争について重複審理(訴訟不経済・矛盾のおそれ)を余儀なくされる裁判所の不利益をどのように調整するかは別途検討されなければならない。このような問題意識から、一部請求の許否が論ぜられ、より激しい議論が残部請求が許されるか否かという点が問題とされてきており、激しい議論の対立がみられるところである。2 学説の状況(1) 全面肯定説全面肯定説の立場は、実体法上債権の分断行使が自由とされていることを根拠に、訴訟物設定についての原告の自由を保障する民事訴訟法246条を根拠として、一部請求訴訟に対する当然の認識から、前訴で一部請求である旨が明示されていたかどうかは問わず、実体的に一部であったかどうかだけで一部請求訴訟が成立するとし、原告によって分離された残部部分にまで既判力が及ぶことはないと主張する。この立場によると、原告によって分離された残部は訴訟物とされた一部にしか生じないとして、残部請求を求める後訴を許すことになる。この立場に対しては、紛争の一回的解決の要請や、実質的な審理の重複、被告の応訴の負担、といった見地からは問題が多いとの批判がなされている。(2) 全面否定説他方、被告の応訴の負担や審理重複による裁判所の不利益を重視し、一部請求訴えの提起を許さないとする立場であり、前訴の判決がなされると、残部請求訴訟は許さないとする立場である。残部請求も許されないとする肯定説の立場からすると、前訴で一部請求訴訟が、その全部について訴えを提起したと擬制し、訴訟物について一部認容または全部棄却の判断を下すべきであり、その既判力は全部に及ぶと考える。訴・非効率に巻込まれ、一部請求後に残部請求は許さないとする全面否定説の立場も学説上では有力である。この立場は、一部請求訴訟をしたという原告の利益に比べて、訴え提起段階での判断で許すことで十分にであるから、訴訟係属の途中で請求の趣旨を拡張すればよく、一部請求訴訟をするための訴訟提起という方法は認めるべきではないと考える。残部請求を否定する理論構成としては、一部請求訴訟でも債権全体が訴訟物となり残部請求権は既判力で遮断されるという説明や、併合提供義務を課し(民訴25条、民執34条2項参照)における請求債権の範囲を拡張する(一部請求後の残部請求は却下される、といった説明がなされている。(3) 中間説全面肯定説でも全面否定説でもなく、中間的な見解を認める立場も学説上は存在する。3 判例1つには、一部請求の前訴(一部請求である旨を明記していた場合)で、原告が一部請求する利益を考慮に入れて、原告が希望した場合には残部請求を認めるが、敗訴した場合には、一部請求訴訟も債権全体のについてその存在という判断があってはじめて出てくるのであるから、再訴を許して二重審判をする必要はなく残部請求を認めないと考える考え方である(中間説①)。同様に、原告が一部請求で勝訴した場合も敗訴した場合とで扱いを分ける見解はあるが、原告が前訴で請求を一部請求である旨を明示していたとしても、被告からすれば債権の不存在を主張・立証する必要は前訴と変わらないのであり、被告は、いずれにしても残部請求は認められるのであるから、一部請求で敗訴した原告にその後の訴訟を提起したのであり、残部の場合の矛盾を生じるおそれはないとして残部請求は許されないと考える(中間説②)。また、一部請求訴訪において被告も債権全体についての審理に既判力をもって対応しようとしたのであれば(相殺の抗弁等)、その結果は原告の勝敗の如何にかかわらず債権全体に及ぼすとする見解も有力である(中間説③)。4 本問に即して本問においてXは前訴において一部請求をなし、請求認容の判決を得た後に、残部の請求を求める後訴を提起している。一部請求訴訟を全面肯定説に立つ場合には、前訴において一部請求であることが明示されていたか否かにかかわらず、また、前訴でXが勝訴していようと敗訴していようとにかかわらず、残部の支払を求める後訴は認められる。これに対し、全面否定説に立つ場合には、残部の支払を求める後訴は一切認められないこととなる。これに対し、中間説①②の立場からは、一部請求の前訴が一部請求訴訟で敗訴した場合には残部請求の拡張は認められることになる。ただ、中間説③からは、前訴で一部請求である旨の明示があった場合には、残部請求の後訴について訴えの利益が認められ、また前訴で明示がなかった場合には、当該債権の金額(3000万円)が給付を求められた金額(500万円)をもって確定されたものであり、仮にそれと矛盾する主張をする(やはり損害賠償債権は3000万円であって、残部2500万円の支払を求めたい、といった主張を意味するものと思われる)ことは許されないとする(後者によると「既判力の反面性」に反するものとして許されないと説かれている)。

「山本和彦編著、安西明子、杉山悦子、畑宏樹、山田文著『Law Practice 民事適当法〔第5版〕』商事法務、2024年」 ISBN978-4-7857-3092-5

信義則による後訴の遮断

公開:2025/10/20

故Aが所有していた本件土地につき自作農創設特別措置法による農地買収処分(※注)がなされ故Bに売り渡されたが、Aの相続人XはBの相続人Yに対し、買収処分は実質的なものであり、Bの本件土地を占有しないXに買収処分する方途としてAとBとの間で仮装契約が締結されたとして、所有権移転登記請求訴訟を提起した(前訴)。審理の結果、裁判所は買収処分は有効なものであって、X・B間において売買契約が成立したという事実は認められないと認定し、Xの請求を棄却した(その後、前訴判決は確定した)。その後、Xは買収処分の無効を理由として、Yに対し、土地上の工作物を収去するよう訴えを提起した(後訴)。この後訴は、買収処分から20年が経過して提起されたものであるとして、このような後訴請求は、前訴判決と抵触するので許されるものであろうか。(※注)第2次大戦後、農地制度の民主化を図る目的で、政府により、不在地主や大地主等の所有農地を強制的に買い上げ、耕作者に対する売渡しが行われた。●参考判例●最判昭和51・9・30民集30巻8号798頁最判昭和59・1・19判時1105号48頁●解説●1 判決理由中の判断への拘束力既判力の客観的範囲については、前問でみたように、判例はこれを主文に示された権利・法律関係の存否(訴訟物)の判断に限定しており(114条1項)、判決理由中で示された判断については、前訴についての判断の外にあるものの(同一訴訟)と、既判力は生じないと解している。しかしながら、判決理由中において一度は裁判所によって認定された事実が後訴との関係において何らの拘束力を有しないというのは、判然としない。うので、紛争解決の一回性という訴訟制度の目的を十分に果たしえず、実質的には同一紛争と思われるような紛争の蒸し返しを引き起こしかねない。本問に即し実質的にみると、前訴の訴訟物は土地所有権に基づく返還請求なのであるのに対し、後訴の訴訟物は明渡請求であり、訴訟物を異にするものであるのではあるが、両訴とも確定判決の既判力が同じく、しかも、前訴・後訴が実質的に同一紛争というのであれば、前訴判決の理由中で示されるものであり、この部分は抵触はしない。かかる問題意識から、学説においては、判決理由中の判断にも何らかの拘束力を認めるべく、争点処理論(→問題48)、既判力の拡張(後述)といった主張された法理を前提に訴訟物を判断する(同一訴訟)必要性が強く説かれてきたが、それらが判例の容れるところではなく、別の訴訟物を構成するものとしても、後訴の請求は前訴の判決で目的としており、これをくつがえすものである。仮に、訴訟物は固定的でなく、反訴、訴えの変更として性質を兼ね備える、教示、再度の提出により変動するものであり、また先占的法律関係の優越を順次構成的要件とするものであるとの見解を前提とすると、上記のような見解も可能となり、中間確認の訴え(→問題48)といったさまざまな考え方が提唱されてきたものであるが、判例の採用するに至るところではない。2 信義則による後訴の遮断争点処理論を否定した最高裁判例(最判昭和44・6・24判時569号48頁)、同じ事件が紛争の長期化をもたらしたことについても批判的評価が多かった。その後実質的にみて後訴が前訴の紛争の蒸し返しとみられる場合には、信義則によって遮断するという処理を確立するにいたっている(→問題48)。3 本問に即して本問における第1訴訟の訴訟物は所有権移転登記請求権であるが、第2訴訟の訴訟物は本件建物の明渡請求権である。本件建物の所有権がX・Yのいずれに帰属しているか、第2訴訟に共通する主要な争点であるが、第2訴訟において裁判所によってなされた、その主張する詐欺の事実は認められないとの判断は、判決理由中で示される判断でありこの部分には既判力は生じない。それゆえ、第1訴訟につき裁判所がX勝訴の判決を下すことも、既判力を問題とする限り何らさしつかえないことになる。しかしながら、同一建物について、その登記はXに移転せずにYに移すというのでは、本件建物の所有権をめぐるX・Y間の紛争は少しも解決されないことにならない。参考判例①もこのことを意識したせいか、建物の所有権の存否については第3訴訟(所有権確認の訴え)を提起すればよいと判決文の中で示唆している。このように紛争解決手段は、まず解決までの費用と時間を費さざるを得ないだけでなく、仮に第3の訴訟でXが勝訴しXの所有権が確認されたとしても、将来、Yの訴訟追行は執行妨害となろうか。XはさらなるYに対して家屋の明渡請求訴訟という第4の訴訟の提起を余儀なくされるが、これは第2訴訟におけるY勝訴判決の既判力と矛盾せざるを得ることになり、実際問題として裁判による紛争解決が果たされないという事態に陥る。これに対し、争点処理論による場合には、訴訟の進行を阻害する、関連する第1訴訟と第2訴訟の一体的な紛争解決が図られることになる。その後実質的にみて後訴が前訴の紛争の蒸し返しとみられる場合には、信義則によって遮断するという処理を確立するにいたっている(→問題48)。3 信義則によって遮断される対象実質的にみて前訴の蒸し返しともいうべき後訴については信義則により遮断されるという考え方になった場合であっても、遮断される対象は何かという問題がさらに生じる。すなわち、後訴における請求レベルでの遮断がなされると考える場合には後訴は訴え却下という扱いがされるのに対して、主張レベルでの遮断がなされると考える場合には後訴については本案判決(前訴において敗訴した当事者が前訴において蒸し返し的な主張を行った場合には請求棄却となろう)が下されることになる。そもそも、実質的にみて前訴の蒸し返しともいうべき後訴を排斥するには必ずしも請求レベルで遮断しなくても、主張レベルでの遮断で十分である場合が少なくない。本問においても、Xの後訴請求そのものを訴え却下として遮断しなくても、後訴請求の先決的法律関係である所有権、あるいは買収処分の無効の主張を信義則に反するものとして遮断すれば、結果的には後訴請求の棄却を導くことが可能である。しかも、当事者が前訴において主張・立証を尽くした上での変動により後訴請求をすることができるのであれば、当事者責任に基づく遮断をやや緩やかにする。しかし、主張レベルでの遮断が可能な場合には、請求レベルでの遮断は避けるべきといえる。

「山本和彦編著、安西明子、杉山悦子、畑宏樹、山田文著『Law Practice 民事適当法〔第5版〕』商事法務、2024年」 ISBN978-4-7857-3092-5

