多数の資産を所有するAは、Yに、甲・乙2軒の家を貸していたが、家族構成の変化でYは甲が不要になっていることを知り、そのうち乙を自分の愛人Y₁に手切金代わりに譲与して住まわせることを思いたった。そこで、AはY₁と交渉し、乙から立ち退いてくれるなら、甲をY₁に譲与し敷地は使用貸借とすることを提案した。Y₁はこの提案を承諾して乙から立ち退き、乙にはY₁が入居した(敷地は同様に使用貸借)。しかし、Y₁らは移転登記の費用を用意できなかったので、登記名義はAのままとなっていた。その後数年の間、甲・乙両建物の固定資産税を課税され続けたAは、Yらにその償還と移転登記への協力を繰り返し求めたが、Yらは応じなかった。「移転登記をするまでは贈与は不完全で所有権はまだAにある」という誤った教示を信じたY₁がAに相談したところ、X₁はAに同情して、優良な賃借人Y₂が長年住んでいる甲なら買ってもよいといった。そこで、Aは、甲と乙の敷地をX₁に売り、他方、乙を妻X₂に贈与し、それぞれ移転登記をした。X₁がY₁に賃料を請求したところ、Y₁は甲は自分の物だと主張して支払を拒んだ。他方、X₂は、財産管理に興味がなく、そもそも乙の所在地にすら正確に知らず、乙の所有権移転登記手続もいわれるままに夫Aに任せていたが、Y₂が夫の元愛人と知って怒りを爆発させた。X₁らがY₂らに対してそれぞれ甲・乙からの退去を請求した場合、認められるか。●解説●1. 第三者無制限説 vs. 第三者制限説民法177条の立法趣旨は、当事者およびその包括承継人以外のすべての第三者に対し登記がなければ物権変動を対抗できないとする第三者無制限説を採用し、登記を画一的な紛争解決基準にしようとした。これによれば、本問では、XらがYらに勝つとの結論に至る。しかし、たとえば本問でA・X₂間の贈与契約が、X₂を第三者と装うための通謀虚偽表示(94条)であれば、どうだろうか。X₂は無権利者であるから、そもそもY₂への物権変動との競合が生ぜず、民法177条の出番はない。大判明治41・12・15(民録14輯1276頁)は、本条の第三者を「登記欠缺を主張する正当の利益を有する者」に限るとする第三者制限説を採用し、無権利者や不法行為者は第三者に当たらないとした。第三者制限説は、登記による物権関係の画一的な処理によって個別的取引の実体に適合しない不利益を回避するために、不法行為者も登記なくして損害賠償金を支払うべきかという点で所轄の機関に利害関係を有するから民法177条の第三者に含めるべきであると主張した。2. 第三者の主観的要件と主観的態様判例の「登記欠缺を主張する正当の利益を有する者」という基準は柔軟だが曖昧である。そこで、学説では、たとえば「当該不動産につき有効な取引関係に立つ者」などこれに代わる基準が提案されたが、見解は一致していない。また、具体的に、不法占有者や不法行為者が第三者に当たらない点では意見の一致がみられるが、賃貸不動産の譲受人が賃借人に対する場合の賃貸人が第三者に当たるかについては、見解が分かれている(→Ⅱ登記)。さらに、登記を要する物権変動の範囲という問題(→本章Ⅳ-Ⅻ)と第三者の範囲の問題を総合し、両立し得ない物権変動相互の優劣が争われている場合にのみ民法177条を適用するべきだとする対抗問題説では、そのような物権変動を主張する者が第三者となるから、第三者にとって登記を要する物権変動は必要ないことになる。しかし、対抗問題説は論理的に明快である反面、その演繹的な手法には強い批判がある。いずれにせよ、本問のX₁・X₂がAとの有効な売買契約または贈与契約によって所有権を取得できる地位にあるとすれば、Xらは第三者に該当する。しかし、学説の多くは、第三者が物権変動の効果を争える地位にあるかという第三者の客観的要件の側面と、そのような要件を備えている者は物権変動の存在を事前に知っていてもよいかという第三者の主観的態様の問題を区別している。本問でも主観的態様がさらに問題になる。3. 背信的悪意者排除の論理民法177条は、第三者に善意を要求した旧民法(財産編350条)を承継せず、意識的に第三者の善意を不問とした。善意悪意の区別が困難なこと、悪意排除を認めると登記の効力がなぜかゆらぎ取引が著しく阻害されることが理由であった。そのため、長い間、善意悪意不問説(悪意者包含説ともいう)が、判例・通説であった。しかし、学説では、立法直後から、登記は物権変動を知らない者を不測の損害から保護する制度であるから悪意者は保護に値しない説と悪意者排除が存在しており、大判明治41・12・15と結び付いて、悪意者は登記欠缺を主張する正当の利益を欠くとすると、見解が次第に有力化した。これに対して、本書の解説では、自己の利益を図るため、他人を害してもかまわないと考える自由競争下の取引社会で、悪意者排除を認めると、他人を出し抜いて所有権を取得したことをもって、それが未登記であれば、第三者においていっそう有利な条件を提供してゆるがせにできるというのである。昭和30年代民法学から、不動産取引における信義則違反を問題とし、背信的悪意者の概念を導入した。4. 背信的悪意者の認定基準典型的な背信的悪意者の認定基準としては、①第三者の側から働きかけた場合、②詐欺・強迫を手段とした場合、③社会的非難をうけるような場合などが挙げられる。5. 背信的悪意者排除の批判と判例のゆらぎ登記制度を不動産取引の観点から位置づける公信力説はもとより、近時の学説には、公信力説とは距離を置きつつも第三者を善意者(または無重過失者)に限定する見解が増えており、いずれも背信的悪意者の基準の限界が明確でないと批判している。また、自由競争下の契約当事者間の信義則の理論的基礎にも、契約侵害に対する第1買主の契約上の債権の保護の観点から強い批判が向けられている。6. 背信的悪意者排除の主観的態様の位置づけ対抗要件としての登記に関する立証責任については、二重譲渡の構成に対応してさまざまな見解が主張されている。7. Yの賃借権の問題甲についてのY₁の賃借権は、甲の所有権取得によりったん混同によって消滅するが(520条)、その所有権取得がX₁に対抗できない場合には、X₁に対抗関係では、消滅しなかったものと扱われる。X₁は賃貸借契約の解除を主張して争うことになる(この点も含めて参考判例①を参照)。●関連問題●(1) 本問において、X₁が背信的悪意者ではないと評価されるとして、X₁がY₁に対する訴訟を起こすことなく、この船の経緯を良く知っているZに甲とその敷地を転売して、Zがそれらの所有権移転登記を備えたとする。この場合、ZはY₁に甲からの退去を請求することができるか。(2) 本問において、X₂が背信的悪意者であると評価されるとして、X₂がY₂に対する訴訟を起こすことなく、この紛争の事情をまったく知らないZ₁に乙を転売して、Z₁が乙の所有権移転登記を備えたとする。この場合、Z₁はY₂に乙からの退去を請求することができるか。(3) 上記(1)と(2)の問題処は、共通する理論構成で解決できるか。参考判例③や⑦・復帰優秀文献を読んで、判例の理論構成とそれの問題点をしなさい。●参考文献●松岡久和・法教324号(2007)71頁・325号136頁七戸克彦・民法雑誌117巻1号(1997)104頁(参考判例①判批)
Aは、先立たれた妻との間に長男Bと次男Cがおり、所有する不動産甲(建物と敷地を一体として称する)でBと同居していた。Aは、80歳を越えて身体が不自由になった後は、Yが通いでAの介護をした。他方で、Bは働かず、Aに生活費や遊興費を無心して浪費を重ねた。Bは遺言書がないと、金融業者Xに対して貸付けを申し込んだが、信用がないと断られたので、「Bをいずれ自分のほうにもらうことになるから、これをタネに売る」と力説し、Aにも懇願して、渋々ながら、そうなる旨一筆もらい、これを差し入れて貸付けを受けた。その後、BはたびたびXから貸付けを受け、累計1000万円となった。2024年4月15日、Aが死亡した。同年12月15日、YがAの遺言書を預かっていると主張し、自筆証書遺言の検認手続を行い、Bに遺産分割協議を申し入れた。遺言書には、「Yに甲一式を与える。Bには何も与えない」とあり、YとBの間で効力に争いが生じた。1年後に渡り収拾がつかなかったので、2026年4月15日、Cとまず相続登記を行うこととした。同月20日、Bはこの状況を見たXに促され、代物弁済として甲の2分の1の持分権を譲渡し、移転登記手続をした。これに気付いたYがXに抗議したので、XはYSに対して持分権確認を求めて提訴した。Xの請求はどうなるか。●参考判例●最判昭和39・3・6民集18巻3号437頁最判昭和46・11・16民集25巻8号1182頁最判平成5・7・19家月46巻5号23頁最判平成3・4・19民集45巻4号477頁最判平成14・6・10家月55巻1号77頁●解説●1. 死亡を契機とした財産承継の基本的な仕組みと法定相続分(1) 財産承継の分類被相続人が死亡し、相続人Qが、Pが何ら遺言・処分をしなければ、民法900条の法定相続分に基づく共同相続され(898条。遺産共有)、遺産分割手続(907条)を経て具体的な承継内容が確定する。Pは、意思表示により上記の法定相続分を修正することができる。まず、遺言により相続分を指定し(902条。指定相続分)、また、遺産分割の方法を指定することができる(908条)。さらに、遺言で一定の財産を相続人または第三者に処分することができる(964条。特定遺贈)、遺産の全部または一定割合の包括的な処分も可能である(包括遺贈)。この他に、一定額の金銭につき契約をし(549条)、あるいは包括効力をPの死亡にかからしめる死因贈与契約(554条)をすることも考えられる。Bの意思表示であるか遺言か、意思表示の合致を要する契約かによって区別される。以上の承継方法は、次のように分類できる。①相続は相続以外の承継方法か、すなわち、法定相続分、指定相続分が相続の方法の態様として、その他の方法、特定相続分が包括相続の態様(包括承継)か特定財産の承継(特定承継)か、すなわち、包括相続、包括遺贈が包括承継として、法定相続分・指定相続分を経て承継内容が具体化されるのに対し、特定遺贈(生前)贈与、死因贈与は特定承継である。②Pの意思表示による承継か否か、すなわち、法定相続分はPの意思表示によらない。それ以外の方法はPの意思表示を要求する(遺言ないし契約による)。(2) 無権利者法理をめぐる相続人と第三者の争いについて—従来の判例法理—相続財産をめぐる相続人と第三者の争いについては、従来の判例法理は、①相続財産の分割をめぐる相続人と第三者の争いの区別を重視していた。上記のB、C、D、Eの相続による不動産につき、Qが法定相続分で単独で相続登記を経て、Sに譲渡した場合、QはSに持分はあったのだが、Sに法定相続分を超える部分について無権利であった。QからのSは無権利者からの取得者であったから、Pは、登記がなくてもSに対抗できた。2. 2018年民法改正と登記2018年改正民法は、「相続させる遺言」を、遺贈と並び物権変動の事情がない限り遺産分割方法の指定によるものとみなし、遺言の執行に関する規定を適用するものとして、「特定財産承継遺言」という名称を与えた(1014条2項)。そして、遺産分割手続を経ない相続による当然承継との位置付けは変えなかったが、対抗問題については民法899条の2の規定が新設され、相続による権利の承継は法定相続分を超える部分の承継を第三者に対抗するには、登記が必要とされた。同条改正により上記(1)の意思表示による指定相続分を承継する権利取得は、すべて、その旨の対抗要件を要することになる。3. 主張整理の困難——Bの指定相続分と0の問題さしあたりAからBへの意思表示による承継はなかったとして事案の主張を整理する。その前提には、①Aのもとを所有(X・Y間に争いなし)、②A死亡とY・B共同相続、③Bからの持分権譲受け、の各事実を主張立証する。これに対し、Yは、④遺言により当該部分を自らが承継したこと、およびその自らの法定相続権(898条の2)を主張立証する。この整理は、原告であるXによる法定相続の承継はそれに何ら利益を生じないものであり、他方で遺言相続の事情はYが主張立証するというものである。以上の整理は事案の全面的な解決ではない。上述したように、特定遺贈が承継の対象である場合には、法定相続分と指定相続分とで、XとYとの間に、このような対抗関係を観念する。不動産の登記簿には、BからYに譲渡された後で、甲の共有権を移転する、ことによってBによるXへの二重譲渡が可能であるが、登記と同一の状況とはいいがたい。それににもかかわらず、民法899条の2はあえて対抗問題の構成を構想している。4. 本問の個別事情(1) Xの事情と信義則以上の考察からは、XとYは対抗関係にあり、登記名義を得られなかったYが敗訴する理屈になる(これに信義則の介在を排除するものでもない。)。これに対して、Xの結論は法的には妥当かもしれない。Xは、Bが放蕩生活を送っており返済の見通しが立たないにもかかわらず、貸付けを繰り返している。その際、あてにしているのは遺言の無効を前提にする遺産分割におけるAの法定相続分に対するXの期待にすぎない。Xに甲を与えるとしたYの遺言のおかしさや、家庭の平和を害したことを理由として、甲の財産上の価値と比べて、その信義に反するとはいえない。(2) 法の射程拡張他方で、Aの介護の対価として、保護に値しないとの評価には反論も可能である。Aが介護の対価として甲で生活を与えるのは、反面、外観を不安定な対価関係でみるものとする。高齢者福祉に関する法制度の目的は、遺言者が相続人から介護を受ける意思の自由に、私法秩序の枠内で中立的に評価される必要がある。また、Aは、Bに財産を承継させないことでBの債権者からの履行を免れようとしているように見える。従来の判例は、法定相続分の限りでは相続人は登記なく第三者に対抗できるとすることで、相続人の債権者にも、戸籍簿から判明する法定相続分の限りで期待しえない地位を確保し、取引安全を図ってきたともいえる。この結論を過度に尊重することは、この趣旨に反するだろう。(3) 特定財産承継登記の意義BとYがひとまず法定相続分で相続登記を行ったことは何か意味をもつだろうか。特定財産承継の登記がされても、遺贈による権利の取得は対抗要件(不登63条2項)である。遺贈の場合、従来は遺贈義務者と遺贈権利者の共同申請とされたが、所有者不明土地問題解消を目的とする2021年民法・不動産登記法改正を経て、登記権利者が単独で申請できるようになった(同条3項)。現行では、遺贈の事実を知った時から3年以内に相続登記(法定相続分の登記)がなされないと相続人申告登記(相続が開始した旨のみ示す)を義務付けられる(同法76条の3第1項)。遺言の効力に争いがあった後では、ひとまず相続登記することは法律の要請であり、法定相続の外観が作出されたことは、XとYとの利害に有利にも不利にもならないだろう。5. 分割手続、訴訟方法の問題XはBから甲の共有持分の譲渡を受けたにとどまる(包括の包括譲渡と解する余地)。この場合は、Xが遺贈分割手続に続く物権法上の共有物分割請求(256条1項)をBに代わって求めることができる(最判昭和50・11・7民集29巻10号1525頁)。Bの遺贈確認請求は、自らに帰属するのを求めるのではなく他の相続人であるCとDとの共有者となる者の共有の確認を求める訴訟は、そもそも訴訟の対象になるかが問題となるが、それを認めた判例がある(最判昭和46・10・7民集25巻7号985頁)。共有関係の確認請求を共有者全員の共同訴訟とする解釈には学説の批判が多い。●関連問題●本問において、Aの遺言書には、「Yに甲一式を与える。Bの生計の資については遺言執行者C(Aの弟)に一任する。遺産の管理を委ねる」とあった。Xの請求はどうなるか。●参考文献●潮見佳男『詳解相続法(第2版)』(弘文堂・2022)174頁・354頁・536頁・562頁・621頁山野目章夫・家族法判例百選(第6版)(2002)152頁窪田充見・百選Ⅲ152頁栗田宗彦・判タ1114号(2003)80頁田澤寛「遺言と登記をめぐる相続法の課題」法律89巻11号(2017)39頁山野目章夫「はじめから始める物権法」(日本評論社・2022)159頁/Ⅱ巻図
