弁護士の法律知識
ホーム 弁護士の法律知識

共同不法行為|過失相殺

公開:2025/10/20

Xは、2021年9月6日午後10時ごろ、制限速度が時速50キロメートル、終日駐車禁止の片側2車線の交通量の多い道路を自家用車で走行中、携帯電話の着信に気づき、左側の第1車線のハザードランプを点滅させて車を止めたところ、同じ車線を前方不注視のまま時速60キロメートルで走行するYの運転する自動車に後続に追突された。このとき、以下の2つの独立した過失に加えて、現在の論点は2022年3月1日である。(1) Yは、前方に駐車中のX車に気づき急ブレーキをかけたが、わずかに間に合わず、X車のリアバンパーの一部をへこませた。運転中にシートベルトを外していたXは、頭部をハンドルに強打したので、近くのA救急病院まで自ら車を運転して、当面の9日間の治療(脳神経外科が専門)の診察を受けた。Xは、当時、意識が鮮明であり、また、Bの問診に対してシートベルト未装着の事実を告げ、診察による首の痛みだけを訴えたため、Bは、Xが軽い鞭打ち症だと考えCT検査等をせずに経過観察を指示してXを帰宅させた。しかし帰宅直後、Xは急性硬膜外血腫により容態が悪化、救急車でA病院に運ばれ手術を受けたが、重い後遺症が残った。Xは、Yに対して、後遺症による損害の賠償を請求できるか。(2) Yは、駐車中のX車に気づき、後方確認をせず、右ウィンカーを出すのと同時に第2車線に進路変更したところ、第2車線を時速80キロメートルで走行中のZの運転に追突された。その衝撃でY車は、X車に衝突した。この事故でX、Y、Zはそれぞれ1200万円、Y・X・Yの過失割合は1対4対5である。X、Y、Zに、それぞれいくらの賠た償を請求できるか。●参考判例●① 最判平成13・3・13民集55巻2号328頁② 最判平成15・7・11民集57巻7号815頁●解説●1 小問(1)について小問(1)では、交通事故と医療過誤が複合的に競合している場合に、どのような法的処理に服せられるか。加害運転者と医療機関は、医療過誤で患者が死亡するにまで至らず、ある程度は後遺障害の程度が低減しているという点で、この事故について医療過誤がない場合であっても、Yの運転による交通事故という3次的ないしは副次的な関係に基づき、どこまで賠償責任を負うか、が争点となる。まず、Yの違反した注意義務は交差点の直前で、その射程は、駐車中のXに追突しないことにある。しかし、Yの行為に起因した硬膜外血腫は、治療が遅れれば死亡または重篤な後遺症が残る病気であり、本問では、まさにそのような事態による特別の危険が実現しているということになろう。もっとも、Yは後遺障害も賠償すべきということに反対するであろうか。もっとも本問では、傷害の程度が軽微だったのに、Xのシートベルト未装着の過失が競合して損害が拡大している点が問題となる。しかし、民法709条の文言から、加害者の過失に応じて損害賠償の範囲の変更という結論を導くことはできず、また、過失相殺(722条2項)の問題で考慮すべきである。それでは、医療過誤におけるBの対応は、どう考えたらよいか。Xは、硬膜外血腫が適切に治療されることを期待する権利に反するであろうが、この期待は保護されるわけではない。一般に、複数の治療法から最良も保護される権利に基づいて、事故の状況を正確に申告し、最善の治療法を選択し患者に治療することが、最善の治療法の選択や治療がなされた結果にあるからである。もっとも、本件で、当時の医療水準を大きく下回る治療がなされたかどうかは、Bに患者であるXに対する注意義務違反を理由に、Yへの損害賠償請求を否定する根拠にはならない。Xへの不適切な応答は、医療機関の判断で今後確定される。(2) 判例の立場以上、Y、Xの責任を賠償額という観点から検討したが、参考判例①は、交通事故と医療過誤が複合的に競合した病院の責任が問われた事例で、「本件交通事故により〔被害者は〕治療すれば必ず治癒する傷害を負った」が、被告病院において「適切な治療が施されていれば、高度の蓋然性をもって〔被害者を〕救命できた」のであるから「本件交通事故と本件医療事故とのいずれもが、〔被害者の〕死亡という不可分の一個の結果を招来し、この結果について相当因果関係を有する」としており、連帯責任を負うべきである。この請求権の法的根拠は、民法719条の共同不法行為にあり、各行為者は、損害の全額について連帯して責任を負うことを示している。近時の判例は、加害行為者が独立して不法行為の要件を満たしており、かつ、客観的関連共同性のある加害行為と相当因果関係のある範囲の損害賠償責任を認めている(いわゆる結果共同説)。これも参考判例には、過失相殺に加えて、一体の機会を捉えて請求の全額を認めている。この、判決は従来の判例の立場を維持しつつ、民法719条1項後段の適用一体・機会の判断を維持したと見ることができる。(3) 共同不法行為を議論する機会しかし、判例をどう理解するにせよ、機会が連続して被害者の治療が遅滞により死亡した場合、医師や病院は、初期治療開始後に患者に不注意がなければ(後続の過失)、被害者の賠償請求の対象となる。なぜならば、負傷や病気の程度が何であれ、医師は最善を尽くして患者を治療する義務を負い、かかる義務を怠ったことから生ずる損害の賠償責任を負う。患者または医師は自己の治療の結果について、第三者に対する損害賠償の請求権を留保した上で治療に臨んでいるわけではないからである。他方で、参考判例①によれば、医療過誤と交通事故が複合的に生じた全額の賠償責任を負うことでありうるが、医師に重大な過失が認められた事案について、医療機関は損害の賠償額を軽減すると主張する(1参照)。このように、共同不法行為と損害の賠償との一体性という観点から、運転者と医師の賠償範囲が自動的に決まるわけではない。参考判例①の意義は、医師の職業倫理に照らして勤勉義務に違反した加害者と交通事故の責任とを比べた方が、後続の過失に基づく全面的責任しか認めなかったため、共同不法行為という理論に依拠して病院の減責を否定した点にあり、それに尽きる。むしろ、本問のような事案では、競合的不法行為(独立の不法行為)の事例と捉えて、各加害者の賠償額と負担額を個別に議論すべきである。損害賠償の範囲がここで定まるかという検討こそが重要であり、その結果、各加害者が負うべき賠償が(偶然にも同一額に達して責任を負う)という結論に達したときに、共同不法行為というタームを用いてこれを説明するかどうかは、まさに言葉の問題ではないだろうか。(4) 相対的過失相殺相対的過失の議論を請求されたYは、損害の発生および拡大に関わるXの過失を基礎づける事実、①交通事故の多い道路上で駐停車したことおよび②シートベルト未装着だったことなどからなるBの治療の前提にも問題があったことを主張して、過失相殺を主張し、賠償額の減額を求めてくることが可能である(過失がXに寄与している以上、Yとの関係で適用も可能となる)。仮に、Xが病名を隠すなど、①と②の過失が認められ、Xの過失を基礎づける事実がある。Xの過失が損害の発生・拡大に与える影響も各異なっているので、各加害者との関係ごとに過失相殺を分ける方法(相対的過失相殺)について判例がある。過失相殺が不法行為による損害について当事者間で「相対的な公平の分担を図る制度である」という一般的な理由を挙げたほか、「加害者及び被害行為を異にする2つの不法行為が順次競合した結果被害が死亡した」事案では、各不法行為における「加害者の過失及び被害者の過失の内容や割合も個別に判断すべきである」という結論を説明して、相対的過失相殺を認めている。2 小問(2)について(1) 絶対的過失相殺説以上のように、性質を異にする不法行為の競合的な事例では、共同不法行為の成否は問題となるが、過失相殺の方法に大きな異論はない。それに対して、小問(2)のように同種の不法行為が時間と場所を同じくして競合した場合、共同不法行為の成立自体には異論はない。問題は、過失相殺の方法である。これについて参考判例②は、「複数の者の過失及び被害者の過失が競合する1つの交通事故」では、すべての過失を総合した絶対的過失相殺)を認定できるとした。その場合に、基づくべき過失相殺をした結果を前提として共同不法行為に基づくべき賠償責任を負う、としている。これは、本問では、X、Yに対して12分の7という過失割合による過失相殺をした残りの損害額の1100万円を請求できる。そしてXは1100万円をYに支払うと、Yは内部的な負担部分400万円を超える700万円をZに求償する。すなわち、Yはこの限りでYの無資力のリスクを負担することになる。参考判例②は、絶対的過失相殺説を採っており、相対的過失相殺では「被害者が同時に複数の不法行為のいずれかの過失相殺も受けられることによって被害者保護の保護を損う」とする民法719条の趣旨に反する」と明示する。仮に、相対的に過失相殺をすると、XはYに賠償請求をされるものの960万円をYには8分の7の1050万円しか請求できない。この理論は、たしかに絶対的過失相殺の場合よりも不利にであり、「被害者保護」に反するようにみえる。(2) 被害者にはなぜか酷かしかし、不法行為における「被害者保護」という言葉は、被害者が「なぜ」保護に値するのかという点を省略した議論をすることに容易につながるチームであり、慎重に用いる必要がある。絶対的過失相殺説をとり、XのYのみを相手どって960万円を請求したケースを想定すると、Xは残りの240万円を回収することになる。これが絶対的過失相殺をした場合のXの負担額(100万円)よりも多い。この240万円には、Yの絶対的過失相殺組合せ12分の7に相当する700万円をYにさえどの絶対的過失組合せ(4対1)で按分した140万円が含まれているからである。すなわち、相対的過失相殺の枠組みのもとでこそがYに賠償を請求するときには、Xは他の加害者のYの絶対的過失割合に相当する損害額の一部まで引き受けさせることになる。問題は、このことが共同不法行為の趣旨に照らして不適切なのかどうかである。仮に、YからXの行為が時間的・場所的に密接に関係し、社会的に一体性を有する一方で、Xがゆるい関連共同性とは無関係の単独の不法行為があったかつての戦場だったようなケースであれば、Xにほかの加害者の過失割合の一部を負担させることが公平性に適するであろうか。ここで絶対的過失相殺を当然とする、一の加害者の損害の加害部分について無資力のリスクを負わせるのが、加害行為の関連共同性に鑑みると望ましい(もっとも、このとき筆者にとっても過失割合は絶対的過失相殺を選定しにくい場合が多いだろう)。しかし、本問のXは、Yらと並んで、場所と時間を同じくしながら、自動車の運転者として互いに守るべき注意義務に違反している。たまたまYから1つの交通事故でいえば、「被害者」と呼ばれているいるが、本問のような相互的な事故では、事故の加害者を被害者とはっきり区別できるような「被害者」の強い関連共同性の場合には、被害者側の行為もまた関連共同性の一部を形成しているといえる場合には、相対的過失相殺の一部をYに賠償請求することがむしろ自然であるといえるか。絶対的過失相殺を採るのが妥当である。しかし、この点で民法に明文があるわけではないが、損害賠償額が縮減された場合に、公事事例の判例の見直し・是正が必要である。(6) 予測の正当性とその射程もっとも、学説の多くは参考判例②の立場に好意的である。小問(2)で、判例や多数説の立場に与し、これを正当化したいのであれば、「絶対的過失保護」という視点は民法719条の基本的な考え方とどう整合的かについて述べたうえで、加害者らと同じ共同不法行為の中にいるという点よりも、加害者らに強い連帯責任を負わせるには必ずしも着目して、加害者の一方の無資力のリスクをYに負わせてもかまわないという実質的な実質を基礎づけるべきである。さらに、絶対的過失相殺のほうが被害者の安定的な損害賠償である(相対的過失相殺の理論が保障されている。同法制度は、という司法政策的な観点に言及してもよいかもしれない。もっとも、参考判例②は、「絶対的過失相殺」を認識できることを前提に絶対的過失相殺を説いている。加害者と被害者の過失割合が1つの「交通事故」の事例では、単独の加害者との関係では、たしかに絶対的過失相殺が適合しやすいが、各当事者の過失がそれも同質であるとはいえない場合は絶対的過失相殺の算定が困難であり(不同質で複合的な場合には本事例のほか何割に相当すると考えられる)、その場合は絶対的過失相殺が相当とはいえず、相対的過失相殺をするほかはないだろう。なお、加害行為がそれぞれ異質である場合には、共同不法行為がなされるのか、それとも競合的不法行為(1(3)参照)と捉えるべきかという論点が同時に浮上することにも注意が必要である。設問関連(1) 小問(2)で絶対的過失相殺説をとる場合、Xが最終的に負担する金額について、絶対的過失相殺と同時に特に100万円と特に50万円と見積もる、Xの求償権額という見解があるが、理論的に金額が少なくなるといえるのは、Zは980万円をYに賠償して、連帯債務者になった場合、Xは100万円を負担するというのである。この立場に立った場合、Yらの負担部分、それぞれいくらになるか。(2) Xが夫の運転する自転車に同乗中、Y運転の自家用車と交差点で衝突し、Xが負傷した(Xの損害額は1000万円、Yとの過失割合は2対8)。Yは、Xにどのような賠償を請求できるか。本項目のテーマ(「被害者側の過失」)議論との関連でこの方の見解にしながら検討しなさい。最判昭和51・5・25民集30巻2号160頁と最判平成20・7・4判時2018号16頁を参照のこと。

「千葉恵美子・潮見佳男・片山直也編者『Law Practice 民法Ⅱ【債権編】〔第5版〕』 商事法務、2022年10月15日」 ISBN978-4-7857-2992-9