争点効

公開:2025/10/20

Xは、自己の所有する建物(本件建物)をYに売り渡しその旨の登記も経たが、約定の明渡期日に至っても本件建物を明け渡さなかった。そのため、Xは、売買の完済表示によるものであるので売買契約を取り消すとして、Yに対し、所有権移転登記の抹消を求める訴え(第1訴訟)を提起した。他方、YもまたXに対し、本件建物の明渡しを求める訴え(第2訴訟)を提起し、Xは売買契約の詐欺による取消しを抗弁として提出した。審理の結果、第2訴訟につきYの主張する詐欺の事実は認められないとしてY勝訴の判決が先に確定したが、その後、第1訴訟についてXの主張する詐欺が認められX勝訴の判決が言い渡された。第1訴訟のXの勝訴判決に対し、Yは上訴をし、Xの詐欺による取消しの主張は第2訴訟においてすでに排斥されており、本件建物がYの所有であることは確定していると主張したが、この主張は認められるであろうか。●参考判例●最判昭和44・6・24判時569号48頁最判昭和48・10・4判時724号33頁最判昭和55・7・3判時1014号69頁●解説●1 既判力の客観的範囲既判力の客観的範囲について定めた民事訴訟法114条1項によると、裁判所が下した判断であってもそれが判決理由中の判断にとどまる限りは既判力は生じない。法が判決理由中の判断に既判力を認めないこととした理由は、以下の点にある。第1に、当事者の手続保障の処理としては、現に当事者が判決による処理を求めた訴訟物たる権利・法律関係についての判断にのみ拘束力を認めれば必要十分だからである。第2に、判決理由中の判断の対象となる当事者の主張や証拠活動との関係においては判決理由なのであるからなおざりにするはずはない。このことからは、判決理由中の判断に既判力が生じないとすると、当事者は1つひとつの争点につき深く争わずあるいは積極的に自白をするといった自由かつ柔軟な訴訟活動を展開することができ、訴訟物に集中した柔軟な判断活動が可能になるからである。このことは、裁判所としても審理の省力・変更・消滅という実体法上の論理的順序にこだわらずに、訴訟物の判断を最も直接かつ簡便に導きうるような訴訟指揮をすることができようということを意味する。しかしながら、判決理由中でなされた判断とはいえ、前訴において一度は裁判所によって認定された事実が後訴との関係において何らの拘束力を有しないというのは、常識的にみても不自然であると同時に、紛争解決の一回性という訴訟の目的にも反する。しかも、当事者が前訴において判断の対象として一定の拘束力を生じさせざるべきではないか、といった問題意識が生じてくる。2 争点処理論上述のような問題意識に対し、法は、すでに係属中の訴えにおける訴訟物の前提となる先決的法律関係の確認を当該訴訟手続内で求める申立てを認めている(中間確認の訴え。145条)。本問においても、XなりYから第2訴訟係属中に、本件建物の所有権の存否の確認を求める中間確認の訴えが提起されていれば、建物の所有権の存否についてなされた裁判所の判断が第1訴訟に作用することから、本問のような事態は生じなかったといえるが、これはあくまでも当事者から中間確認の申立てがなされていた場合に限られる話である。そこで学説の中には、訴訟の趣旨に重要な意味をもつ先決的関係につき両当事者が真剣に争った場合には、選択的、予備的に争う場合を除き、中間確認の訴えの黙示の意思表示があったと扱って、先決的法律関係についてなされた判決理由中の判断に既判力を認めるべき、とする見解も唱えられている(坂原正夫「民事訴訟における既判力の研究」〔慶應義塾大学法学研究会・2000〕121頁以下参照)が、黙示の訴え提起という説明はいかにも技巧的にすぎるようである。他方で学説においては、判決理由中の判断についても何らかの拘束力を認めようとする考え方が模索され、その1つの代表的な見解として争点効理論が提唱された。争点効とは、前訴において当事者が主要な争点として争い、かつ裁判所がこれを審理して下した当該争点についての判断に生じる通用力で、同一の争点を主要な先決問題として争う後訴の審理において、①当事者がその判断に反する主張・立証を許さず、裁判所は自縛する効力を認め、②当事者がその判断を前提とすることを原則とする。理論による。争点効発生の要件は、①前訴請求と後訴請求の当事者の同一性、②前訴と後訴の主要な争点となった事項についての判断であること、③裁判所がその争点において実質的な判断をしたこと、④前訴と後訴の利益状況は同等である、⑤前訴の係争利益がその重大性において当事者が提出すること、の5つである。争点処理論がその正当性を真に備えた信頼の具体的内容としては、既判力の客観的範囲を限定した趣旨を維持しつつ、判例が掲げる手続上の公平の機会を保障するといった判例を前提に利用した以上、それに尽きる。この争点処理論に対する学説上の評価としては、実定法上の根拠を欠くにもかかわらず判決理由中の判断に拘束力を認めることについては問題がある、として消極的な見方も主張されてはいるが、今日ではこれを支持する見解のほうが多いといえる。もっとも、争点処理論に肯定的な見解も、争点効と訴訟物論との関係についての見直し、争点処理論を基礎としてその要件の定式化・具体化を追究する方向(適用要件説)と、信義則の具体適用の問題であるかを重視して信義則における正当な証拠の提出の効果を認める方向(信義則説)とに分かれる。他方、判例は、既判力およびこれに類似する効力(いわゆる争点効)を有するものではないと判示し、参考判例①から③にみられるいずれにおいても、理由を問くとに挙げることもなく争点処理論を明確に否定する。

「山本和彦編著、安西明子、杉山悦子、畑宏樹、山田文著『Law Practice 民事適当法〔第5版〕』商事法務、2024年」 ISBN978-4-7857-3092-5

既判力の客観的範囲

公開:2025/10/20

AはBから甲土地を賃借していたところ、その後、BからY(Aの次女)への所有権移転登記がなされた。これよりしばらくしてAは死亡したので、Aの相続人であるX(Aの妻)は、Y(=Aの長女)とYを相手方として遺産分割の調停を申し立てたがこれは不調に終わった。そこで、XはYを相手どって、①甲土地についての所有権確認ならびに②移転登記手続を求めて訴え(前訴)を提起した。Xは、甲土地をBから買い受けたのはAではなくX1であると主張したが、Yは、甲土地をBから買い受けたのはX1ではなくAであり(理由付否認)、その後AからYに対し贈与がなされたので甲土地はYの所有物であると主張して争った。裁判所は、Bからこの土地を買い受けたのはAであると認定して、X1の請求を棄却したがこれが確定した(なお、裁判所は、CからAへの贈与の事実も認められないと判断した)。その後、遺産分割の調停が再び行われたが、Yが再度甲土地が自己の単独所有に固執したため、X2はX1とともにYを相手どって、①甲土地がAの遺産に属することの確認と、②おのおのの共有持分に応じた移転登記請求を求める訴え(後訴)を提起した。後訴のX1による請求に対し、前訴判決の既判力は及ぶか。●参考判例●最判平成9・3・14判時1600号89頁●解説●1 既判力の客観的範囲・所有権確認訴訟における訴訟物既判力の客観的範囲については、原則としてこれを判決主文に示された権利・法律関係の存否(訴訟物の存否)の判断に限定される(114条1項)。判決理由中の判断に拘束力を認める(訴訟物を基礎付ける前提となる権利関係や事実関係の存否)については既判力は生じないと解されている。ところで、後訴が前訴の判決理由中の判断に抵触するか否かが問題となるについては、前訴における訴訟物が何であったが重要なポイントとなってくる。すなわち、既判力が作用する場面として、前訴と後訴の訴訟物がどのような関係にある場合かが問題となってくるところ、これについては、①前訴と後訴の訴訟物が同一の場合、②同一訴訟物ではないが後訴請求が前訴請求と矛盾関係に立つ場合、③前訴の訴訟物が後訴の請求の先決問題となる場合、という3つの場合が挙げられる。土地の所有権確認訴訟においては、紛争解決の一回性の要請から、売買や相続といった所有権の取得原因ごとに訴訟物を捉えるのではなく、したがって既判力も所有権の存否の判断に生じると一般には解されている(これに対し、所有権の取得原因ごとに訴訟物を捉えるとすると、訴訟物は前訴の甲土地の所有権であり、後訴の訴-所有権に限定されることになる)。所有権の取得原因は訴訟物ではなく攻撃防御の方法たるにすぎないこととなり、「Bからこの土地を買い受けたのは広末である」、「亡AからYへの贈与の事実は認められない」といった判決理由中の判断には既判力は発生しない。したがって、X2が後訴で甲土地の広末に属することの確認を求める(後訴請求の①)ことは、前訴判決の既判力には抵触しない。2 所有権と共有持分権の関係所有権と共有持分権の関係については、共有者の有する権利は単独所有の権利と性質・内容を同じくするものであり、単にその分量・範囲に広狭の差があるにすぎず、全部、一部の関係にあると解されている。そのため、所有権確認訴訟において証拠調べの結果、原告と第三者との共有であることが判明した場合には、裁判所は(訴えの変更をまでもなく)共有持分権確認の判決を下すことになる。所有者の性質については、民法学においてさまざま議論があるが判例は所有権説を採用しており(最判昭和38・2・22民集17巻1号225頁など)、これを前提とすると、単独所有権と複数の共有持分権との関係も全部・一部の関係となろう。以上より、本問における後訴請求の②の訴訟物は移転登記請求権であるが、甲土地の共有持分権の取得を主張するものであることは明らかである。甲土地についてのX2の単独所有権を否定した前訴判決の既判力に抵触するのではないかとの問題が生じてくる(上述の既判力の作用③)。この問題につき、参考判例①は、所有権確認請求訴訟において請求棄却の判決が確定したときは、原告が訴訟の基準時において目的物の所有権を有しない旨の判断に既判力が生じるとして、基準時以前に生じていた所有権の一部である共有持分権の取得原因事実(相続)を後訴で主張することは、原告の確定判決の既判力に抵触する。との判断を下している。訴訟物の捉え方や意義や意義と共有持分権とをめぐってさまざまな理解からは、このような判断や結論は導きえないともいえる。しかしながら、前訴判決の既判力が後訴請求の②に作用するとなると、仮に、審理の結果、後訴裁判所が、甲土地は亡Aの遺産であるとの判断に至った場合には、甲土地が亡Aの遺産であるにもかかわらず、X1は同じ共同相続人であるYに対し自己の持分権を主張できなくなってしまうこととなり不都合な事態を招きかねない。この不都合な事態の処理としては、もともと、参考判例①の結論を前提として、その後の遺産分割の処理は図れるとする見解も存在するが、かかる不都合を解消する方途としては、所有権確認訴訟における訴訟物の捉え方について所有権の取得原因ごとに訴訟物を捉える見解や、共有持分は特定の原因の取得であることを前提としたものであり、共有持分権の取得方法も異なるなどとし、通常の所有権の取得方法とは異なることにもなるとして、後訴の請求には既判力は及ばないと解する見解も有力である(ジュリ688号(1976年)92頁、田中豊・判評420号(判時1476号(1994))201頁など)といったことなどが考えられる。参考判例①にも、前訴後の信義に反する相手方の行為(Yによる再度の単独所有の主張)前訴において予備的にでも相続による共有持分権の主張をしておくことに対する期待可能性の低さなどに鑑み、既判力に抵触する主張であっても例外的にこれを許容すべき場合があり得るとの反対意見が付されているが、これは上述のような不都合さに配慮したものといえる。3 既判力と矛盾の可能性訴訟物が前訴の客観的範囲を画することは一般的に認められているものの、これがまったくの例外を許さないテーゼかというとそうでもなく、基準時までに存在していた事実であっても前訴においてその提出がおよそ期待できなかったような場合には判決の遮断効は及ばない。とする見解が学説では有力に唱えられている(いわゆる失権効における既判力の縮小論。反対、鈴木正裕「既判力の遮断効(失権効)について」判タ678号(1988)4頁。中野(1)240頁)。参考判例①における反対意見も、このような考え方に親和性があるといえよう。また、さらに進めて、事実の提出の不都合だけでなく原告で問責されなかった法的観点についても既判力の縮小を認めうると解する見解も存在する。すなわち、法的観点の前訴的検討を怠って前訴を維持したことの問題点と、また、問題とすること期待することもできなかったため、その観点からする請求の当否をめぐっては、当事者に手続保障がなかったと認められる法的観点については既判力は及ばないとする見解や、あるいは、裁判所が法的観点における職務に違反してないか、といった観点、さらにその後の法的観点による判断は、判決の理由(ただし、審理した相手方と判決理由中の判断も、後訴原告が前訴において主張しなかったことにつき無過失であることまで要求する)を理解できる。このような考え方に依拠すると、本問においては、X2にとっては従前という法的観点と相続という法的観点の判断もまったく別のものであるところ、前訴の訴訟となった法的観点の後訴における前訴の矛盾を許さないとするが、しかし他方で、このような見解に対しては、前訴において訴訟の対象となる事実が提出されている以上、期待可能性がないとはいえないとする反対意見も存在する。4 さらに進めて本問のように、売買等を請求原因事実とする所有権確認請求が棄却された後に、あらためて相続を請求原因事実とする共有持分に関する訴えを提起しても、参考判例①に従うと、既判力によって遮断される可能性がある。そこで、前訴において相続の事実が認定し得るような場合においては、前訴裁判所は、相続を請求原因事実とする共有持分に関する訴えを後訴としてでも前訴判決の既判力に抵触するおそれがある旨を原告に対して釈明した上で一部認容すべきかどうかが判断すべきではないのか、といった疑問も生じ得る。参考判例①以後に登場した裁判例においては、そのような場合における前訴裁判所の釈明の必要性を説いており(最判平成9・7・17判時1614号72頁、最判平成12・4・7判時1713号50頁など)、参考判例①とセットで押さえておきたい。