Aは、2015年7月7日に、従前から所有していた土地甲に建物乙を新築し、それ以来、妻Bと子Cとともにそこに居住していた。A・BにはCの他に子Dもおり、Dはすでに独立していた。2018年3月3日、AはDのために分譲マンションの1室丙を購入し、自らを所有者として所有権保存登記をしたうえで、同年4月1日に丙をDに無償で譲与し、それ以来Dはそこに居住していた。なお、Dは、Aとの折り合いは良かったが、B・Cとの仲はかねてより悪かった。2020年5月5日、Aが死亡し、B・C・Dが相続人となった。そして、B・C・D間において遺産分割協議がなされ、甲と乙をB・Cの共有とし、丙をDの単独所有とする旨の合意が、同年12月1日になされた。そこで、2021年1月15日に、BとCが甲と乙の登記を確認したところ、Dが法定相続分に基づいて甲乙の所有権の持分を4分の1の割合で共有している旨の相続登記が2020年6月1日付けでなされていたことが判明した。しかも、Dは、その甲乙に関する持分をEに対して同月10日に売却していた。これに対して、Cは、2021年2月1日、丙の所有権の持分を法定相続分に基づいて4分の1の割合で共有している旨の相続登記をし、同月15日にその持分をFに売却した。現在は、甲乙について、B・C・Dの法定相続分を共有持分割合とする共同相続登記がなされている。E・Fはいずれも、それぞれが取得した共有持分について移転登記を経由していない。以上の事実関係に基づき、BがCに対して甲乙の所有権が自らにあることの確認を、DがFに対して丙の所有権が自らにあることの確認を、それぞれ求めた。これら請求は認められるか。●解説●1. 相続における遺産分割の意義被相続人が死亡し、相続人が複数存在する場合に、遺産は共同相続人全員によって共有されている状態となる。しかし、この共有状態のままで相続が生じることは、各相続人が遺産を管理したり利用したりするに当たって不都合が生じうることは、明らかである。そこで、この遺産共有状態を解消し、遺産に含まれているそれぞれの財産が具体的にどの相続人に帰属することになるのかを決める必要である。遺産分割はそのための手続であり、共同相続人間の協議によってなされる。遺産分割は、遺産に属する物や権利の種類や性質、共同相続人の年齢や職業や生活状況など、一切の事情を考慮して行われる(906条)。したがって、遺産分割の内容は、共同相続人の意思によって原則として自由に決めることができる。相続開始後いつまでに遺産分割をしなければならないかについては、特に定めがない。むしろ、遺産分割協議は、共同相続人いつでも遺産分割協議を行うことができる(907条1項)。もっとも、相続開始から10年以内に遺産分割をしないと、その後は特別受益(903条・904条)や寄与分(904条の2)を遺産分割において主張することができなくなる(904条の3)ことには、注意を要する。なお、共有物分割協議の場合には、裁判による共有物分割(258条)をすることができるが、遺産分割手続によらねばならない(258条の2第1項)。ただ、相続開始時から10年が経過すると、遺産に属する共有持分についても裁判による共有物分割を行うことができるようになる(同条2項)。そして、遺産分割の効果は、相続開始時に遡及する(909条本文)。遺産分割に遡及効があることから、民法は、原則として、共同相続人は相続による相続人の遺産から遺産に属する個別財産を直接取得したと理解していると考えられる。2. 遺産分割前に登場した第三者遺産の共有状態がなかったことに、これを前提に、遺産分割、遺贈、死因贈与は、権利の移転における第三者の権利を妨げることはできない(909条ただし書)。判例は、遺産分割前の第三者との関係においては、共同相続人による遺産共有状態を経て、これらによって分割された個別の物権変動が生じた場合(参考判例①)、これに鑑みると、状況に応じて、信義則主義ではうまく移転主義の考え方が採用されているともみることができる。また、相続の放棄をすると、その相続人ははじめから相続人ではなかったものとみなされる(939条)。つまり、相続の放棄にも遺産分割と同じく遡及効がある。しかし、遡及効から第三者を保護する規定は存在しない。この理由として、相続の放棄を申請するためには、相続人が自己のために相続が発生したことを知った時から3か月の熟慮期間がある(915条1項)ことが挙げられる。このことから、相続の放棄の絶対効は、遺産分割よりも徹底されているとみることができる。遺産分割前に登場した第三者の保護について正面から論じた判例はまだないとされているものの、このような考え方を前提に、書斎のDが法定相続分の範囲内の持分をEに譲渡されたもので、遺産分割の効力がDに及ぶとされていることから、法定相続分を超える部分について、民法909条ただし書の適用がある。Eに譲渡されたのはDの法定相続分の範囲内の持分であり、この点については、Eが保護されるべきである。3. 遺産分割後に登場した第三者これに対して、事例における丙は、B・C・Dによる遺産分割の合意がなされた後に、FからEに対して売却されている。したがって、Fは遺産分割後に登場した第三者ということかできる。民法909条ただし書は、遺産分割の遡及効を制限する規定であるから、そこで定められている第三者としては、遺産分割前に登場していることが前提とされている。このため、遺産分割後に登場した第三者を同条ただし書を適用して保護することはできない。しかし、判例は、遺産分割後に登場した第三者につき、遺産分割の性質について、「相続により共同相続した財産につき、遺産分割により法定相続分と異なる権利を取得し、または、これと異なる割合の持分を取得した相続人が、その旨の登記を経由しない間に、右財産につき権利を取得した第三者に対し、自己の権利の取得を対抗しえない」と解し、民法177条を適用した。4. 対抗の法理と無権利の法理以上の記述によると、遺産分割について第三者については民法909条ただし書を適用し、さらにその解釈として第三者を遺産分割前に登場した者に適用し、判例と異なり、遺産分割後に登場した第三者について対抗要件法理を適用しており、結局は両者において民法177条を適用しており、この両者における扱いの異同は、現在においては民法899条の2の適用により解決されることとなる。この点において、遺産分割前に登場した第三者については民法94条2項を類推適用して保護されるため、第三者との間の関係には登記の要否が求められることとなる。第三者の善意の登場場面には登記上の主張を信頼した者との関係についても同条2項が適用されるからである。もっとも、学説においては、遺産分割の遡及効(909条本文)を重視して、遺産分割によって当該権利を取得した相続人を無権利者と解して、その無権利者から相続人を通じて取得する行為に当たって第三者を保護する。5. まとめ遺産の登記に基づく権利取得の場合には登記がなくても第三者に対抗できると解していたが、判例はこの解釈を改めていた。もっとも、遺贈がなされた場合に第三者が現れたケースに対しては、民法899条の2ではなく民法177条が適用されると解するのが有力である(民法899条の2を適用するにせよ、民法177条を適用するにせよ、これらはいずれも問題を対抗関係でみて登記をもって優劣を決するという点においては変わらない。すなわち、対抗の法理の採用である。)。改正後の判例ではあるが、最判昭和39・3・6民集18巻3号437頁(→本章VⅢ)は、2021年の不動産登記法改正(2024年4月1日施行)により、所有権の登記名義人について相続が生じた場合(相続登記と申請することが義務化された(不登76条の2第1項))、相続により所有権を取得した者は、自己について相続が生じたことを知り、かつ、当該所有権を取得した日から3年以内に、所有権移転登記の申請をしなければならない(同条1項)。●発展問題●不動産丁を所有していたGが死亡した。Gの妻HはGとともに丁に数年前より居住していた。G・Hには子Iがおり、Iはすでに独立して別の場所に居住していた。HとIの話し合いの結果、Hが丁に住むことになり、IはHが相続放棄をしたが、丁の所有権の登記はG名義のままになっていた。しかし、その後Iの債権者JがIに代位して、Iが丁の所有権の持分を2分の1の割合で共有している旨の相続登記をしたうえで、その持分の仮差押えをし、その登記がなされた。以上の事実関係に基づき、HはJに対して仮差押えの登記の抹消を請求することができるか。●参考文献●作内良平・百選Ⅲ 146頁(参考判例①)山本敬三・百選Ⅲ 148頁(参考判例②)
Aは、その所有する居宅、書斎、宅地Cと一人暮らしならびにCの夫Eと一緒に暮らしていたが、2022年2月1日に死亡し、居宅とCの敷地(以下、「本件不動産」という)を含むAの財産は、妻Bと長男Cが法定相続分に従い共同相続した。ところが、Cの夫Eは、本件不動産を担保にDから借り入れすることを企て、Cに対し相続登記の申請の代理の用意をおし、Bを騙して家庭裁判所に提出した、B宛に送付されてきた遺産分割協議書・印鑑証明書を用いて、本件不動産につきAからBに相続を原因とするB単独名義の所有権移転登記を経由した。その後、以上の経緯をEから打ち明けられたBは、Eの行為を追認したが、Bは、この他の相続財産ならびにCからのDの借金の返済を請求された。Bの持分を除外する更正登記を求めた。これに対して、Dは、民法177条を根拠に、Bによる物権変動は、登記をしなければ、善意無過失のDに主張することができないと主張している。B、Dのどちらの主張が認められるか。●解説●1. 民法177条の「物権変動」の範囲・「第三者」の範囲民法177条の「物権変動」の範囲・「第三者」の範囲について、本問Dの主張する判例・学説の立場から確認しておく。わが国の対抗要件主義の母法であるフランス法は、①登記をしなければ対抗することができない「物権変動」、②登記をしなければ対抗することができない「第三者」のいずれに関しても、条文上の限定を置いていない(⑥「物権変動」に関する法は、法律行為(意思表示)ならびに判決による物権変動に限定する制限説、⑥「第三者」に関する法は、登記を備えた第三者に限定する――したがって第三者もまた登記能力のある物権変動でなければ法律行為または判決による権利取得者に限定される――制限説)。そして、この立場は、ボワソナード民法においても同様であった。だが、これに対して、現行民法は、⑤「物権変動」、⑥「第三者」のいずれに関しても、文言上制限を設けていない。これは、フランス法・旧民法からの意図的な変更であり、現行民法起草者は、⑥すべての物権変動は、⑥すべての第三者に対して、登記をしなければ対抗できないとすることによって(ⓐ・ⓑ要件とも無制限説)、登記中心の取引社会を確立しようとしたのである。しかし、このような成立要件主義に等しい過激な立法に、当時の社会はついていけなかった。現行法施行される前には、旧民法を参考にして判例が下されていたので、現行民法が施行された直後より(④「物権変動」要件・⑥「第三者」要件に関する法において)、現行民法の無制限説に立つ判例と、現行民法の無制限説にならう判例が現れて、民法177条の適用範囲の解釈に混乱が生じたのである。(2) 明治41年12月15日大審院民事部連合部判決そこで、大審院は、明治41年、同日付の2つの民事連合部判決により、②「物権変動」要件については現行民法起草者の趣旨に反するとの批判をうけながらも、一方、⑥「第三者」要件については、第三者(当事者およびその包括承継人以外の者)の中でも、特に「正当ノ利益」を今日の表現では「正当な利益」を有する者に限って第三者に限る旨の制限説を採用することで、判例統一を図った(⑥「物権変動」要件につき判例明治41・12・15民録14輯1308頁、⑥「第三者」要件につき大判明治41・12・15民録14輯1276頁)。(1) 相続を登記なくして対抗できる相手方相続は、相続人が被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継する(896条)包括承継である。