共同不法行為|関連共同性

公開:2025/10/20

甲川の下流域で畑作を営むXは、甲川から分岐する水路から自己の水田に水を引き利用していた。ある年、甲川の上流にA・B・Yからなる三工場が設置されて、各工場はそれぞれ有害物質を含む廃水を甲川に流し始めた。物質Aには植物の成長を過剰に促進する成分が含まれていた。A・B・Yの各工場が操業を開始して迎えた最初の夏、Xの水田の稲は異常に成長し、自らの重量に耐え切れず次々に倒れてしまった。これにより、Xは水田から米を収穫することができず、1000万円の損害が生じた。この場合に、XはYに対して損害賠償を求めることができるか。また、これに対してYはどのような主張をすることができるか。なお、Xの調べでは、A・Bの各工場は、Aが原料Bに添加し、Cが関与した物質を最終的にYが加工してある製品を製造するという関係にあり、相互にパイプラインでつながれて一体的に操業していた場合(2) A・B・Yの各工場は、たまたま同じ時期に建設されたというだけで、操業については相互にまったく関係がなかった場合●参考判例●① 津地裁四日市支部判決昭和47・7・24判時672号30頁② 大阪地判平成3・3・29判時1393号22頁③ 大阪地判平成7・7・5判時1538号17頁④ 最判昭和55・3・17民集75巻5号1359頁●解説●1 複数加害者と不法行為本問の公害汚染や大気汚染は公害問題の典型の1つであるが、このようなタイプの公害には、複数の原因者が関与するが、各行為の寄与する割合が不明な場合も少なくない。すなわち、不法行為の観点からすると、複数原因という点に特徴がある。この場合、原因物質を排出する行為者が数多いゆえに、各々の排出行為は単独では被害の全額を惹起するほどのものではないこともあり、個々の加害行為と損害の間の個別的な因果関係を証明するのは非常に難しくなる。もっとも、複数の行為者をまとめて把握できるなら、それらの因果関係を問題とすればよく、因果関係を証明するうえでの困難は大きく軽減する。さて、損害の惹起に複数の行為者が関与する場合に関して、民法は719条を用意している。これは、ⓐ狭義の共同不法行為(719条1項前段)、ⓑ加害者不明の共同不法行為(同項後段)、ⓒ教唆・幇助(同条2項)について、連帯責任という効果を定めるものである。なお、民法719条にいう「連帯」とは、改正民法466条以下の規定のある連帯債務ではなく、不真正連帯債務であるとされてきた。しかし、今日の民法改正では、不真正連帯債務に係る判例の規律を連帯債務の規定に取り込み(兎脱等)、また、連帯債務と異なると法令の規定がある(436条)を受けた、連帯債務規定の適用の通説にのっとるのが合理的である。もっとも、共同不法行為者の求償については、改正民法442条1項を適用しない解釈もありうる(一歩一歩119頁)。2 民法719条1項前段の要件―共同の項(1) 客観的共同説かつての支配的見解は、民法719条1項前段について、「共同行為者各自の行為が客観的に関連し共同して違法に損害を加えた場合において、各自の行為がそれぞれ独立に不法行為の要件を備えるときは、各自が右違法な結果についてその賠償の責に任ずべきもの」と解していた(東判昭和43・4・23民集22巻4号964頁)。これによると、狭義の共同不法行為は、民法709条の不法行為が複数成立する場合を含み、両条にはない「共同」という要件は、複数の行為者が関連して損害が発生したという行為者間の客観的な関連性だけで満たされることになる(客観的共同説)。他方、同一の加害者について複数の請求権が認められる場合に基づく不法行為責任の成立する場合、これらの不法行為は各自が全額について責任を負うと考えられている。結局、客観的共同説によれば、小問(1)(2)いずれも民法719条1項前段が適用される。XはA・B・Yのいずれに対しても損害の全額を求めることができる。なお、民法719条の成立要件のうち客観的関連性は、各行為に全部惹起力がある場合に小さく、それぞれの寄与率が明確でない場合に認められることがある。(2) 批判的見解しかし、客観的共同説を定めるような理解では、要件・効果のいずれにおいても、民法709条とは別に民法719条を定めた意味がないことになる。そこで、近時は、民法709条では対応できない場面を規律するために民法719条があるとさえ、そうした特別の責任を負わせる根拠を共同行為に求める見解が支配的である。しかし、この点については、行為者の主観的な要素を重視する見解(主観的共同説)のほか、各自が他の行為を利用し、他方で自己の行為が他人に利用されるのを認識する意思を問題に関係にある場合には(共通の意思がある場合に、小問(2)のようなコンビナートの場合もこれに該当する)、共同の意思疎通があるわけではない。ここで、各行為者の責任を個別に評価することも重要である。しかし、そこで主観的要素を重視せず、客観的要素を重視して、複数の加害行為が、場所的・時間的に近接しているなど社会通念上、一体の機会と認めることができる程度に一体性があればよい(主観的要件が緩和された一体的行為論)とする。(3) 一体的行為における独自性主観的・客観的関連性を重視する見解は、一般的には、不法行為(709条)では責任が成立しない、または成立しにくい場合にこそ狭義の共同不法行為を認める必要があるとする。共同行為によって複数の者が1つにまとめられる結果、共同行為者の1人は、他の者が惹起した行為の結果についても、自己の行為との関係なくとも責任を負う(共同とされる者の賠償範囲は、被害者との関係では、この共同とされる行為との相当因果関係で決まる)。一体的行為論はすでに狭義の共同不法行為が適用された理由はこの点にあり、共同要件の内容もこれを説明する根拠にふさわしく設定されている必要がある。他方、共同要件が満たされる場合には、複数の加害者の事例は狭義の共同不法行為の問題ではなくなる。その場合でも、複数原因者の各行為について一般的不法行為の成立を認めることができれば、独立した不法行為責任が競合することになり、複数加害者の連帯責任を導くことができる。しかし、多数の排出源によって生じた水質汚染・大気汚染を介して多数の健康被害に至った場合において、1つの排出源ではすべての被害を発生させることができない、または被害者の1人の健康被害のすべてが生じるわけではない、という事態も多い。そこで排出行為者の各自が全部の損害について責任を負うのか(そもそも因果関係が認められるのか)という点は必ずしも明らかではない。そのため、一般的不法行為は複数被害の事例への対応という点で必ずしも十分とはいえないと考えられている。3 民法719条1項後段の適用の是非そこで、複数原因者の事例については、民法719条1項後段・709条以外の対応が模索されてきた。その際に利用されたのは、同条1項後段の規定である。(1) 民法719条1項後段の適用場面―択一的競合民法719条1項後段は、択一的競合という原因競合の一事例に対応する規定である。この規定によれば、複数の者がいずれも被害者の損害をその行為で惹起しうる(すなわち、全部惹起力がある)行為を行い、そのうちのいずれの者の行為によって損害が生じたのかが不明である場合、当該行為者は連帯して損害の全部について賠償責任を負う。各行為者の行為と権利侵害・損害との因果関係に係る証明責任が転換される点で、一般不法行為の特則となる。その趣旨は、択一的競合という状況において被害者が陥った困難を救済することにあり、被害者が原因となりうる行為をした者からある程度まで絞り込めば、結果との因果関係は推定することにしている(よって、被害者によって特定された複数の行為者のほかに加害者の損害をそれぞれの行為で惹起しうる行為をした者が存在しないこと、も要件となる)。(2) 民法719条1項後段の類推適用―寄与の割合における寄与不明認定責任原因競合が生じる複数被害者の原因関係に対して、被害者保護のためのさらなる対応が図られている。すなわち、複数の者がそれぞれ全部惹起力のない行為を行った状況において、そのうち誰か一人の行為がいずれもが被害者の損害を生じさせる原因であり、かつ、この範囲の者が全体としての程度の損害を惹起した(参考)はずだがそれぞれの寄与度は不明である場合に、この範囲の者はその寄与の程度で連帯責任を負う、という対応である。想定されているのは、複数の者の行為に全部惹起力はなく、これらが重なり合ってはじめて結果が発生する。という原因競合(競合的競合)の事例である。前出の判決は、集合的競合の場合に、寄与度が判明する一定範囲の複数行為者について、①各行為者に限定した範囲で、②連帯責任を負わせる、という2つの内容をもつ。③は、本災害の全部を引き受けただけの因果性を見いだしていないにもかかわらず、全額の賠償責任を負わせる、という事態を因果関係の推定に頼らずともいえる。この点で、民法719条1項後段の発想、すなわち、個別の因果関係は不明だが一定範囲に絞られた者の行為と因果関係は認められる場合に、因果関係の立証責任を転換するという趣旨の同条後段を拡張したものとみることもできる。そもそも、大気汚染の集合的競合を扱った千葉判決は、複数の行為者に弱い関連しかない場合に、共同不法行為として当時の全部の賠償責任を認めるもので、法律構成としては、同項後段の適用(参考判例②)・類推適用(参考判例③)が用いられていた。最高裁も、近年、発展問題に掲げた事案において、同項後段の類推適用によってこのような対応を認めている(参考判例④)。設問関連Xらは建設労働者10名は、複数の建設作業に従事した際、そのそれぞれにおいて石綿粉塵に曝露し、石綿肺に罹患した。石綿建材の製造会社は、Y1・Y2・Y3を含めて10社に限定され、いずれもその製品から生ずる粉塵を吸入すると石綿肺に罹患する危険があることを表示することなく石綿含有建材を製造販売していた。Xらは、建設現場でY1~Y3を含む複数の建材メーカーが製造販売した石綿含有建材を取り扱ったため、累積的に石綿粉塵に曝露した。さらに、①Xらは建設現場でY1~Y3の製造販売した石綿含有建材を相当な回数で取り扱っており、②これによるXらの石綿粉塵の曝露量は、各自の石綿粉塵の曝露量全体のうちの5分の1程度であることは判明したが、③Xらの石綿肺の発症についてY1~Y3が個別的にどの程度の影響を与えたのかは不明であった。XはY1・Y2・Y3に対して損害賠償を求めることができるか。●参考文献●★能見善久・争点284頁/内田貴『近時の共同不法行為に関する覚書(下)』(下)株〔上〕(下)NBL1081号(2016)4頁・1082号32頁、同1086号4頁・1087号19頁(小池 渉)

「千葉恵美子・潮見佳男・片山直也編者『Law Practice 民法Ⅱ【債権編】〔第5版〕』 商事法務、2022年10月15日」 ISBN978-4-7857-2992-9

工作物責任

公開:2025/10/20

資産家のAは、居住する都市とは別の地方に、かつて別荘として使っていた3000平方メートルの甲土地とその上に乙建物を所有している。洋館風の造りの乙建物は、明治初期に建てられた木造建築である。Aは、会社の保養施設等として利用したいというB社からの求めに応じて、乙建物をBに賃貸した。Bは、退職した社員らを、あらためて乙建物の管理人として雇い、普段は、Cが、乙建物の維持管理と乙建物周辺の庭の手入れ等を行っていた。なお、一帯は、別荘地として一般に利用されている地域であり、甲土地と他の土地との境は明確ではない。また、甲土地の道路には、「私道」との表示はあったものの、特に、外部からの立ち入りを規制しているわけではなく、通常の林道と区別しにくく、付近の住民等が普段から散策に利用していた。甲土地は、なお、かつては農地として利用されていたが、現在は使われていない。ある日、その道路で、ザリガニをとったりして遊んでいた近所の子どもDが転落して死亡するという事故が発生した。この場合に、Dの遺族(両親)は、誰に対して、どのような法律構成に基づいて損害賠償を求めることができるかを検討しなさい。なお、池の周辺には、柵が設けられ、金額が張られていたが、上記事故発生時には、その金額の一部がペンチで切り取られて、人が出入りできる程度の穴が開いていた。従来から、その金額をペンチで切り取って、中に入り、釣りをする者などがおり、Cは、年に数回程度、その金額を補修していたという事実が確認されている。●参考判例●① 最判昭和46・4・23民集25巻3号351頁② 最判昭和61・3・25民集40巻2号472頁●解説●1 工作物責任の基本的構造と本問の解決本問は、工作物に関連する事故を取り上げるものであり、こうした事故については、民法717条の適用がまず問題となる。工作物責任を規定する同条については、特に、以下の2つの点が問題となる。まず、民法717条の「土地の工作物の設置又は保存に瑕疵がある」という要件に関し、設置または保存の瑕疵が何を意味し、具体的な事案において、そうした瑕疵が認められるのかどうかをどのように判断するのかという点である。次に、誰が責任を負うのかという点である。民法717条は、いわゆる特殊不法行為(709条以外の不法行為類型)の中では、まず瑕疵を推定する仕組みになっており、一次的に工作物占有者の中間責任を負うことを規定する(ただし書1項本文)。占有者が損害の発生を防止するのに必要な注意をしたときには、工作物の所有者が責任を負うことを規定している(同条ただし書)。この所有者の責任は、占有者が責任を負わない場合に限るとう点で補充的な責任である。また、無過失を理由とする免責の可能性が規定されていないという点では、いわゆる中間責任ではなく、民法の規定する不法行為責任の中では、唯一の無過失責任ということになる。2 工作物の瑕疵(1) 工作物の瑕-疵の意義:客観説と結果回避義務違反説工作物責任における瑕疵の要件については、当該工作物が通常有すべき安全性を欠いているといえる状態を意味するとする客観説と、当該工作物の危険性が実現しないようにすべき注意義務を怠ったと評価する結果回避義務違反説が対立している。客観説は、具体的に生じた結果から、当該工作物が通常有すべき安全性を欠いていたといえるかどうかを問題にするのであり、そのような状態に至らせたのかという点は、特に問題とされない。他方、結果回避義務違反説は、まさしく、なぜそのようなになったのかというプロセスの部分を問題とし、そのプロセスにおいて、結果発生を回避する義務の違反と評価されるものがあるか否かが問題とされることになる。(2) 工作物の瑕疵の類型と判断の相違両説の相違は、たとえば、建物の外壁の一部が落下してきて、歩行者が負傷したというような事案では、比較的に明確に示される。客観説では、なぜ外壁の一部が落下したのかという経緯は重要ではない。他方、結果回避義務違反説では、外壁が落下しないように何をなすべきであったのかという点に焦点が当てられることになる。もっとも、工作物をめぐる事故の中には、上記の外面の落下のように、被害者の関与がない場合に、工作物がもっぱら攻撃してくるというタイプのものもあれば(攻撃型の瑕疵)、本問のようにDの関与があってはじめて工作物の潜在的な危険性が実現するというタイプのものもある。後者においては、被害者が当該工作物に近づくこと等の関与をどのように防ぐのかといったことが問題となる(守備ミス型の瑕疵)。後者の守備ミス型の事故類型では、瑕疵についての客観説と結果回避義務違反説との相違は、攻撃型の場合ほどには明確ではない。客観説においても、そこで工作物が通常有すべき安全性を有しているか否かは、危険な工作物等に防護ネットが張られるなど、「安全性を確保するために必要な措置が講じられていたのか」という点を通して判断されるのであり、その点では、結果回避義務違反説と基本的に共通するからである。本問のようなケースにおいて、柵等がまったく設けられていなかった場合、「柵が設けられていなかった」ことが、客観説では「通常有すべき安全性を欠いていた」と評価され、結果回避義務違反説では「結果回避のために必要な義務が怠られていた」と評価されることになる。もっとも、このように守備ミス型の事故においても、客観説と結果回避義務違反説が完全に一致するわけではない。本問のように、誰かが金額を切り取って穴を開けたために、危険な状態となった場合に、その危険性を「回避する可能性」があったのかどうかという点で説が分かれてくる。まず、客観説では、当該事故が発生した時点での、当該工作物の客観的状態(安全性の欠如)が問題とされるのであり、本問の場合にも、誰によって、いつの時点で、どのように穴が開けられたのかという点は問題とならない。他方、結果回避義務違反説では、異なる理解をする可能性がある。結果回避義務違反説の基本的な主張が、過失と過失を一元的に理解するのだという点にあるのだとすると、そこで事故回避を問題とする場合、当該義務を履行する実現可能性をまったく無視して瑕疵を議論することはできない。したがって、本問の場合も、そのような穴が開けられたということを前提として、どのような対策が可能だったと考えられるのかを問題とせざるを得ない。穴が1週間も前に開けられていたとすれば、それをみつけ、修復することが可能だったということになる。他方、それが事故発生の直前であったというような場合には、それを発見することも、それに対処することも困難であり、結果回避義務違反としての瑕疵を認定することはできないというと結論が導かれる。本問においては、どのように穴が開けられたのかという経緯は示されていない以上、それについて必要な場合分けを行ったうえで、問題を考えていくことになる。3 工作物責任と責任主体民法717条は、工作物責任を1次的に負担する主体を工作物の占有者であるとし、占有者が損害発生のために必要な注意を尽くしていた場合に、補充的に、工作物の所有者が責任を負担するということを規定している(なお、瑕疵についての客観説を前提とすれば、瑕疵の有無の問題と責任主体の問題を区別して議論することは容易である。他方、結果回避義務違反説を前提とすると、両者を切り離して議論すること自体困難になる)。(1) 賃借人としてのB社の占有者責任:賃借権と占有の範囲さて、工作物責任では、まず占有者としての責任を誰が負担するかという点が問題となる。本問でも、誰が、この一次的責任を負担する占有者なのかを検討しなければならない。まず、建物自体については、AはBに賃貸借契約があり、Bが、乙建物の占有者であるということには本問の文章からも明らかである。したがって、Bが、乙建物について、占有者の立場にあることは問題ない。では、管理人CがいることでBの占有者であることが否定される事実はなく、Bは、占有者たる地位をCとの関係を否定する事実はない。占有補助者であることについては、詳細な記述はされていない。他方、甲土地についての賃借権は、本問では詳細には示されていない。甲土地も、賃貸借の対象となっていたとすれば、甲土地上の池について、も、Bの占有者としての責任が問題となる。他方、賃貸借の対象はあくまで乙建物(周辺の庭)だけであり、Bは、乙建物の利用に必要な範囲で、乙建物周辺の土地の利用権限が認められているにすぎないと解すると、甲土地上のどこにあったのかが示されていない池について、Bが占有者としての責任を負担するか否かは、ここで示された事情からだけでは明らかではないということになる(なお、建物を目的とする賃貸借があった場合に、当該建物が立つ土地について、どのような法律関係となるのかという点は、それ自体が1つの問題となるが、それについては賃貸借についての教科書等の説明を参照されたい)。(2) 工作物等の占有者における管理的な支配地位Cについては、上記のとおり、Bの占有補助者であり、C自身が、甲建物あるいはその周辺の土地の占有者として、民法717条の責任を負担するものではないと考えられる。なお、本問の中には、過去に、Cは、年に数回程度、その金額を修理していたということが示されている。ただし、この修理の経緯に関する事情(なぜそこは、それを修理していたのか等)は必ずしも明らかではなく、この事実のみをもって、占有補助者としてのCの管理とBの占有をただちに基礎づけることはできないだろう。(3) 所有者の責任:工作物所有者の補充的責任占有者としてのBが責任を負わない場合、Aの責任が問題となる。この場合に、Bが責任を負わないというのは、2つの異なるレベルで考えられる。まず、当該池がある部分の土地については賃貸借契約は成立していないとすれば、そもそもBは、池の占有者ではなく、民法717条1項を適用するという前提を欠く。この場合は、Aは、自ら所有し、(直接)占有する当該池について所有者責任を負担することになる。ここには、占有と所有が分離していないので、同項について、本文によるのか、ただし書によるのかは、実質的な問題とはならない。他方、当該池を含む土地についても賃貸借契約が成立していたということになると、Bは、池についても占有者としての責任を負担することになる。そのうえで、損害の発生を防止するのに必要な注意を尽くしていたということを、管理についての無過失を立証できた場合には、責任を免れるのである。以上のように、Bが責任を負わない場合には、いずれにしても、Aが所有者として責任を負担するということになる。そして、Aの所有者については、占有者の責任と異なり、無過失の立証による免責は規定されていない。したがって、十分な注意を尽くしていたということを仮に立証できても、それはAの免責をもたらすものではない(ただし、結果回避義務違反説を前提とした場合には、瑕疵がないとして責任が否定される可能性は残される。もっとも、そのように理解すると、民法717条1項ただし書は、実質的には意味を失う)。4 本件事故発生に関するDの関与と損害賠償額の決定:過失相殺等をめぐる問題本問のような守備ミス型の工作物事故においては、通常、被害者の関与があるために、それをどのように位置づけるのかが問題となる。この点については、もっぱら民法722条2項の過失相殺の問題として扱われる。したがって、本問の場合、Dが、フェンスに開いた穴から入り込んで、そこで遊んでいたということについて、Dの年齢(過失相殺能力の問題)、当該池の状況、さらには、Dの遺族である両親のDに対する注意などの対応(被害者側の過失をめぐる問題)等に照らしながら、過失相殺として考慮し、その損害賠償請求において映させるということになる。なお、D自身が、ペンチで金額を切り取って穴を開けたというような事実があったとすれば、そこでは、客観説と結果回避義務違反説のいずれによっても、そもそも工作物の設置等の瑕疵(Dにとっての危険性)はなかったということになり、民法717条の責任は成立しないと考えられるだろう。5 その他の賠償義務者本問のような工作物の瑕疵のような工作物の事故に際しては、民法717条の工作物責任が問題となるが、同時に、他の責任の可能性、特に民法709条に基づく責任の可能性を排除するものではない。上記の(3)のとおり、占有補助者にすぎず、民法717条1項の占有者としての責任は負担しないとしても、Cの過失(たとえば自らが管理する箇所の金額に穴が開いて、何らかの危険な状態になっていたにもかかわらず、漫然とそれを放置した等)を理由とする民法709条の責任までが排除されるわけではない。また、金額の一部を切り取った者を特定できた場合、その者が、本件事故について、民法709条の責任を負担する(工作物占有者等とともに、民法719条により連帯責任を負担する)ことも十分に考えられるだろう。民法717条1項に基づいて責任を負う者は、同条2項により、これらの者に対して求償をすることができる。ただし、BからCへの求償は、使用者責任における被用者への求償と同様、信義則上、一定の制約がなされることが考えられる。設問関連(1) 本問において、Cが、工務店を営むEに連絡をとって、金額の修理を依頼していたが、Eが、その依頼を忘れて修理していなかったという場合に、Eと、被害者およびA・Bとの間にどのような法律関係が成立するかを検討しなさい。(2) 本問において、Bの占有者としての責任が認められないという場合において、事故発生時には、甲の所有権がすでにAからFに移っていたが、その移転登記がなされていなかったというときに、Dの遺族は誰に対して民法717条1項ただし書の所有者の責任を追及することができるのかを検討しなさい。●参考文献●★大塚直「民法715条・717条(使用者責任・工作物責任)」広中俊雄=星野英一編『民法典の百年Ⅱ』(有斐閣・1998)673頁(窪田充見)