「山本和彦編著、安西明子、杉山悦子、畑宏樹、山田文著『Law Practice 民事適当法〔第5版〕』商事法務、2024年」 ISBN978-4-7857-3092-5

証拠保全

公開:2025/10/20

Aは心臓病に罹患し、Y医療法人の運営する病院に入院し、手術を受けたところ、手術中に病状が悪化し死亡した。Aの妻であるXは、手術の執刀医に説明を求めたところ、「もともと患っていたAの心臓が手術中に止まったものであり、不可抗力であった」と繰り返すだけであり、納得できない。そこで、Xは真相究明を求めて訴訟を提起しようと考えているが、Yの医療過誤について主張していくことは難しいので、Xは、Aの死亡との因果関係について主張していくことは難しいので、Xは、Aの診療録等の診療の安全性を求めて証拠保全の申立てをした。このような証拠保全は認められるか。●参考判例●広島地決昭和61・11・21判時1224号76頁●解説●1 証拠保全制度の意義証拠保全とは、訴えを提起して本来の証拠調べの時期まで待っていたのでは、証拠の利用が不可能になったり著しく困難になったりするおそれがある場合に、あらかじめその証拠調べを取り調べておき、その訴訟手続において利用することを可能にする手続である(234条以下)。例えば、ある事件について争点を知っている証人が死亡するおそれがあるとか、訴えを提起して争訟問題として争っている間に証拠がなくなってしまうおそれが大きいときに、あらかじめ証人尋問をしておく、後者の訴訟手続でその証言を証拠資料とするような場合が典型である。ただ、実際の訴訟事件ではこのような典型的な事由はなく、現実に証拠保全が利用される場面としては、その多くが本問のような医療事故関係の事件において申立てが認められる場合である。この場合、事故関係者の供述はその後、カルテ等のコピーをとり、そこに記載された情報に基づき主張等を作成することになり、実際には提訴に際した情報収集の手段として用いられているとされる(ただ、最近では、個人情報保護法で本人の診療情報の開示請求が認められ(個人情報25条)、これは診療記録にも適用になると解されるし、厚生労働省の「診療情報の提供等に関する指針」などによって、医療機関から任意に診療記録が開示される場合も増えているとされる)。2 証拠保全の要件証拠保全が認められる要件は、「あらかじめ証拠調べをしておかなければその証拠を使用することが困難となる事情がある」ことである(234条)。この要件の充足については、前記のような瀕死の証人といった場合は明確であるが、診療記録の保全のような場合にはどこまでの事情の主張・説明が求められるかが問題となる。この点については、抽象的な改ざんのおそれがあれば足りるとする見解と、客観的・具体的な改ざんのおそれを必要とする見解とに分かれる。そして、後者のような見解については、そこで必要とされる改ざんのおそれの程度について、さらに考え方が分かれる状況にある。判例の立場として、いまだ最高裁判所の判例は存在しないが、下級審判例として、参考判例①は3つの代表的な立場を示す。それぞれは、個々の事案に即した具体的な主張や疎明が必要であることを前提に、以下のように述べる。すなわち、「Aは、『自己に不利な記載を含む証拠を自ら有する立場に、これを意にそまぬまま提出することを欲しないのが通常であるから』といった抽象的な改ざんのおそれでは足りず、訴訟に敗訴しないための措置をとるといった、当該医師が、患者側から診療上の問題点について説明を求められたにもかかわらず相当な理由なくこれを拒絶したとか、或いは責任回避を矛盾しない虚偽の説明をしたとか、その他これらに不誠実な態度で終始したことなど、具体的な改ざんのおそれを一応推認させるに足りる事実を疎明することを要する」との立場である。これは、前述の見解の対立に関して言えば、具体的な改ざんのおそれを必要とする見解に含まれるものといえる。そして、そのような立場は裁判所の一般的に傾向と評価でき、また学説においても多数説に属するといえよう。ただし、この裁判例は「抽象的な改ざんのおそれ」については「一応推認させるに足りる事実」の疎明を必要とすることにとどまり、この見解の中でも比較的緩やかに改ざんのおそれを認める考え方によるものとみられる。具体的な事案の処理の関係でも、原審では改ざんのおそれが否定されているにもかかわらず、参考判例①は同じ事実関係を前提に改ざんのおそれを認めている。また、参考判例①は、改ざんのおそれを判断する要素として、①診療の改ざんの有無、②医師の説明拒絶・虚偽説明が掲げられている(学説などではほかに、当該医師等の診療の記録の管理権限などを挙げるものもある)。以上のような見解に対して、抽象的な改ざんのおそれだけで足りるとする見解も、学説上は有力である。このような見解としては、前で詳述するような証拠保全の機能を正面から認めて証拠使用の困難性という要件をそもそも重視しない考え方や、診療記録に関する実体法(準委任契約)上の閲覧(報告)請求権(民646条)を前提としてその簡易な実現方法として証拠保全を捉える考え方などがある。改ざんのおそれが抽象的でよいか具体的に必要かは、一般論として違いがあることは間違いないが、実際上の違いはどこまであるのかはやや疑問である。前記のように、具体的な改ざんのおそれが必要であるとしても、その程度が緩やかなものでよいとすれば結論に大きな差異はないかもしれない。当該医師に改ざんの前歴もない、また十分な説明がされているような場合には証拠保全を認めぬとか、見解が分かれる可能性があるが、紛争が発生するような事案を前提にすれば、このような結論は稀ではないかとも思われる(さらにカルテの管理的性格も問題となるが、この点では近時の電子カルテの一般化をどのように評価するかも問題となり、改ざんのおそれが一般的に現実的な懸念に乏しいとする見解もありうる)。3 証拠保全の機能以上のような要件をめぐる議論は、証拠保全の機能をめぐる見解の相違に起因する面がある。証拠保全の機能として、証拠を保全するという本来の機能が認められることは当然であるが、それに加えて、提訴前の証拠開示の機能を独立の機能として考えるかどうか問題である。医療過誤訴訟においては、事故に関する情報は基本的に原告が独占的に保有しており、患者側は事故原因について十分な情報がなく、医師の措置に何らかの問題があったのではないかという疑問を前提に訴えにとどまる場合が少なくない。しかし、不法行為訴訟であれ債務不履行訴訟であれ、患者側の医療過誤の先行すべきであった具体的注意義務を主張立証していなければならず、診療記録等の情報がなければそのような主張立証は非常に困難である。そこで、証拠保全の手続を活用して情報・証拠の開示を求めるニーズが生じる。すなわち、証拠保全によって得られた診療記録の情報に基づき、原告(患者側)が訴状を作成して訴えを提起し、具体的な主張立証をすることができるはじめて可能になるとすれば、このようなニーズを正面から制度の機能として理解するとすれば、そのような必要性がある限り、証拠保全の要件を緩和して解釈すべきとする見解が生じることになる。他方、証拠保全の本来の機能を重視する立場からは、このような証拠保全制度の利用は(仮にあうりうるとしても)副次的な機能にとどまり、それに基づき要件を緩和することは相当でないと考える。翻って考えてみると、民事訴訟における証拠や情報の開示は、現行民事訴訟法の制定やその後の改正において1つの大きな論点となってきた。とりわけ医療訴訟など被告となると、その者が十分な証拠を所持していないような証拠保全は訴訟の前段階において、その権利を実現するためには、証拠・情報の開示は重要な意義をもつ。現行法制定時には、文書提出義務の拡充や当事者照会制度が創設され、平成15年民訴法改正時には、訴え提起前の証拠収集制度が創設された。提訴前の原告の情報・証拠の取得という点では、後者が重要であるが、この制度はあくまで文書の所持者が任意に応じることを前提としており、強制力はなく、それに代替する機能は果たしえない。その意味では、アメリカの民事訴訟のように、当事者の情報収集を緩やかに認める強力な手段(いわゆるディスカバリーの制度)を我が国が有していない以上、問題は解決されない。そのような制度については批判も多い。その意味では、証拠保全の機能をめぐってなお議論は続いていく可能性があろう。4 証拠保全の手続現行法上、証拠保全は証拠調べの方法として定められている。したがって、証拠保全の手続としては、提訴後に可能な証拠調べの手続はすべて可能である。例えば、前述の瀕死の証人の例では、証人尋問の手続がとられ(提訴後も尋問ができる状況であれば、当事者尋問により再度の尋問の必要もある(232条))。診療記録の例の場合は、書証の検証と検証の申出にともなう。改ざんのおそれを前提に現状の固定が証拠保全の目的とされる以上、そこでは文書の意味内容自体が問題とならず、文書の客観的な状況の固定に意味があり、検証が相当ということになろう(実施上も検証で行われることが一般的である)。証拠保全が決定され、各証拠調べ手続がとられる場合には、提訴後と同様の証明力が認められる。例えば、証人尋問の場合、提訴後と同様に、証人に証言義務等が課される。診療記録の場合、文書に係る検証に文書所持者には民訴法220条の準用を認めていないと解される。すなわち、所持者に文書提出義務が認められない。提出を拒絶する場合には「正当な理由」がないとしてただちに制裁が科される場合を除き(223条2項)、所持者に対する制裁はない(検証自体は不能となるが)。提出後の真実性の可能性があります(同条1項による224条の準用)。証拠保全において、診療記録の場合、一般に相手方には検証の実施を知らせずに裁判官がいきなり検証場所に臨み、検証を実施することが通常とされる。相手方に事前に知らせると、改ざんのおそれがあるため、不意打ち的な実施が望ましい。証拠保全の決定では、検証物表示命令を発し、相手方が、検証の相手方が任意に提出しない場合には、裁判官が、検証物の提出を命じ、相手方がこの命令に従わない場合には提出命令を発することができるとされる(広島高決平22・6・23金総1356号23頁参照)。

「山本和彦編著、安西明子、杉山悦子、畑宏樹、山田文著『Law Practice 民事適当法〔第5版〕』商事法務、2024年」 ISBN978-4-7857-3092-5