相続人は、被相続人の地位をそのまま承継するのであって、民法177条が適用を予定する「第三者」に当たらないから、相続による物権変動は、登記なくして対抗できるのが原則である。(2) 死亡に対して登記なくして対抗できない相手方これに対して、相続に関する登記なくして対抗できないのは、Aの死亡によって、法定相続分を超える部分については、DがAを理由とした相続登記を経由したうえで(登記なくして対抗しえない、登記をしなければ対抗できない)、相続登記を具備した第三者に対抗できないのである。2. 判例法理の展開(1) 昭和38年2月22日最高裁判決(参考判例①)昭和38年の最高裁判決により、相続財産の登記は、相続人の一人によっても、共同相続人の全員のために、法定相続分に応じて、これを行うことができる(252条ただし書)ことから、相続財産に属する不動産につき、単独所有権移転登記をした共同相続人の一人から、その不動産の所有権を譲り受けた第三者に対して、他の共同相続人は、自己の持分が単独登記名義人の下にあることを登記なくして主張できるものであり、登記なくして対抗しうる(最判昭和38・2・22民集21巻1号16頁)。この場合、甲の相続人は、登記なくして対抗できるとするのが判例である。(2) 昭和42年1月20日最高裁判決(参考判例②)これに対し、甲の相続人は、登記なくして対抗できるとするのが判例である。この見解は、登記なくして対抗できるとするのが判例である。(3) 昭和46年1月26日最高裁判決(参考判例③)これに対し、甲の相続人は、登記なくして対抗できるとするのが判例である。3. 「対抗の論理」と「権利の論理」昭和38年最高裁判決(参考判例①)は、結論だけをみれば、民法177条の「物権変動」要件につき、フランス法・旧民法と同様、意思表示による物権変動に限定する制限説を採用した場合と変わらない。しかし、その法律構成は、明治41年民事連合部判決の維持した①「物権変動」無制限説、⑥「第三者」制限説の判断枠組みを基本的に維持しており、もっぱら⑥「第三者」要件の不足を理由に、民法177条不適用の結論を導くものである。ここで用いられているのは、「対抗の法理」と「権利の法理」ないし「公示の原則」と「公信の原則」の振り分け論である。明治41年民事連合部判決のうち、⑥「第三者」制限説民事連合判決は、「正当ノ権原ニ因ラスシテ権利ヲ主張シ或ハ不法行為ニ因リテ損害ヲ蒙リタル者ノ類ハ皆第三者ト称スルヲ得ス」(後の判例の「第三者」には該当しないとしている。(最判昭和25・12・19民集4巻12号660頁)。したがって、C→A→Bの相続による権利取得もまた登記をしなければ対抗することができない物権変動であるとしても、CないしDが無権利者ないし無権利者からの取得者であったならば、Bは、登記がなくてもCないしDに対抗することができる。他方、「正当な利益」を有する第三者については、権利者からの取得者であるとするのが、今日の判例・通説の立場である。その背景には、二重譲渡の法的構成に関する次のような理解が控えている。すなわち、民法176条の意思主義にもかかわらず、A→Bの第1譲渡の後も、Bが登記を経由するまでは、Bの取得した権利は、相対的効力しか有さない物権(相対的効力説・関係的物権説)にすぎず、完全な物権(絶対的効力説)の帰属は確定していない。民法177条は、登記の経由によって、初めて、絶対的効力・完全な物権が確定するとする。このような立場に立つと、譲渡人Aは、B→C間の後においても、いまだ完全な権利者であるから、Bを介さずに自己の権利をCに譲渡しうる。この場合のCは、権利者からの取得者ということになる。(1) 共同相続と登記その結果、「共同相続と登記」の問題は、A→B・Cの共同相続において、Bの取得した持分に関して、Cを権利者と評価できるかという点に帰する(最判昭和38年最高裁判決)。Cは、今の引用判例によると、Cは無権利者からの取得者であり、したがって、Bの無権利者からの取得者である。しかし、Cの権利取得者Dも、Bの持分に限り無権利者からの取得者であると評価した(無権利の法理)を適用。しかし、学説の中には、「共有持分(持分権)の弾力性」を根拠に、判例に反対する見解もある。B・Cの共有不動産につき、C単独名義の登記がされている状態は、この不動産上に存在するBの所有権という物権が登記のないのと同じであるから、Bの不動産について登記がされている。(2) 被相続人の生前処分と登記これに対して、「被相続人の生前譲渡と登記」が問題となる。Aが生前に不動産をBに譲渡したが、Aが登記を具備しない間に死亡し、Aの相続人Cが相続を理由に、Bを譲渡した不動産について登記を経由したうえでDに譲渡した場合においては、Bの相続人C(「登記簿上の名義人」)と同じく「当事者の承継人」(「第三者の法理」の適用が用いられる。すなわち、Dは、Aに代わって登記を備えており、Bはその権利を主張することができる)。(3) 「無権利の法理」の援用これに対し、「無権利の法理」の振り分け論であった。Cの相続権者DがAに無権利者であり、Cからの譲受人Aは無権利者からの取得者であるから、Bは登記なくしてDに対抗できる(「無権利の法理」の適用)。(4) 遺産分割と登記・相続放棄と登記Aの長男Bは、遺産分割の結果、不動産を取得するとされたが、Bが単独名義の相続登記を経由する前に、Cの債権者DがCの法定相続分を差し押さえた場合(遺産分割と登記)、BはCに対抗することはできない(899条の2第1項→本章Ⅲ)。これに対して、A・B・CのうちCが相続を放棄した場合、Bが単独名義の相続登記を経由する前に、Cの債権者DがCの法定相続分を差し押さえた場合(相続放棄と登記)、BはCに対抗することができる(参考判例③)。遺産分割・相続放棄は、いずれも効果が相続開始時に遡及する点(909条・939条)、「取消しと登記」(→本章Ⅴ)や「解除と登記」と同じく「復帰的物権変動と登記」の一類型と位置づけることもできるが、このうち「相続放棄と登記」の論点に関しては、相続放棄の遡及的効果を第三者に対しても登記なくして対抗できるとして、結果的に相続人となったBを第三者に保護させるのである。(5) 遺贈と登記・死因贈与と登記「死因贈与と登記」の論点に関しても「対抗の法理」が適用される。死因贈与については、その性質に反しない限り、遺贈に関する規定が準用される(554条)。だが、そのため、包括受遺者は、相続人と同一の権利義務を有する(990条)。そのため、遺贈を死因贈与に近づけた場合には、「遺贈と登記」の論点に関しても「対抗の法理」を適用する方向に傾くが、これに対して、少なくとも包括遺贈については相続と同様に「包括遺贈と登記」の論点についても「対抗の法理」を適用すべきである。●発展問題●本問において、自己の持分に関する更正登記ではなく、Cの単独名義の相続登記ならびにDの抵当権設定登記を抹消し、Bの持分を持ったうえで、自己の持分に関する更正登記を判決で決定することができるか。
Aはその所有する土地α上で製材所を経営していた。土地αの隣にはAの伯父Xが所有する土地β(地目は山林、500平方メートル)があり、AはBの許可を得てこれを製材所に出入りする車両の駐車場として無償で利用していた。2001年3月17日、BがAの製材所に立ち寄った際、Aが土地βを譲ってもらえないかとBに話したところ、資産家であったBはこれを承諾した。そこで、AはBに対し口頭で手許にあった50万円を支払い、残代金の支払方法や登記手続の詳細は後に相談することにした。しかし、土地βについては残代金の支払も登記もされないままであった。2010年5月25日、Bが死亡し、Bの子のCが相続して、Cは土地βについて、相続登記を具備した。CはBの生前に土地βのAへの売却については何ら聞いていなかった。Cは自分が役員を務めているD会社がE銀行から融資を受けるために、2011年8月7日、土地βにつき、Eを抵当権者とする極度額3000万円の根抵当権の設定契約を締結し、同日登記を完了した。その後、Dは経営に行き詰まり、Eに対する債務も返済不能となった。そこで、Eは2021年10月23日、土地βについて抵当権の実行を申し立て、それに基づく競売手続開始決定が行われ、土地βの差押えが行われた。土地βの差押えについて知ったAは、Cに問い合わせたところ、上記事実が判明した。この場合において、AはEに対してどのような主張をすることができるか。●参考判例●大判大正9・7・16民録26輯1108頁最判昭和43・12・24民集22巻13号3366頁最判平成24・3・16民集66巻5号2321頁最判平成15・10・31判時1846号7頁最判平成23・1・21判時2105号9頁●解説●1. 取得時効の対象不動産に対する所有権取得と抵当権取得の展開取得時効と登記に関する判例法理(→本章V)は、取得時効の対象となる不動産につき、第三者が所有権を取得・登記した場合だけでなく、第三者が抵当権の設定登記を受けた場合にも当てはまると解される。すなわち、第三者の所有権取得に関する原則I~Vは、第三者の抵当権取得に関しても、以下のように言い換えられる(百選74、後掲118-119頁参照)。ここでも、土地所有権の時効取得を題材にして解説する。(A) 原則Ⅰ(当事者の関係)A所有地についてBにこのための抵当権が設定されていた場合において、同じ土地についてCにこのための根抵当権の債務者または抵当権設定者A以外の者)が占有を開始し、取得時効が完成した場合、Bは抵当権の負担を前提としていない限り(抵当権の存在について善意であっても)、抵当権の負担のない土地所有権の時効取得を登記なしに主張できる(参考判例①、397条参照。なお、最判昭和42・7・21民集21巻6号1643頁は、土地所有権の取得時効完成前に、抵当権が設定登記された不動産について所有権を取得し、移転登記をした競落人に対しても、時効取得者は登記なしに対抗できるとした)。(B) 原則Ⅱ(時効完成前の第三者との関係)A所有地についてBが占有を開始し、取得時効が完成する前に、当該土地に第三者Cが抵当権の設定を受けた場合、占有者はBは当該第三者Cに対し、抵当権の存在を容認していた等、抵当権の存続を妨げる特段の事情がない限り、抵当権の負担のない土地所有権の時効取得を登記なしに主張できる(参考判例②)。(C) 原則Ⅲ(時効完成後の第三者との関係)A所有地についてBが占有を開始し、取得時効が完成した後に、当該土地に第三者Cが抵当権の設定を受けた場合、占有者はBは当該第三者Cに対し、時効取得を登記なしに対抗できない。(D) 原則Ⅳ(時効の起算点)A所有地についてBが占有を開始し、取得時効が完成した後に、当該土地に第三者Cが抵当権の設定を受けた場合、占有者が時効の起算点を任意に後ろにずらし、当該第三者Cが時効完成前に登場し、その後に時効が完成したと主張することはできない。(E) 原則V(時効完成後の第三者の登記後、再度の時効完成に必要な期間占有が継続した場合)A所有地についてBが占有を開始し、取得時効が完成した後、当該土地に第三者Cが抵当権の設定登記を受けた場合において、占有者がBが、当該抵当権の設定登記の時点から、時効取得に必要な期間引き続き占有を継続したときは、抵当権の存在を容認していた等、抵当権の消滅を妨げる特段の事情がない限り、占有者はBは当該第三者Cに対し、時効取得を登記なしに対抗できる(参考判例③)。2. 抵当権の認定登記の時効取得の再建と時効取得の時期不動産の占有者が、取得時効完成、かつ抵当権の設定登記も、抵当権の設定登記を知らずに占有を開始し、あたかも時効取得に必要な期間が経過した場合について、参考判例④は、抵当権は「抵当権の設定登記の日を起算点として、……時効取得し、その結果、……抵当権は消滅した」とする。この占有者は、①抵当権設定登記の日を起算点として不動産を再度時効取得すると解すべきか(参考判例③法廷意見)、あるいは②当初の占有開始点を起算点とする時効取得から抵当権設定登記時からはじまると解すべきか。解釈の余地がある。問題設定によれば、抵当権設定による長期取得時効(20年、162条1項)の完成後、抵当権設定による短期取得時効(10年、同条2項)の完成後、善意・無過失の占有者による短期取得時効の経過が必要となるべきであろうか。3. 抵当権の時効取得を妨げる「特段の事情」参考判例③がいう「抵当権の存在を容認していたと認められるような特段の事情」としては、どのような場合が考えられるであろうか。これに当たると解される判例として、参考判例③の他に、占有者が、抵当権の被担保債権の存在を前提として、その債務の弁済猶予の願や債務の一部の弁済をしたとき、被担保債権の存在を前提として、後に土地の所有権移転登記を求めないと述べ、10年余にわたって述べなかったこと(もっとも反対意見あり)、再度の時効取得中に開始された担保不動産競売の配当期日に買受代金が配当されなかったことなどが挙げられる。4. 賃借権を援用した時効取得と抵当権との関係所有権の時効取得に関する以上のような判例法理は、賃借権の時効取得の場合にも同じように妥当するであろうか。すなわち、賃借権の時効取得が完成した場合、抵当権が設定登記され、占有者がそれを知らずに時効期間に必要な期間の占有を継続した場合、占有者が賃借権を時効取得するに際して対抗要件である賃借権の登記を備えていなかった場合、賃借権の時効取得の時期は占有開始時まで遡及する(144条)が、登記なくして第三者に対抗できないとするのが判例である(参考判例⑤)。32 共同相続と登記Aは、その所有する居宅、書斎、宅地Cと一人暮らしならびにCの夫Eと一緒に暮らしていたが、2022年2月1日に死亡し、居宅とCの敷地(以下、「本件不動産」という)を含むAの財産は、妻Bと長男Cが法定相続分に従い共同相続した。ところが、Cの夫Eは、本件不動産を担保にDから借り入れすることを企て、Cに対し相続登記の申請の代理の用意をおし、Bを騙して家庭裁判所に提出した、B宛に送付されてきた遺産分割協議書・印鑑証明書を用いて、本件不動産につきAからBに相続を原因とするB単独名義の所有権移転登記をC名義の被相続人に提出し、Cの偽造名義で、Dとの間で、Cを物上保証人とするBの金銭消費貸借契約を締結し、Dを抵当権者とする抵当権の設定登記を経由した。その後、以上の経緯をEから打ち明けられたBは、Eの行為を追認したが、Bは、この他の相続財産ならびにCからのDの借金の返済を請求された。Bの持分を除外する更正登記を求めた。これに対して、Dは、民法177条を根拠に、Bによる物権変動は、登記をしなければ、善意無過失のDに主張することができないと主張している。B、Dのどちらの主張が認められるか。