「千葉恵美子・潮見佳男・片山直也編者『Law Practice 民法Ⅱ【債権編】〔第5版〕』 商事法務、2022年10月15日」 ISBN978-4-7857-2992-9

使用者責任

公開:2025/10/20

札幌市の住宅街を中心に、クリーニングの店舗を展開するA社(従業員60名)の社長B(50歳)は、学生の頃から障害者の自立を手助けするボランティア活動に参加しており、いつか自分の店舗でも障害者を雇用したいと考えていた。Bは、A社の従業員数が増加して、障害者雇用促進法の定める法定雇用率を達成する目的もあって、2021年4月1日から、知的障害者C(43歳)を雇用し、札幌市北区の店舗に配置し、ドライ洗いやアイロンがけの仕事に従事させていた。Cは、1つひとつの技術を習得するのに他の従業員よりも時間がかかったが、いったん習得した仕事は、真面目に、確実にこなしていた。さて、2022年4月1日、Cは、店の新人歓迎会に他の従業員とともに参加した。Cは、かくし芸として手品を披露したが、簡単に見破られてしまい盛り上がりに欠ける結果に終わった。翌日、就業時間10分前に、同じ店の従業員D(33歳)が、アイロンプレスの機械の作動準備をしているCのところに行き、「昨日のあんたのかくし芸、受けなかったねえ」としつこくからかった。最初、Cは相手にしていなかったが、3、4分間、しつこきにまとわれ、また、右肩を小突かれるなどしたため、CがDとうとう「いい加減にしてくれないか」といってDを振りほどいたが、その際に、右手に持っていたアイロンプレス機がDの額に当たり、Dは顔面に大やけどを負うに至った。そこで、DはA社に対して、損害賠償を請求する訴訟を提起した。Dの請求は認められるか。現時点は2022年7月とする。●参考判例●① 最判昭和39・2・4民集18巻2号252頁② 最判昭和51・7・8民集30巻7号689頁③ 最判昭和58・3・31判時1088号72頁●解説●1 使用者責任の帰責構造本問のCは、知的障害者の社会参加に熱心のあった社長Bのもとで真面目に働いていたCであったから気の毒に負傷している。このような善意は報われねば気の毒であり、Dの損害回復にみてみぬふりはしがたい。こんなDの請求を認めれば、知的障害者の就労意欲にマイナスの効果を及ぼすだけであるという考え方も、場合によってはあながち立ち入かもしれない。しかし、本問はDがCを負傷させたという事案と気が変わるところはないであろう。本問でなぜDがCを負傷させたという事案にかわって、知的障害者がどのような形で社会に参加することが望ましいのかという問題は、とうてい民法の議論だけで論ずべくことでもないだろう。以下では、あくまで民法の議論の枠内で、理論的に、Dの請求をどのように正当化することが可能かという観点から検討を行うことにしよう。本件事故のきっかけとなったDのいやがらせは、損害賠loggingのレベルでは、後に述べるように過失相殺(722条2項)の内容として考慮すれば足りると考える。さて、本問でDがA社に対して損害賠償を請求するとすれば、不法行為を行った被用者Cを雇用していたA社の使用者責任(715条1項本文)を問うという法律構成が最も妥当である。A社という企業自体の不法行為責任(709条)を問うという法律構成の余地もあるが、本問では、不法行為を行った特定の被用者Cの存在は明らかであり、しかも、企業や製造物責任が問題となるケースのように、企業という組織全体の答責と捉えるのが適切な事案でもない。それで本問では、A社は、実際にDに対して使用者責任を負うのだろうか。これを検討するためには、使用者責任がそもそもいかなる構造を有しているのかを理解しておく必要がある。伝統的な理解に従えば、使用者責任とは、被用者の選任・監督上の過失を理由とする(自己責任説)。民法715条1項ただし書の事由が立証されれば、使用者は免責される(有過失責任)ではなく、使用者の行う不法行為責任を、使用者が被用者に代わって負担する代位責任である。使用者が被用者に代わって負担する代位責任であると解しても、被用者の責任の代わりではないしかし、被用者が行う不法行為責任を、使用者がその責任を代わって負担するにすぎないと把握するわけではない。結局、使用者責任が被用者を使って利益を上げた以上、被用者が引き起こした損失は被用者に負担させるのが公平である)ため、使用者が被用者を雇い用いて社会に対し危害を作り出している以上、そこから生ずる損害は引き受けなければならないという考え方が挙げられるのが通例である。このような思想に照らすと、企業活動に伴って生ずる他者への加害について、使用者の免責(715条1項ただし書)は容易に認められるべきではない。本問においても、被用者の加害が実際に認められた事例はごくわずかにとどまっている。しかし他方で、使用者は被用者責任を代わりにするにすぎないという理論に立てば、使用者自身の行う不法行為によることを主張・立証しなければならないはずである。それでは、本問の加害者である被用者Cが知的障害者であり、責任能力が欠けている可能性がある場合に、A社の使用者責任は否定されてしまうのだろうか。そもそも、第2に本問では、就業時間前のCの暴行に起因する損害が問われているが、そのような行為の結果についてまで、使用者は責任を負うのだろうか。報償責任や危険責任を求める声がとても大きいとしても、企業活動と無関係の被用者の行為の結果についてまで、使用者が責任を負う理由はないからである。これを、「事業の執行について」(715条1項本文)という文言をどう解釈したのかという問題である。以下、順に検討しよう。2 被用者の責任無能力と使用者責任の成否責任能力(712条・713条)とは、加害行為の法律上の責任を弁識するに足りる知能のことである(大判大正6・4・30民録23輯715頁)。このような意味に関わらず、知的障害者だからといって、常に責任能力がないということにはならない。もっとも、本問のCに関する記述(知的障害者でクリーニング技術の習得に時間がかかったが、習得した仕事はこなしていた)だけからは、Cの責任能力の有無に即断することは困難なので、問題を解くにあたっては、責任能力がある場合とない場合に分けて、Cに責任能力があるかどうかで場合分けをして、A社の使用者責任を判断する必要がある。だがこのような機械的な答案を書く前に、そもそも本問で、「Cに責任能力がなければ、Aは使用者責任を負う」と考える方が説得的なのかどうかを検討する必要があるだろう。A社という企業の立場からすると、自社の安全配慮義務を認識する方が障害者の人権と比べれば不十分な場合が想定される知的障害者に関する雇用促進法が定める合理的配慮の義務に関する研究(H30.03・74・労働政策研究・研修機構)を参照させる判例も待たれるのであり、A社の責任は、報償責任や危険責任の考え方に照らすと(後述する事業執行性の要件さえクリアすれば)、直ちに肯定されるべきが、たとえCに責任能力がないと判断されるとしても、A社の社長Bが、障害者雇用促進法に定める合理的配慮義務(均等法36条の2、障害者雇用促進法36条の3、36条の4を参照)をA社が遵守している(知的労働者は、短時間として1人0.5人とカウントされる)以上の配慮がなされたことである。また、無過失を理由とする免責の可能性が残る気持ちがあるが、この結論を法的に支える根拠がある、使用者が、周りの大人にやむをえないわけわからずうちのような危険な職務を負わせていた場合に、使用者は、報償責任や危険責任の理論によって両者の責任能力はともに問われることになる。そして、A社の使用者責任は、被用者のための配慮が妥当であったと評価するのかが妥当である。まず、使用者は、被用者の選任や監督について過失がなかったことを証明すれば免責される。その後、企業活動の進展に伴い、使用者の選任・監督上の注意義務は、代位責任の考え方が定着し、現在では使用者責任が報償責任や危険責任の思想に根ざしていることが広く認められるようになった。この代位責任の原則によれば、被用者側の故意・過失が認められる場合には、使用者側の故意・過失が認められるか否かにかかわらず、使用者責任が認められる。このような新しい使用者責任が認められることについて学問の場では肯定的な見解もあるが、代位責任説に基づいて民法715条を捉え、被用者の行為が民法709条の要件を満たすことや使用者責任を問う前提となると解し、②本問のように使用者の厳格な自己責任という考え方で対処する場合、民法715条を類推し、被用者の責に代わって自己の責任を負うと解した場合、さらには、③民法709条を直接適用し、企業自体の不法行為責任を問うのがふさわしい場合などを、事業の危険性の程度や相手の比較の仕方やメカニズムなどによって、さまざまなる責任のあり方を考えていこうとするのが、近時の有力な流れであり、それは正当だと考えられるのである。3 被用者の暴力行為と事業執行性伝統的な代位責任説(1参照)に立つにせよ、今日的な意味での自己責任説(2参照)に立つにせよ、両説の背後にある報償責任や危険責任の考え方に照らすと、企業活動に伴って生じた損害については、被害者ができるだけ救済されるのが望ましい。もっとも、それはあくまでも損害が企業活動に伴って生じた場合である。使用者責任を問うためには、生じた損害が「使用者がその事業の執行について第三者に加えた」(715条1項本文)ものでなければならない。この事業執行性の要件につき判例は、いわゆる外形説を採用し、使用者が事実的不法行為を行った事業でも、「必ずしも使用者がその担当する業務を適正に執行する場合だけを指すのでなく、広く被用者の行為の外形を捉えて客観的に観察したとき、使用者の事業の態様、規模等からしてそれが被用者の職務行為の範囲内に属するものと認められるもの」も含むとする(参考判例①)。自動車運転会社の被用者が、私用に使うことが禁止されていた会社の自動車を運転し起こした交通事故を起こした事例で事業執行性を肯定。学説はこの点について、判例の外形説理論に賛成するものが、その一層の具体化を募るものなどに分かれているが、おおむね、被用者が職務を逸脱したような取引外不法行為の場合にも、報償責任理論に根ざす被害者の信頼の保護という観点から、また事業執行性の観点からもうかがえるように、実質的に捉えようとする点では共通しているといってよい。本問では、この暴力行為が行われた時間が就業時間前であり、しかもC・D間の口論が、直接業務とは関係のない歓迎会での出来事に由来するものであった点が問題となるが、①Cの行為は、店の内部で、しかも就業時間の直前に行われたこと、②Cは、アイロンプレス機という業務に欠かすことのできない道具を使ってDに損害を与えていること、さらに、③口論の原因となった前日の歓迎会も、少なくともわが国の企業風土の下では、事業の円滑な遂行要素の1つに位置づけられるなどに鑑みると、事業執行性の要件は本問では満たされると考えるのが妥当である。もっとも、本件のC・D間の口論の端緒は、Dの悪質な嫌がらせにあり、DがA社に使用者責任を追求する場合には、過失相殺による損害賠償の減額は免れないだろう。設問関連DがA社に対して使用者責任を追及する場合に、本問と以下の点で異なる場合に、AまたはDの請求は認められるか。(1) Dから被害を受けたA社が、国賠で敗訴した殺人犯人の父親Cを相手に、Dに支払った慰謝料額の全額の支払を求めたことに対して、A社は、個別労働関係紛争のあっせん手続を受けることが可能。(2) C・D間の口論は、前日の歓迎会のCの失敗を揶揄するものであったが、就業時間後のクリーニング店の裏口の外でなされたものであり、しかもDは、このとき警官によって職務質問を受けていた。このとき、A社に対して損害賠償責任を追及することが可能か。●参考文献●★村田一夫「不法行為法〔第5版〕」(有斐閣・2017)216頁/窪田充見『不法行為法〔第2版〕』(有斐閣・2018)203頁/中田太郎・宮謙「『民法行為法』の検証」(有斐閣・2018)192頁(水野 謙)