文書真正の推定

公開:2025/10/20

XはYに貸し付けた300万円が期限になっても弁済がないとして、Yに対して貸金の返還を求める訴えを提起した。Xが金銭消費貸借契約の成立を立証するために借用書を提出したところ、Yは、当該借用書は、同居する義理の父であるAがYの印鑑を勝手に持ち出してなされたものであると反論した。ところが、借用書にY名下にある印影(実印などに印鑑を押した跡)は、Yの印章(印鑑)によるものであることは明らかであり、この点についてYは争っていない。Yがどのような事実を立証することに成功すれば、裁判所は借用証書が偽造であったと認定することができるか。●参考判例●最判昭和39・5・12民集18巻4号597頁●解説●1 文書の真正とは書証の対象となる文書は、原則として証拠能力は認められる。そのため、立証事実との関連性が認められる限りは、文書を取り調べ、その記載内容がどれほど事実認定に影響を与えるものであるか、裁判官が自由な心証に基づいて判断することになる(自由心証主義、247条)。証拠資料が裁判官の事実についての心証形成に与える影響の程度を一般に証拠力というが、文書の場合、この意味での証拠力を判断する以前に、形式的な意味での証拠力を満たしていることが必要である。本来的な意味における証拠力と実質的証拠力、後者の意味における証拠力を形式的証拠力という。書証手続においては、文書の証拠能力の調査は不要であるが、形式的証拠力の調査が必要であり、この評価が認められてはじめて実質的証拠力の調査に入ることができる。ここで、形式的証拠力とは、文書の記載内容が、作成者の意思(思想、判断、報告、感情等)の発現であると認められることをいう。文書は、文書が真正であること、すなわち、文書が作成者の意思に基づいて作成されたことが立証されれば、形式的証拠力は肯定される(例外は、写字のようにそもそも思想を表現したとはいえない場合)。したがって、書証の申出をした当事者は、文書が作成者の意思に基づいて立証しなければならず(228条1項)、最終的には自由な心証に基づいて文書の真正を判断するが、実際には、その立証は極めて困難であるため、いくつかの推定規定を置いている。2 文書の真正の推定例えば、公文書は、すなわち公務員がその職務の遂行として、権限に基づいて作成された文書については、その方式や趣旨により、公務員が職務上作成したと認められる外形があれば、真正に成立したものと推定される(228条2項)。これは、法律上の推定ではないので反証は可能である。本問の借用証書のような公文書以外の文書を私文書というが、私文書については、本人またはその代理人の署名または押印があるときには、真正に成立したものと推定される(228条4項、同趣旨の規定として電子署名法3条)。3 私文書についての2段の推定民事訴訟法228条4項による推定を受けるためには、本人またはその代理人の署名または押印があることの立証が必要である。これは、本人または代理人が自らの意思に基づいて署名、押印をした場合を意味するとされている。署名の場合には、筆跡が作成名義人のそれと一致すれば、自らの意思に基づいて署名したものと推定することはできよう。これに対して、押印の場合には、作成名義人以外の者であっても、作成名義人の印章を用いて、文書に印影を顕出させることができるので、作成名義人の印章と印影が一致したことから、ただちに、作成名義人が自らの意思に基づいて押印したと推定してよいか問題となる。この点、参考判例①は、文書の印影が、作成名義人の印章によるものと一致する場合には、反証がない限り、作成名義人の意思に基づいて印影が成立したものと推定されるものと判示した。これと民事訴訟法228条4項を合わせると、作成名義人の印章と印影の一致から、名義人の意思に基づく押印の事実が推定され、そこから、本人の意思に基づいて文書が作成されたこと、すなわち文書の真正が推定される。この推定は2段階にわたって行われるため、2段の推定といわれている。この推定を覆すか立証者に委ねられており、今後押印のない文書が増加すれば、推定を用いない立証が必要となる場面が増えることが予測される。4 2段の推定の覆し方このような推定により、私文書の真正の立証は極めて容易になるが、真正を争う当事者はこの推定を覆すことはできるのであろうか。まず、1段目の推定は、印章は慎重に扱われ、理由もなく他人に使用されることはないはずなので、作成名義人の印章で押印されていれば、自らの意思に基づいて押印したはずであるという経験則に基づく事実上の推定とされている(最判昭和45・9・8集民100号415頁、最判昭和47・12・12金法668号32頁)。したがって、参考判例①が覆されるように、反証により、この推定を覆すことは可能である。例えば、印章を人に預けたり共有したりして、Aが自由にYの印章を使えることができたため、印章が盗用ないしは冒用されたことを立証することにより、推定は覆され、文書の真正を否定することができる。これに対して2段目の推定、すなわち民事訴訟法228条4項の規定に基づく推定については、法定証拠と解すると法律上の事実推定と解する説に分かれている。前者によれば、推定を覆すには反証で足りるが、後者の場合には本証が必要となるとする点で違いがあるようであり、例えば、白紙に押印をしたとか、押印された後に文書が改ざんされたなど、文書の記載内容が作成名義人の知らない事項であったことの反証に成功する。すなわち、文書の成立の真正について当事者に争点があることを立証するとともに成功すれば、推定を覆して文書の真正を否定することができる。

「山本和彦編著、安西明子、杉山悦子、畑宏樹、山田文著『Law Practice 民事適当法〔第5版〕』商事法務、2024年」 ISBN978-4-7857-3092-5

文書提出義務 | 刑事文書

公開:2025/10/20

AはBとの間で生じた交通事故(以下、「本件交通事故」という)で損害を被ったとして、C保険会社から保険金200万円を受け取った。ところがCは、本件交通事故は、保険金を詐取する目的でAとBが共謀して故意に生じさせたものであると主張して、保険金詐欺の不法行為に基づき、Aに対して保険金相当額の損害賠償請求訴訟を提起した(以下、「本件訴訟」という)。ところで、AとBは上記保険金詐取等に係る被疑事件で起訴がされ(以下、「本件被疑事件」という)、Aは自身を被告人とする詐欺被告事件の公判(以下、「本件刑事公判」という)ではBとの共謀の事実を否認して訴訟の成立を争ったが、有罪判決が確定した。本件訴訟でもAは共謀の事実を否認し、不法行為の成否を争ったため、Cは、D地方検察庁が保管する、本件被疑事件で共犯者とされたBの検察官や司法警察員に対する供述調書のうち、本件刑事公判に提出されなかったもの(以下、「本件文書」とする)について文書提出命令を申し立てた(以下、「本件申立て」という)。本件申立ては認められるか。●参考判例●最決平成16・5・25民集58巻5号1135頁最決平成17・7・22民集59巻6号1888頁最決平成19・12・12民集61巻9号3400頁最決令和2・3・24民集74巻3号455頁最決令和2・3・24集民263号135頁●解説●1 刑事事件関係文書の提出義務民事訴訟法220条4号ニは、「刑事事件に係る訴訟に関する文書若しくは少年の保護事件の記録又はこれらの事件において押収されている文書」(以下、「刑事事件関係文書」という)について、文書提出の一般義務の例外とする。刑事事件関係文書には、被疑事件の捜査段階において作成された記録、公判調書以外にも、傍受調書の複製書類なども含まれる。これらの文書が一律に提出義務から除外される理由以下のように説明される。まず、これが開示されると捜査の進捗状況や捜査手法が明らかとなり、関係者の事情聴取や犯人特定等の捜査が困難となる、①被疑者被告人の名誉やプライバシー等に対して重大な侵害が生じ、②犯罪の嫌疑が晴れた後も記録が残り、犯罪の予防や犯罪の抑止に効果がある、③将来の捜査や公判において、国民の協力を得ることが困難になるなど、さまざまな弊害が生じうる。また、刑事手続では独自に開示制度が用意されており、これを超えて民事裁判所が文書提出を命ずることは、これらの制度との整合性を欠く結果になりかねない。さらに、これらの文書は民事訴訟法220条4号ロの公務秘密文書に該当する可能性があるほか、監督官庁(223条3項)は、捜査の秘密との関係でこれに該当する理由を具体的に明示することが困難な場合があり、また、イン・カメラ手続(同条6項)も利用することもできないため、捜査関係資料を有しない裁判所が個別具体的な事情を考慮することは必ずしも容易ではない(参考判例①、浦辺幸男ほか「民事訴訟法の一部を改正する法律の概要(下・ジュリ1210号(2001)174-175頁)。このような趣旨からすれば、参考判例③は、刑事事件関係文書に該当するか否かを判断するに当たっては、当該文書等が民事訴訟に提出された場合の弊害の有無や程度を個別に検討すべきではなく、刑事事件若しくは被疑事件に関して作成され又はこれらの事件において押収されている文書等であれば当然に刑事事件関係文書に該当するとして、検察官、検察事務官または司法警察職員から鑑定の嘱託を受けた者が当該鑑定に関して作成し、もしくは受領した文書またはその写しについて、刑事事件関係書類と認定している。その一方で、刑事事件関係文書が一切民事訴訟に提出されないと、真実発見が阻害されるなどの問題は大きい。そもそも民事訴訟法220条4号の各除外事由に該当しても、同条1号から3号文書に該当すれば提出義務は生ずると解されており(1号から3号文書については4号のいずれの除外事由が直接適用されない(高田裕成ほか編『注釈民事訴訟法(4)』(有斐閣・2017)491-492頁[三木浩一]))、判例はほぼ「コンメンタール民事訴訟法(2)第二版」(日本評論社・2019)412頁)、刑事事件関係について作成された「法律関係文書」として文書の所持者との間の法律関係について作成された法律関係文書に該当するかどうかが問題となる。2 法律関係文書該当性法律関係文書は、法律関係それ自体を記載した文書に限らず、その法律関係に関連性のある事項を記載した文書も含まれ(秋山ほか・前掲406頁)、さらには、民事訴訟法220条3号後段の文言および沿革に照らし、当該文書の記載内容やその作成の経緯および目的等を勘案して判断すべきものである(参考判例①)。刑事事件関係書類のうち法律文書該当性が問題となった裁判例である。参考判例②では、接見状況許可状は、「住居、書簡及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのできない権利」(憲35条1項)を制約して、警察官に住居等を捜索し、その所有物と差し押える権限を与え、申込人との間を発生させるという法律関係文書であり、捜査令状請求書は、許可状の交付を求めるために法律上作成文書である(刑訴218条3項、刑規155条1項)ため、いずれも法律関係文書であるとする。また、参考判例①では、性犯罪の被疑事件のYの供述と被害者の供述調書について、勾留請求に当たって当該書類を添付したものを検察官が裁判官に提示したものであり、被疑者と裁判官との間の法律関係文書に該当するとし、参考判例④では、同法解析の結果が記載された鑑定嘱託書等の文書について、死刑を科する趣旨などを不当に傷つけられない遺族の法的利益の侵害の有無に係る法律関係を明らかにするものであるので法律関係文書であるとしている。3 刑事訴訟法47条による開示の拒否その一方で、刑事訴訟法47条本文は、「訴訟に関する書類は、公判の開廷前には、これを公にしてはならない。」として、そして同書において、「公益上の必要その他の事由があって、相当と認められる場合は、この限りでない。」と定めている。(同条の「訴訟に関する書類」には、本件文書のように、捜査段階で作成された供述調書で公判に提出されなかったものも含まれる(参考判例①))刑事事件関係文書に該当したとしても、同条の「訴訟に関する書類」として提出義務を免じるのかが問題となる。刑事訴訟法47条について、参考判例③は、同条本文が「まさに公にされることにより、被疑者、被告人の名誉、プライバシーが侵害されたり、社会復帰が妨害されることとなったり、又は、捜査機関の不当な影響を受けたりするなどの弊害が発生するのを防止することを目的とするものであること、同条ただし書が、公益上の必要その他の事由があって、相当と認められる場合における例外的な開示を認めていることから、同条ただし書の規定による開示を「公にする」ことに相当と認めることができるか否かの判断は、当該「訴訟に関する書類」を公にする目的、必要性の有無、程度、公にすることによる被告人、被疑者および事件の関係者のプライバシー等の侵害等の上記の弊害発生のおそれの有無等諸般の事情を総合的に考慮してされるべきものであり、当該「訴訟に関する書類」を保管する者の合理的な裁量に委ねられている」とする。その上で、民事訴訟法220条3号の法律文書として、刑事訴訟法47条の「訴訟に関する書類」に該当する文書の提出が求められた場合でも、文書保管者による裁量的判断は尊重されるべきであるが、「当該文書が法律関係文書に該当する場合であって、その保管者が提出を拒否したことが、民事訴訟における当該文書を取り調べる必要性の有無、程度、当該文書が開示されることによる上記の弊害発生のおそれの有無等の諸般の事情に照らし、その裁量権の範囲を逸脱し、又は濫用するものと認められるときは、裁判所は、当該文書の提出を命ずることができる」とする。参考判例①以外にこの基準が適用された裁判例を見ると、捜査差押許可状と捜査差押調書について、いずれも取り調べの必要はあるとしつつ、申立人に対して従前の名誉、プライバシー侵害の記載もなく、申立人にとって留保される性質のものではない。しかも、申立人に提示される以上、開示されても今後の捜査に悪影響が生じるとは考えがたいので、提出の拒否は裁量権の逸脱、濫用に当たるとするとして提出義務を肯定した。これに対して後者は、申立人への提示は予定されておらず、現行犯逮捕等の捜査の秘密にかかわる事項や被疑者、被害者その他の者のプライバシーに属する事項が含まれていることなどがないとはいえず、本件では被疑事件の捜査が継続中であって、捜査の秘密に開示される事項や被疑者等のプライバシーが含まれる蓋然性が高く、開示によって今後の捜査や公判に悪影響が生じたり、関係者のプライバシーが侵害されたりする具体的なおそれがあるため、提出の拒否は裁量権を逸脱、濫用したものではないとして提出義務を否定した。参考判例①では、告訴状および被害者の供述調書について、一般的には開示することで被害者等の名誉、プライバシーの侵害や、捜査や公判への不当な影響という弊害が発生するおそれがあるとしつつも、被害者が別件訴訟を提起しており、すでに書証として提出された陳述書の中で被疑事件の態様が詳細かつ具体的に記載されていること等の具体的な事実関係の下では、被害者の名誉、プライバシーが侵害されることによる弊害が発生するおそれはなく、捜査や公判に不当な影響が及ぶおそれもないため、開示の拒否は裁量権の濫用、濫用となり提出義務があるとした。4 本件の場合本件文書は刑事事件関係文書に該当するが、法律関係文書に該当するかは問題となる。本問と同様の事案である参考判例④は法律関係文書該当性について判断していないが、同決定では法律文書に該当するとしており、それを参考にすると、本件文書は、Aが共犯者とともに起こした被疑事件の被疑者となり、その捜査の過程で作成されたものであり、その後、Aが起訴されて刑事被告人となったことからすると、捜査機関とBとの間に形成された本件被疑事件に関する法律関係に関連のある事実が記載され、その法律関係を明らかにする目的で作成されたものであるため法律関係文書に該当する。仮に法律関係文書に該当しても、本件文書のように、捜査段階で作成された供述調書に含まれるため、同条による開示が裁量権の逸脱、濫用に該当しなければ提出義務を負わないことになりそうである。本件申立ては、すでに有罪判決が確定しているが、本件訴訟において、本件刑事公判において提出されなかったものと同様の主張をし、その主張事実を立証するために本件文書の提出を求めるものであるところ、本件文書が提出されなくても、AとBの証人尋問を申し出たり、本件刑事公判で提出された証拠を書証として提出することなどが可能であり、本件訴訟や本件文書を証拠として取り調べることが、Aの主張事実の立証に必要不可欠なものとはいえない。また、本件文書が開示されることで、Bや第三者の名誉、プライバシーが侵害されるおそれがないとはいえない。そのため、本件文書の開示拒否は、裁量権の範囲を濫用、逸脱したとはいえず、提出義務は否定される。そのため、本件申立ては認められない。なお、参考判例①では、法律文書該当性については触れていないが、仮に該当しなくても、刑事訴訟法47条との関係で提出義務がないことになるので、結論の上では変わりがない。