2002年1月27日、Aは所有する土地αをBに売却し、代金の一部金を受け引き渡したが、土地については移転登記がされないままであった。その後、Bは土地α上に建物βを建築した。2006年6月3日、Aが死亡してCが相続し、土地αについても相続登記をした。2021年12月20日、Cは自己の債権者Dに対する代物弁済として土地αの所有権移転登記を済ませた。他方、Bは2022年1月頃、土地α・建物βをEに遺贈するために調べた際、土地αがD名義になっていることが判明した。そこで、同年2月15日、Bは2002年1月27日から20年間の経過によって土地αの所有権を時効取得したと主張し、Dに対して土地αをBに帰属することの確認と所有権移転登記手続を求めて訴えを提起した。他方、Dも同年2月20日、土地αはDの所有であると主張し、Bに対して建物βの収去・土地αの明渡しおよび賃料相当額の損害金の支払を求めて反訴を提起した。いずれの請求が認められるか。●参考判例●大判大7・3・2民録24輯423頁最判昭和41・11・22民集20巻9号1901頁最判昭和42・7・21民集21巻6号1653頁最判昭和33・8・28民集12巻12号1936頁最判平18・1・17民集60巻1号27頁最判昭和35・7・27民集14巻10号1871頁最判昭和36・7・20民集15巻7号1903頁最判昭和46・11・5民集25巻8号1087頁●解説●1. 取得時効と登記に関する判例法の展開(1) 判例法の基本原則時効による所有権取得(162条)も、不動産に関する物権の取得の対抗要件の規定(177条)が適用されるかどうかについては、以下のような判例法が形成されている(百選69・72、奥田116-117頁参照)。以下、土地所有権の時効取得を念頭にして解説する。(A) 原則Ⅰ(当事者の関係)A所有地についてBが占有を開始し、取得時効が完成した場合、Bは第三者ではないから、民法177条は適用されず、Bは登記がなくとも時効取得をAに主張できる(参考判例①)。(B) 原則Ⅱ(時効完成前の第三者との関係)A所有地についてBが占有を開始し、取得時効が完成する前に、Aがこの土地をCに譲渡して移転登記した場合、民法177条は適用されず、Bは時効完成後登記なくして対抗しえない(対抗関係)。Bは時効完成後にAがこの土地をCに譲渡し、Bの時効取得完成後にCへの移転登記がされた場合も同様である(これは時効完成後の第三者として取り扱われる。参考判例③)。(C) 原則Ⅲ(時効完成後の第三者との関係)A所有地についてBが占有を開始し、取得時効が完成した後に、Aがこの土地をCに譲渡して移転登記した場合、時効完成後に登場できたBには民法177条の適用がなく、Bは登記がなければCに対して時効取得を対抗できない(参考判例①)。ただし、CがAから譲渡を受けた時点で、Bが多年にわたって当該目的物を占有している事実を認識しており、Bの対抗要件の欠缺を主張することが信義に反するものと認められる特段の事情があるときは、Cは背信的悪意者に当たり、BはCに対して登記なくして時効取得を対抗できる(参考判例①)。(D) 原則Ⅳ(時効の起算点)BによるA所有地の時効取得の完成後にAから譲渡を受けたCに対し、Bが時効期間を満たす事実を主張する時に、起算点を任意に選べ、Bの時効完成後にCが登場したことを主張する場合には認められない(参考判例④)。これは原則Ⅲが時効の適用の問題解決を骨抜きにしないためといえる。(E) 原則Ⅴ(時効完成後の第三者の登記後、再度時効完成に必要な期間が占有した場合)A所有地についてBが占有を開始し、取得時効が完成した後に、Aがこの土地をCに譲渡して移転登記した場合、再度時効取得に必要な期間が経過した場合、民法177条は適用されず、Bは登記がなくともCに対して時効取得(当初の自主占有開始時を起算点とするものを対抗できる(参考判例⑦)。(2) 判例法の問題点判例によれば、①第三者の登場時期が取得時効完成の前か後かという、第三者にとって偶然の事情により、対抗要件の提供が左右され、また、④所有権者が無断で占有を開始し、10年経過して短期取得時効が完成した後、第三者が占有を開始してから、Aから移転登記を受けたが、その後もBが占有を続けた場合(本問の場合はこれに当たる)、Bが長期取得時効を援用して原状回復によって生ずる利益に帰することになる。これに対して、①の適用を否定する見解もある。2. 取得時効と登記に関する学説の展開(1) 対抗要件規定の適用を否定する見解学説には、時効取得者Bと第三者Cとの関係に対抗要件規定が適用されない、すなわち、時効取得者Bと第三者Cとの関係は対抗関係にならないとみる見解がある。これは、Bは、たとえ二重譲渡事例における末登記譲受人であっても、占有継続という独自の要件を満たしているので、占有を独立した所有権原初的取得の中の要件とみて、対抗要件(177条)を排除し、時効完成後に登場した第三者に対しても、所有権取得を主張しうる(判例法理の原則Ⅲを否定)とみる(占有尊重説)。また、Bの占有の継続を占有尊重の観点から認める見解(時効制度の趣旨を重視)、⑥対抗要件規定の適用を否定する。これらの見解は、自己の所有権登記がなければ対抗できないとみる見解もある。(2) 対抗要件規定の適用を肯定する見解これに対し、時効問題にも対抗問題になるべく同じ視座でみる見解もある。もっとも、①どの時点から対抗問題になるかをめぐり、時効取得による物権変動の時期を特定して、その時期を基点として、②時効完成前の第三者に対しても登記なくして対抗しうる(判例法理の原則Ⅱを否定)、③時効の遡及効(144条)によって対抗関係となる(判例法理の原則Ⅱを肯定)、④かかる第三者が登記を備えた場合に対抗問題となる(判例法理の原則Ⅰを肯定)、⑤これに対し、対抗関係になる場面を限定し、時効取得者Bが登記しなければ対抗できないとみる見解もある(登記優先説)。⑥これに対し、時効取得者Bは登記しなければ対抗できない(判例法理の原則Ⅰ~Vを肯定)とされ、⑦それを踏まえ、時効が確定した場合は、その後に登場した第三者に対しては、登記がなければ対抗できないとみる見解もある。これらの諸説の実際的対立点は、⑦占有継続を要件とする時効取得をどこまで独自の所有権取得原因とみるべきか、⑧対抗要件を具備するのに具備しなかった時効取得者にどのようなサンクションを与えるべきかにある。判例法理を支持する②説およびこれを一部制限した⑥説、これら⑦⑧の考慮の調整を図ったものと解する⑤(判例法理の問題点(前述1(2)⑥⑦)に対応する回答。なお、前述1(2)①の問題点については、善意・無過失の占有者(短期取得時効取得の要件を具備した者)が、長期取得時効完成後、取得時効完成前に登場した第三者に対し、登記なくして時効取得を対抗できても、自己に不利になる短期取得時効の主張を強いられる理由はないから、均衡を失するとはいえない。前述1(2)⑤の問題点については、たしかに時効完成によるBの時効取得の効果は占有開始時に遡及するから(144条)、判例法理の原則Ⅱは、BがAからの所有権取得(その効果は援用によって確定する)を登記なくしてCに対抗できることを認めたものと解することになるから、登記がなくとも保護されてよいことの理由を説明すべきことになろう。例えば、時効完成前は時効による所有権取得を登記できないではないかという説明など)。●関連問題●本問において、DがCから土地αの代物弁済を受け、所有権移転登記を取得した時期が、2022年2月1日だった場合、結論はどうなるか。その際、Dが土地αをBが占有していることを知っていた場合はどうか。2002年1月27日、A所有地αの一部について隣地所有者Eが自己の宅地の一部と信じて固縛および鉄石を設置し、占有を開始した。2021年12月20日、Aが土地αをCに売却して移転登記した。Cが建物を建設するために土地αを測量したところ、その一部をEが不法に占有していたことが判明した。そこで、Cは2022年2月15日、Bに対し、鉄砲および石・囲障の撤去および当該土地部分の引渡しを請求した。Cの請求は認められるか。また、Bはどのような反論(屈折の提起を含む)が可能か。●参考文献●松久三四彦・不動産百選98頁・90頁山田卓生・百選Ⅰ(第5版)(2001)116頁村田健介・百選Ⅰ116頁呉=小泉明・民事法Ⅰ 281頁
Xは、Bの詐欺行為により、Bの支払能力につき錯誤に陥り、本件契約の意思表示を行った。したがって、本件契約の効力に関するXからの主張としては、①詐欺(96条1項)、または②錯誤(95条)に基づく意思表示の取消しが二応考えられるが、相手方の支払能力に対する錯誤は法律行為の基礎とした事情についての錯誤(同条1項2号)であり、錯誤に基づく取消しの可否については慎重な検討を要する(→本章Ⅲ)。そこで、本問では①の主張に焦点をあてる(詐欺取消しの要件の詳細は→本章Ⅲ)。意思表示が取り消されると、当初から無効であったものとみなされる(121条)。そして、売買契約の遡及的無効と連動して、売買契約に基づく所有権の移転の効果も生じなかったことになる(物権行為の有因性)。売買契約に基づく所有権の移転が遡及的に消滅すると、所有権はAに復帰する(物権変動の復帰的効果)。しかし、判例・通説は物権行為の独自性を認めていない。したがって、Xは、取消しの意思表示を行ったうえで、甲の所有権は一度もBに移ったことはなく、自分がなお甲の所有権者であると主張し、所有権の保全に必要な措置をとる。2. 所有権に基づく妨害排除請求としての登記請求甲の所有権を保持するとするXの関心は、Y名義の登記を自己名義に戻すことにある。甲の所有権をYが保有することは、Xの所有権をYが占有以外の方法で妨害するものとみられるから、ここではYの所有権に基づく妨害排除請求権が問題となる。Yは名義を「戻す」ためには、Xのような請求を理由とするのであれば、物権変動の過程を忠実に反映するという登記制度の理念を重視すれば、実体法上は存在しない物権変動の登記を抹消するのが正攻法であるが、たとえ登記記録上は、X→B→Yと権利が移動しているようにみえても、取消しにより、X→Bの物権変動は最初から無効となり、その結果B→Yの物権変動も無効に終わる。したがって、Xは、B→Yの移転登記の抹消に加え、Bも被告としてX→Bの移転登記も抹消させて抹消すべきことになりそうである。しかし、登記実務は、Yの移転登記による名義の回復を認めている。その背景には、現在の権利の帰属状態を正しく公示できる限り、これまでの経過に登記制度の理想が多少犠牲になってもやむを得ないとする考え方がある。Xの登記原因は「真正な登記名義の回復」として、Yのみを訴えて登記名義を回復できるので、抹消登記を重ねるよりも簡便である。したがって、本問の訴訟物は所有権に基づく妨害排除請求権たる所有権移転登記請求権となる。3. 詐欺取消しと第三者詐欺取消が対抗力ある制度である場合には、Yに及ぶ取消の効果のすべてが第三者との関係で貫徹される。②における主張が無制限に認められるところ、ところが取消原因が詐欺の場合には、取消権を行使した者は取消しの効果を善意・無過失の第三者に対抗できない(96条3項)。同条同項の規定は善意者保護規定および対抗要件規定についても存する(消費者契約4条5項)。まずこれらの第三者保護規定の要件を確認しておく必要がある。本問において、仮にXによる取消の意思表示が9月7日になされたとしよう。Yは、甲の権利者であるBと契約を締結した後に、そのXが取消権を行使した権能であり、無償的に権利をBに取得したもので、複数された権利を譲渡された者ではなく、これが取消しの効果が害されるので、Yからの信頼を保護する必要がある。そのためには、取消の意思表示がなされた96条3項である。すなわち、同条は、取消しの遡及効を善意無過失の第三者に対する関係で制限する規定であり、「第三者」に取消前に出現した者のみを想定している。そうすると、本問のように、取消後に出現したYとXとの関係には同条は適用されないことになる。また、第三者は取消権を行使した者と対抗関係に立つわけではないから(X→B→Yと転々と譲渡された場合のY・Xは互いに対抗関係に立つ「第三者の関係」ではない)、Yは遡及的に無権利者Bと取引したことになる。第三者が同条による信頼保護の要件を充足するためには、第三者は対抗関係にあるXと信頼保護の要件を充足するための取引をする必要はない(参考判例①)。4. 取消しによる物権変動の遡及的消滅と民法177条それでは取消後の第三者との関係はどのように処理するのか。判例は、X・Yの関係に民法177条を適用し、取消権を行使したBを基点に、X→Yの関係にあるYに物権変動の遡及的消滅を対抗することができないとする。3の「取消前の第三者」の場面では、Yに物権変動がB→Yの所有権を「復帰」を登記するまでは対抗的に不可能である。これに対して、本問の場面では、Xの取消の意思表示後、未だに登記名義はBのままであるため、Yは二重譲渡と何ら異なるところがない登記を備えた第三者との関係で処理する(参考判例①)。判例の考えによれば、登記を先に備えた者が所有権を取得する(背信的悪意者あるいは登記欠缺の主張を正当な利益を有しない背信的悪意者(判例信義則に反する事情の当否)に当たる場合を除く)。Xは登記を備えていないので、Yの取消しの事実を知らずに登記したY(善意の第三者)に対し、Xの登記なくして所有権取得を「復帰」の主張に対し、Yは反論として、Xの登記欠缺を主張して取消しの効果を否認することができる。上記に述べた取消原因は原則として登記原因の種類も問わず、制限行為能力を理由とするものであっても異ならず、公序良俗違反を理由とするものでも異ならない(参考判例②、③)。5. 