「千葉恵美子・潮見佳男・片山直也編者『Law Practice 民法Ⅱ【債権編】〔第5版〕』 商事法務、2022年10月15日」 ISBN978-4-7857-2992-9

高齢者と監督義務者の責任

公開:2025/10/20

Aは高齢であり、認知症と診断された。そこで、息子であるXとその妻X' (いずれも40代後半)がAと同居し、XはAの成年後見人選任、デイサービスに関する契約等を代理して行った。また、Aが在宅している間は、主にX'がAの介護を引き受けていた。当初、Aは1人で勝手に外に出てしまうなどの問題行動も時々見られたが、その後はX'らの介護によりトラブルになったりすることが数回続いた。それ以降、XとX'は、Aが外出する際には可能な限りどちらかが付き添うようにしてきた。ある日曜日、Xは急な仕事で外出しなければならず、X・Y宅にはAとX'だけがいた。16時頃、Aは突然散歩に出かけて行ったと言い出した。最近の数日間、Aの精神状態が不安定な日が続いていたことから、Xは不安を感じ、付き添おうかとも考えたが、疲れていたためいったんはそのまま見送ることにした。「すぐに帰ってきて下さいよ」とだけ告げた。その直後、Aは、X・Y宅から5キロほど離れた駅の構内で、まったく面識のないYを突き飛ばした。加害行為当時、Aは責任無能力だったものとする。Yは、Xに対して、治療費や逸失利益等の損害の賠償を請求することができるか。[参考判例]① 最判平成28・3・1民集70巻3号681頁② 福岡高判令2・5・27令元(ワ)102号(2020WLJPCA05278002)③ 最判昭和49・2・28民集28巻2号347頁④ 京都地判平30・9・14判時2417号65頁[解説]1. はじめに本問のように、精神上の障害により責任能力を欠く者が他人に加えた損害について、その者を監督する者の責任が問題となる場合、その可能性があるとして次の3つが考えられる。第1に、民法714条1項に基づく監督義務者の責任である。第2に、参考判例①がいわゆる「法定監督義務者」が定立した、同条2項による監督義務者の責任である。第3に、民法709条に基づく一般不法行為責任である。なお、婚姻の届出および当事者の年齢の登録を前提としており、夫婦間における協力扶助義務を定めた民法752条を根拠とする監督義務者の責任は、法定監督義務者には当てはまらない。2. 法定監督義務者責任(1) 責任の性質民法714条1項が定める監督義務者の責任は、責任無能力者の行為一般についての抽象的な監督義務への違反が求められることとなる。離婚届および互いの証明責任の証明責任を定めるこの点において、民法714条による一般不法行為責任よりも厳格なものだと言われてきた。もっとも、このうち後者は条文上明らかにしがたいし、前者も当然的なものではない。(2) 従来の判例精神上の障害により責任無能力とされた者(具体的には1999年まで)、法廷監督義務者が同条の定める責任を負う者として、成年被後見人の保護者は精神保健福祉法上の保護者(それ以前は禁治産者)であった。その背後として、精神障害者の民法858条1項は、成年後見人の財産上の行為に関する法定代理権を定め、同「身上配慮義務」を定めた。同じく同法改正後の精神障害者の配偶者については、精神障害者の自助努力を助長する趣旨を強調するこれらの規定が、民法714条1項にいう「責任無能力者を監督する義務」の義務に当たると解されていたわけである。(3) その後の変遷しかし、この状況は、1999年を境に大きく変わることになる。この背景として、成年後見人法については、1999年の民法改正により、後見・保佐・補助の3類型が設けられ、成年後見人の職務も、もっぱら財産管理に限られることになった。その上で、同法改正により、成年後見人はもはや身上監護の権限を有しないことになった(858条)。その上で、同法改正により、成年後見人はもはや身上監護の権限を有しないことになった。また、保護者については、1999年の精神保健福祉法改正により、保護者制度が廃止されるに至った。さらに、その後の2013年改正によって、保護者という制度そのものが廃止されるに至った。いずれについても、精神障害者のノーマライゼーションとその家族の負担軽減が重視されるようになったことが背景としてある。(4) JR東海事件判決による法創造以上のことから、参考判例①は、1999年改正後の民法および精神保健福祉法における法定監督義務者の射程を、その文言に忠実に、法定監督義務者に当たるものではないとした(もっとも、具体的監督義務との関係では、精神障害者について、協力扶助義務(752条)を根拠に、法定監督義務を認めるなど、最高裁が示した新たな解釈筋論と矛盾する)。(5) 本問の整理以上によると、本問のXは、Aの成年後見人ではあるものの、そのことだけを理由に法定監督義務者として扱われることはないということになる。(6) 補論:法定監督義務者の可能性なお、以上の判例によると、現行法の下で精神障害者の法定監督義務者に当たるものが存在し得るかどうかは明らかではない。そのように述べられるべきもっとも有力な候補は、精神障害者が入院する精神科病院の管理者等がそれに当たるとするものである。3. 準監督義務者該当性(1) 準監督義務者 — 判例による法創造参考判例①は、法定監督義務者に当たらない者であっても、それに「準ずべき者」については、民法714条1項の類推によって損害賠償責任を負う余地を認めている。かねてから、法定監督義務者に当たらない配偶者に、監督義務者の範囲を広げ、かつて、「事実上の監督義務者」という法理を創造する見解は有力だった。しかし、参考判例①が成年後見人という法定監督義務者の範囲を画したことから、今後これが議論に堪えられる。(2) 判例の判断枠組み参考判例①によると、ある者が準監督義務者とされるのは、「①その責任無能力者との身分関係や日常生活における接触の状況に照らし、②その者の監督を引き受けたと評価できる特段の事情が認められる場合」である。そして、そうした場合には、その者の「①その者の近接状況や心身状況とともに生活実態にも即応して、②精神障害者の親族間の有無・濃淡、③精神障害者の日常的な援助の内容、④精神障害者の心身の状況や加害行為との関連の有無・内容、これらに対応して行われている生活や介護の実態など」の諸般の事情を総合的に考慮して、④その者が精神障害者を現に監督しているかあるいは監督することが可能で容易であるなど客観的な見地から準監督義務が認められるか否かという観点から、その者が引き受けるべきだとされる。(3) 第三者への配慮義務の射程参考判例①の判断枠組みの内実は、この基準を厳格に解釈するかぎりではない。しかし、これを柔軟に解すると、準監督義務者の射程は際限なく広がる。これら2つのリスクを回避するために、準監督義務の射程を判断するに当たっては、①その者が精神障害者の生活全般について責任を引き受け、他者の関与を排してこれを支配し、その結果、その者の「①その者の近接状況や心身状況とともに生活実態にも即応して、②精神障害者の親族間の有無・濃淡、③精神障害者の日常的な援助の内容、④精神障害者の心身の状況や加害行為との関連の有無・内容、これらに対応して行われている生活や介護の実態など」の諸般の事情を総合的に考慮して、④その者が精神障害者を現に監督しているかあるいは監督することが可能で容易であるなど客観的な見地から準監督義務が認められるか否かという観点から、その者が引き受けるべきだとされる。4. 監督義務違反(1) 監督義務のハードル以上の監督義務が認められた者であっても、監督義務を遵守したことを証明できれば、責任を免れることができる。この責任をどの程度容易に認められるかという点については、以下のように、精神障害者の行為についての責任の成否は、①その者の(準)監督義務者である。また、民法714条1項の文言に反するが、責任を負う者による損害のてん補が、同法709条が定める過失の一般原則からすると、監督義務者は、責任無能力者の生活全般にわたって適切な監督をしなければならない。(2) 監督の困難性しかし、その一方で、①には、「責任を問うのが相当と言える客観状況」の有無が問題とされている。これをその事例での判断をどこまで求めるかという判断は、監督義務を肯定すべきである。これらを総合的に考えれば、監督義務の射程は①の要件を満たすか、②には監督の「可能性」の程度と、「困難性」の程度、③監督の「容易性」の程度と、「接触状況」の程度、④には監督の「実効性」の程度という5つの点に分解され、これらを総合的に考慮すべきだということになる。(3) 同意の理論以上の2つの視点の関係をどう整理すべきかは明らかでない。一方で、①は②を判断する際の「視点」にすぎず、あくまで基準は①だと捉えることもできる。以上の法的な問題点を整理すると、①は②とみて、②ではあくまで監督義務を引き受けたと見ることのできる「べき論」のレベルで、これを総合的に考慮すべきだということになる。(4) 監督義務違反の有無以上のうちいずれの解釈が適切かは、準監督義務者の認定と効果をどれほど重大とみるか、具体的には監督義務のハードルをどの程度とみるかに左右される。この点については、後述する。(5) 具体的判断本問について、以上のいずれの視点に立って、まず、監督義務の射程をXとX’に広げる。XとX’によるAの監督の有無をどう評価するかが重要となる。本問でのXとX’の監督の監督の監督義務の内容は、Aの行為への関与の程度、これをあえて問題視する。5. 民法709条に基づく責任以上のほか、本問で問題となるのは、ほぼないが、結果の具体的予見可能性と結果回避義務が認められる場合には、監督義務者の有無にかかわらず、民法709条による責任が生じ得、これを直接の過失と結びつけて過失の立証責任を転換する考え方も示唆されている。さらに、介護の分担を含め介護の自信がもてるかどうかという観点からすると、これに尽きる。また、民法709条を根拠に、これを積極的に評価すべきだという見解もあり得なくはない。以上のほか、本問で問題となるのは、ほぼないが、結果の具体的予見可能性と結果回避義務が認められる場合には、監督義務者の有無にかかわらず、民法709条による責任が生じ得、これを直接の過失と結びつけて過失の立証責任を転換する考え方も示唆されている。[関連問題]Aは、交通事故の障害によりてんかんを患っていた。医師からは、抗けいれん剤を服用するよう指示されており、また、服薬していても発作のおそれがあるとして、自動車の運転はしないように言われていた。Aは、勤務先であるB社に対してこのことを報告したまま、自動車を運転する業務に従事していた。ある日、Aは、乗用車として自動車を運転している最中に発作を起こし、歩行中のCをはねて死亡させた。Aの親族であり、Aと同居しているYは、普段、自動車の運転をやめるようにAに忠告していた。この場合、Aの相続人、Y、B社の相続人が損害賠償を請求できるか(参考判例①参照)。[参考文献]瀬川・民法判例153巻5号(2017)698頁/瀬川・民法判例三木・北法医学雑誌第71巻6号(2021)1788頁(長野史寛)

「千葉恵美子・潮見佳男・片山直也編者『Law Practice 民法Ⅱ【債権編】〔第5版〕』 商事法務、2022年10月15日」 ISBN978-4-7857-2992-9

未成年者と監督義務者の責任

公開:2025/10/20

Yの未成年の子であるAは、ある平日の夕方、通っている学校の友人Xと共通の友人Cの3名で集まり、学校の近くにあるY所有の遊休地で野球をすることになった。ジャンケンで決め、Aは最初、捕手、Cは投手として野球を始めたが、暴投したCのボールがAの眼鏡に当たり、眼鏡が大きく歪んでしまった。数分後、Aは歪んだ眼鏡を掛けたまま、Cと交代して投手になった。Aは、Cに対して、「さっきはよくもやってくれたな。今度はこっちの番だ」などと叫び、興奮した様子で、硬球をCの顔面に向けて投げつけた。Cは、これを避けようとして身をかわしたが、Aの投げた球はCの背後にいたXの右目に当たり、Xは失明した。Xと両親は、Yに対し、Aの不法行為により生じた損害の賠償を求めて訴えを提起した。ところが、Aが10歳である場合と14歳である場合とを想定して答えよ。[参考判例]① 最判平成27・4・9民集69巻3号455頁② 最判昭49・3・22民集28巻2号347頁③ 最判平成18・2・24判時1927号63頁④ 最判平成28・3・1民集70巻3号681頁⑤ 最判平成7・1・24民集49巻1号25頁[解説]1. 前提(1) 未成年者の行為についての親権者の責任本問のように、未成年者の行為により第三者に損害が生じた場合、その親権者は賠償責任を負うか。念頭に置くべき条文は2つある。1つは、一般不法行為責任の根拠条文たる民法709条であり、もう1つは不法行為者の親権者の賠償の範囲を定める民法709条である(監督義務者責任)。両者の関係は一見しただけでは明らかではないが、後述するように、不法行為責任を負う者を「自己の行為の責任を弁識するに足りる知能を備えていない」場合(責任能力)と「備えている」場合に分けて考えるのが出発点となる。(2) 責任能力なき未成年者の親権者の責任直接の監督義務者に加え、未成年者を監督する義務のある者(法定監督義務者)は、監督義務者として責任を負う(714条)。この場合、同条は、①「自己の行為の責任を弁識する」という観点でみて、不法行為責任を定める民法714条1項に制約がある。すなわち、同条は、「前2条の規定により責任無能力者がその責任を負わない場合において」(同712条・713条)と定めている。これを「監督義務者の責任」という。(3) 責任能力ある未成年者の親権者の責任責任能力ある未成年者の親権者たる監督義務者は、自己の行為の責任を弁識する能力があるため、その者自身は不法行為責任を負わない(712条・713条)。かつては、過失の主観的理解(意思の緊張の欠如)を前提に、過失の客観的理解(予見義務と結果回避義務違反)が定着した現在、責任能力を過失と切り離し、能力の低い者(一定の精神障害者)を政策的に保護する制度と捉える見解が有力化している(もっとも、当該見解内でもバリエーションがある)。自己の行為の責任を弁識する能力は、もっぱら、法律の存在の有無を問題にするわけではない。2. 責任能力なき未成年者の監督義務者の責任(1) 責任能力未成年者の場合、責任能力の有無は、行為の当時における年齢や判断能力、行為の態様などを総合的に考慮して、個別具体的に判断する必要がある。本問へのあてはめを考えれば、Aが10歳であれば、責任能力は否定される。他方、14歳であれば責任能力ありと判断されるだろう。以下、これらを前提に議論を進める(YはAが10歳である場合のみ)。(2) 監督義務の内容監督義務者が負う責任は、①直接の監督にあたる者、②代理監督者、③法定監督義務者の3つの類型に分かれる。監督義務者は、責任を免れるには、監督義務を尽くしたことを証明しなければならない。監督義務は、①子供の生活全般について、一般的なしつけ・指導を行うという抽象的なもの、②子供の個別具体的な行為(危険な遊びなど)をやめさせるという具体的なものに分けられる。判例は、11歳の少年Aが、放課後、自身が通う小学校の校庭でサッカーボールを用いてフリーキックの練習をしていたところ、ゴールに向けて蹴ったボールが道路上を走行していた自転車に衝突し、運転していた高齢の男性が転倒して死亡したという事案で、親権者の監督義務違反を否定している。(3) 本問YがAについて把握していた情報に鑑みると、Aによる投球行為の具体的予見可能性があったとはいいがたい。しかし、参考判例①がいうように、Aは「人身に危険が及ばないよう注意して行動する義務」に違反したといえる。そうした監督義務は、「通常は人身に危険が及ばないよう注意して行動する義務」に当たる。しかし、本件投球行為は、「通常は人身に危険が及ばない行為」ということができるだろうか。通常は人身に危険が及ばない行為、Yが責任を免れるためには、危険な行為に及ばないよう日頃からAに注意を促していただけで足りず、Aの行動を常に監視し、その都度、適切な指示を与えていたことの立証が必要となる。3. 責任能力ある未成年者の親権者の責任(1) 民法709条に基づく責任の可能性直接の加害者たる未成年者が責任能力者である場合、親権者に対し民法714条1項に基づく責任追及をすることはできない。しかし、一般不法行為責任を定める同法709条に基づく責任追及は妨げられないはずである。ここでも親権者の監督義務違反が内包として想定されるのは監督義務の違反であるところ、参考判例③は、「未成年者が責任能力を有する場合であってもその監督義務者の義務違反と当該未成年者の不法行為によって生じた結果との間に相当因果関係を認めうるときは、監督義務者につき民法709条に基づく不法行為が成立するものと解するのが相当であって、民法714条の規定が右解釈の妨げとなるものではない」と判示することで、責任能力ある未成年者の親権者も監督義務を負いうることを認めた。民法709条の責任の追及が可能であることにより、被害者が実際に賠償を得る可能性は高まる(当該未成年者は責任能力を有するがゆえに資力に乏しいのが通常だからである)。ただし、709条責任ゆえに、同法714条1項の責任とは異なり、監督義務違反の立証責任が被害者に課される点に注意を要する。(2) 監督義務の内容この場合の監督義務はどのようなものか。①直接の加害者による他益侵害の具体的予見が予期される場合にそれを防止すべく監督する義務と、②具体的危険の予見可能性の有無にかかわらず何らかの監督を及ぼす義務とが想定されうることは2(2)と同じであるところ、責任能力ある未成年者の場合でも③を含みうるのかをみるのに限定するのが参考判例③である。この問題の分析に資するのが参考判例③である。事案は、数々の非行歴があり、少年院送致の処分を繰り返していたA(いずれも19歳)が、少年院を仮退院して保護観察に付され、一般遵守事項に加え特別遵守事項(交友を選ぶこと、深夜に徘徊せぬこと、保護司に面会すること等)が定められたにもかかわらずこれらを遵守せず多額の借財を重ね、深夜に徘徊して友人らと遊興する等していたところ、自己の借財の返済等を容易にするため、勤務先で知り合ったBを脅迫して多額の金員を喝取し、Bが出所した男性Xを強盗して傷害を負わせ金銭を強取したというものである(XがAらからのYにYらが親権者としてAらに対し得る影響力は限定的なものとなっていったといわざるを得ないから、Aらに親権者の遵守事項を確実に守らせることを求める適切な手段は存在していたとはいい難い」として、またAらは19歳を超えて少年院を仮退院して以来本件に至るまで特段の非行事実はなく、Yらに「おいて、……Aらが本件のような犯罪を犯すことを予見し得る事情があったということはできない……し、Aらの生活状態が直ちに非行に結びつくような状態にあったということもできない」として、Yらの監督義務違反を否定した。本判決が親権者の監督義務を否定したのは、保護観察の遵守事項を守らせる義務および少年院への再入院を求める義務という、法益侵害の回避に向けた具体的な措置であり、しかも特に未成年者の具体的非行の予見可能性を前提とするものとされていることから、上記の想定されているといえる。もっとも、このことは、責任能力ある未成年者の親権者にはそれ以上の義務を負わないという分析に直結するわけではない。責任能力を備えた段階後も、未成年者は精神的に未熟な状態にあり、親権による監督の必要性は、未成年者の年齢・生活状況に応じて徐々に薄れていくものである。こうした捉え方を具体化して、加害行為の危険性に対応した監督義務を認める(参考判例③)。(3) 本問Aによる投石行為の具体的危険の予見可能性がYにあったとはいいがたいことは2(3)と同様である。責任能力ある未成年者の親権者の監督義務が法的利益の具体的危険が予見される場合にそれを防止する義務に限定されるとすれば、Yの責任は認めがたい。しかし、14歳のAとの関係でも、親権者の責任をいきなりゼロにするのではなく、Xによる投石行為の具体的危険が予見されると解する場合は、2(3)と同様の結論となりうる。また、YはAの放課後の行動の詳細を把握していなかったところ、(具体的危険を予見すべき義務を予見しうる)日常的な監視の不十分性を捉えて監督義務違反を肯定することも考えられよう。もっとも、民法709条を根拠とする限り過失・因果関係の立証責任は被害者Xにあるところ、これらの証明を要とする場合、事実上の推定(さらには立証責任の転換)の可能性もさらに考えるべき課題となりうる。(4) その他民法704条但書によれば、監督義務者に監督義務違反という過失に基づく、不法行為者たる未成年者の行為についての責任(社会の耳目を集めた参考判例③参照)や代理監督者(714条2項)の責任(最高裁判例昭49・11・27判時764号78頁、福岡地裁小倉支部判昭56・8・28判時1022号113頁等)もあわせてみた場合、さまざまな客観類型を適用範囲に含む714条(=709条)の規定の射程を拡張し、監督義務者の内容・程度(および立証責任の所在)の調整により状況適合的な判断枠組みを構築しようというものが、判例の基本的スタンスといえよう(本文に反して責任能力が定着している使用者責任と対比せよ)。もっとも、その具体像は不明瞭な点を多く残すほか(関連問題も考えよ)、本法行為法改正の気運を考慮に入れたとき、立法論的吟味が今後の重要課題となる。監督義務者責任に責任能力制度を連結させる現行条項の可否、2(1)でふれた第2の立場の少なくとも部分的な採用可能性、さまざまな監督義務類型を同じく過失責任の構造に服せしめることの適否等、考えなければならない事柄は多い。