「山本和彦編著、安西明子、杉山悦子、畑宏樹、山田文著『Law Practice 民事適当法〔第5版〕』商事法務、2024年」 ISBN978-4-7857-3092-5

文書提出義務 | 公務秘密文書

公開:2025/10/20

Xは、埼玉県に居住して生活保護法に基づく生活扶助の支給を受けていたが、同法の委任に基づいて厚生労働大臣が定めた「生活保護法による保護の基準」(以下、「保護基準」という)の改定により、所轄の福祉事務所長から生活扶助の支給額を減額する旨の保護変更決定を受けた。そこでXは、保護基準の改定は違憲、違法なものであるとして、上記福祉事務所長の属する地方公共団体を被告として、上記各保護変更決定の取消等を求めた。Xらは、厚生労働大臣が保護基準を改定するに当たって根拠とした統計に係る家計の集計方法が不合理であることなどを立証するために必要があるとして、国(Y)が所持する、2008年および2014年の全国消費実態調査の調査票である家計簿A(10月分の収支)、家計簿B(11月分の収支)、年収・貯蓄等調査票および世帯票が綴じられたファイル一式のうち、単身世帯のもの(以下、「本件申立文書」という)につき、文書提出命令の申立て(以下、「本件申立て」という)をした。裁判所は本件申立てを認めることはできるか。*国民生活の実態について、家計の収支および貯蓄、負債などの家計資産を総合的に調査し、全国および地域別の世帯の消費、所得、資産に係る水準などを明らかにすることを目的とした調査であり、5年に1回実施されている。調査は、都道府県知事等の任命または委託を受けた調査員が対象となる世帯に調査票の各用紙を配布し、被調査者がこれらに所定の調査事項に該当する事項を記載したものを封筒に入れて密封し、調査員が回収する方法によって行われる。現在では「全国家計構造調査」という。●参考判例●最決平成25・4・19判時2194号13頁最決平成17・10・14民集59巻8号2265頁最決平成17・7・22民集59巻6号1888頁●解説●1 公務秘密文書とは民事訴訟法220条4号ロ(→問題40)は、「公務員の職務上の秘密に関する文書でその提出により公共の利益を害し、又は公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれがあるもの」については提出義務を免れるものとしている。このような文書は「公務秘密文書」と呼ばれ、公務秘密文書を一般提出義務の除外事由としているのは、公務員の守秘義務を尊重しつつ、真実発見の要請を満たすためであり、証人尋問において、公務員に職務上の秘密について証言拒絶権が認められていること(197条1項1号・191条1項)と同様の趣旨に基づく(→問題40)。公務秘密文書の要件は、公務員に対する証人尋dont't の監督官庁の承認要件(191条2項)に対応するものである。公務秘密文書と似た概念に、「公文書」がある。公文書は、公務員または公務員であった者がその職務に関して保管、または所持する文書である。公務秘密文書は通常は公文書であるが、保管、所持するので公文書であることが多いが、私人が国や地方公共団体の法律顧問に基づいて所持する場合もある。民事訴訟法220条4号ロは、公文書に限定していないため、私人が公務秘密文書を所持する場合であっても、文書提出義務を免れる。2 公務秘密文書の要件参考判例②は、労災事故に係る労働基準監督署等の調査担当者が作成の災害調査復命書に対する文書提出命令が申し立てられた事案であるが、公務秘密文書に該当するための要件を明確にしている。すなわち、①公務員の職務上の秘密に関する文書であること、②それを公表することで公共の利益を害するか、公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれがあることである。①公務員の職務上の秘密とは、公務員が職務上知り得た非公知の事実であって、秘密として取り扱われているもの(形式説)では足りず、実質的にも秘密として保護に値するもの(実質説)を指す。②に、公務員の所掌事務に属する秘密だけでなく、公務員が職務を遂行する上で知ることのできた私人の秘密であっても、それを公にすることで私人の信頼が損なわれ、公務の公正かつ円滑な遂行に支障を来すものもこれに含まれる。②については、単に文書の秘密性がおかされる抽象的なおそれでは足りず、文書の内容からみて具体的なおそれが存在することが必要である。②の具体的なおそれの例としては、①行政内部の意思決定の自由が害される可能性がある(参考判例②。ただしあまりない)、②①の調査の結果判明するに至った人の情報について、私人に秘密を誓約したり、聴取内容をそのまま記載・引用したり、法的な強制権限に基づかずに、具体的なおそれを立証する方がやりやすい(参考判例②)。もっとも、①において実質説を採用すると、②の要件は重なり合うようにもみえる。そのため、①では文書の性格や記載内容を客観的に判断する(客観的、外形的判断)にとどめるべきか、②については裁判所が実質的な判断を行うべき(山木・後掲91頁)。別の考え方として、②の判断に当たっては、文書を提出することによる公益上の不利益と、それによって生ずる当事者への支障を比較衡量して判断する考え方もある(伊藤493頁)。この考え方によると、①と②では考慮要素が重なる。比較衡量についてはされていないものの、行政庁の運用と違うとも、同法による裁判を実現する正当な利益との利益を公平に犠牲にしてまで実現されるべきである。3 公務秘密文書の判断手続一般の私文書につき文書提出命令の申立てがされた場合には、裁判所は、証拠の必要性など、その申立てに理由がないことが明らかでないときを除き、民事訴訟法221条4号に該当する文書であるか、監督官庁の意見を聴かなければならない(223条3項後段)。そして、当該監督官庁は、当該文書が公務秘密文書に該当する旨の意見を述べるときは、その理由を具体的に示さなければならない(同項前段)。監督官庁の意見が、国の安全が害されるおそれ、諸外国もしくは国際機関との信頼関係が損なわれるおそれ、または諸外国もしくは国際機関との交渉上不利益を被るおそれ(223条4項1号)、あるいは犯罪の予防、鎮圧または捜査、公訴の維持、刑の執行その他の公共の安全と秩序の維持に支障を及ぼすおそれ(同項2号)があるというものであるときは(高度公務秘密)、その意見に相当な理由があると裁判所が肯定し、相当な理由があるとは認めるに足りない場合(参考判例①)、当該文書の提出命令を命ずることができる。監督官庁が、当該文書の所持者以外の技術または職業の秘密に関する事項に係る記載がされている文書について公務秘密文書に該当しない旨の意見を述べようとするときは、あらかじめ、当該第三者の意見を聴かなければならない(223条5項)。秘密主体である第三者の保護のためである。他方で、公務秘密文書に該当する旨の意見を述べる場合には、意見聴取の必要はない。それ以外の場所に監督官庁の意見には拘束力はなく、裁判所は民事訴訟法220条4号ロに該当するか否かの最終的な判断権があるが、公務秘密文書に該当すると認めるときも、この文書を提示させることができる。との所持者にこれを開示させることができる。この場合、何も提示された文書の開示を求めることができず、裁判官のみが文書を閲覧して、公務秘密文書に該当することを判断することになる。このような手続をインカメラ手続という。3 本問の場合本問では、本件申立文書が公務秘密文書に該当するか、具体的には本件申立文書には①~③に該当する情報が含まれるため、②の要件を満たすかが問題となる。参考判例①では、1999年度と2004年度の全国消費実態調査の調査票の提出が求められたところ、原審では、そのうちの一部、すなわち家計簿や年収・貯蓄等調査票から都道府県市区町村番号や世帯の仕事等を分断した部分、世帯票から都道府県市区町村番号、世帯の氏名、電話番号、住所等の欄を除いた部分で、60歳以上の単身世帯のものに限定して提出命令を発令した。申立文書から居住地域(都道府県市区町村番号)が特定される部分を除外すれば、被調査者の特定可能性は抽象的なものにとどまるので、これが訴訟に提出されることで被調査者に係る公の遂行に支障を来すおそれは抽象的なものにとどまるという理由に基づく。これに対して最高裁は、以下の理由により、調査票のすべてが公務秘密文書に該当するとした。全国消費実態調査のような基幹統計調査は、参考判例②のような個別的な調査権能に基づくものではなく、報告の内容の真実性および正確性を担保するために、被調査者の任意性に応答した正確な報告が行われることが極めて重要であり、そのためには調査票情報を保護して被調査者の情報保護に対する信頼を確保することが求められる。原審が提出命令を発令した文書には、被調査者の識別や特定を容易にする情報が除外されているものの、被調査者の家族構成や居住状況、月ごとの収入や日々の支出の状況、年間収入、貯蓄高と負債高と借入金残高等の資産の状況など、個人とその家族の消費生活や経済状態等についての極めて詳細かつ具体的な情報が記載されている。これらの情報の記録された文書が訴訟で提出されると、当該訴訟の審理等を通じてその内容を知った者は法令上の守秘義務等を負わず、利用の制限等も受けないので、被調査者を特定して情報の全体を詳細に知る可能性もある。そうすると、任意に調査に協力した被調査者の信頼を著しく損ない、被調査者の任意の協力を得ることが著しく困難となり、全国消費実態調査に係る統計調査の遂行に著しい支障をもたらす具体的なおそれがある。すなわち②の要件を満たすというものである。同様に考えると、本件申立文書は公務秘密文書に該当し、提出命令は出されない。仮に②につき比較衡量説を採用した場合であっても、統計データ処理が正確であったか否かが、それを基礎とした行政機関の裁量権の逸脱性に直接結びつくわけではなく、本件申立文書の証拠としての必要性はそれほど高くないため(参考判例①・田原睦夫裁判官補足意見参照)、②の要件は満たし、公務秘密文書に該当することになる。