学説による代替提案そこで、第一に、取消後の第三者との関係でも、取消しの遡及効を貫徹したうえで、端的にその外観(不実登記)から無権利者Bを権利者と信じたYを保護するために、民法94条2項を類推適用する説が登場した。この見解によれば、合意の当事者が第三者保護を受けるのに対抗要件を備える必要はないと解されており(真の権利者)、仮に登記のB名義のままでも、第三者に影響を及ぼし、信頼したYが保護される。他方で、回復登記の過程には真の権利者(X)側の帰責根拠として、外観に対する意思的関与(承認または放置)が必要とされる(判例94条2項・110条類推適用)。そこでは、取消の意思表示に従ったというXの不作為は、過失はあるが帰責性はない、とする。当然に製造の基礎があるとはいえないが、Yが保護されるかどうかはケース・バイ・ケースというほかない。本問のように、Xによる取消後、同覚をいずれBが転売した場合、そもそも「放置」とすら評価できず、Xは自己の所有権をYに主張できると考える。第2に、4の末尾で指摘した問題に対処するため、取消前の第三者との関係にも対抗要件主義を徹底しようとする学説が存在する。すなわち、取消可能な状態が到来して以降、取消権者は速やかに取消しの意思表示をして物権を回復すべきであるのに、これを怠った不注意がある。そうした不注意を登記の懈怠と同等に評価し、取消しの遡及効を取消前の第三者との関係においても制限して、対抗問題として扱うべき場合があるという。しかし、この説に対しても、それは取消権行使の前提においてはいかなる意味でも物権変動を観念することができる。また、本来の適用領域を逸脱しているうえ、意思表示を取り消すかどうかは取消権者の自由であり、取消後における登記回復と取消権の緩慢さとの帰責の観点から同列に論じるべきではないし、さらに取消権能という基準時は曖昧すぎて実用に堪えない、等の問題点が指摘されている。●関連問題●本問において、8月31日の到来後も、Bが残代金を支払わないため、Aは、9月1日に、1週間以内の支払を催告し、同月8日までに支払がないときには契約を解除する旨を内容証明郵便でBに通知した。それでもBが残代金を支払わなかったのでは、同月10日に売買契約を解除する旨の通知を内容証明郵便で発送し、通知は翌日にBの事務所に到達した。(1) XはYに対して、甲につきどのような請求をすることができるか。またYはどのような反論が可能か。(2) 本問における設定と異なり、BからYへの転売が8月30日ではなく、9月15日に行われた場合はどうか(参考判例①参照)。●参考文献●金子敬明・百選Ⅰ 112頁竹中悟人・百選Ⅰ 48頁鶴藤倫道・百選Ⅰ 114頁呉―問答24頁Before/After22頁(奥田・消費者契約)
2024年6月10日、レストランを開業する目的で、B所有の飲食店用の甲建物を期間5年、賃料月額30万円でBから賃借し、甲建物の引渡しを受けた。甲建物の間取りはあまり十分な設備が備わっていなかったので、Aは、Bの承諾を得たうえで、厨房に調理台とオーブンを備え付け、より大容量の電気と水道が使えるようにするために電気・水道の引込設備を新たに設置した。Aのレストランは好評で、開業してから半年後には多くの客が訪れるようになった。そこでAは、甲建物の客席部分を増築して客席を10席程度増やしたいとBに申し入れたところ、Bから承諾を得られたので、そのための工事を建築業者に依頼し、客席部分の増築工事を完了した。その後、Aは有名レストランで修行するため、A・B間の甲建物の賃貸借契約は更新されず、期間の満了により終了した。Aは、この間の設備の設置や増築工事にかかった費用について、Bに支払を求めたと考えている。AのBに対する請求は認められるか。なお、A・B間には、この点について特に合意はなかったものとする。●参考判例●最判昭和44・7・25民集23巻8号1627頁●解説●1. 問題の所在賃借人が費用を支出して賃借物に附属させた場合に、賃貸借契約が終了したとき、その費用ないし附属物をめぐり、賃貸人と賃借人との間の法律関係はどうなるだろうか。この問題は、賃貸借契約に関するルールのうち、賃借人が賃貸人に対して必要費および有益費の償還を請求しうること(608条)、賃貸借契約終了時に賃借人は賃借物に附属させた物を収去する義務を負う(および附属物を収去する権利を有する)こと(622条・599条1項・599条2項)などがかかわる。他方で、B所有の甲建物とA所有の各種の物が結合している点では、不動産の付合(242条)の場面である。これらのルールの絡み合いをどのように整理するかが、本問のポイントである。(1) 附属物が賃借物の構成部分となった場合(付合)賃借人が費用を支出して賃借物に附属させた場合に、附属物が賃貸借の目的物に付合したときは、賃貸借終了時に、附属物が賃借物に付随したまま、その附属物を収去する義務を負うのが原則である(622条・599条1項本文)。しかし、壁紙や床板の張替えのように、附属物が賃借物と一体化(強い付合)してこれを分離することができないか、または、附属物を分離することができない状態あるいは分離するのに過分の費用を要する状態に当たるときは、賃借人は、その附属物を収去する義務を免れる(622条・599条1項ただし書)。この場合には、賃借人は附属物を収去する権利も有しない(622条・599条2項)。これを所有権の帰属の観点からみると、附属物が賃借物と一体化し(強い付合)、両者が合体して一つの物となったと評価されるので(243条)、不動産の所有者である賃貸人が、附属物の所有権を取得する(242条本文、不動産の所有権が毀損されるような場合は「強い付合」とされ、同条ただし書の適用はない)。権原を有する者が物を附属させても附属物の所有権を留保することはできないと解されている。以上の場合には、賃借人は、附属物を収去する義務も権利もない代わりに、賃貸人に対し、支出した費用か増加益のいずれかについて費用償還請求権を行使する(608条)。付合の観点によれば、賃借人は民法248条に基づいて賃貸人に対し償還請求権を行使することも考えられるが(608条と248条では償還額の内容や行使期間に違いがあり、248条は賃貸借における当事者間の利害調整を踏まえた特別に設けられた規定であるから、賃貸借契約の当事者間ではもっぱら同条が適用されると解されている)。(2) 附属物を賃借物から分離することが物理的に経済的にも容易な場合(弱い付合)附属物が、原則どおり、賃貸借終了時に附属物を収去する義務を負うとともに、附属物を収去する権利を有する(622条・599条1項・599条2項)。所有権の帰属からみると、この場合は「主として付合した」(242条本文)ものとみることはできない。この場合は、附属物の所有権は賃借人のまま変わらない。そして、収去を前提とすると、賃借人の賃貸人に対する費用償還請求権は生じない。以上の民法のルールを修正するのが、造作買取請求権である。造作とは、「建物に附属した物」に属し、かつ建物の使用に客観的便益を与えるもの」をいう(最判昭和29・3・11民集8巻3号672頁)。この定義にあるように、造作は建物に附属させることでその効用が十分に発揮されるが、建物とは独立して賃借人の所有の対象となる(⒝に含まれる)から、賃貸借終了時には収去の対象となる。しかし、このような造作の収去を強いれば、建物のために投下した資本の回収を図ることができず、また、建物の社会的経済的価値も減少してしまう。そこで、借地借家法33条1項は、賃貸人の同意を得て建物に付加した造作について、賃貸人は、期間満了または解約申入れによって賃貸借が終了するときに、賃借人に対し、その造作を時価で買い取るべきことを請求することができるとした。賃借人が造作買取請求権を問題とすることなく、現実に他人の所有権を妨害している者、またはそれをおそれさせている者に対して認められることになるから、きわめて強力な救済手段となる(最判名義人であるAも、請求の相手方となるかについては、末尾の関連問題参照)。(3) 附属物がものとの中間的な状態の場合近時の学説は、建物の附属には①の中間的なものがあると考え、所有権の帰属も必ずしも一義的・明確には決まらないことから、第三の類型を認めている。これによると、収去可能な附属物を収去するのに過分の費用を要するため、収去すると附属物の価値を減少させてしまい、収去は経済的に無意味になる場合がある。この場合、賃借人は、収去請求権と費用償還請求権とを選択的に行使することができることになる。すなわち、賃借人は、賃貸借終了時に、①と同様に附属物を収去して所有権を収去するか、あるいは、⑥と同様に附属物の収去義務を免れつつ、賃貸人に対して費用償還請求を行うのが原則である。これが付合の観点からみれば、附属物には建物の不動産に「主として付合した」が、附属物の構成部分になっていない状態(弱い付合)といえよう(独立した)。賃借人が権原(賃貸借契約に基づき所有権を留保して附属物を所有権の客体とすること、そして、賃借人は、附属物の所有権を留保して附属物の所有権を行使することができるが、一方で、附属物の所有権を留保して附属物の所有権を賃借人に取得させることによって、附属物の効果を生じさせることもできる。このように解すると、従来の付合によって所有権の帰属・消滅を論ずることが⑤の場合にも広がる結果、⑥の場合(実は収去の対象となり費用償還請求の対象とならない)に認められる造作買取請求権を適用する必要がなくなってしまう。3. 同時履行の抗弁権と留置権の可否AのBに対する費用償還請求が認められる場合には、賃貸借契約の終了に基づきBが甲建物の返還を請求してきても、Aは、Bからの費用償還があるまで、その返還を拒むことができる。費用償還請求権は甲建物に関して生じた債権に当たり、Aは甲建物について留置権を有するからである(295条1項本文)。ただし、Bの請求により、有益費の償還について裁判所が相当の期限を許与したときは(608条2項ただし書)、有益費償還債権の弁済期が到来していないことから、Aは留置権を主張することができない(295条1項ただし書)。これに対して、Aが造作買取請求権を行使した場合には、Aは、Bから造作代金の支払があるまで、甲建物の返還を拒むことはできない。造作代金債権は(甲建物ではなく)造作に関して生じた債権であるため、甲建物について留置権の成立が認められず、また、造作代金債務と建物返還債務は発生原因が異なる対価的な牽連関係が認められないため、同時履行の抗弁権(533条)も認められないからである。4. 賃借人が建物を増築した場合の法律関係賃借人が建物を増築したうち、賃借人が増築した部分については、以下の点に注意を要する。増築部分が建物に付合することか否かを判定し、増築部分を独立の所有権の対象とすることと、建物の一部について、建物とは独立の所有権の対象とすることを区別する。しかし、これを区別すれば、排他的支配を配慮できる地盤の範囲が不明確となり、取引の安全を害する。そこで、判例は、増築部分に構造上・利用上の独立性(区分所有権1条参照)が認められない場合は、増築部分は建物に常に付合し、建物の所有者(賃貸人)の所有となると解している。そのうえ、たとえ賃借人が賃貸人の承諾を得て増築していても、民法242条ただし書の適用はなく、賃借人は増築部分の所有権を取得することはできない(最判昭和36・10・29民集17巻9号1236頁、最判昭和40・6・13民集22巻8号1183頁、参考判例①等)。この場合には上記2①のように、賃借人は増築部分を収去する義務を負わない反面、増築のために支出した費用について、民法608条2項の要件を満たせば、賃貸人に対し、有益費として費用の償還を請求することができる。本問の増築部分については構造上・利用上の独立性が解されるから、以上の処理が妥当する。そして、民法608条2項の要件を満たすならば、AのBに対する有益費の償還請求が認められる(上記3参照)。なお、本問のように増築部分に独立した独立性が認められる場合は(関連問題3)、民法242条ただし書の適用があり、付合によって所有権が判断される。その際に、Aの建物賃借権は、民法242条ただし書の権原には当たらないと解されている。建物賃借権は、建物に増築する権能や増築部分の所有権を賃借人に留保する権能を賃借人に当然に与えるものではないからである(606条参照)。また、増築に対するBの承諾も、ただちに上記の権原となることはできない。このような承諾は通常、Aが建物をしても用法遵守義務(616条・594条1項)の違反による債務不履行にはならないための承諾にすぎず、増築部分の所有権をAに留保する趣旨までは含んでいないからである。そうすると、Bの承諾がこのような趣旨まで含んでいる場合にのみ、民法242条ただし書の権原があることを理由に、増築部分の所有権がAに留保され、賃貸借終了時、Aは増築部分の所有権を主張することができる(他方で、賃貸借終了後もAの区分所有権が存続するためには、Aが甲建物の敷地の利用権を有している必要がある。しかし、Aが増築するに当たり、敷地の所有者(Bが敷地の所有者であることも多いだろう)が敷地の利用権までAに認めることはあまり考えられないだろう。このように、Aが増築部分の区分所有権を留保したとしても、それが存続するとは限らない点にも注意する必要がある)。他方で、この場合は上記2(2)(附属物が③との中間的な状態の場合)に当たると解されるから、民法608条2項の要件を満たすならば、Aは、増築部分の所有権を主張せずに、Bに対する有益費の償還請求を選択することもできるだろう。●関連問題●本問において、Aが甲建物の賃貸借契約期間中に以下の工事をした場合、賃貸借契約終了の時に、Bに対してどのような請求をすることができるか。レストランのトイレの床が傷んでいたため、内装業者に依頼し、トイレの床のタイルの張替えをした場合Bの承諾を得て、レストランの客席部分には建物埋込式(取外しが比較的困難)のエアコンを、厨房には壁に取り付ける形のエアコンを、それぞれ設置した場合Bの承諾を得て、イートインコーナーとして、15名収容のプレハブを甲建物に接続する形で増築したところ、このプレハブに構造上・利用上の独立性が認められると評価された場合●参考文献●水津太郎・百選Ⅰ 148頁中田405頁鎌田薫「不動産の付合」同『民法物権法①(第4版)』(日本評論社・2022)201頁同「所有」「建物賃貸借と留置権」山田卓生ほか『分析と展開・民法Ⅰ(第3版)』(弘文堂・2004)275頁