「千葉恵美子・潮見佳男・片山直也編者『Law Practice 民法Ⅱ【債権編】〔第5版〕』 商事法務、2022年10月15日」 ISBN978-4-7857-2992-9

名誉毀損・プライバシー侵害

公開:2025/10/20

Xは、市の福祉事務所に勤務する地方公務員である。Yは、インターネット上の公開の記録サイトに「Y市福祉事務所職員を装う腐りきったXを許すな」と題する投稿を行った。2023年12月ごろ、生活保護の相談のために福祉事務所を訪れたことのある20代の男性が孤独死する事件が発生した。Yはかねがね生活保護行政のあり方に疑問を抱いていた。Xは、独自の調査を行い、①B相談員を担当していたXに「生活保護受給を断られたため自殺した」として、②Xを「福祉事務所所属」として「当人の責任を忘れ他人に責任転嫁な公務員」と表現して批判したうえで、③Xの氏名、住所および電話番号を記載した記事(以下、「本件記事」という)を前記サイトに投稿して公開した。生活費に困らない程度の収入もあったが、公的扶助の支給要件改善制度を創設し、福祉事務所として相談を絶たなかった。Xは、Yに対し、この記事の削除と慰謝料の支払いを求めて訴えを提起した。[参考判例]① 最判昭和41・6・23民集20巻5号1118頁② 最判平成15・3・14民集57巻3号229頁③ 最判平成15・9・12民集57巻8号973頁[解説]1. 名誉毀損(1) 名誉名誉とは、「人がその品性、徳行、名声、信用その他の人格的価値について社会から受ける客観的な評価」(社会的評価)をいう。名誉毀損とは、この社会的評価を低下させる行為である。民法723条の文言と異なり、名誉感情の侵害を問題とするものではない。また、名誉毀損が成立するには、具体的な事実を摘示するほうが、意見や論評を表明する場合よりも、社会的評価を低下させる蓋然性が高い。(2) 事実の摘示による名誉毀損本件記事は、Xの社会的評価を低下させるものであるかどうかは、一般の読者の普通の注意と読み方を基準として判断される(大判大正3・10・12民録22輯1879頁参照(原審))。特定の人物に対する行為であっても、不特定または多数人に伝播する可能性があれば、一般の読者の普通の注意と読み方を基準として判断される。また、Xに興味本位の記事内容を掲載することは、名誉毀損が成立し得る(最判平成9・5・27民集51巻5号2000頁、最判平成24・3・23判時2147号61頁)。(3) 意見・論評による名誉毀損本件記事は、「証拠等をもってその存在を証明することが可能な他人の特定の事項」を前提に、その内容が人身攻撃に及ぶなど意見・論評としての域を逸脱したものである場合でなければ、名誉毀損は成立しない(最判平成9・9・9民集51巻8号3804頁)。事実の摘示による名誉毀損については、表現の自由との調整を図るため、刑法230条の2の公共の利害に関する場合の特例と同じ趣旨の免責要件が認められている(参考判例①、最判平成58・10・20判時1112号4号)。すなわち、①もっぱら公益を図る目的に出た場合には、「公共性」、②摘示された事実がその重要な部分について真実であることが証明されれば「真実性」、③摘示された事実がその重要な部分について真実である、と信じるについて相当の理由があるとき「相当性」のいずれかを満たせば、不法行為は成立しない。その事実の重要な部分を真実と信ずるについて相当の理由があるときは(相当性)、故意・過失が阻却されるため、不法行為は成立しない(最判昭54・4・18刑集33巻3号94頁(刑事事件))。公務員の犯罪や公務員に関する事実は原則として公共性を有する(同28条2項・3項参照)。③公益目的性については、「もっぱら」という文言は厳格に解されておらず、主たる動機が公益目的であればよい(最判昭24・8・18刑集未登)。なお、②真実性の判断は、摘示された事実が事後的に真実であるかどうかで判断される。ある行為が、行為時には存在しなかった情報をもとに判断されるため、③相当性の判断は、行為時における行為者の認識内容が問題になるため、行為時には存在した証拠に基づいて判断される(最判平14・1・29判時1778号90頁)。本件記事のうち、Yが相談を拒絶したために生活困窮を余儀なくされたと解したとしても、Yがその事実を真実と信じるについて相当の理由があったと解することが可能であり、事実の摘示に当たる。(3)意見ないし論評による名誉毀損 意見ないし論評による名誉毀損については、①前提としている事実が重要な部分において真実であることの証明があるか、②意見ないし論評が人身攻撃に及ぶなど意見・論評としての域を逸脱したものでないこと、の2つの要件を満たす場合には、違法性が阻却される(最判平9・9・9民集51巻8号3804頁)。本件記事のXに対する意見・論評は、①公共性、②公益目的性について真実であることを前提に、②その事実の重要な部分について真実であるとの証明があり、または③その重要な部分について真実であると信じるについて相当の理由があるときには、④人身攻撃などに及ばない限り、意見ないし論評としての域を逸脱したものでもない。ただし、②と④が区別できない場合もある。(4) 救済方法名誉毀損の不法行為が成立すれば、被害者は、加害者に対して、損害賠償を請求することができるほか(709条・710条)、名誉を回復するのに適当な処分(名誉回復処分)を請求することができる(723条)。謝罪広告は、訂正広告又は広告記事掲載の実施を実質上の強制として、その強制執行は許されない(最判昭31・7・4民集10巻7号785頁)。名誉回復処分請求権は、一身専属権とは解されておらず、相続の対象となる。また、名誉毀損の被害者は、人格権としての名誉権に基づき、加害者に対し、現に行われている侵害行為を排除し、または将来生ずべき侵害を予防するため、侵害行為の差止めを求めることができる。ただし、出版物の頒布等の表現行為の事前差止めを求める場合には、①その表現内容が真実でなく、または②それがもっぱら公益を図る目的のものでないことが明白であって、かつ、③被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがあるときに限って例外的に許される(最判昭61・6・11民集40巻4号872頁)。2. プライバシー侵害(1) プライバシーの権利プライバシーの権利とは、私生活上の事柄をみだりに公開されないという法的な保障ないし権利である。公開された内容が真実であってもプライバシー侵害は成立し得る。プライバシー侵害の要件は、①私生活上の事実または私生活上の事実らしく受け取られるおそれのある事柄であること(私事性)、②一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立った場合、公開を欲しないであろうと認められる事柄であること、③一般の人々に未だ知られていない事柄であること(非公知性)である(最判平6・2・8判時1517号67頁)。この要件を満たす場合は、原則としてプライバシー侵害となる。プライバシー侵害が成立しないためには、公開されることによって得られる利益と、プライバシーを侵害されることによって失われる利益とを比較衡量して、前者が後者を上回る必要がある。本件記事に記載されたXの氏名、住所、電話番号は、いずれもプライバシー情報に該当する。(2) プライバシーと表現の自由前科に関わる事実は、これを公開されない利益が優越する。前科を有する者は、社会復帰を阻害されないという利益を有するからである(参考判例②)。プライバシー情報に当たるのは、①その事実を公表されないことによる利益と、②これを公表することによって得られる利益とを比較衡量し、①が②に優越する場合である。本件記事は、Xが相談を拒絶したとの摘示が真実でないとすれば、公共の利害に関する事実とはいえない。Xの氏名、住所、電話番号を公開することは、Xに対する人身攻撃などの目的である。(3) インターネット上のプライバシー侵害個人のプライバシーに属する情報を違法に侵害された者は、人格権に基づき、加害者に対し、現に行われている侵害を排除し、または将来生ずべき侵害を予防するため、侵害行為の差止めを求めることができる(最判平6・2・8判時未登載)。プライバシーに属する情報を違法に公表する事業を営む者に対しても、プライバシーに属する情報を違法に公表された者は、人格権に基づき、その記事等の削除を求めることができる。(4) プロバイダ責任プロバイダ責任制限法は、プロバイダ等の損害賠償責任の制限および発信者情報の開示を請求する権利を定めている。インターネット上の人権侵害に対しては、プロバイダ(サーバーの管理者)に人権侵害情報の削除を請求することもできる。3者間の利益を考慮した上で、比較衡量により、権利侵害の明白性が肯定される場合に、差止めが認められる。また、プロバイダに対する発信者情報開示請求も認められる。50 未成年者と監督義務者の責任Yの未成年の子であるAは、ある平日の夕方、通っている学校の友人Xと共通の友人Cの3名で集まり、学校の近くにあるY所有の遊休地で野球をすることになった。ジャンケンで決め、Aは最初、捕手、Cは投手として野球を始めたが、暴投したCのボールがAの眼鏡に当たり、眼鏡が大きく歪んでしまった。数分後、Aは歪んだ眼鏡を掛けたまま、Cと交代して投手になった。Aは、Cに対して、「さっきはよくもやってくれたな。今度はこっちの番だ」などと叫び、興奮した様子で、硬球をCの顔面に向けて投げつけた。Cは、これを避けようとして身をかわしたが、Aの投げた球はCの背後にいたXの右目に当たり、Xは失明した。Xと両親は、Yに対し、Aの不法行為により生じた損害の賠償を求めて訴えを提起した。[参考判例]① 最判平成27・4・9民集69巻3号455頁② 最判昭49・3・22民集28巻2号347頁③ 最判平成18・2・24判時1927号63頁

「千葉恵美子・潮見佳男・片山直也編者『Law Practice 民法Ⅱ【債権編】〔第5版〕』 商事法務、2022年10月15日」 ISBN978-4-7857-2992-9