「山本和彦編著、安西明子、杉山悦子、畑宏樹、山田文著『Law Practice 民事適当法〔第5版〕』商事法務、2024年」 ISBN978-4-7857-3092-5

文書提出義務 | 職業の秘密

公開:2025/10/20

XはAの取引先であり、Aの信用状態に不安を抱いていたが、AのメインバンクであるYが、Aを全面的に支援するとXに説明したために、Aとの取引を継続した。しかし、Aの経営状態は好転せず、Aに民事再生手続(法的倒産手続の1つであり、債務者の事業を継続させながら、債権整理を図る手続)の開始決定が出され、XはAに対する売掛債権が回収できなくなった。そこで、Xは、YがAの経営破たんの可能性が大きいことを認識しながらも、Aを支援するといってXらを騙し、また、Aの経営状態についてできる限り正確な情報を提供する注意義務を怠ったために損害を被ったとして、Yに対して不法行為に基づく損害賠償請求訴訟を提起した。Xは不法行為の立証に必要があるとして、YがAについて作成、所持する自己査定文書につき、文書提出命令の発令を申し立てた。金融機関は、金融庁から業務の健全性や適切性の検査を受けるが、その検査の際に用いる手引書である検査マニュアル(現在は廃止されている)によると、債務者の財産状況、資金繰り、収益力等により、返済能力を判定し、債務者を、「正常先」、「要注意先」、「破綻懸念先」、「実質破綻先」および「破綻先」に区分することが求められていた。この区分を債務者区分というが、自己査定文書は、この債務者区分を行うために作成し、会社更生による査定結果の正確性を客観的に保証する目的で作成する文書であり、Yは従来の検査マニュアルに沿って自己査定文書を作成、保持していた。裁判所は自己査定文書について文書提出命令を発することができるか。●参考判例●最決平成11・11・25民集62巻10号2507頁最決平成19・12・11民集61巻9号3364頁最決平成19・11・30民集61巻8号3186頁●解説●1 自己査定文書の自己使用文書性参考判例③によれば、自己査定文書は民事訴訟法220条4号ニ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」(自己使用文書)には該当しない。銀行は、法令によって資産査定が義務付けられているところ、自己査定文書は、YがAに対して有する債権の資産査定のために必要な資料であり、監督官庁による資産査定に関する検査においても、資産査定の正確性を裏付ける資料として必要とされているものである。すなわち、Y自身が利用するのみならず、それ以外の者による利用が予定されているため、専ら内部の者の利用に供する目的で作成され、外部の者に開示することが予定されていない文書であるということはできず、自己使用文書の要件を満たさないからである(自己使用文書の要件については問題41)。2 自己査定文書の職業秘密該当性自己査定文書の記載内容を考えると、自己査定文書は民事訴訟法220条4号ハ所定197条1項3号の「職業の秘密」を含む文書として、提出義務を免れるか。この問題を考えるに際しては、自己査定文書を、その記載内容に応じて分解し、それぞれについて職業秘密該当性を判断する必要がある。通常、自己査定文書には、①公表することを前提として作成される貸借対照表および損益計算書等の財務情報に含まれる財務情報、②金融機関が守秘義務を負うことを前提に顧客から提供された非公開の顧客の財務情報、③Yが外部機関から得た顧客の信用に関する情報、④顧客の財務情報等を基礎として金融機関自身が行った財務状況、事業状況についての分析、評価の過程およびその結果ならびにそれを踏まえた今後の業績見通し、融資方針等に関する情報(分析評価情報)が含まれていた。このうち、①については、そもそも公開が予定されているものであり、その事項が公開されると……当該職業に深刻な影響を与え以後その遂行が困難になるもの」(最決平成12・3・10民集54巻3号1073頁)といえず、職業の秘密には該当しない(職業の秘密の定義については→問題40)。(2) 金融機関が守秘義務を負うことを前提に顧客から得た顧客の財務情報②の部分は職業の秘密に該当するであろうか。金融機関が有する顧客情報が、職業の秘密に該当するか否か問題となる。参考判例①では、訴訟の被告となっている顧客の取引先である金融機関に対して、その取引履歴が記載された明細書の開示が問題となった。金融機関は、顧客との取引内容に関する情報を顧客との契約上の守秘義務の範囲にかかわる情報などと顧客情報につき、守秘義務を負うが、この情報が民事訴訟法上保護される「職業上の秘密」には該当せず、その根拠に提出義務を拒むことはできないとした。しかし、「金融機関が有する上記守秘義務は、上記の根拠に基づき顧客との間の関係において認められるにすぎないものであるから、金融機関が民事訴訟において訴訟外の第三者として開示を求められた顧客情報については、当該顧客自身が当該民事訴訟の当事者として開示義務を負う場合には、当該顧客が上記顧客情報につき金融機関の守秘義務により保護されるべき正当な利益を有せず、金融機関は、被告Y銀行において上記顧客情報を開示しても守秘義務に違反しない」のであり、金融機関が顧客情報につき「職業上の秘密」として保護の利益の帰属主体となる場合を完全に否定したものではない。秘匿される情報は顧客自身のものであるが、最高裁は、顧客自身の職業の秘密ではなく、その情報を所有している金融機関の職業の秘密として処理する姿勢を示している。もっとも、参考判例①は、顧客が訴訟当事者であり、金融機関が第三者である場合であり、本問のように、金融機関が訴訟当事者となり、第三者である顧客の情報開示が問題となるケースについても射程が及ぶか明らかではなかったが、参考判例③は、この場合にも同様の判断を示すことになった。したがって、顧客が訴訟上開示義務を負う顧客情報については、金融機関は、顧客に対する守秘義務を理由に開示を拒絶することはできず、金融機関がこれにつき職業の秘密として保護に値する独自の利益を有するとはいえない。別として、職業の秘密としては保護されない。本問で、非公開のAの財務情報についてAが開示義務を負うかを検討すると、Aに民事再生手続が開始し、手続開始前のAの信用状態に関する情報は手続を通じて債権者らに開示されているので、これを訴訟で開示してもAが被る不利益は小さく、職業の秘密として保護はされず(訴訟当事者以外の第三者の職業の秘密を判断する際の比較衡量に消極的な見解として長谷部・後掲54-56頁)、その他に文書提出義務を免れる事由もないため、本文では比較衡量説を採らず、Y自身にもこれを秘密にする独自の利益は認められない。そのため、Yの職業の秘密には該当せず、Yは開示義務を負う。(3) 分析評価情報③金融機関自身が行った分析評価情報は、顧客自身の情報ではない。この部分の職業秘密該当性を考える場合には、前掲・最決平成12・3・10の示した、「その事項が公開されると……当該職業に深刻な影響を与え以後その遂行が困難になるもの」に該当することに加えて、その情報が、比較考量の結果保護に値する秘密である必要がある。この点、報道機関の取材源について、職業の秘密に該当することを理由に証言拒絶を認めたケースにおいて、最高裁は比較衡量説を採用することを明示したが(→問題40)、このケースは、憲法上の表現の自由(憲法21条)によって保護される報道の自由、取材の自由の保護につながるものであり、かつ、文書提出義務の存在ではなく証言拒絶の可否が問題となったものである。そのため、その他の職業秘密一般、また文書提出命令の場合にも、比較衡量を行うのか明らかではなかった。ところが、参考判例③において、最高裁は、所持者提出命令の対象文書に職業の秘密に当たる情報が記載されていても、「所持者提出命令が民訴法220条4号ハ、197条1項3号に基づき文書の提出を拒絶することができるのは、対象文書に記載された職業の秘密が保護に値する秘密に当たる場合に限られ、当該情報が保護に値する秘密であるかどうかは、その情報の内容、性質、その情報が開示されることにより所持者に与える不利益の内容、程度等と、当該民事事件の内容、性質、当該民事事件の証拠として当該文書を必要とする程度等の諸事情を比較衡量して決すべきものである」として、取材源以外の秘密が問題となった文書提出命令の場合にも比較衡量説を採用する旨の判断をした。本問の分析評価情報は、これを開示することにより、Aが重大な不利益を被り、AのYに対する信頼が損なわれるなどYの業務に深刻な影響を与え、以後その遂行が困難になるため、Yの職業の秘密に当たる。しかし、分析評価の対象となったAについてはすでに民事再生手続が開始しており、それ以前のAの財務状況、事業状況等に関する分析評価結果を開示してもAが受ける不利益は小さく、Yの業務に対する影響も軽微である。これに対して、本問の民事事件の重要性は高く、また、分析評価部分には、Aの経営状態に対するYの率直かつ正確な認識が記載されている可能性が高く、証拠価値は高いため、これに代わる中立的・客観的な証拠を見いだせなければ、この部分は保護に値する秘密とはいえず、Yは提出義務を負わない(参考判例①の原審(東京高決平成19・1・10金法1826号49頁)ではこの部分は職業秘密に該当するとして開示を認めている。しかし、邦銀の自己分析ノウハウ等も含まれる可能性もあるので、この部分は外部機関の職業の秘密に該当し、外部機関は開示義務を負わないので、Yも提出義務を負わない。自己査定文書には、顧客とは無関係の第三者の財務情報等が含まれている可能性もある。この部分はそもそも証拠価値が低いので提出する必要がなく、通常は、第三者の情報に該当する部分のみを墨塗りして提出することになる。あるいは、この部分は第三者の職業の秘密に該当し、第三者は開示請求を負わず、これを所持する金融機関も第三者に対する守秘義務を負い、Yの職業秘密に該当するとして開示義務は否定される。

「山本和彦編著、安西明子、杉山悦子、畑宏樹、山田文著『Law Practice 民事適当法〔第5版〕』商事法務、2024年」 ISBN978-4-7857-3092-5