Aは、田舎で週末を過ごしたいと考え、甲山にある、別荘用地に適成された乙地をBから購入して、そこに5年前にログハウスを建てた。一方、Bも、少年時代に、自宅を建設するために、乙地の隣にあり、乙地より少し低い場所にある丙地を購入した。Bから丙地の建物を建てるという話を聞きつけたC社は、丙地が山の斜面に位置していたことから、大型のブルドーザーでかなりの深さまで丙地を掘り下げ、土砂を乙地との境界線にする丙地の西側の一面に高く積んだ。AはCの現場監督から、基礎工事が完了した後、この土砂の一部を埋め戻す予定であると説明を受けていた。翌年、Aが別荘を訪れたところ、上記の土砂の一部が乙地に崩れ落ちており、Aは自動車の出入りができなかった。そこで、Aは、早速Cに連絡を入れたが、週末のせいか連絡がつかなかった。ところが翌週、地元の新聞報道で、Cが事実上、倒産したことを知った。困ったAは、Bに対し、乙地の土砂を除去すること、降雨の季節になり、このまま土砂の上に別の土砂を放置すると大量の土砂が乙地に流れ出るおそれがあることから、甲地にある土砂を埋め戻すとか、乙地に土砂が流入しないような対策を施すよう求めた。しかし、BはCの工事が原因であるとして、まったくAの請求に応じない。また、丙地にある立木の枝が乙地に張り出しており、AはAに枝の切除を求めたが、これも応じなかった。Aはやむなく工務店に依頼してこれらの処置をしてもらい、その費用の返還をBに請求した。Aの請求は認められるか。●参考判例●大判昭和12・11・19民集16巻1881頁最判平成6・2・8民集48巻2号373頁●解説●1. 所有権に基づく請求権とその相手方乙地の所有者であるAは、丙地の土砂によって乙地の利用が妨げられている。このように所有権の侵害が侵された場合、所有権が円満に実現できるように、所有者には、所有権に基づいて妨害排除(物権的請求権)が認められている。明文の規定があるわけではないが、所有権は、物の価値を排他的に直接支配することができる権利であるから、それが妨げられた場合には、上記の請求によって保護される必要があると解されている。①物の占有を喪失している場合には、所有権に基づく返還請求権、②物の占有が奪われていないが、占有以外の事由によってその支配が妨害されている場合には、所有権に基づく妨害排除請求権、③物の妨害のおそれが大きい場合には、所有権に基づく妨害予防請求権がそれぞれ認められている。もちろん所有権が侵害ないし侵害されるおそれがある場合には、不法行為に基づく損害賠償請求権や差止請求権が認められる余地があるが、所有権に基づく請求権(物権的請求権)は、所有者が妨害状態にあることを主張・立証すれば足り、相手方の故意・過失の主張・立証を問題とすることなく、現実の所有権を侵害している者、またはそれをおそれさせている者に対して認められることになるから、きわめて強力な救済手段となる(最判名義人であるAも、請求の相手方となるかについては、末尾の関連問題参照)。本問では、①乙地への妨害ないし妨害のおそれは存在している、②乙地はCから丙地を譲り受けている、③AはCに対して不法行為に基づく損害賠算請求ないし差止請求権、所有権に基づく妨害排除請求権・妨害予防請求権を主張できるだけでなく、土砂の所有者Bに対しても土砂の除去や今後の予防措置を講じるように請求できるかが問題となる。2. 行為請求権に対する批判妨害物ないしそのおそれがある土砂の所有者がBであることから、土砂の除去や今後の予防措置を講じるように請求できるとする考え方は、学説上、行為請求権説と呼ばれている。上記の見解につき、妨害排除ないし妨害予防のために一定の行為を講じる債務負担なしに妨害しなければならないことになる。しかし、侵害行為に直接関与しているわけでもないBに、なぜこのような費用負担を求めることができるのだろうか。また、乙地に流入した土砂に着目すると、土砂の所有権はBにあることから、BはAに対して所有権に基づく返還請求権を根拠に、土砂の引渡しを請求してくることが考えられる。行為請求権説によれば、AがBに土砂を引渡すように求める請求権を行使すると、Aの費用で土砂をBに引き渡すように求めることかできうることになり、Aが土砂を除去してBに返還する費用を負担しなければならないことになる。このように所有者に物権的請求権が認められているといっても、このような内容の請求権であるのならば、必ずしも明らかではない。そこで、所有権に基づく請求権は、所有権の実現が侵害されている状態から所有者を解放することを請求する権利であると考えるべきであるから、費用負担については、妨害請求権を行使する者がさしあたりは負担すること、侵害行為者が所有者の故意・過失によって生じている場合には、妨害請求権を行使する者の不法行為責任を追求することによって、費用負担を侵害として相手方に請求するべきであるとする見解が登場することになった。このような見解を忍容請求権説と呼んでいる。3. 衝突が定量的に妨害の除去を不可能にする場合侵害者が自発的に妨害の除去をしないとき、実質の除去は代替執行の方法によって行われる(414条1項、民執171条)。したがって、侵害行為者が侵害者の故意・過失によって生じている場合、妨害請求権を行使してその費用を自分で負担しえたうえで、相手方にその賠償を請求すること(414条2項)、相手方の費用で除去行為の請求を求めることは実質的には大きな違いはないように思われる。問題は、本問のように、第三者の行為によって侵害行為が生じたような場合に、自己の費用で妨害の除去を行うのが、侵害行為が侵害者の故意・過失によって生じているわけではない場合である。4. 枝の切除権と費用負担立木の枝についても、Aは、Bに対して枝の除去を請求できる(233条1項)が、理論的には土地所有権に基づく妨害排除請求権が根拠となる。Aは、Bに枝の切除を催告し、相当の期間(竹林の所有権者が自ら切除するために必要な期間は2週間程度と考えられている)が経過した場合、Aに切除権が認められる(同条3項)。Aが自ら切除する行為は、Bの所有権侵害となる可能性があるが、①Bの木の枝によって、Aの所有権が妨害されている点と、②Bの費用で切除する場合の、Aの所有権が妨害されているからといって、無制限に費用負担を相手方に求めることができるとは考えにくい。この場合には、妨害請求権の相手方のみが費用を負担するという結論が適切なのかどうかについても検討の余地があるように思われる。このような考えに基づくと、台風、集中豪雨、地震などの自然現象が加わる場合には、いかなる意味で相手方の行為に基づいたといえるか、債権者、債務者、連帯保証人、物上保証人、担保不動産の第三取得者との間での費用負担について、債権者には、債権保全のための費用を請求できるか。5. まとめ客観的に違法な状態として、Aに所有権に基づく妨害排除請求権だけを認める(物的請求権)とともに、①Aに特別の権限を付与し、自主的救済を一定の要件の下で認める、②切除行為が正当行為・やむを得ない行為を認めたものと解される。Aは、Bに切除行為の費用を請求して訴訟を提起しているが、前述したように、所有権に基づく請求権をBに通告して判断の機会に与えて、Bが切除すべき行為をAが肩代わりしたことになるから、AからBに対する費用の返還請求が認められるものと解される。なお、越境した根については設問の除去を請求できるとする規定が置かれていない。これは、隣地に侵入した根は土中に癒着しており、隣地の所有権(本問ではAの所有権)の一部であり(86条)、隣地所有者は竹木の根の切り取りができるからである(233条4項)。根の除去を自己の処分と捉えるか、切除費用を竹林の所有者に請求できない可能性があるが、所有権による越境行為によって隣地所有権が負担を強いられた財産権を侵害されたと考えれば、この場合にも、民法709条に基づいて損害賠"償請求権を行使することができるものと解される。●関連問題●本問において、Aは、Bに対して乙地の土砂を除去せずに乙地をCに売却し、AはBとCとの間で乙地の紛争があることを知ったBがAとの間の問題を処理するまで丙地の移転登記に協力しない旨を主張している。BとDへの請求権の行使は完了しているが、丙土地の所有者はDであると主張して、Aからの請求を拒むことができるか(参考判例①および参考文献参照)。●参考文献●奥田昌道・法教198号(1997)7頁山木和雄・争点89頁米倉明・百選Ⅰ102頁鎌田薫・平成6年度判例68頁横山善廣・石黒一憲・物権と担保物権(有斐閣、2005年)23頁
2020年4月に、Aは、友人Bから、子どもの進学資金のために貸してほしいと頼まれ、Bに100万円を無利息、1年後に全額を一括して返済する約定で貸し付けた(本件貸付金債権)。Bの兄Cは、Bからの委託を受け、Aとの間で、Bの本件貸付金債権に係る債務を主たる債務とする連帯保証契約を書面で締結した。以上の事実に続いて下記の要望があったとして、各問いに答えなさい。(1) 本件貸付金債権の弁済期到来後もBからの弁済がないので、Aは、弁済期から3年後に、Cに対して内容証明郵便を送付して支払を請求したところ、Cは1か月後に元本全額を支払うので連帯保証金の支払を免除してほしいと回答した。しかし、その後Cからの支払がないままさらに3年が経過したので、AはCに対して連帯保証債務の履行を求めて訴えを提起した。Cは、本件貸付金債権の消滅時効を援用したうえで保証債務も消滅したと主張して、Aの請求棄却の判決を求めた。Aの請求は認められるか。(2) 本件貸_付金債権の弁済期到来後も、Aは、Bの事業がうまくいっていないことを知っていたためBに請求をせずにいたが、本件貸付金債権の弁済期から7年後、Cに対して連帯保証債務の履行を請求した。Cは、時効完成を知らずに元本は1か月後に全額支払うので連帯保証金の支払を免除してほしいと回答した。その翌月もCからの支払がないので、AはCに対して連帯保証債務の履行を求めて訴えを提起した。Cは、本件貸付金債権の消滅時効を援用したうえで保証債務も消滅したと主張して、Aの請求棄却の判決を求めている。Aの請求は認められるか。(3) (2)において、CはAの請求に応じて全額を支払った。これについてCがBに求償した場合、Bはどのように反論しうるか。●解説●1. 保証債務の消滅時効の基本的考え方(1) 保証債務の別個性と付従性保証債務は主たる債務と別個の債務であるため(保証債務の別個性)、保証債務の消滅時効は、主たる債務の消滅時効とは別に進行して完成するというのが原則である。他方で、保証債務は主たる債務に付従するため、主たる債務が消滅すると保証債務も消滅する(消滅における付従性)。保証債務の消滅時効の問題は、これら2つの性質に加えて、主たる債務とその履行の担保を目的とする保証債務の内容が実質的に重なり合っていることも考慮に入れて、検討されなければならない。(2) 時効の起算点と時効期間債権の消滅時効については、「債権者が権利を行使することができることを知った時」(主観的起算点)から5年間の短期時効と、「権利を行使することができる時」(客観的起算点)から10年間の長期時効の二重の時効制度が採られている(166条1項)。期限の定めのある契約上の債権については、債権者が期限を知っているのが通常であるため、これら2つの起算点が事実上一致する。したがって、主観的起算点から5年の経過によって消滅時効が完成する(同項1号)。保証債務の弁済期は、保証契約において特に定められていない限り、主たる債務の弁済期と同時期に到来すると考えられる。主たる債務が期限の定めのない債務である場合、保証契約締結時に既に発生しているものであれば、保証債務の弁済期も保証契約締結時に到来する。(3) 時効の援用保証人は、保証債務の時効の援用権を有する者はもちろん、主たる債務の時効が完成すると、主たる債務者の時効に対する援用とは無関係に、主たる債務の時効を援用することもできる。保証人は、主たる債務について「権利の消滅について正当な利益を有する者」として、「当事者」に含まれるからである(145条)。保証人が主たる債務の時効を援用すると、債権者と保証人との間において主たる債務が消滅し、付従性によって保証債務も消滅するが、債権者と主たる債務者との関係においては主たる債務は存続する(援用の相対効)。したがって、債権者には、保証債務のない主たる債務に係る債権のみが残ることになる。これに対し、主たる債務の権利義務の当事者である主たる債務者自身が主たる債務の時効を援用する場合には、主たる債務は債権者と保証人との間でも絶対的に消滅し、保証債務も付従性により消滅するため、保証人による時効の援用は問題とならなくなるというのが、現在の通説的理解である。2. 主たる債務の時効完成前における保証人の承認と主たる債務の時効の更新(1) 保証債務の承認保証人が時効期間満了前に「保証債務」を承認した場合、保証債務の時効は更新される(152条1項)。しかし、承認による時効の更新は、更新事由が生じた当事者およびその承継人の間でしかその効力を生じないので(153条3項)、保証債務の時効が更新されても、これによって主たる債務の時効が更新されることはない。連帯保証債務が承認によって更新された場合も同様である(458条・441条本文参照)。なお、主たる債務について、履行の請求その他の事由によって時効の完成猶予および更新が生じると(147条〜152条)、主たる債務の時効が更新されれば保証債務にも及ぶが(457条1項)、これは、判例は付従性の帰結として説明するが(最判昭和43・10・17刑時34巻5号頁)、通説的理解によれば、債権の担保を確保するという政策的・便宜的配慮から、主たる債務よりも保証債務が時効消滅しないように時効の完成猶予および更新の範囲を拡張したものである。実質的には、主たる債務について債務の履行催告等による時効障害事由が生じた以上、その担保である保証債務については同様の措置をとらなくてよいので、債務者の帰責管理上の負担が軽減されている。