過失相殺

公開:2025/10/20

2022年9月2日、Yは、原付バイクを運転して住宅街を走行中、子供用自転車に乗った5歳の幼児Xを追い越そうとした際に、バイクを自転車に接触させて、Xがバランスを失って自転車ごと転倒した。接触事故の原因は、Yが十分な間隔をとらないで自転車を追い越そうとした、また、急にXが進路を妨げたため、YがXを避けきれなかったことにある。Xの両親A・A'も、日頃、Xに対し交通安全を十分に教育していなかった。Xは、転倒により右肘を骨折し、右膝にも打撲傷を負ったが、幸い、それ以外に怪我はなかった。医師の診断によれば、骨折は全治1か月、打撲傷は全治3週間とのことであった。Xは、9月10日になって、突然、右膝に激しい痛みを訴え、骨髄炎と診断された。これは、Xが以前に罹患した骨髄炎(Xは、2022年5月、右大腿骨に骨髄炎を発症し、7月までの治療を受けていた)が、本件事故の打撲の刺激が引き金となって再発したものである。この骨髄炎の治療のため、Xは、12月末までA病院に入院を余儀なくされたほか、左足に運動障害の後遺障害が残った。なお、右肘の骨折は、当初の診断どおり、9月末には完治した。Xが、Yの不法行為に基づき損害全部の賠償を請求した場合に、Yは、どのような事由をもって賠償額の減額を主張することができるか。[参考判例]① 最判昭和39・6・24民集18巻5号854頁② 最判昭和42・6・27民集21巻6号1507頁③ 最判平成4・6・25民集46巻4号400頁[解説]1. 総説(1) 問題の所在不法行為による損害の発生・拡大には、しばしば、加害者側の行為以外の原因が関与する。このような場面で、加害者に損害の全部を理由として責任の全部を負わせるのは、公平の見地から妥当ではない。そこで、民法は、不法行為において被害者にも過失があったときは、裁判所は、これを考慮して、損害賠償の額を定めることができる、と規定している(722条2項)。これを過失相殺という。この問題について、民法は、被害者の過失があった場合に損害額を減額しうるとする。もっとも、同条を、単に「被害者の過失」が問題となる場合に限定する趣旨と解するべきか。判例・学説は、同条を、損害の公平な分担を図る趣旨の規定と解して、加害者の過失と被害者の過失が競合している場合に限らず、もっぱら被害者の過失のみによって損害が発生した場合(自損事故)や、双方に過失のない不可抗力によって損害が発生した場合にも類推適用される、と解している。(2) 過失相失の要件まず、Yの過失とXの損害との間では、過失相殺の要件として、被害者の側に過失が認められることが要求される(「被害者に過失があったとき」)。かつての判例は、過失相殺について、責任成立要件とパラレルに被害者の責任能力を要求するとともに、その立場に立って、加害者の責任能力を要求する立場と相俟って、20世紀後半まで、交通事故が急増する中で、最高裁は、判例により事理弁識能力について、論者にとって有利な判断が示された。2. 被害者側の過失(1) 被害者本人の過失被害者本人に過失が認められるためには、被害者に事理を弁識するに足りる知能(事理弁識能力) が必要である。この事理弁識能力は、不法行為責任が認められるための責任能力(712条)よりも緩やかに解されており、判例は、5~6歳程度を基準としている。本問のXは5歳であるから、事理弁識能力の有無が微妙である。ところで、被害者の能力の問題と深く関連する判例理論として、最高裁は、同時期に、「被害者側の過失」論を展開した。それは、民法722条2項の過失は、被害者本人の過失だけでなく、広く被害者側の過失、すなわち「被害者と身分上ないしは生活関係上一体をなすとみられるような関係にある者の過失」が含まれるのであり、「被害者側」が幼児である場合に、「被害者側の過失」は、被害者の監督者たる父母が負う身上監護義務違反としての過失を意味するものではないので、その者の過失をいう(参考判例②)。この事例によれば、被害者に事理弁識能力がない場合であっても、その父母らが被害者の過失を防止しなかった監督義務違反が問われれば、その父母の監督義務違反の有無が「被害者側の過失」として斟酌されることになる。このような取扱いは、その後も、被害者本人の事理弁識能力を前提として、その監督義務違反という形での過失相殺を、被害者本人の事理弁識能力を前提に、その監督義務違反という形での過失を、実質的に被害者の事理弁識能力を擬制化するものである(なお、被害者側の過失は、父母の監督義務違反のほかにも、まったく異なる機能をもつ。この点については、最判昭和31・25民集30巻2号160頁を参考に後期提出を検討されたい)。最後の点を捉えて、学説は、判例の論理構成をさらに一歩進める立場も有力化している。この見解によれば、被害者の過失の有無・程度をもっぱら行為の客観面(態様)から判断することを提唱する。被害者の能力をそもそも過失相殺の要件から除外する。このような構成によれば、被害者が事理弁識能力を欠く場合にも、被害者側の過失を介在させることなく直接に、被害者本人の過失を認めて過失相殺をなしうることになる。(2) 被害者の素因被害者が有する身体的な特徴(素因)が損害の発生・拡大に寄与した場合、これを過失相殺において斟酌できるか。判例は、疾患については、原則として、被害者側の過失として斟酌することを否定している(最判平成8・10・29判時1593号63頁)。なぜなら、人の生命・身体は、人の人格的利益の根幹をなすものであり、その人の個性(疾患の有無やその程度、体質など)を尊重すべきだからである。もっとも、判例は、その疾患が「治療の機会を逸したことに起因する」など、被害者側の過失と同視できるような事情があるときは、例外的に斟酌を認めている。本問でXが骨髄炎に罹患していたことは、身体的素因に当たる。Yの不法行為がなければ骨髄炎の再発はなかったのであるから、原則として斟酌は否定される。しかし、Xの親権者であるA・A'が骨髄炎の治療を怠っていたなどの事情があれば、例外的に斟酌される余地がある。(3) 過失相殺の方法過失相殺は、損害の発生・拡大に関する当事者双方の過失の割合を比較衡量して行われる。具体的には、認定された損害額の全体から、被害者側の過失の割合に応じて減額される(判例)。本問のXの損害額については、①右肘骨折と右膝打撲による傷害、②骨髄炎の再発による傷害と後遺障害とに分けて考える必要がある。①については、Yの過失と、X本人(5歳児の飛び出し)およびA・A'(監督義務違反)の過失とが競合している。②については、これらに加えて、Xの素因(骨髄炎の既往症)が関与している。これらの事情を総合的に考慮して、過失相殺の割合が決定される。[関連問題]2022年9月7日の夜9時頃、Aが、自家用車(甲車)を運転してX県Y市Z町を走行中、幹線道路上でUターンを行って反対車線に乗り入れようとした際に、ちょうど反対車線を走行してきたY運転のトラック(乙車)との衝突事故を起こした。この事故により、A・Yがそれぞれ軽傷を負ったほか、Xが、背部挫傷の重傷を負って身体が不随となった。本件事故の原因は、次のとおりである。AがUターンを行った場所は、交通量が多いため転回禁止区域に指定されていたうえ、Aは、乙車が自車(甲車)に気づいて速度を緩めるものと軽信していた。他方、Yは、携帯電話を操作しながら乙車を運転しており、甲車の動静にまったく気づいていなかった。XがYに対し損害全部の賠償を請求した場合に、Yは、どのような事由をもって賠償額の減額を主張することが考えられるか。[参考文献]橋本佳幸・百選Ⅱ 212頁/高橋成光・基本判例 187頁/橋本佳幸・注釈456号(2018)38頁(橋本佳幸)

「千葉恵美子・潮見佳男・片山直也編者『Law Practice 民法Ⅱ【債権編】〔第5版〕』 商事法務、2022年10月15日」 ISBN978-4-7857-2992-9

不法行為責任の効果|経済的損害

公開:2025/10/20

Y社は、非公開会社を募集・販売とする株式会社であり、2019年9月30日、その株式を取引所に上場している。Y社は、2021年度(2022年3月末日終了)の決算において、別途コンテンツについて架空の売上高の計上により利益を水増し、真実3億円の赤字を生じているのに、2億円の利益を水増しする会計処理をするという方法で虚偽記載の有価証券報告書を提出した。2022年6月6日にY社は、株式市場の信頼を裏切り、公衆の信頼を当初から失い、株式の市場から信頼を失っており、もしYが当初から真実の情報を開示していたら、Yは取引所に上場されていなかった。2022年7月に、個人投資家であるXは、取引市場を通して、Y株を1株2000円で1万株購入した。その後、Yが正しく公表していた事業に係る業績が悪化し、同年9月にはY株の市場価格は1700円程度となった。2022年10月1日、Y社の独立委員会がYに記者会見を開き、2021年度の有価証券報告書に上記の虚偽記載があること、真実3億円の赤字であったことが、Yが市場から同様の粉飾決算を行っていたこと、Yの代表取締役を交代させることを公表した。Yは、その日の取引時間中に市場の信頼を失い、株価の維持を困難とするために対処処理をするとともに、同日11月10日に、Y株の市場価値を決定した。取引所におけるY株の株価は、同日10月1日の虚偽記載の公表の前の取引日の終値1700円(公表前1か月間の市場価格の平均も1700円)まで下落し、Y株は11月1日に300円まで下落し(公表後1か月間の市場価格の平均は500円)、Y株の市場価値は200円となり、その後の回復は見られず、Y社はやむなく、上場廃止前の最終の取引日の終値1株800円であった。Xは、Y社が上場廃止になるよりも前に取引所でY株をすべて売却するのではないかと考える。2022年11月1日に取引所でY株を1株300円で保有する1万株を売却した。Xは、Yの虚偽記載によって被った損害の賠償をYに求める訴訟を提起した。Xは、どのような請求をすることが考えられるか。Xの請求は認められるか。[参考判例]① 最判平成23・9・13民集65巻6号2511頁② 最判平成24・3・13民集66巻5号1957頁[解説]1. 金融商品取引法に基づく請求の枠組み上場会社が作成・公表することを義務付けられている有価証券報告書等の法定開示書類に重要な事項についての虚偽の記載があり、または重要な事実の記載が欠けているとき(以下、虚偽の記載と記載の欠缺を合わせて「虚偽記載等」という)、虚偽記載等に基づいて形成された市場価格で有価証券を取得した投資者は、虚偽記載等があったという事実(虚偽記載等の事実)が公表されたときに有価証券の市場価格が下落することにより、損害を被る。このような投資家の損害の回復を図るために、金融商品取引法(以下、「金商法」という)21条の2は、法定開示書類に虚偽記載等があった場合の投資者の損害賠償請求について、2つの点において不法行為の特則を定めている。第1に、金商法21条の2第1項によると、虚偽記載等を知らないで、法定開示書類の提出者が発行した有価証券を取得した投資者に対し、発行者は、有価証券の取得者が虚偽記載等を超えない限度において被った損害賠償を負う。この責任は、無過失の立証責任が発行者に課せられた有価証券であれば(同条2項)、同条3項によると、虚偽記載等の事実の公表がされた日(公表日)前1年以内に有価証券を取得した者は、公表日前に取得した当該有価証券の市場価格の平均額から当該1か月間の当該有価証券の市場価格の平均額を控除した額を、虚偽記載等により生じた損害の額として賠償することができる。有価証券取得後の因果関係の証明を要するが虚偽記載等の範囲で推定する。このことが難しいことを考慮して、投資者の負担を軽減するため、虚偽記載等の公表がされたときに取得した有価証券を保有する投資者が被った損害を推定する規定がある。推定額は、当初、虚偽記載等の存在を知らないで取得した有価証券の市場価格が、虚偽記載等の公表によって下落した部分について損害賠償を負う(同条5項)。本問のXは、虚偽記載等の事実が公表された2022年10月1日より前1年以内にY株を取得しているので、虚偽記載21条の2第3項の損害額の推定規定を利用することができ、その推定額は、1株につき、公表日前の1か月間のY株の平均価格である1700円と公表日後の1か月間のY株の平均価格である500円の差額の1200円ということになる。しかし、Yは、虚偽記載の事実の公表によってY株の平均価格が下落したのではなく、Yが発表したYの業績の悪化によってY株が下落したと主張すると、Yは1700円から900円まで下落したのであるから1400円がY株当たりの損害であると主張しうるが、1株当たり1700円(2000円-300円)の損害を被っているようにも思われる。Yは、不法行為のように損害額の賠償を請求できるのではないか。Yは、不法行為の規定とYの間の因果関係を否定してもよいではないか。虚偽記載がなければ有価証券を取得しなかったといえるか否か不法行為がなければ有価証券の取得をしなかったと考えるべき場合と、不法行為がなかったとしても、有価証券を取得したと考えるべき場合とで区別して考えるべきであるから、有価証券の虚偽記載等がなければ投資者が有価証券を取得しなかったとみられるか否か、不法行為がなければ投資者が有価証券の取得をしなかったとみられるか否か、不法行為がなかったとしても投資者が有価証券を取得しなかったであろうかという反実仮想をすべきである。廃止の決定がなされた事例について、投資者が当該有価証券を取得する意図が虚偽記載を確かめていたとしたら、その後も市場に当該有価証券を取得する対象が投資家にとって内外において当該有価証券を取得するという具体的事情が生じたと認定した(参考判例②)。虚偽記載がなければ投資者が有価証券を取得したか否かは、投資家の取引の判断の過程で、虚偽の記載がなければY株を取得しなかったか否かという事情を具体的に判断しなければならない。本問のXが、虚偽記載がなければY株を取得しなかったと主張するためには、どのような事実を示したらよかろうか。虚偽記載がなければ投資者が有価証券を取得しなかったとみるべき場合は、有価証券を取得したこと自体が投資者の損害であるから(ここで、このような損害を取得自体損害と呼ぶことがある)、その賠償額は、取得価格と処分価額との差額(もし、有価証券を保有しているときは、取得価額と現在の市場価額との差額)となるのが損害額の自然な帰結であろう。これに対し、取得自体損害の前提を投資者の自己決定の尊重の原理的な基礎が認められるには、虚偽記載等の事実が投資家の自己決定に影響を与えたという決定的な理由がなければならないとする。参考判例①は、虚偽記載がなければ有価証券を取得しなかった場合の損害額について、虚偽記載との差額を考慮して、経済情勢、市場動向、当該会社の業績等、虚偽記載に起因しない市場要因の影響を控除して算定すべきであるとした。その理由として、そのような場合は、投資家は虚偽記載と無関係の要因に基づき変動することを予想して株式を取得し、かつ虚偽記載について開示された情報に基づいて株式を処分するか保有し続けるかを自己の判断ですることはできた状態にあったことを挙げる。もっとも、参考判例②においては、投資家は有価証券を取得しなかった以上、虚偽記載以外の要因による市場価額の変動から損害を被ることがないとみるべきである、という反論がある。本問において、虚偽記載の公表の直前のY株1株当たりの300円の値下げが虚偽記載と無関係の要因に基づくものか、虚偽記載の事実の公表がなければ投資者の損害額の算定の基礎であるか。この点、3で検討しよう。虚偽記載がなければ有価証券をより低い価格で取得したとみるべき場合本問の虚偽記載がなくてもXはY株を取得していたと認められるが、真実が公表されていれば、その情報を反映して、より低い市場価格が形成されていたであろうから、より低い価額でY株を取得していたといえる場合に、XがYから得るべき投資者の被害については、取得価格が真実が公表されていたら形成されていたであろう市場価格(想定額)と実際(取得時価額)であるとすると、虚偽記載の事実の公表がされたことによって生じた市場価額の下落は、不法(取得時価額)であるとすると、虚偽記載と処分時価額との差額であるとして市場が下落した場合にこれを賠償の範囲に含める見解がある一方、取得価額と処分価額との差額は株主の地位に基づくもので発行会社との間の取引行為に当たる場合には認められないとして、株主が会社に請求できる損害を取引時価額に限定する見解がある。有価証券報告書の法定開示書類の重要な虚偽記載等の事実が公表されると、虚偽記載を信頼して発行市場で有価証券を取得するものが生じるなどして発行市場が信頼を失い、市場が機能しなくなるおそれが生じるとして発行された価格が信頼を失い、市場が機能しなくなるおそれがあるから、いわゆる「ろうばい売り」を誘発し、真実なら発行市場の価格が形成されていたであろう市場価格が大きく下落することが多い。本問でも、Y株の市場価格は、1株当たり1700円から300円にまで下落しており、その要因には、Yの代表取締役が交代したこと、Yに上場廃止のおそれが生じたことも含まれているだろう。この点について参考判例①は、いわゆるろうばい売りが集中することによる過剰な市場価格の下落は、有価証券報告書の虚偽記載があれば、それが利用されることによって通常生ずべきと予想される損害であって、これを虚偽記載とは無関係な要因に基づくものというべきではないとした。参考判例②は、金商法21条の2第3項が適用された事例であるが、同項の「不法行為の規定による損害賠償」に相当因果関係のある損害のすべてを含み、これを取得時価額に限定すべきではなく、発行者の行為に関する独立性、代表取締役の解任、株式の市場性の確保、これらをめぐるマスメディアの報道、発行者の信用失墜といった各種事情から全て市場価額の下落についての賠償を認めた最高裁の判断を確認した。これらの判例の考え方によると、Xに与えられるべき損害賠償額はいくらになるだろうか。4. 過失相殺と損益相殺投資者が虚偽記載に基づく損害賠償を不法行為により請求している場合はもちろん、金融商品取引法に基づいて請求している場合にも、民法722条2項の過失相殺の規定が適用される。しかし、法定開示書類の虚偽記載請求訴訟において、過失相殺が認められた事例はないようである。被害者(投資者)側の過失を理由に発行者の損害賠償額が減額されるべき場合として、どのような場合が考えられるだろうか。Xは、上場廃止直前までY株を保有していれば、1株800円程度で売却できたのだから、早期に売却したことはXの損失を評価すべきだろうか。また、虚偽記載がなければ有価証券を取得しなかったとみるべき場合に、虚偽記載以外の要因によって市場価額が下落した部分を控除して損害額を求める(参考判例①)の考え方は、虚偽記載以外の要因による市場価額の変動を被害者の過失によって負担を負わせているとみることによって説明できないだろうか。損益相殺の主張が認められた事例も見当たらない。虚偽記載が行われた期間に取得した有価証券の一部につき、投資者がこれを虚偽記載の発表前に売却して利益を得ていたときは、当該利益は、売却しなかった有価証券について生じた損害の賠償額から控除すべきだろうか。虚偽記載がなければ取得した有価証券を保有し続けるべきだろうか。損益相殺の対象とすべきだろうか。損益相殺については、夫婦間の問題が多い。[関連問題]Xは、2022年9月30日に、取引所市場を通じて、Y株式会社の発行するY株を1株2000円で1万株購入した。2022年10月1日、Yは突然、投資手続開始の申立てを行い、裁判所より破産手続開始の決定を受けた。Yの株価は1株2000円より連日ストップ安となり、5日後に1株1円となった。Xは、この間、Y株の市場での売却を試みたが、売買が成立せず、10月6日にようやくY株を1株1円で売却することができた。Y株は同月15日に上場廃止となった。破産管財人が調査した結果、Yは、株式の上場後である2019年3月期より、架空の売上高および利益を計上する粉飾決算を続けていたことが判明し、Yは当該事業を2022年12月1日に公表した。Xは、Yに対する損害賠償を民法上の不法行為を理由として提起した。Xの損害はどのように算定されるか。[参考文献]黒沼悦郎・金融商品取引法判例百選(2013)12頁/松岡啓祐・民商法雑誌(黒沼悦郎)