文書提出義務 | 自己使用文書

公開:2025/10/20

XはY銀行から、5億円の融資を受け、この資金でA証券株式会社を通じて株式等の有価証券取引を行ったところ、多額の損害を被った。そこで、Xは、YのB支店長が、貸付段階において、Xの経済状態からすれば、Yの貸付金の利息や有価証券取引から生ずる利益しか支払うしかないことを知りながら、過剰な融資を行ったのであり、これは金融機関が顧客に対して負っている安全配慮義務に違反する行為であると主張して、Yに対して、損害賠償を求める訴えを提起した。この訴訟の中で、Xは、有価証券取引によって貸付金の利息を上回る利益を上げることができるという前提でXへの貸出しの稟議が行われたこと等を証明するために、Yが所持する貸出稟議書(本件文書)につき文書提出命令を申し立てた。これに対して、Yは、本件文書は民事訴訟法220条4号ニ「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に該当するので提出義務を負わないと主張した。裁判所は本件文書について提出命令を発することができるか。●参考判例●最決平成11・11・12民集53巻8号1787頁●解説●1 文書提出義務とその除外事由書証とは、裁判官が文書を閲読し、その記載内容を証拠資料とするための証拠調べであり、その対象となる文書を裁判官に提出するには、立証者自らが所持する文書を提出する方法以外にも、挙証者が文書を所持しない場合には、所持人に文書の任意提出を求める送付嘱託の申立て(226条)や、強制的に文書の提出を求める文書提出命令を申し立てる方法がある(219条)。文書提出命令を発するためには、申立ての形式的要件を満たすのみならず(221条)、文書の所持者が提出義務を負うことが必要である。文書提出義務は、旧民事訴訟法以来、当事者が訴訟において引用した文書を自ら所持するとき(引用文書、220条1号)、挙証者が文書の所持者に対しその引渡しまたは閲覧を求めることができるとき(権利文書、同2号)、文書が挙証者の利益のために作成されたとき(利益文書、同3号)、挙証者と文書の所持者との間の法律関係について作成されたとき(法律関係文書、同3号)、に認められてきたが、加えて、現行の民事訴訟法においては、文書の証拠としての価値の高さや、証拠の偏在を解消する必要性等への配慮から、証拠調べが除外事由に該当しない限り、文書の提出義務を負うものとして、一般的な提出義務が認められている(同4号)。2 自己使用文書の要件本問で問題となったのは、民事訴訟法220条4号ニに列挙されている除外事由の1つである「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」(自己使用文書)に、貸出稟議書が該当するかどうかである。自己使用文書に該当する文書としては、日記や、備忘録、手帳、手紙のように、おおよそ外部の者に開示することが予定されていない個人的な文書がこれに該当する点はとくに問題ない。このような文書を開示することにより侵害される可能性があるのは、個人のプライバシーといった極めて保護法益の高い利益であり、裁判における真実発見の利益を犠牲にしてまでも、保護する必要性が高いからである。ただし、企業が有する文書についても、自己使用文書として開示を拒むことができるかが問題となるケースが増加している。この点、参考判例①は、自己使用文書の要件を明記した。これによれば、①ある文書が、その作成目的、記載内容、これを現在の所持者が所持するに至るまでの経緯、その他の事情から判断して、専ら内部の者の利用に供する目的で作成され、外部の者に開示されることが予定されていない文書であること(外部開示性)、②開示されると個人のプライバシーが侵害されたり個人ないし団体の自由な意思形成が阻害されたりするなど、開示によって所持者の側に看過し難い不利益が生ずるおそれがあること(不利益性)、さらに③特段の事情がないこと、の3つの要件を満たす文書は、自己使用文書に該当する。2 外部開示性団体の文書が外部に公開されることを予定しているものであるかを判断する際に、判例は、それが法令によって作成が義務付けられているものであるかどうかを考慮し、これが義務付けられている場合には、外部への公開が予定されているものと判断する傾向がうかがわれる。例えば、保険業法に基づき損害保険会社の保険管理人が作成した調査報告書(最決平成16・11・26民集58巻8号2393頁)や監査役の監査に供することが予定されている自己査定資料(最決平成19・11・30民集61巻8号3189頁)については、外部への公開が予定されているものとして提出義務が肯定されている。これに対して、市議会議員が、市から所属会派に交付された政務調査費を用いて行った出張に係る調査研究報告書と添付書類(最決平成17・11・10民集59巻9号2503頁)や、政務調査費の報告書と領収書(最決平成22・12判時2078号3頁)については、当時の条例や要綱・規則によって、会派での保管が義務付けられているが、会派の代表者に提出されるにすぎず、議長・市長への提出は予定されていないので、専ら会派内部で利用され、外部への公開を予定していない文書であるとして、提出義務が否定された。しかし、その後政務調査費の支出に係る領収書や会計帳簿(1万円以下の支出)につき、条例上は議長への提出は義務付けられていないが、議長によって閲覧される可能性があることが明らかにされているもの(最決平成26・10・29集民248号15頁)、他方で、弁護士会の綱紀委員会の議事録および議案書については、会則等によって作成と保管が義務付けられているものの非公開とされていること等から、専ら相手方の内部の利用に供する目的で作成され、外部に開示されることが予定されていない文書であるとして、提出義務が否定されている(最決平成23・10・11判時2136号9頁)。3 不利益性文書を開示することにより、個人のプライバシーや団体の自由な意思形成が害される可能性がある場合には、自己使用文書に該当するものとして提出義務を免れる。自己使用文書について提出義務を否定することによって保護される法益に個人のプライバシーがあることに異論はなく、このことは、判例においても、顧客のプライバシーに関する情報が含まれていれば社内通達文書について自己使用文書性を肯定するもの(最決平成18・2・17民集60巻2号496頁)、調査報告書に記載される第三者のプライバシーが侵害され、その結果将来の調査に支障を来たす可能性があるとして自己使用文書性を肯定するもの(前掲・最決平成17・11・前掲・最決平成22・4・12)からみることができる。これに対して、団体の有する文書について、これを開示することにより、団体の自由な意思形成が阻害される可能性があることも、開示による不利益性の1つとして含めるか否かについては見解が分かれる。個人のプライバシーのみで保護すれば足りるという見解も有力であるが、最近では、団体に意思決定プロセス等を文書化させ、保管させることにより、業務執行の適正さを確保するといった社会的価値があるとして、これが侵害されることも不利益の1つに含まれるという見解も示されている(前掲・集民207頁)。4 特段の事情特段の事情が認められるとされているのは、本問のような貸出稟議書の場合、申立人がその対象である稟議書の利用関係において所持者である金融機関と同一視できる立場にある場合(最決平成12・12・14民集54巻9号2709頁。ただしこのケースでは特段の事情を否定)、文書作成者である金融機関が清算手続に入っており、営業譲渡を受けた債権譲渡人が文書を所持している場合(最決平成13・12・7民集55巻7号1411頁)などがあるが、極めて限られた場合にしか肯定されていない。3 貸付稟議書の場合銀行の貸出稟議書とは、支店長等の決裁権限を超える規模、内容の融資案件について、本部の決裁を求めるために作成される文書である。そして、通常は、融資の相手方、融資金額、資金使途、担保・保証、返済方法といった融資の内容に加え、銀行にとっての収益の見込み、融資の相手方の信用状況、融資の相手方に対する評価、稟議書を起案した担当者の意見などが記載され、それらを受けて行った本部の担当部署などの決定の過程が当該貸出稟議書に添付される。とすれば、銀行の貸出稟議書は、銀行内部において、融資案件についての意思形成を円滑、適切に行うために作成される文書であって、法令によってその作成が義務付けられたものでもなく、①外部非開示性の要件を満たす。さらに、融資の是非の審査に当たって作成されるという文書の性質上、忌憚のない評価や意見も記載されることが予定されており、これを開示することにより、団体の自由な意思決定を害される可能性もある。参考判例①は、これも保護されるべき利益であるとして、②の不利益性要件を肯定的に判断している。しかしながら、個人のプライバシーのみが保護されるべきであるという見解によれば当然、そうでなくても、文書を開示したことにより団体内部での意思形成の自由が必然的に害されるとは限らないとすれば、②の要件は満たされず、自己使用文書には該当せず、文書提出命令を発することができる。なお、②の要件を満たすとした場合、本問では、銀行が破たんしている等の事情もうかがわれず、③の特段の事情の存在も認められない。したがって、本件文書は自己使用文書に該当し、裁判所は文書提出命令を発することができない。●参考判例●勅使川原和彦=百選・138頁/垣内秀介「自己使用文書に対する文書提出義務免除の根拠」伊藤眞ほか編『小島武司先生古稀祝賀 民事訴訟法の理論と政策』(商事法務・2008)243頁/伊藤眞『自己使用文書再考』高田裕成ほか編『福永有利先生古稀紀念・企業紛争と民事手続法理論』(商事法務・2005)239頁

「山本和彦編著、安西明子、杉山悦子、畑宏樹、山田文著『Law Practice 民事適当法〔第5版〕』商事法務、2024年」 ISBN978-4-7857-3092-5