これに対し、「履行の請求その他の事由」(457条1項)によらない絶対的相対権思想の完成猶予(138条〜161条)については、民法下の解釈を前提にすると、民法457条1項が適用されないので、債務ごとに完成猶予事由の有無を判断することになる。(2) 保証人による主たる債務の承認の可否保証人が時効期間満了前に「主たる債務」を承認することによって、主たる債務の時効も更新するだろうか。承認は相手方の権利の存在の事実を認めさえすればよいから、承認をするには、相手方の権利を処分する効力や権限(152条2項)は必要としない。しかし、相手方の債務の承認は自己の権利の保存または利用(管理行為)に当たるため、管理能力・権限が必要である。主たる債務について権利義務の当事者でない保証人は、管理能力・権限を有しないため、主たる債務を承認してもその存在に関する蓋然性は生ぜず、主たる債務の時効は更新されない(参考判例①)。もっとも、保証人が主たる債務を相続した場合において、主たる債務者兼保証人の地位にある者が主たる債務を相続したことを知りながらした弁済は、これが保証債務の弁済であっても、債権者に対して主たる債務を承認した包含しており、特段の事情のない限り、主たる債務者による承認として主たる債務の時効が更新される。主たる債務者が保証人の地位にある個人が、両地位にある者が異なる行動をすることは、想定しがたいからである(最判平成29・9・12民集67巻6号1356頁)。3. 主たる債務の時効完成後における保証人の時効利益の放棄・承認の効果(1) 保証人による「主たる債務」の時効利益の放棄主たる債務の時効完成後においては、保証人は、「保証債務」の時効利益を放棄することもできるし(145条)、時効利益を放棄することもできる。他方で、主たる債務者は、自らの負担する主たる債務の時効を援用することも放棄することもできる。時効利益の放棄の相対効により、主たる債務者が時効利益を放棄した場合であっても、保証人は主たる債務の時効を援用することができる(大判昭和6・6・4民集10巻401頁)。この場合、前述(1)のように、債権者には、保証債務のない主たる債務に係る債権のみが残される。反対に、保証人が主たる債務の時効利益を放棄した後も、主たる債務者が主たる債務の時効を援用することもできる。この場合にも、主たる債務の消滅(絶対効)に消滅って保証債務も消滅するというのが付従性からの素直な帰結である。しかし、学説では、付従性の原理を重視して帰結を支持する見解と、主たる債務の時効を放棄した保証人と主たる債務者との間の求償を巡る利害調整の観点から、主たる債務の時効を放棄した保証人は、主たる債務の時効を援用できないとする見解、保証人の「主たる債務」の時効利益の放棄の意思表示を解釈し、①主たる債務者の時効の利益を援用しないという意思の表明と、②主たる債務者の承認が時効完成したことを清算したうえで弁済するといった意思の合致と解釈する見解とに分かれている。(2) 「保証債務」の時効利益の放棄・承認の効果保証人が「保証債務」の時効を放棄した後、自ら「主たる債務」の時効を援用することができるかについても問題となる。これは、これを肯定する(前掲・大判昭和7・6・21)。主たる債務の時効完成後に保証人が保証債務を承認した後で、主たる債務の時効を援用した場合、保証人は主たる債務の時効完成を理由に保証債務の履行を拒絶できるとされている(大阪高決平成10・4・10民集40巻3号79頁)。もっとも、保証人による保証債務の時効利益の放棄の意思表示の中に主たる債務の時効利益の放棄の趣旨が含まれることがある場合には、そのように解釈する。主たる債務の時効を援用することができ、その趣旨に付従性によって保証債務の時効を援用することは、信義則でないことになろう。小問(2)では、CはBの主たる債務の時効に対する意思が定まっていない間に、弁済期到来を知らずにAに対して保証債務の一部免除と弁済の猶予の懇願(自認行為)をしており、判例の考えによれば、これによって保証債務の時効の援用権を信義則上喪失しているところ(前掲昭和41・4・20民集20巻4号702頁参照)、主たる債務の時効を援用し、その履行の拒絶を主張して保証債務の履行を拒絶できるかが問題となる。この問題は保証人が保証債務を一部履行した場合に主たる債務の時効完成を理由に、主たる債務の時効消滅による保証債務の履行拒否をすることが、信義則に反するか否かにかかわらず保証債務を履行する趣旨に反するものでないかという問題である。このような考え方を手がかりに考察すると、保証債務については時効利益を放棄していないとして、主たる債務の時効利益の放棄の効果も意思を及ぼすものではないというのである。もっとも、保証人が、主たる債務の時効の完成の事実を知らなくても、保証債務者がその債務を承認したという事実を知りながら保証債務を承認した場合には、判例によっても、保証人がその承認に主たる債務の時効を承認することは義則上許されないとされている(最判昭和44・3・20判時557号237頁)。小問(3)においては、保証債務の時効援用権の主張の放棄、保証人が主たる債務者の時効完成後に、保証人が主たる債務者が時効を援用しない段階で保証債務を履行した場合において、保証人は主たる債務者から求償を受けることができる。
貸金業者であるX株式会社は、2024年12月14日、Yに対し、70万円を利息年9.8パーセント、損害金年14パーセント、弁済期を1年後の約定で貸し付けた。Yは、2026年1月17日、Xに対し、本件債務のうち1年間の利息分に相当する6万8600円を支払ったが、その後は2032年3月7日にいたるまで本件債務を弁済していない。2032年5月3日頃、XからYに対し、裁判にかける、差押えをする等の記載のある督促状が届いた。督促状を見て怖くなったYは、同月6日、Xに対し電話をかけたところ、Xの男性従業員Aが対応した。Aは、Yの現在の生活状況を聞いたうえで、Yは長期にわたる延滞状況にあるため、一括弁済が必要であり、分割弁済に応じるのは困難であると説明した。Yは、年金生活者で経済的に困窮していたが、同月7日、1万円を知人Bから借り入れ、Xの指定した銀行口座に1万円を振り込んだ。その後、Yが本件債務を一切弁済しないので、2032年10月10日、XはYに対し、残元本およびこれに対する遅延損害金の支払を求め、訴訟を提起した。これに対し、Yはどのような反論をすることができるか。●参考判例●最判昭35・6・23民集14巻8号1498頁最判昭41・4・20民集20巻4号702頁最判昭45・5・21民集24巻5号393頁最判平28・6・6金法2055号91頁大判大正8・5・12民録25輯851頁●解説●1. Xの請求とYの反論XはYに対し、貸金返還請求権と履行遅滞に基づく損害賠償請求権を行使しているが、この請求を斥けるために、Yとしては、請求権の消滅時効を主張することが考えられる。本問では、この消滅時効の援用が問題となる。(1) XがYに対し貸金返還および遅延損害金を請求する場合において、返済時期の合意があるときは、Xは、請求原因として、次の事実を主張・立証する必要がある(貸金返還と遅延損害金とで訴訟物は異なるが、両請求を立証するには、両請求を成立させるために必要な事実をすべて挙げている)。金銭消費貸借契約の成立(金銭授受の合意、金銭の交付、返還期限の合意、利息の合意)返還時期の到来・経過(2) それに対して、Yは、次の事実を主張・立証することにより、請求権の消滅を抗弁することができる。2017年民法改正により、債権は、①権利者が権利を行使することができることを知った時から5年間行使しないとき、または、②権利を行使することができる時から10年間行使しないときに、時効によって消滅することになった(同条1項)。①が改正により付け加えられた点である。契約に基づく一般的な債権については、その発生時(契約時)に債権者は権利の発生原因および債務者を認識しているのが通常だから、客観的起算点と主観的起算点とは一致する。したがって、貸金返還請求権は5年の消滅時効にかかる。権利行使可能の到来(ただし、Xが①を主張・立証するので、Yによる主張・立証は不要となる)①から5年の時効期間の経過YによるXに対する時効の援用(145条)(3) (2)の抗弁に対して、Xは、YによるXに対する利益支払の事実を主張・立証することにより、時効更新の再抗弁を提出することができる。消滅時効完成前の利息支払は、元本債権の承認(152条)となる(大判昭3・3・24新2873号)。(4) 他方、Yは、利益支払から5年の時効期間の経過とYがXに対して時効の援用をした事実を主張・立証することにより、消滅時効の抗弁を提出することができる。この抗弁は、利息支払を起算点とする貸金返還請求権の消滅を主張するものであり、(2)の抗弁とは別個の抗弁であるから、(3)の再抗弁に対する再々抗弁ではない。また、時効の援用に関する不確定効果説を前提にすると、(2)と(4)の両者の消滅時効が完成したときにいずれを援用するかにYは委ねられるから、(4)の抗弁は、(2)の抗弁に対する予備的抗弁ではなく、選択的抗弁となる。(5) (4)の抗弁に対して、Xは、YによってXに対する債務の一部弁済があったという事実を主張・立証することにより、信義則(民法1条2項)による時効援用権喪失の再抗弁を提出することができる。2. 時効利益の事前の放棄民法146条は、通常弱い立場にある債務者が時効利益の事前放棄を強いられるおそれがあることを考慮して、「時効の利益は、あらかじめ放棄することができない」と規定している。これに対して、時効完成後は、時効利益を受けるか否かは当事者の意思(援用)に委ねられており、時効利益の放棄を許さない理由はないから、同条の反対解釈により、債務者は時効利益を放棄することができる。ただし、会社法31条1項・地方自治法236条2項には、時効利益を放棄することができないものとする例外規定がある。時効利益の放棄は、債務者の意思表示だけで効力を生じ、債権者の同意を要しないが(大判大正8・7・4民録25輯1215頁)、債務者が時効完成の事実を知らなければ、行うことができない(大判大正3・4・25民録20輯342頁)。3. 時効完成後の行為他方、債務者が、時効完成の事実を知らずに、債務の承認や一部弁済等、債務の存在を前提とした行為(自認行為)を行った場合については、民法典に規定がなく(制定法の欠缺)、その取扱いが問題となる。(1) 判例かつての判例は、時効利益の放棄には、債務者が時効完成の事実を知っていたことを要しつつ、自認行為をした場合、債務者は時効完成の事実を知っていたものと推定して(しかも判例はこの推定を破る証拠はなかなか認めないことによって)、時効利益の放棄を認めていた(参考判例①)。いわゆる、「時効利益の放棄の効果を肯定するためには、債務者において時効完成の事実を知っていたことを必要とすることは所論のとおりである。しかし、債務承認のような場合には、債務者は時効完成の事実を知っていたものと推定すべく、従って債務者たる上告人において所論弁済をするに当り時効完成の事実を知らなかったということを主張且立証しない限りは、時効の利益を放棄したものというべきである」とする。しかし、学説は、判例の結論を是認しつつも、時効完成を知らないからこそ自認行為をしたとみるのが自然なので、判例による推定は事実の蓋然性に矛盾するという理由で、その理論構成を批判した。(2) 新判例最高裁は、このような学説の批判を受けて、時効完成後の承認が時効完成の事実を知ってなされたものと推定することは経験則に反するとして、参考判例①を変更しながらも、時効完成後の承認は「時効による債務消滅の主張と相容れない行為であり、相手方においても債務者はもはや時効の援用をしない趣旨であると考えるであろうから、その後においては債務者に時効の援用を認めないものと解するのが、信義則に照らし、相当である」という理由により、「時効完成の事実を知らなかったときでも、爾後その債務についてその完成した消滅時効の援用をすることは許されない」として、旧判例の結論を維持した(参考判例②)。参考判例②の傍論については、判決文の「時効の援用をすることは許されない」を、「時効援用権は存在するが信義則上それを行使することはできない」という意味ではなく、「時効援用権は失われる」という意味に解し、「債務者は自認行為をした場合には時効援用権を喪失する」という法定ルールを信義則に依拠しつつ創造したという理解が一般的である。その後、再び時効が進行する。これを認めた参考判例③も、時効援用権の存続を認めたもの。4. 信義則の機能新たな時効の進行を認めるのは合理的だから、時効援用権は失われるという理解を前提としている。この理解の下では、信義則は欠缺補充機能(根源的機能)を果たしており、事案に直接適用されるのは、信義則ではなく、信義則によって創造された上記の法定ルールである。「時効利益の喪失」という本テーマの表題や、「時効援用権喪失の再抗弁」という(5)の記述は、かかる理解を前提にしている。しかし、以前から「時効完成後、承認等がなされても具体的妥当性の観点より債務者の救済方法として、承認後の時効援用が信義則に反せず許される場合もありうる」という指摘があったが、近時は、実際に信義則違反を否定して時効援用の再抗弁が覆されている(東京地裁平成7・7・26金監1011号98頁、札幌地判平成10・12・22判タ1040号211頁、東京高判平成11・3・19判タ1045号169頁、福岡地判平成13・3・13判タ1129号148頁、宇都宮地判平成24・10・15金法1968号122頁など)。本問の基になった参考判例④は、参考判例②の引用に向けて、「そうすると、時効が完成した後に、債務者が債権者に対して債務の承認をしたとしても、承認後の具体的的事情を総合考慮して、債務者において、債務の承認が時効の援用をしない趣旨であるとの保護すべき信頼が生じたといえないような場合には、消滅時効を援用することは信義則に反せず、許される」と述べ、事案の具体的解決としても、時効の援用を認めた。