「千葉恵美子・潮見佳男・片山直也編者『Law Practice 民法Ⅱ【債権編】〔第5版〕』 商事法務、2022年10月15日」 ISBN978-4-7857-2992-9

不法行為責任の効果|人身侵害

公開:2025/10/20

2020年9月16日午前9時20分頃、A (2009年1月28日生まれの女児、同年11歳)は、自宅から500メートルにある自宅の近くの交差点を横断しようとしたところ、信号機のない交差点を普通自動車(以下「Y車」という)にはねられて、B病院に救急搬送されて治療を受けたが、まもなく死亡が確認された。この交差点はAの通う小学校の通学路になっており、Aも毎日のようにこの道路を通学していた。Yは、この交差点でAをはねた。これにより、Aが横断しているのに気づくのが遅れた過失があった。他方、Aは、小学校の指導にもかかわらずAもこの交差点を横断する際、左右の安全確認を怠っていた。Aの父Xと母Yは、Yに対して、Aの逸失利益として、Aが18歳から67歳まで49年間にわたって、2019年賃金センサス全労働者計の平均賃金を基にして、生活費を50パーセント、年5パーセントのライプニッツ方式で中間利息を控除した額、Aの精神的苦痛に対する慰謝料、B病院に支払った治療費、葬儀費用をAの損害と認められるとして、損害賠償を求めて訴訟を提起した。そこで、X・Yは、YにAをはねて、上記の内容の損害賠償の訴訟を提起することにした。この請求の内容から、これに対するYの反論を考慮して検討せよ。なお、Yから支払われるべきものとして、Yが契約している自動車任意保険からの支払も受けるものとする。[参考判例]① 最決平成13・9・11交民集34巻5号1171頁② 最判平成14・7・9交民集34巻4号921頁③ 最判平成17・6・14民集59巻5号983頁[解説]1. どんな損害がどんな発生するか(1) 不法行為の成立本問では、民法709条の不法行為責任が問題になるが、その損害賠償請求が認められるには、①権利侵害または法律上保護される利益の侵害、②それが故意または過失によること、③損害の発生と、④侵害と損害の間に因果関係があることが必要である。Aの生命侵害である。加害者のYのわき見運転は、問題なく成立する。Yも責任の成立自体は争わず、争うのは、賠償の内容である。なお、自動車による人身事故の場合には、自動車損害賠償保障法上の責任が実際にはまず問題となる。自動車事故の場合、同法の強制保険のほか、任意保険制度も発達し、事故件数も多いため、賠償額算定についてかなり定型化されている場合がある。(2) 生命侵害の場合の損害不法行為による損害は、不法行為がなかったとしたら存在した被害者の財産的・精神的利益状態と、不法行為によって生じた財産的・精神的利益状態との差であるといわれる(差額説)。これに対して、生命侵害の場合には、死亡者がそのものを損害と捉える財産的損害、死亡に伴って慰謝料などの精神的損害、死亡がなければ支出したであろう費用(逸失利益)と不法行為によって支出しなければならなかった費用(積極的損害)に分けて考え、これらを合算して損害額を算定する(個別算定方式)。これに対して、個別損害項目ごとに考えるのではなく、賠償額を一括して算定する方式が主張されている(包括算定方式)。以下の算定方式は、判例が採用している。損害賠算定方式を前提とすると、不法行為責任の損害も賠償されるべきであり、民法416条の損害賠償も適用される。判例は、死亡によって被害者の慰謝料請求も被害者に発生し(709条・710条)、死亡によって被害者の相続人に相続される(882条)と考える(相続説)。本問では、XとYの他に相続人はいないので、XとYに相続されることになる(相続分は2分の1ずつである(900条4号))。かつて、慰謝料は一身専属的な権利(896条ただし書)であるから、被害者が具体的に意思表示をしない限り相続されないという考え方があったが、今では財産的損害の賠償請求と同様に相続されるものである。死亡前に発生している医療費請求権は、死亡者が払っていれば、その相続財産から支払われる。父が費用を負担している場合には、慰謝料と同様に相続の問題となる。判例が被害者による請求を認めず、固有の損害賠償請求権の行使を被害者の相続人が行使できるかどうかが問題になるが、それが相続によって、被害者の相続人に民法709条の損害賠償請求権を認めるかどうかが問題となる。以下では、損害賠償を個別に解説する。2. 損害賠償の内容(1) 逸失利益人身侵害における逸失利益の算定方式は、一般には、「逸失利益=(基礎収入-生活費)×年数に対応するライプニッツ係数」(=中間利益)である。年間収入は現実の収入が基本であり、勤労者が死亡時に得ていた給与である。非就労の場合にはゼロとなるが、愛でていないため、働いていれば得られるであろう年収(×稼働可能年数)による。本問のような女児の場合は、賃金センサスに基づく女子平均賃金をもとに逸失利益を算定し、将来は男女間賃金格差が是正されるとの理由で、男女平均賃金をもとに逸失利益を算定するケースがある。ただし、11歳の子供の死亡事故でも、性別によって賠償額は大きく異なってしまう。実務では、女子の場合に慰謝料を増額したり、生活費控除の割合を少なくすることで格差を縮小してきたが、限界があり、現在では、女子について全労働者平均賃金に基づいて算定することは認められるようになっている(参考判例①②)。稼働可能年数は、被害者の年齢・経歴・職業・健康状態その他具体的事情を考慮して自由な心証によって算出されるが、実務では、18~67歳くらいまで(67歳以上の被害者については平均余命までの年数の半分程度)とすることが一般的である。生活費を控除するのは、生きて活動したならば生活費が当然にかかり、その部分は手元に残らないはずだからである。これも実際の額はわからないので、男子では50パーセントを控除するのが普通である。中間利益が控除されるのは、損害賠мを一時金として一括して支払われるので、被害者が将来受け取るはずであった収入についてはその時期までの間の利息を控除して、支払われる時点での金額を求めなければならないからである。これについて、かつての実務は、単利計算のホフマン方式と複利計算のライプニッツ方式に分かれていたが、現在ではライプニッツ方式に統一された(この計算のほうが大きくなる)と統一された。最近問題になっているのは、この計算の基礎となっている年利であるが、従来は、法定利率年5パーセント(旧404条)によってきたが、近年は低金利が続いており、将来も年5パーセントに戻らなかった。実際に年利3パーセント、4パーセントで控除して認容するケースも現れたが、最高裁は法定利率によることを明らかにしたので、民法404条2項は法定利率を3パーセントに引き下げたので、改正後は3パーセントで中間利益の控除が行われることになる。(2) 慰謝料財産損害と異なり、慰謝料は、被害の程度などの被害者側の事情はもちろん、加害者の事情も考慮して(たとえば故意か、軽過失なのか等)、裁判所が裁量で決定される。このため、損害賠償の請求には金額を主張・立証する必要はない。また、加害行為と因果関係ある精神上の苦痛も考慮される。しかし、自動車事故のように同じ事案が多発するケースで、個別事情を考慮して慰謝料額を算定することは公平を欠くため、裁判実務は被害の類型を標準化して慰謝料額を算定し、それに一定の幅をもたせて、増減額が図られている。本問の被害者が死亡した場合の慰謝料については、11歳であった。両親の被害者への愛情の程度などを勘案すれば、慰謝料の額は自己の慰謝料を請求するのではなく(711条)、X・Yが相続した被害者の慰謝料に自己の慰謝料を請求するのは妥当である。ちなみに、11歳女児が交通事故で死亡した参考判例③の事件では、本人3000万円、両親それぞれ250万円の慰謝料に対し、本人1700万円、両親それぞれ200万円の合計2100万円の慰謝料が認容されている。(3) 治療費・葬儀費用入院によって生じた治療費は、積極的損害として賠償の対象となり、生命に発生している医療費に当たって、当然賠償の対象となる。本問のような場合には、父母が実際に支出することが多いが、父母はそれを請求できる(711条)。いずれにしても死亡による損害とは別に問題はない。葬儀費用はいずれ必ず支出されるものである。このため、葬儀との因果関係はいずれ必ず支出されるものである。しかし、判例は、被害者の社会的地位等からみて相当の範囲で請求を認める(最判昭43・10・3判時540号38頁)。実務に認められるのは150万円程度である。(4) 弁護士費用弁護士に民事上の処理を依頼した場合の費用も請求できる。裁判所が相当と認めるのは、訴訟の支払額ではなく、そのうち相当と認められる範囲である。3. 過失相殺Yとしては、Aの飛び出しを指摘し、過失相殺(722条2項)によって、民法709条の責任能力を前提とする過失と異なり、事理弁識能力の存在を前提とした判断である。4. 損益相殺**最後には、民法に規定はないが、不法行為によって被害者が利益を得ている場合には、それが賠償額から控除される。たとえば、被害者が死亡保険会社からの支払があった場合でも、被害者の加入した生命保険からの支払金は、損害を補填するものではないと考えられており、損益相殺の対象とされていない。[関連問題]本問について、次のような場合を仮定して検討せよ。(1) Aは幸運にも一命をとりとめたが、左足の骨折の結果、将来にわたって歩行に支障が残る後遺障害が残る場合。A・X・YはYにどのような請求をすることができるか。(2) Aが、事故当時満3歳であり、父の保育園に送っていく途中、手を放した隙にAが道路に飛び出し、この交差点でYの運転する自動車にはねられて死亡したとき、X・YはYにどのような請求ができるか。これに対して、Yはどのような反論が可能か。[参考文献]水野謙・リーマークス25号(2002)66頁/高橋譲・平成17年度重要判例解説2頁/水野謙=三木浩一=加藤新太郎 民事法Ⅱ 311頁(和田真一)

「千葉恵美子・潮見佳男・片山直也編者『Law Practice 民法Ⅱ【債権編】〔第5版〕』 商事法務、2022年10月15日」 ISBN978-4-7857-2992-9