証言拒絶事由

公開:2025/10/20

Y放送局は、健康食品を製造・販売するA株式会社の代表取締役Xが、原材料を水増しして得た所得をアメリカ合衆国の関連会社に送金して、その役員に退職させる形で所得を付け替えているとする内容の放送を行った。Xは、この放送の結果、国税庁の調査を受けるのみならず、A社の評判が著しく低下して、自己の経営する会社の売り上げが減少したと主張して、Yに対して損害賠償請求訴訟を提起した。Yは、報道が公共の利害に関連し、かつ公益を図るものでありその内容は真実であること、そして、仮に真実に反する部分があったとしても、事前に十分に裏付け取材を行った上で放送を行ったのであり、真実であると信じるについて相当な理由があるので、不法行為責任を負わないと反論した。Yは、この事実を立証するために、Y放送局の取材活動をしたBを証人として申請し、これが採用され、Bの証人尋問が実施された。その中で、Bは、アメリカの国税当局職員を取材し、任意に情報を得たことは明らかにしたものの、取材対象者の氏名や住所等を明らかにするよう求められたところ、取材源に関することと職業の秘密に該当するとして、証言を拒絶した。Bの証言拒絶は認められるか。●参考判例●最決平成18・10・3 民集60巻8号2647頁●解説●1 証人義務と証言拒絶事由証人尋問は、民事訴訟法上認められる5つの証拠調べの1つであり、証人、すなわち当事者本人や法定代理人以外の者が、自己の経験した過去の事実や状態について陳述した内容を証拠資料とすることを目的として行われるものである。当然である限り、誰でも証人としての資格が認められるとともに、日本の裁判権に服するものは、証人として裁判所に出頭し、宣誓の上、証言する義務を負う(190条)。これを証人義務といい、これに違反する場合には、過料、罰則が科せられる(192条〜195条)。勾引されうる(194条)。これは、公正かつ真実に基づいた裁判を可能にするためである。ただし、例外的に、真実の発見を犠牲にしても保護すべき価値がある場合には、証言を拒絶することを認めている。例えば、証言が、証人自身またはその者と一定の身分関係にある者に対する刑事処罰を招くおそれのある事項や名誉を害すべき事項について尋問する場合(196条)には、憲法上の自己負罪拒否特権に基づき(憲法38条1項)、証言を拒絶することが認められる。公務員または公務員であった者が、職務上の秘密について尋問を受ける場合(197条1項1号・191条1項)、医師、弁護士、宗教の職の者などが職務上知り得た事項で黙秘すべき事項について尋問を受ける場合(197条1項2号)、さらに、技術または職業の秘密に関する事項について尋問を受ける場合にも(同項3号)、証言拒絶が認められる。証言拒絶をする場合には、証人は拒絶の理由を疎明することが求められる(198条)。受訴裁判所は、当事者を審尋して、決定で裁判をする(199条1項)。この決定に不服がある当事者と証人は、即時抗告をすることができる(同条2項)。ただし、公務員が職務上の秘密について尋問を受ける場合には、この手続は適用されず(同条1項)、裁判所は尋問の正当性について判断をもたず、監督官庁の判断に委ねられるとするという見解が多数である。2 技術または職業の秘密本問では、技術または職業の秘密に関する証言拒絶権が問題となっている。技術または職業の秘密の意味については、最決平成12・3・10(民集54巻3号1073頁)によれば、「その事項が公開されると、当該技術の有する社会的価値が下落しこれによる活動が困難になるもの又は当該職業に深刻な影響を与え以後その遂行が困難になるもの」を指すものとすると不正競争防止法2条1項4号の営業秘密とは必ずしも一致するものではなく、技術上のノウハウのほかにも、芸術や学問に関する秘訣なども含まれる。もっとも、学説や下級審裁判例(札幌高決昭和54・8・31下民集30巻5=8号403頁等)においては、ある秘密が、上記意味における職業の秘密に該当するだけではなく、秘密の公開によって秘密の保持者に生ずる不利益と、秘密を開示しないことによって生ずる不利益、すなわち、裁判の真実発見や公正が犠牲になるという不利益とを比較衡量した結果、保護に値する秘密のみが証言拒絶の対象となるという見解が主張されてきた(比較衡量説)。これに対して、比較衡量説を否定し、秘密の客観的性質のみを考慮して、証言拒絶権の成否を決すべきであるという見解も有力である。このような比較衡量を肯定することにより、秘密と考えられている事項が、裁判の公正という事後的な事情によって、証言拒絶の対象となったり、ならなかったりするため、秘密の保持主体の予測可能性を害するからである。しかしながら、報道関係者の取材源が問題となった参考判例①において、最高裁は比較衡量説を採用することを明示した。3 報道関係者の取材源の秘密の秘匿該当性本問のような、報道関係者の取材源は、職業の秘密に該当して、証言拒絶の対象となるであろうか。一般に、報道関係者の取材源は、それが開示されると、「報道機関と取材源となる者との間の信頼関係が損なわれ、将来にわたる自由で円滑な取材活動が妨げられることとなり、報道機関の業務に深刻な影響を与え爾後その遂行が困難になる」 (参考判例①) ので、上記定義に該当し、取材源の秘密は職業の秘密に当たると解される。ただし、証言拒絶を肯定するためには、比較考量の結果、保護に値する秘密と判断される必要がある。比較衡量の際に考慮すべき要素としては、下記のような事項が挙げられる。まず、秘密を開示することによる不利益としては、「当該報道の内容、性質、その持つ社会的な意義・価値、当該取材の態様、将来における同種の取材活動が妨げられることによって生ずる不利益の内容、程度等」を考慮する必要があるが、報道機関の報道のための取材の自由が、報道の自由と並び、憲法21条の表現の自由の保障を受けることを十分に配慮する必要がある。そして、これと相対する秘密を開示しないことによる不利益としては、「当該民事事件の内容、その持つ社会的な意義・価値、当該民事事件において当該証言を必要とする程度、代替証拠の有無等」を比較検討する必要がある。本問の報道は、脱税の有無という公共の利害に関する報道であり、その社会的な意義は大きいといえる。しかも、その取材の手法、方法が一般の刑罰法令にふれるとか、取材源となった者が秘密の開示を承認しているというような事情はなく、取材源の開示により、将来の同種の取材活動が妨げられる可能性は高い。他方で、本件民事事件は、売上げの減少による損害賠償を求めるものであり、個人の利益追求を超えた公共な社会性に対する影響を有する事件ではなく、社会的な意義や重要性がある事件とまではいい難い。また、本件において取材源に係る証言を得ることが必要不可欠であるか、その他の証拠が存在するのであればBの証言の保護は保護に値するものと解され、証言拒絶には正当な理由がある。

「山本和彦編著、安西明子、杉山悦子、畑宏樹、山田文著『Law Practice 民事適当法〔第5版〕』商事法務、2024年」 ISBN978-4-7857-3092-5

事案解明義務

公開:2025/10/20

A社は、Y市内に産業廃棄物処理施設を設置する計画を立て、設置許可の申請を行った。Aの中間層は、専門家らで構成される産業廃棄物処理施設設置審議会での審査を経た後に、Y市長Bは事業の実施を計画に施設設置許可処分をした。設置予定地の周辺に在住するXらは、Yを相手に処分の取消しを求めて訴えを提起した。Bの設置許可処分が違法であると裁判所が認定するためには、Xはどのような事実を主張・立証しなければならないか。また、XがXの主張する事実を主張・立証することができない場合に、Yに対して、処分が適法でなかったことを主張・立証させる義務を課すことはできるか。●参考判例●最判平成4・10・29 民集46巻7号1174頁●解説●1 行政処分の取消訴訟における主張・立証責任本間の産業廃棄物処理施設設置許可処分のような行政庁の裁量処分は、裁量権の範囲の逸脱や濫用があった場合に、これを取り消すことができる(行訴30条)。一般に、行政処分の取消訴訟において、主張・立証責任が誰にあるのかは争いがあるが、裁量処分の取消事由については、原告が主張・立証責任を負うものと解されている。具体的には、原子力施設設置許可処分の違法性が認められるための裁判所の判断が争われる原子力発電所設置許可取消訴訟における判断は、原子力委員会(筆者注・現在では原子力安全委員会)若しくは原子炉安全専門審査会の専門技術的な調査審議及び判断を基にしてされた被告行政庁の判断に合理性があるか否かという観点から行われるべきであって、現在の科学技術水準に照らし、調査審議において用いられた具体的審査基準に不合理な点があり、あるいは当該原子炉施設が右の具体的審査基準に適合するとした被告行政庁若しくは原子炉安全専門審査会の調査審議及び判断の過程に看過し難い過誤、欠落があり、被告行政庁の判断がこれに依拠したと認められるときには右判断に不合理な点があるものとして、右判断に基づく原子炉設置許可処分は違法と解すべきである」。「被告行政庁がした右判断に不合理な点があることの主張、立証責任は、本来、原告が負うべきもの」とされる。そのため、原告としては、これらの要素を基礎づけるような具体的な事実を主張・立証しなければならない。このように、取消しを主張する原告に、取消事由を基礎付ける事実の主張・立証責任があるとしても、主張・立証に必要な産業廃棄物処理施設の安全性に関する資料のほとんどは行政庁側にあり、かつ、行政庁は安全性の調査に関わった多数の専門家を擁していることを考えると、専門知識のない原告が、上記事実を主張・立証することは困難を極める。そのため、本来であれば主張・立証責任を負わない行政庁側にも、一定の範囲で主張・立証の負担を課す必要性が認められるようになっている。2 事案解明義務とは本問のような行政訴訟に限らず、当事者間に、証拠や情報、専門知識の偏在がある訴訟において、本来の主張・立証責任を負う当事者(「立証責任者」)の負担を解消するために、一定の要件の下で、事案の真相を解明するために、明文の根拠のない法律構成を考える。その1つに、事案解明義務の議論がある。ただし、明文の根拠を持つ考え方の方が、より説得的である。事案解明義務が認められるのか。また、認められるとして、その根拠や要件、効果は何か、見ていきたい。事案解明義務を肯定する見解は、その根拠を、裁判所と当事者が協力して事案の真相を解明し、当事者が主張する権利保護を可能にするために、当事者が民事訴訟法上の一般的な義務であるとして、その義務が認められる要件として、①主張・立証責任を負う当事者が事件の事実関係から隔離されており、②その当事者が自己の主張につき具体的な手がかりを示し、③相手方当事者に事案解明を期待することが可能であり、④主張・立証責任を負う当事者が事実関係を知り得ずまたは事実関係から隔離されていることについて、非難されることがないことなどが必要である。この要件を満たす場合には、主張・立証責任を本来は負わない当事者が、具体的な主張・立証をする一般的な訴訟法上の義務を負い、これに違反した結果、要証事実が真偽不明に陥った場合に、当該当事者に訴訟上の不利益を課するとする (a説)。同じく事案解明義務を肯定する別の見解によれば、①証明責任を負う当事者が事象経過の外部におり、②事実を自ら解明する可能性を有しないが、③それに対して相手方は容易な事実解明をすることができる者であり、かつ、④具体的事情からみて、解明を相手方に期待し得る場合には、相手方は、信義則(2条)に基づく事案解明義務を負う。そして、証明責任を負う当事者の概括的な事実主張に対しても、期待可能な範囲で具体的な事実を挙げて否認したり、これを説明するための証拠提出義務を負う。これに応じない場合には、相手方の主張事実を有効に争ったものと認められず、自白が擬制されて、相手方の主張事実がただちに判決の基礎となる(b説)。もっとも、上記見解が必ずしも広く支持されているわけではない。一般に、当事者が信義則に基づく事案解明義務を負うことは肯定されているが、これに違反した場合に、真実擬制や証明責任の転換のような強い効果まで認めることは、明文の規定がない以上困難である、せいぜい、弁論の全趣旨(247条)として、違反者に不利益な事実認定をすることが可能であるという見解が散見されるにすぎない。3 最高裁判所の立場この点、参考判例①は、「原子炉施設の安全性に関する専門的調査審議等すべての過程において、被告行政庁が保持していることなどを考慮すると、被告行政庁の側において、まず、その依拠した前記具体的審査基準並びに調査審議及び判断の過程等、被告行政庁の判断に不合理な点のないことを相当の根拠、資料に基づき主張、立証する必要があり、被告行政庁が右主張、立証を尽くさない場合には、被告行政庁がした右判断に不合理な点があることが事実上推認される」としており、一般論として、被告に行政事件訴訟法上の事案解明義務があることを肯定したものといえる。ただし、結論として、被告行政庁は十分に主張・立証をしたため、原告は立証に成功しなかったと判断しており、被告がどの程度の主張・立証をすれば、義務を果たしたと評価できるかは明らかではない。また、先に紹介したa説、b説のように被告が事案解明義務を果たさなかった場合に、どのような訴訟上の効果が認められるかについても触れることはなく、被告の主張・立証が不十分であると裁判所が判断した場合に、原告の主張する事実を真実と認定できると解するにとどまる。さらにこの判例は、国賠法違反の場面として、要証事実が事実上立証を困難とする場合にも、事実上の推定を認めるには、一方の当事者が主張や証拠提出をしない場合には、その事実が当事者にとって不利益なものであるという経験則が機能する必要があるが、そのような経験則があるかは疑問である。そこで、判例のいう事実上の推定とは、単なる経験則に基づく事実上の推定ではなく、a説のように、それを超えた裁判規範を認めたものと解される。4 本問の検討このように、学説で主張されている事案解明義務の要件・効果が判例によって採用されているかどうかは明らかではない。仮にa説に従うと、本問では、原告は、行政庁での審査からYによる許可処分に至る一連の事実経過の外に置かれており、行政庁の判断の不合理性を基礎付ける具体的な事実の主張・立証責任が不可能であり、それについて、Xには非難可能性がある。これに対して、Yは審査に要した資料、専門家を擁しているYに判断の不合理ではなかったことを主張・立証させることは可能であり、また、期待しても不当ではない。そこで、XがYの判断の不合理さを基礎付ける具体的な手がかりさえ示せば(判例によれば、それさえ不要ともいえる)、Y側で、自己の判断が合理的でなかったことを基礎付ける具体的な事実を主張・立証する必要があり、それを怠った場合には、Xの主張する事実を真実であると擬制することができる。

「山本和彦編著、安西明子、杉山悦子、畑宏樹、山田文著『Law Practice 民事適当法〔第5版〕』商事法務、2024年」 ISBN978-4-7857-3092-5
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