また、2017年の民法改正時には、参考判例②の法明文化が検討されたが、法制審議会では、実際上、時効が完成したことを知らずに債務の承認をさせられたり、時効が完成した債権のうち少額の一括弁済を迫られ、それによって時効援用権を喪失したと主張されたりすることがしばしばあるため、明文化するのであれば、援用権を喪失しないことをすべきである、という意見がむしろ有力であった。他方で、個別の事情に応じた裁判所の判断に委ねるべきだとして、明文化に反対する意見もあり、結局、規定は見送られた。従来の一般的理解とは異なり、参考判例③のように、信義則違反の有無は個別の事情に応じた裁判所の判断に委ねられるという趣旨に参考判例②を理解する場合には、信義則は、欠缺補充機能ではなく、個別事案に直接適用されることにより、具体的妥当性を図る機能(規範具体化機能)を担う。この場合、(5)以下は、次のように書き換える必要がある。(5) (4)の抗弁に対して、Xは、Yによる時効援用は信義則に反し許されないという再抗弁を提出することができる。評価根拠事実と評価障害事実を総合的に評価して信義則違反の有無を判断する。【評価根拠事実】(信義則違反を基礎づける事実)ⓐ YによるXに対する債務の一部弁済ⓑ Xは、貸金業法の規定を遵守して取り立てにあたっていた。【評価障害事実】(信義則違反の評価を妨げる事実)ⓓ Yは、生活困窮の状況にあった。ⓔ Yに、Xを欺罔するなどの悪質な意図はなかった。ⓕ Xは、Yとの交渉の過程で、本件債務について消滅時効が完成していることを知ったのにもかかわらずYに説明しなかった。ⓖ Xは、時効の援用を阻止する目的で、Yに対して強圧的言辞を用い、分割弁済である旨を言明して一部の弁済をさせた。ⓗ Xは、Yに恐喝心を抱かせるような言動をした。ⓘ Yは、1万円を支払った後は一切支払っておらず、Yには本件債務を任意に履行する意思はなかった。信義則違反の成否は、評価根拠事実と評価障害事実の総合判断によって決まる。総合判断の枠組みとして、ⓐⓑにプラスのポイントを、ⓓ~ⓘにマイナスのポイントを与え、ⓐ~ⓒの和が一定のポイント以上であれば信義則違反を認める、というモデルが考えられる。しかし数値化は現実的でないので、実際には類似の先例の判断を基点として、それとの比較により結論が導かれる場合が多いと思われる。また、先例がなければ、最終的には裁判官の自由裁量に委ねるしかない。なお、主張された評価根拠事実だけで信義則違反を根拠づけることができない場合は、主張自体失当であるから、評価根拠事実・評価障害事実の立証や総合判断は不要となる。民法1条2項は、「権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない」と規定する。これを信義誠実の原則(信義則)と呼ぶ。法解釈方法論の観点からは、信義則の機能について、本来的機能と技術的機能を区別することが重要である。●関連問題●(1) 本問において、督促状を受け取ったYが、Xに電話をかけることなく、Xが指定した銀行口座に1万円を振り込んだ場合はどうか。(2) 本問において、Yが、Xの指定した銀行口座に1万円を振り込む際、本件債務の消滅時効の完成を知っていた場合はどうか。(3) 関連問題(1)(2)において、2032年の時点で、Yが被後見人であった場合はどうか。●参考文献●広中俊雄「民法第1条の機能」法教109号(1989)10頁遠藤賢治・百選Ⅰ[第9版](2019)96頁(参考判例②解説)石松稔・岡山商大論叢34巻2号(1998)1頁
Aは友人Bに、2025年1月10日、200万円を年利10パーセント、1年後に元利一括で返済するということで貸し付けた(甲債権)。同年3月10日、Aは再びBに頼まれ、300万円を同一条件で貸し付けた(乙債権)。さらに、Aは、同年4月10日、当時交際中のCに頼まれ、CがBに400万円を1年後に返済するということで、無利子で貸し付けた(丙債権)。以下の場面において、Aの請求は認められるか。現時点は、2035年7月とする。(1) Aは、Bから生活が苦しいと聞かされていたこともあり、長らく返済の催促をしてこなかったが、ついに、2030年11月、甲債権と乙債権の元本合計500万円と利息の返済を求める訴えを提起した。同年12月15日、Bに訴状が送達された。それを読んだBから、2031年4月21日、Aの銀行口座に100万円が振り込まれたが、以後Bからの連絡は何もない。そこで、AはBに対して、同年6月10日、残金の支払を求めて訴えを提起したところ、口頭弁論期日(同年7月28日)においてBは消滅時効を援用してAの請求棄却の判決を求めた。(2) Aは長らくDに返済を求めることはしなかったが、Cと別れたのを機に、強くDに返済を求めた。これに対し、DはAに対し、2030年8月10日、丙債権の不存在確認の訴えを提起し、すでにCがDに代わって全額返済していると主張したが、同年11月12日、D敗訴の判決が確定した。そこで、AがDに対して、2031年5月5日、丙債権の履行を求めて訴えを提起したところ、Dは消滅時効を援用してAの請求棄却の判決を求めた。●解説●1 時効の完成猶予と更新事由2017年改正前民法は、権利行使により時効の完成が妨げられるという効力と、それまでに進行した時効がまったく効力を失い、新たな時効が進行を始めるという効力(2017年改正前民法157条参照)を、いずれも「中断」という同一の用語で表現していたため(同民法147条1号・2号・149条以下参照)、このことが時効制度を難解にしている一因であると考えられた。そこで、民法は、両者の概念を区別し、時効の完成が妨げられるという効力を持つ時の「完成猶予」、新たな時効が進行を始めるという効力を持つ時の「更新」という言葉を用いて再構築した(ただし、占有の中止等により取得時効の進行が止まることについては、民法改正の前後で変更はなく、「中断」と呼んでいる(164条))。すなわち、民法は、裁判上の請求や強制執行などの一定の権利行使があると時効の完成を猶予している(147条1項・148条1項)。そして、それらの猶予事由が終了した時(裁判上の請求などの場合は「確定判決又は確定判決と同一の効力を有するものによって権利が確定した」とき)から、新たに(つまり、ゼロから)その進行を始める(147条2項・148条2項)。なお、権利行使なくとも時効の完成猶予由となる催告については更新の効力がなく(149条参照)、催告の時から6か月は完成猶予するのみである(150条参照)。また、権利の承認がなされると同時に(完成猶予という時間的経過を経ることなく)更新の効力が生じる(152条)。なお、これらの効力は、2017年改正民法の施行日であった2020年4月1日以後に時効の完成猶予事由・更新事由が生じた場合に認められる(附則10条2項)。2 一部弁済と時効の更新債務の消滅時効は、「債権者が権利を行使することができることを知った時から5年間行使しないとき」、または、「権利を行使することができる時から10年間行使しないとき」に完成する(166条1項1号・2号)。そうすると、Aは丙債権について、弁済期を定めて貸し付けているので、弁済期には権利を行使することができることを知っていたといえる。したがって、甲債権・乙債権・丙債権の消滅時効は、完成猶予・更新がなければ弁済期(貸付から1年後)の翌日から進行して10年(本問より初は算入されないので〔民法72条の2第3号の反対解釈〕についての判例を示した最判昭37・10・19民集36巻10号2163頁がある)5年(甲債権は2031年1月10日、乙債権は同年3月10日、丙債権は同年4月10日)の経過により完成する。しかし、甲債権・乙債権については、AがBに対して訴えの提起(150条1項)をしているので、手続がBに到達(被告は訴状の送達であるが、民法97条1項が類推適用される)してから6か月(2031年5月15日)が経過するまでは完成しない。そうすると、Aから甲乙両債権の支払を催告されたBは、当初の時効期間満了後ではあるが催告後6か月以内である2031年4月21日、いずれか一方の債権の存在を特に否定することなく一部(100万円)弁済しているので、甲乙両債権を承認したことになり、甲乙両債権の消滅時効は更新されたことになる(152条1項)。新たに5年(166条1項1号)の消滅時効が進行するが、完成前の2031年6月10日にAは訴えを提起しているので、Aの請求は認められる。なお、Bは100万円を振り込むに際し甲債権と乙債権のいずれに充当されるものであるか指定しておらず、Aも同意済であるので、法定充当され(弁済期が先に到来した甲債権の一部(利息)が弁済されたことになる(488条4項3号・489条1項・2項))。3 反訴と時効の完成猶予・更新民法147条1項1号は裁判上の請求を時効の完成猶予・更新事由としており、訴えの提起(民訴133条1項・147条)がこれに当たる。被告が原告の請求棄却の判決を求めて応訴することは、訴えの提起そのものではないが、判例は、これに時効の中断(完成猶予・更新)の効力を認めていた。たとえば、④債務者から提起された債務不存在確認訴訟の被告として債権者が債権の存在を主張し、原告の請求棄却の判決を求めた場合(大判昭和14・3・22民集18巻298頁)、⑤抵当権者が債務者である抵当権設定者から提起された抵当権設定登記抹消登記請求訴訟の被告として被担保債権の存在を主張し、原告の請求棄却の判決を求めた場合(参考判例①)、⑥占有者から提起された移転登記手続請求訴訟の被告として所有者が自己に所有権のあることを主張し、原告の請求棄却の判決を求めた場合(最判昭43・11・13民集22巻12号2501頁)には、裁判上の請求に準じて時効の中断(⑤では取得時効)の中断(完成猶予・更新)が認められるとしていた。この判例に考えによれば、小問において、丙債権の消滅時効は2031年4月10日に完成するところ、完成前に提起されたDの債務不存在確認の訴えに応訴しD敗訴の判決が確定したので、丙債権の消滅時効は更新されて2030年11月12日から新たに10年(169条1項)の消滅時効が進行している(147条2項)ことになりそうである。したがって、このように解するときは消滅時効は完成していないのでAの請求は認められる。なお、判例は、裁判上の催告という考え方も認めている。たとえば、所有権に基づく返還請求の訴えにおける被告が占有権原を主張した場合には、賃借権を主張した時点から判決が確定するまでの間は被担保債権について催告が継続していたものとして、判決確定から6か月以内に裁判上の請求等により時効の完成猶予・更新につなげることができる(参考判例③)としており、学説も一般的には支持している。しかし、上記の訴訟で権利を主張すれば確定まで所持者が所有権を確保できると考えるのが普通であろうとして、権利承認がなされると同時に(完成猶予という時間的経過を経ることなく)更新の効力が生じる(152条)、なお、これらの効力は、2017年改正民法の施行日であった2020年4月1日以後に時効の完成猶予事由・更新事由が生じた場合に認められる(附則10条2項)。4 時効の援用権者・更新の効力の及ぶ範囲時効の援用権者について、民法は「当事者」としている。そして、消滅時効については、援用権者の具体例として、判例・学説に異論のない、保証人、物上保証人、後順位抵当権を挙げたうえで、一般的基準として「権利の消滅について正当な利益を有する者」としている(145条)。後述の発展問題では、Fは、物上保証人であるから、被担保債権である丁債権の消滅時効が完成していれば、これを援用して抵当権の実行を阻止できる。しかし、債務者Eの一部弁済(民法152条1項の承認に当たる)により丁債権の消滅時効は更新されている。そうすると、Fは丁債権の消滅時効を援用できなくなりそうである。ところが、民法153条2項は、承認による時効の更新は更新の事由が生じた「当事者」(更新行為をした者とその相手方)と「その承継人」(当事者から更新の効果を受ける権利または義務を承継した者)の間においてだけすると規定しているため、丁債権の時効更新の効力を主張できる(あるいは、主張される)のは、AとE、丁債権の譲受人などに限定され、「当事者」にも「その承継人」にも当たらないFは丁債権の消滅時効を援用できるようにもみえる。判例は、物上保証人が債務者の承認により被担保債権について生じた消滅時効の更新の効力を否定することは、担保権の付合性に抵触し、民法396条の趣旨にも反し許されないとしている(参考判例①)。学説には、民法153条は、時効完成の猶予・更新の効力を主張できる者の範囲(人的範囲)を規定したものではなく、特定財産の猶予・更新が生じた当事者間で進行していた時効だけが猶予・更新するということを規定したものであるとするものがあるが、この説では、丁債権の消滅時効は更新されたため完成していないので、Fは援用できないということになる。なお、債務者が自己の不動産に設定した抵当権の抵当権債務者(抵当権者)が申し立てると被担保債権の消滅時効の完成は猶予され更新される(148条1項2号・2項)が、物上保証の場合は第三者が自己の不動産に抵当権を設定しているため、民法154条が適用されると解されている。すなわち、物上保証の場合に債権者が抵当権の実行を申し立てることは、競売開始決定の正本が債務者に送達された時に時効の開始があったものとし(最判昭和50・11・21民集29巻10号1537頁)、その時点で猶予・更新の効力が生じるとされている(最判平成6・7・12民集50巻7号1901頁)。●発展問題●AのEに対する1000万円の債権(丁債権)を担保するため、FはEに頼まれて自己の不動産に抵当権を設定した。丁債権の弁済期は、2024年8月7日である。Eは2029年7月10日に300万円を返済したのみで、以後支払はない。そこで、Aが2031年3月5日、抵当権の実行の申立てをしたところ、Fは丁債権の消滅時効を援用して抵当権の実行を阻止しようとした。Fは、Eの300万円の返済により丁債権の消滅時効が更新されても、自分との関係では更新されたことにはならないと主張している。Aの抵当権の実行は認められるか。●参考文献●講義26頁〔中田裕康〕/ 野田宏・最判解昭和44年度(下)862頁 / 阿久三郎「時効制度の構造と解釈」(有斐閣・2011)1頁・141頁・181頁・244頁