不法行為の成立要件|過失・因果関係

公開:2025/10/20

Xは、Yが開設するクリニックで健康診断を受けた際、採血が実施された。Yは採血用の注射針をXの腕に刺し採血を始めたが、Xは針が刺された直後に腕に異常な強い痛みとしびれを感じ、大声で苦痛を訴えた。Yは、Xの大声に驚き、ただちに採血を止め、針を抜いた。Xの穿刺部位は出血で大きく腫れ上がり、Xの腕には強いしびれが現れた。その後、1年にわたってXにはさまざまな処置をして状況改善に努めたが、Xの腕にはしびれの症状が残っており、改善の兆しはない。Xはこの事故に遭遇するまでは、手先の器用さを生かして高収入を得ることのできる職業に従事していたが、この事故のためにそれに従事することが不可能となってしまい、その収入は激減した。Xは、自分に機能障害が生じたのは、Yが採血に際して、Xの腕の神経を傷つけないように適切な部位を選択し、注意深く穿刺・採血すべきであったのにその確認を怠ったため、穿刺に際してXの腕の神経を傷つけ、それがしびれの原因となったと主張し、Yに対し、収入の減収と慰謝料の支払いを求めて、不法行為に基づく損害賠償の支払を求めた。Xの請求は認められるか。[参考判例]① 最判平成8・1・23民集50巻1号1頁② 最判平成13・11・27民集55巻6号1154頁[解説]1. 概説:不法行為に基づく損害賠償請求権の成立要件医療事故に基づく損害賠償を不法行為と構成する場合 (709条以下)、賠償請求する患者側は、その成立要件である、①故意・過失、②権利または法律上保護されるべき利益の侵害、③損害、④因果関係のすべてを証明する必要がある。訴えの提起とその後の利用は、個人開業医である医師に多い。そのための費用は医療機関の設置者であるが通常の医療もある(715条)。なお、医療事故は労働災害との問題となるが、過失の注意義務違反に関しては問題はない。医療訴訟は、身体・生命の侵害が問題となる場合が多い。上記要件のうち①については、一括して同じであるとみることがあるが、より小さな方法を議論の対象として考えるという動きがある。専門知識をもたない被害者側には、①医療関係者の過失、②因果関係の立証は特に大きな障害となりうる。2. 故意・過失民法は過失責任主義を採用し、加害者に少なくとも過失がなければ、損害賠償責任を負わせない。「過失」は、通常ありえないように、社会生活上要求される注意を怠って行動し、たとえ損害が発生したとしても責任を問われることはない、とされている。伝統的には、過失を「結果予見義務とその回避義務」という心理的な「不注意」により心理」にあったかという心理状態を考えられてきたが、今日ではこれを客観化された「予見可能性を前提とした結果回避義務違反」と捉えるのが一般的である。加害者にある行為を行わなかったという結果と結びつきさえすれば過失が認められるかどうかにかかわらず、行為自体を「行為の違法性」に求め、加害者にとって、その結果回避可能性がなかったといえるような特段の事情がある場合にのみ、過失が否定されるにとどまる。医療行為については、社会における医療水準への信頼があるから、生命・身体への危害を生じさせるおそれを常に含み、医療関係者には高度な注意義務が課せられる(最判昭和36・2・16民集15巻2号244頁)。医療事故の場合、医療関係者の過失の有無の判断基準は診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準であり(最判昭57・3・30民集36巻3号484頁)、Aが医療水準として注意義務の内容に問題があるか否かを判断し、問題が医療機関の医療水準の遅れの有無の事情を考慮して個別、具体的に決定される(最判平7・6・9民集49巻6号1499頁)。医療水準は、最新・高度な学術的な知見かつ臨床医学で医療関係者に浸透すべき義務であるから、医療行為の裁量に委ねることが多い。それゆえ、医療水準であれば、一般に問題とされることがあるが、これは医師の裁量が問題とされるもので、患者には選択の自由が保障されるべき注意義務とされるべきものである。産業は、経験と知識に圧迫されての穿刺時には適切な危険性を運んで細心の注意を払うべきであったが、いったい何がどうであったのかどうかが重要である。なお、医療行為には、治療の実施前に患者から同意を得るインフォームド・コンセントも取得も重要であり、十分な情報提供の結果として患者から有効な同意を得ないと不法行為が成立する場合がある。たとえ治療が成功したとしても結果如何に関わらず不法行為が認められる。3. 因果関係の証明損害賠償においては、加害行為と結果との間に因果関係が存在することも必要である。因果関係の問題は、加害行為がなかったならば結果もなかったであろうという事実的因果関係があるかという点と、生じた結果のどこまでを賠償させるべきかという法的な評価の2つの点が問題である。医療事故が生じるのは人体であり、必ずしも事故の発生と結果とが単純なケースであるとは限らない。また、医療関係者の関心がすべての生じた出来事を自宅等に置いていた場合には、必要な処置がとられず、さらに、専門書中の存在の判断に必要な情報も残されていないこともある。たとえば、ある症状について診療記録に記載がなかったとしても、症状がなかったことの証明にはならないか、症状に気づいて何もしなかったのかの判断は容易ではない。因果関係の証明についても、過失を追求する患者側に証明責任がある。訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的な証明ではなく、経験則に照らして立証を検討し、特定の事実が特定の結果を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することをいう。その点では、通常人の疑いを差しはさむ程度に真実性の確信をもちうるものであることを必要とし、それで足りるものとされる(最判昭50・10・24民集29巻9号1471頁)。本問の事故とXの後遺障害との因果関係の証明も、これにしたがう。しかし、訴訟における因果関係の証明は、立証するとしても「高度の蓋然性」を立証することも容易ではない。なお、実施されるべきであった医療行為が行われなかったという不作為の場合には、注意義務が行われなかった不作為の患者との死亡との因果関係は、患者が負う当時における死亡であったこと、つまり侵害が注意義務の懈怠がなかったとしてもその死亡の時点を遅らせることができたであろうという蓋然性が立証されれば、患者がその時点後生存し得た利益を、主として得べかりし利益の侵害の算定によって考慮されるべきであると判示されている(最判平11・2・25民集53巻2号285頁)。4. 損害の発生医療事故の場合、被害者は生命や身体に対する重大な損害を被ることが多い。こうした損害が、医療関係者の過失に起因し、それが原因で損害の賠償を認められる場合には、回復されるものである。本問のような、その収入の減収が不法行為によって生じたとすればこれは得べかりし利益であり、損害賠償にこれについても認められる。しかし、医療事故では、もともと疾病や負傷の患者に生じ、不法行為がなくても医療機関に受診すべきであるように、すでに問題が生じている。患者の疾病が生命を脅かすもので、医師がそれに適切な処置をしたことによって延命するが、元の主たる原因が克服されずに当該疾病の終期には患者が死亡したことなど、死亡の結果は医療の過誤なしに医療機関に賠償をすべてさせることはできない。そこでこの場合には、損害賠償額を考慮して、医療関係者の責任を問題とすることもある。最高裁は、医療水準に適合した医療行為が実施されていれば相当程度の可能性があることを前提として、これを賠償として認められる。これを「逸失利益」と呼ぶ。これとは異なり、これとは異なり、これとは異なり、不法行為がなくても、患者が死亡した場合には(最判平12・9・22民集54巻7号2574頁)、この場合とは区別して、患者が死亡したのではなく、重大な後遺障害が残った場合(最判平15・11・11民集57巻10号1649頁)、逸失利益を算定しなければ損害賠償責任はない(最判平17・12・6判時1921号26頁)。[関連問題]Aは、胸部痛を訴えB病院(地方の小規模な私立病院)でがんとの診断をされた。Aの病院の医師Zは、Aに開胸手術を実施したが、高齢で心臓疾患や糖尿病などの持病もあるAには手術は極めて負担が重く、急激な血圧低下などにより手術は途中で中止を余儀なくされた。Aは手術後まもなく死亡した。Aの妻Xは、ZがAの体力等を十分に考慮せずに開胸手術に踏み切ったことは医療水準を著しく下回っていたとして、Aの年齢や全身状態を考えれば、開胸手術ではなく、より負担の軽い腹腔鏡手術を選択すべきであった、B病院が実施できないのであれば大学病院その他の高名な医療機関に転送すべきであったこと、手術に際してはAにその危険性を十分に説明したうえで承諾を得ているとはいえないことをAから相談をうけた、と主張して、不法行為に基づく損害賠償を求めた。Xの主張に対して、Yはどのようなことを反論しうるか、以下の点を意識しつつ検討しなさい。Aの体力的には手術に耐えられるかどうか、手術前の検査でどの程度把握できるか。大がかりな手術である開胸手術がAの予後(術後の経過)でどの程度意味をもつか。Aの手術に対する同意が有効とされるためには、どのような情報が提供されていることが必要か。

「千葉恵美子・潮見佳男・片山直也編者『Law Practice 民法Ⅱ【債権編】〔第5版〕』 商事法務、2022年10月15日」 ISBN978-4-7857-2992-9

不法行為の成立要件|権利侵害

公開:2025/10/20

Aは、2024年12月10日、東京都内にある自己所有の土地に、鉄筋コンクリート造り陸屋根3階建ての建物(以下では「本件建物」という)を代金3000万円で建築する請負契約をYとの間で締結し、その設計および工事監理をY’に委託した。Yは本件建物完成後、Aは、その引渡しを受け、しばらくの間そこで居住していたが、2025年12月頃、勤務先会社から突然札幌への転勤を命じられ、長期にわたり単身赴任が見込まれたことから、新築の早い本件建物を手放すことに決めた。そして、Aは、2026年2月10日、Xとの間で、本件建物およびその敷地をそれぞれ代金2000万円と3000万円で売却する旨の契約を締結した。この契約に基づき、Xは、同年3月20日、本件建物およびその敷地の引渡しを受けた。ところが、Xが引渡しを受けた後しばらく経って、本件建物に多数の瑕疵があることが判明した。その瑕疵は、建物の外観をただちに危うくするほどのものではなかったが、天井・床・壁のひび割れ、はりの傾斜、鉄筋量の不足、バルコニーの手すりのぐらつき、排水管の亀裂など、多数箇所にわたっており、すべて補修を要するものであった。そこで、Xは、2028年12月、YおよびY’に対し、上記の瑕疵について修補費用相当額の賠償を求めて訴えを提起した。このXの請求は認められるか。[参考判例]① 最判平成19・7・6民集61巻5号1769頁② 最判平成23・7・21判時2129号36頁[解説]1. はじめに本問では、建物取得者が、建物の設計者・施工者・工事監理者(以下では単に「設計・施工者」という)であるYおよびY’に対し、本件建物の瑕疵について修補費用相当額の損害賠償請求をすることができるかどうかが問題となっている。前提として、Yは、本件建物の売主であるAに対し、売買契約に基づく責任を追及することも可能である。すなわち、本件建物に多数の瑕疵があることから、引き渡された目的物の品質が契約の内容に適合しないものとして、追完請求(562条)、代金減額請求(563条)、損害賠償請求(415条)または解除権の行使(541条・542条)が認められる可能性がある。ところが、通知義務による失権(566条)やAの無資力といった事情により、Aに対する責任追及が実質上不可能な場合もある。このとき、Xとしては、Yを相手方として請求していくほかないが、X-Y間に契約関係が存在しないため、不法行為(709条)を請求の根拠とすることになる。この問題については、本問とほぼ同じ事案に関する最高裁判決(参考判例①およびその後の民法改正までを参考判例②)によって一応の解決が与えられており、そこでは、建物の設計・施工者は不法行為により修補費用の賠償義務を負うことが認められている。しかし、この責任をどのようにして正当化するかということについては、なお検討すべき点がないわけではない。このような事情から、以下では、参考判例の立場を説明したうえで、それを出発点として検討を進める。2. 判例(1) 建物としての基本的安全性を損なう瑕疵についての不法行為責任の肯定参考判例①は、次のように判示して、直接の契約関係にない建物取得者との関係で、建物の設計・施工者に不法行為責任が成立する可能性を認めた。すなわち、建物は、建物利用者や隣人、通行人等(以下では「居住者等」という)の生命・身体・財産を危険にさらすことがないような安全性を備えていなければならず、このような安全性は建物としての基本的な安全性というべきである。そうすると、建物の建築に携わる設計・施工者は、建物の建築に当たり、契約関係にない居住者等に対する関係でも、当該建物に建物としての基本的な安全性が欠けることがないように配慮すべき注意義務を負う。そして、設計・施工者がこの義務を怠ったために建築された建物に建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵があり、それにより居住者等の生命・身体・財産が侵害された場合には、設計・施工者は、特段の事情のない限り、これによって生じた損害について不法行為による賠償責任を負う。そして、参考判例①によれば、建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵とは、居住者等の生命・身体・財産を危険にさらすような瑕疵をいい、建物の瑕疵が、居住者等の生命・身体・財産に対する現実的な危険をもたらしている場合に限らず、これを放置すればいずれは居住者等の生命・身体・財産に対する危険が現実化することになる場合を含む。具体的には、建物の構造耐力にかかわる瑕疵のほか、建物の利用者の身体の安全にかかわる瑕疵があるときには、建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵があるとされる。これが、建物の瑕疵が居住者の居住環境の快適さを損なうにとどまる瑕疵はこれに当たらないとされている。これによると、本問のような瑕疵(バルコニーの瑕疵により建物利用者が転落して人身被害が生じたり、漏水が生じたりして建物としての基本的な財産が毀損されたりする危険がある)から、建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵に当たる。また、瑕疵がただちに建物の外観を危うくするまでにはいたらないとしても、そのことは不法行為の成立を妨げるものではない。(2) 修繕費用額の賠償の肯定以上を前提として、参考判例①によれば、建物取得者は、自らが取得した建物に建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵がある場合に、特段の事情がない限り、設計・施工者に対し、当該瑕疵の修補費用相当額の損害賠償を請求することができる。この場合、修補費用を現に支出ししていなくても、建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵があることにより、修補費用相当額の損害が生じていると考えられるのである。以上によれば、Y、Y’に注意義務違反があることとなる。(3) 不法行為の成立要件との関係裁判例においては、民法709条の各要件が明示的に認定されないことも多く、このことは参考判例でも当てはまる。そこで、上記の参考判例の立場を、同条の要件との関係でどのように理解することができるかということを、次に検討しておきたい。本案では関係ないのであるが、その後の要件(故意・過失、因果関係、損害)について順次検討する。(1) 権利・利益侵害参考判例は、当該事案において侵害された権利・利益の内容について何も述べていない。そのため、ここで不法行為を理由とする瑕疵修補費用の賠償請求を認めるならば、権利・利益侵害要件がどのようにして基礎づけられるかという疑問が残る。仮に建物の瑕疵により居住者等の生命・身体が侵害されれば、故意・過失が認められる限り不法行為責任を負うことに疑いはないが、本件のような財産的ではない。また、本件のような財産的ではない、ただ、本件のような財産的ではないため、Xが居住する建物の瑕疵が居住者の居住環境を害し、Xに精神的苦痛が認められる場合には不法行為の成立を認める見解として、次のようなものがある。第1に、何らかの財産権が侵害されることを前提として、その定式化を試みる見解もある。この見解の内部でも、危険にさらされない利益、建物の安全性を居住権と構成し建物の設計に際する注意義務など、さまざまに見解がある。第2に、権利侵害の要件は侵害されてないことを前提としつつ、建物の瑕疵修補費用の支出が、建物取得者の生命・身体に対する危険を除去し、その結果、無形的な利益を認めるためのものであることとして、この場面では権利が侵害される場合に準じて不法行為責任を成立させるべきであるという見解がある。(2) 故意・過失第1説のように何らかの権利侵害を観念することは不可能ではないか。しかし、本問における瑕疵修補費用が、将来において生じる損害を回避するために必要となる主な目的として支出されるものであることに鑑みれば、むしろ第2説のほうが正確を射たものというべきであろう。ただし、第2説は、権利が現実には侵害されておらず、侵害の危険があるにすぎない段階で不法行為の成立を肯定するものである。したがって、ここでは民法709条の例外ないし拡張が承認されていることになるが、建物が居住者等の生命に対する危険を有することが明らかであるにかかわらず、これを放置したままではいずれは危険が現実化してしまうのであり、こうした保護の要請にも妥当性が認められる。しかも、仮に建物の危険が現実化して居住者が侵害されても、それから、建物の設計・施工者はいずれにしても責任を負うべき立場にあるのだから、このような責任が少しでも責任を負わなければならない。もっとも、こうした責任の拡張が、本問のような場合にまで認められるかどうかについてはさらに検討する必要がある。建物の設計・施工者に故意があるという事態は考えにくいため、ここでは過失の有無が重要である。通常とは、一般に結果回避義務を意味するとされるが、本問では、参考判例①のように「建物としての基本的な安全性を確保すべき注意義務」への違反がある場合には、この場合の結果回避義務に当たると考えられる。ただし、建築基準法令の違反が認められる場合であっても、それがただちに不法行為上の過失と評価されるわけではない。建築基準法は、行政上のさまざまな考慮に基づいて定められたものであるから、同法における1つの考慮要素にはなるとしても、それだけでただちに私法上の注意義務違反となるとは限らないのである。(3) 損害損害に関していえば、後述のように、参考判例①は、建物の設計・施工者に対する修補費用相当額の損害賠償を認めている。損害には財産的損害と精神的損害があるが、本問では問題にならないが、参考判例によれば、建物の所有者が当該建物を第三者に賃貸するなどしてその対価を取得する機会を失った場合であっても、修補費用相当額の賠償を求めたこととの関係で積極的損害はいったん補てんされたとみることができるので、建物の瑕疵が居住者の精神的苦痛を惹起するに足りない場合、その後の損害に対する賠償についてなお請求をできないという趣旨だと考えられる。(4) 契約責任との関係最後に、やや異なる観点から、参考判例の立場を検討しておきたい。本問のような建物の設計・施工者は不法行為責任と請負契約の瑕疵担保責任との関係でいかなる責任を負うのかを検討する。すなわち、売買目的物に関する瑕疵修補費用の賠償は、契約内容に適合する物が引き渡された利益を享受するものであるから、これは本質的に契約の責任である。原則として不法行為は認められないと考えられる。なぜなら、契約の瑕疵担保責任は、給付義務違反を認めるものであり、契約で予定されているはずのリスク配分に留まるものとみられるからである。たとえば、本問とほぼ同様の事例で、Y-A間に瑕疵担保責任の特約をAとBが合意すると、合意がなされることにより、Xが直接Yに不法行為による損害賠償の請求を認めることはできず、Y-A間の合意が結果的にXに負担になってしまう。もとより、Y-A間の合意が不法に物の効力を及ぼすわけではないが、参考判例①は、それでもなお、Yについて責任を負わなければならないというYの期待を完全に無視して良いわけではない。仮に、参考判例①の立場で無過失責任を認めても、Xはこのような観点から、強度の違法性が認められる場合でない限り、建物の設計・施工者に不法行為責任は成立しないとされた。[関連問題]介護施設は、Yの製造した機械式の介護ベッド(以下では「本件介護ベッド」という)を卸売店Aから購入し、要介護者に貸与していた。ところが、本件介護ベッドには、その設計に起因する欠陥により、電動駆動部分に水が侵入した場合に発火する危険およびサイドレールに利用者が挟まれる危険があることが明らかになった。Xは、Aがすでに倒産していたことから、Yに対し、本件介護ベッドの修補にかかる費用の負担を求めたが、Yは費用の支払を拒絶した。そこで、Xは、本件介護ベッドの修補をBに委託し、自ら修補費用を支出したうえで、Yに対し、その費用の賠償を求めて訴えを提起した。このXの請求は認められるか。[参考文献]山口・判例時報1993号(旬刊2002号2008)23頁/瀬川・現代消費者法14号(2012)90頁/山本・民事法22号172頁(山本浩平)

「千葉恵美子・潮見佳男・片山直也編者『Law Practice 民法Ⅱ【債権編】〔第5版〕』 商事法務、2022年10月15日」 ISBN978-4-7857-2992-9
« 1 32 33 34 35 36 37 38 39